/*/ オカルト不完全燃焼 /*/
――人生、だいたいが退屈だ。
そう思いながら、オレは教室のドアを開けた。
時計の短針はすでに八を少し回っている。はい、今日も安定の遅刻です。
「伊東。ホームルーム終わってるぞ」
担任の冷めた声。
教室中の視線が一瞬だけこっちを向くけど、もう慣れたもんだ。
「はいはい、交通の乱れってやつですよ、先生」
「徒歩通学がなにを言ってる」
即ツッコミ。
笑いが少し起きて、空気がゆるむ。こういうとこだけは、ちょっと得した気分になる。
席に座って、配られたプリントにちらっと目を通す。
一ページ目を見終わる頃には、全部だいたい頭に入ってる。
(今日も簡単だな……)
黒板に書かれる説明は、すでに知ってる答え合わせを延々と聞かされてる感覚だ。
窓際の席から見える空はよく晴れていて、風に揺れる校庭の木の方が、よほど楽しそうに見える。
(ゲームしてた方がまだ頭使うよな……)
そう思いつつ、わざと半分だけ聞いてるふりをしながら、ノートに適当に式を書き流す。
前の席のやつが途中で振り向いて、小声で囁いた。
「なあ伊東、ここどうやるんだっけ」
「ここ? この式逆にして……ほら、こう」
「サンキュ。マジで頭だけは頼りになるわ、お前」
「“だけ”ってつけんな、“だけ”って」
小さく悪態をつきながらも、教えてしまうあたりがオレの損な性格だ。
まあ、困ってるやつを見てると、なんか、むずむずするんだよな。
◆ 身長一六三センチの現実 ◆
休み時間になるたびに、オレはちょっとした危険地帯を通過しなきゃいけない。
――廊下だ。
「お、伊東。相変わらずちっちぇーな」
バスケ部の先輩が、にやっと笑いながら通せんぼしてくる。
背丈だけなら、あいつの胸くらいまでしかない。見上げる形になるのがムカつく。
「成長期はこれからですよー。先輩の頭抜かすくらいには伸びますから」
「フハハ、言うじゃねーか。頑張れよ、おちびちゃん」
ぐしゃぐしゃ、と容赦なく頭を撫で回される。
やめろ、セットしてきたわけじゃないけど、なんかムカつく。
「おちびちゃん言うな。オレ男子平均クリアしてますから」
「“元々二メートルコースだったかもしれない”って話が本当なら、十分ちびっこだろ」
「誰から聞いたんすか、その都市伝説」
口では反発するけど、心のどっかで、その話はひっかかっている。
父方の親戚は、みんなでかい。でかくて、肩幅も腕も太い。
昔は「惣一郎もきっと大きくなるぞ」なんて散々言われてた。
……成長期に入る前までは。
(まあ、今さら考えてもしょうがねーか)
伸びなかったものは伸びなかった。
代わりに、ゲームの中のステータスなら、いくらでも伸ばせる。
「惣くん!」
廊下の向こうから、明るい声が飛んできた。
顔を向けると、松坂愛香が小走りに近づいてくる。
制服のスカートの下から伸びた脚線は、体育の授業で女子達をざわつかせた“高性能ボディ”のそれだ。
……そして、その栄養源が一部オレの成長エネルギーだとか、なんとか。
「また先輩に頭ぐしゃぐしゃされてたでしょ」
「見てたなら助けろよ」
「ふふ、惣くんがもきゅっ、てされてるの可愛いから、つい」
「“もきゅっ”てなんだ、“もきゅっ”て」
笑いながら、愛香はさりげなくオレの制服の襟を直してくる。
こういうところ、ほんと世話焼きだ。
「で? 今日、放課後オカ研行くんでしょ?」
「まあ、顔出すくらいはな。なんか面白いネタ仕入れたらしいぞ、門脇会長」
「また“出るらしい階段”とか?」
「そう、それそれ。三階と四階の間の踊り場。
夜になると、誰もいないのに足音が聞こえて、
耳元で『さむい、さむい』って囁かれるんだと」
「へぇ」
愛香の返事は、妙に平板だった。
普通の女子なら、もう少し「えーこわーい」とかなんとか言うだろうに。
「興味ねーの?」
