◆東青見という男
東青見、十七歳。身長一八七センチ。
逢瀬学園高等部二年。剣道部所属──というより、ほぼ剣道部そのもの。
団体戦の要件すら満たせない、校内屈指の弱小部。
進学校で、元女子高で、真面目に竹刀を振るう物好きなんてそうはいない。
そこへ、中学で名を馳せた剣士が一人。
──東青見が入部したことで、一度は確かに、部室に活気が戻った。
夏になるまでは。
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夏のあの日。
目の前で、世界が二度と戻らない形に崩れた。
両親が死んだ、なんて柔らかい言い回しでは足りない。
「殺された」と言葉にしていいのかどうかも、今ひとつ自信がない。
気付いた時には、病院の白い天井を見上げていた。
“収容”という言葉の意味を、青見は身をもって知ることになった。
そこから逃げ出して、今ここにいる。
だから、夏以降──
遅刻。自主早退。
授業は聞いている。宿題も、それなりに出す。
素行不良、というほどの悪さはしないが、教室の空気からは確実に浮いている。
友達も、減った。
それでも、剣道部の鍵だけは、毎日ちゃんと開ける。
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放課後の道場。
木刀と竹刀の音が、時々だけ響く。
「東、もう上がるぞー」「あ、はい」
三年の先輩が、部誌と出席簿を片手に道場を出ていく。
残ったのは、掛け声と足捌きの音だけ。
九人しかいない部員。
しかも三年は“引退したはず”なのに、人数が足りなくて未だ現役だ。
黙っていれば、存在を忘れられてもおかしくない部。
──でも、ここに来れば、竹刀を握っていれば、頭の中だけは静かになる。
物質の力を超えた、どうしようもない“憎しみ”がある。
夏の夜から胸にこびり付いて離れない、黒いもの。
それを、どうにかして打ち払ってくれるものがあるとしたら──
きっとそれは、“剣”そのものじゃない。
剣を握っても、怒りは消えない。
代わりに、腕の震えが止まり、呼吸のリズムだけが整っていく。
今はまだ、それでいい。
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趣味は、山へ行くこと。
MTBで山道を登り、テント一つで野宿して、コンビニのノリ弁を温めて食う。
旅。剣道。刃物。
B級グルメ。七番コンビニの“お好みノリ弁”。
あるようで金欠。
貧乏性で、ものを捨てられない。
だから、壊れかけのMTBも、よく手入れされた竹刀も、古い包丁も、全部ちゃんと研いで使う。
自炊も覚えた。
必要に迫られて、の話だが。
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誕生日は、五月十九日。
誕生石は、ラピスラズリ──青金石。
古い本には、こう書いてあった。
“危機を乗り切る石”
“過去と未来を繋ぐ石”
イスの偉大なる種族、なんて悪趣味な邪神占いに笑ったこともある。
時間を越えて記録を残す、怪物じみた知性の象徴だ。
「そんなもんに、なれるわけないだろ」
笑い飛ばした。
けれど、どこかで少しだけ、羨ましいとも思った。
過去も未来も、一度に見通せるなら。
あの夏の夜を、別の結果に変えられたかもしれない、と。
──でも、それは“夢”じゃない。
そんな力があればいい、と思うことはあっても、それを望んで生きたいわけじゃない。
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昼休み。
弁当箱を開けると、たんぱく質と炭水化物と野菜のバランスだけは完璧だ、とよく言われる。
「青見の弁当、いつ見ても豪勢だな」
「いや、安い食材ばっかりだよ。手間かけてるだけ」
そう返すと、だいたい誰かが笑う。
そうやって笑ってくれる奴が、まだ少しだけ残っている。
それだけで、ここにいる意味はあるのかもしれない。
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青見は、自分の“役目”を言葉にしたことはない。
けれど、心のどこかでは、こう思っている。
──誰かが世界を守るなら、自分はその背中を支える側で構わない、と。
憎しみに押し潰される代わりに、それを“誰かを守る力”に変えて立ち続ける。
物質の力を超えた憎悪を、それでも越えていける“愛”に繋げたい。
それが、東青見という男の、誰にも話していない願いだ。