「ううん。惣くんが行くなら付き合うよ」
即答。そこだけは、ちょっと嬉しい。
――いや、嬉しいと言うより、期待が膨らむと言うべきか。
(今日こそは、なんか“ガチなやつ”が来いよ)
オカ研に出入りしてからというもの、オレはずっと待っている。
この退屈な日常をひっくり返すような、理不尽で、得体の知れない“何か”を。
◆ オカルト研究会、活動開始 ◆
放課後。
薄暗くなり始めた廊下を抜けて、オカルト研究会の部室へ向かう。
部室のドアを開けると、先に来ていたオカ研会長・門脇耕太が、怪しげな笑みで迎えてくれた。
「おう、伊東くん。来たねぇ」
丸眼鏡の奥の目が、いつも通りいやにキラキラしている。
机の上には、ボイスレコーダーとらしき小さな機械と、古びた学校の見取り図。
「なんか掘り出しネタなんすか、今日の階段」
「うむ。“自殺した卒業生の霊がいる”説、“戦時中の兵隊が迷い込んでる”説、いろいろ混ざってるけどね。
昨日の夜、実際に“さむいさむい”って声を聞いたって一年がいたんだよ」
「マジで?」
思わず身を乗り出す。
それっぽいオカルト話は数あれど、“直近の体験談”となると話は別だ。
「録音とか、映像とかは?」
「そういうときに限って、何も回してないんだよねぇ」
門脇は肩をすくめる。
「だからこそ、我々が検証する価値があるってわけ!」
門脇は、ドン、と机を叩いて立ち上がる。
テンションだけはいつも本物だ。
「で、伊東くんはどうする? 来てくれるなら心強いが」
「行きますよ。どうせ宿題なら十分で終わりますし」
「さすが天才。じゃ、二十一時、三階階段集合ということで」
時計を見る。
今はまだ十七時前。いったん家に帰って、飯食ってからでも間に合うだろう。
「あ、門脇先輩。愛香も連れてっていいっすか」
「松坂さん? いいよいいよ、むしろ女子がいた方が“出る率”上がるしね」
「霊感的な意味ですか、それ」
「怖がりな子が混ざると、場の雰囲気がね、こう……」
門脇はにやりと笑う。
残念ながら、その目論見は外れると思う。愛香、怖がるどころか、たぶん一番落ち着いてるタイプだ。
◆ 階段の夜 ◆
夜九時。
普段なら誰もいないはずの校舎に、ひっそりと灯りが点いている。
裏門から中に入るのは、ちょっとしたスニーキングミッションだ。
そういうのが、また楽しい。
「惣くん、こっちこっち」
愛香は懐中電灯を片手に、慣れた足取りでついてくる。
制服の上に薄いパーカーを羽織っていて、フードからのぞく髪が、暗がりで柔らかく揺れた。
「本当に入って良かったの? 鍵とか」
「門脇会長が顧問から許可もぎ取ってるって。名目上は“夜間の教室点検”だとさ」
「ふふ、さすが」
三階へ続く階段の手前で、門脇と、もう一人の部員が待っていた。
廊下の蛍光灯はところどころしか点いておらず、影が濃い。
「よし、全員集合だね。じゃあ――」
門脇は、手に持ったボイスレコーダーを掲げる。
「今から検証を開始する。“さむいさむい”現象、実在するかどうか」
「録画も回しておきますね」
もう一人の部員が、スマホを三脚にセットする。
オレは壁にもたれて、スイッチが押されるのを見届ける。
(さあ、来いよ。なんか変なの)
心臓が、ほんの少しだけ高鳴っていた。
普段のテストより、ゲームのボス戦より、この瞬間こそが一番“生きてる感じ”がする。
廊下の空気が、ゆっくりと冷えていく。
窓は全部閉まっているはずなのに、風が通り抜けたような気がした。
「……なんか、ひんやりしてきましたね」
部員が小声でつぶやく。
愛香は無言で、ただ階段の影を見つめている。
やがて、上の階から――コツ、コツ、と、小さな足音が響いてきた。
人の歩くリズムと、たしかに似てる。
でも、誰かがいるにしては、遅すぎるし、重みがない。
(きた……!)
オレは思わず息を呑む。
足音は、三階と四階の間の踊り場のあたりで止まり――
次の瞬間、耳元で、かすかな声がした。
『……さむい……さむい……』
ぞわり、と背中を冷たいものが撫でていく。
鳥肌が立つ。これだ。これを待っていた。
もっと来い。もっと、“ありえないもの”を見せろ。
そう思った瞬間――
ふっと、その気配が軽くなった。
耳元の寒気も、背中を撫でた冷たい手も、霧みたいにほどけて消えてしまう。
「……あれ?」
肩越しに振り返る。
さっきまで確かに耳元にいた“何か”の痕跡は、もうどこにもない。
代わりに、すぐそばで愛香が、いつもの穏やかな顔で立っていた。
どこか満足そうに、けれど少しだけ申し訳なさそうに。
「惣くん、大丈夫?」
「あ、ああ。今、なんか……耳元でさ。聞こえたよな?」
「うん。“さむいさむい”って」
「だよな!? 録れてます?」
オレは慌てて門脇の手元のレコーダーを覗き込む。
再生ボタンを押すと、しばらくの無音のあと――
――スゥ……
風のようなノイズが一瞬走って、終わり。
「……あれ?」
「んー。環境音っぽいねぇ。はっきり声ってほどじゃないなあ」
門脇が首をひねる。
スマホの映像を確認しても、同じようなものだ。
確かに空気は揺れているように見えるけど、“決定的瞬間”には程遠い。
「くっそ……体感は完璧に“来た”んだけどな」
オレは悔しさを噛みしめる。
これじゃ、ただの“気のせい”扱いされても仕方ない。
「惣くん」
ふと、愛香が袖をくい、と引いた。
その顔は笑っているけど、瞳の奥に、どこか寂しそうな色が浮かんでいる気がした。
「さっきの、“来た”ときさ。怖くなかった?」
「……まあ、びびったけど。
でも、怖いだけならホラーゲームでいいんだよ。
本当に“ヤバい何か”と一回くらい、がっつりやり合ってみたいじゃん」
「惣くんは、そう言うよね」
愛香は、小さくため息をついた。
その仕草は、なんだか“諦め”に近いものを含んでいる。
「あのさ」
「ん?」
「もし、本当に“ヤバいもの”と出会っちゃったらさ。
惣くん――たぶん、死んじゃうよ」
「お、おい。縁起でもねーこと言うなって」
「だから……ね」
愛香は、ふっと笑った。
教室の窓から差し込む朝日の下じゃなく、薄暗い階段の影で、その笑顔は少しだけ違って見えた。
「惣くんの前には、“ちゃんと美味しくないもの”しか来ないように、してあげる」
「……は?」
「ううん。こっちの話」
愛香は首を振って、いつもの調子に戻る。
「ほら、惣くんおなかすいたでしょ。帰りにコンビニ寄ろ?」
「なんでオレが常に腹減ってる前提なんだよ」
「だって、惣くんの成長分――ちゃんと美味しく使わせてもらってるから」
「意味わかんねーこと言うな」
そう返しながらも、どこかで引っかかる言い回しだった。
“成長分”“美味しく使う”――冗談に聞こえるようで、冗談じゃないような。
(……まあいいや)
結局、今回も“決定的な一線”は超えられなかった。
オレの求める異常は、指先をかすめるところまでは来てくれるのに、
いつも最後の一歩手前で、何かに引き戻される。
それが何なのかは、オレにはまだわからない。
ただ一つだけわかるのは――
「惣くん?」
「ん?」
「そんな顔しないの。退屈でも、ちゃんと楽しいこと、たくさんあるよ」
隣で笑う幼馴染が、
オレが知らないところで、どこまでも深く、暗い何かに手を突っ込んでいる――そんな予感が、
一瞬だけ、胸の奥をかすめた。
けれどオレは、それを振り払うように、わざと軽口を叩く。
「まずは給料安いのに彼氏の飯まで作る甲斐甲斐しい彼女とかだな」
「だれが彼女?」
「料理部のエース様でいらっしゃる松坂さんですよーだ」
「……もう。そういうとこは、ほんと、ずるい」
愛香はそう言って、少しだけ頬を赤くした。
その顔が見られただけで、今日はまあ、悪くなかったのかもしれない。
異常は、今日もオレの手をすり抜けていった。
でも、その代わり――
退屈なはずの日常の中で、守られている何かがあるのだとしたら。
そのことにオレがちゃんと気づくのは、
もう少し先の話になるのかもしれない。