沈み口モール
/*/ 放課後 /*/
夕方五時前。
部活のない平日の放課後、青見たちはいつものように校門前に集まった。
「じゃ、行こっか、沈み口モール」
軽いノリでそう言ったのは惣一郎だった。
本人は「正式名称長いしさ」と笑うが、地元の年寄りが昔から呼んでいた地名が、そのままあだ名になっている。
「その呼び方、縁起悪いからやめなさいよ」
彩女が眉をひそめる。
「正式名称、『フォーシーズン・クロス郡山』だよ? ほら、なんかお洒落な感じするじゃん」
「いや、4とシーズンで四季……っていう体(てい)なんだろうけどさ」
惣一郎は首をすくめた。
「4号、49号、E4、E49のど真ん中で“フォー”連呼されても、オカ研の連中ニヤニヤするだけだろ。どう考えても“死”の方が先に浮かぶわ」
「オカ研の話なんか真に受けてるの、惣くんくらいだからね」
彩女は呆れたように笑ってから、青見の横顔を覗き込む。
「ね、青見は? ほら、“四九号結界計画”とか、“中陰の渦を道路で縫い止めてる”とか言ってたじゃん、あの人たち」
「……あぁ、あれな」
青見はランドセルを背負っていた頃から、あの一角を知っている。
工事前の「沈み口」は、今よりもずっと、ただの「何もない低い土地」だった。
夏でもひんやりして、冬はやたらと霜が下りる。
風の抜け方だけが妙に良くて、音の響き方は逆に鈍い。
子どもの頃、
広場みたいなそこを駆け回って遊んだ記憶と、
誰もいないはずなのに、ふっと視線を感じたような気味の悪さが、セットになって頭の隅に残っている。
「工事始まる前、『ここ、削らないで盛るんだって』って、じいちゃん言ってたな」
ふと思い出したように口にする。
「普通、低いとこは削って均すんだけど……って」
「へぇ? なんで?」
「さあな。聞いた時は“そういう設計なんだろ”くらいにしか考えてなかった」
「ほら出たよ」
惣一郎がニヤリと笑った。
「“削るな、盛れ”ってやつ。オカ研が食いついてたワードじゃん。『地下深くの何かに触れないよう、分厚い“蓋”をかぶせたのだ――』とか、あの部長ノリノリで言ってたぞ」
「……あの人たち、何でも“何か”って言えばいいと思ってるでしょ」
彩女は肩をすくめながらも、その“何か”という曖昧さが、妙に胸の奥に引っかかるのを感じていた。
べつに霊感が強いわけでもない。
ただ、ああいう“言葉の形”だけは、時々、現実の輪郭を変えてしまうことがある――そんな気がするのだ。
そんな他愛もない会話を続けているうちに、三人は沈み口モールの巨大なガラスファサードを見上げる位置まで来ていた。
夕陽を受けてオレンジ色に染まった外壁。
ガラスに映る雲は、ゆっくりと流れているのに、建物の輪郭だけが、どこかピントの合わない感じがする。
「……なんかさ」
彩女がぽつりと言った。
「ここ、写真で見ると普通なんだけど、実物の方が“低く見えない”?」
「低く?」
「ほら、周りより一段上に盛ってるはずなのにさ。遠くから見ると“窪んで”見えない?」
惣一郎が首を傾げる。
「錯覚だろ。市街地からちょっと外れてるし、周り田んぼだしさ。水平感覚狂いやすいんだって、理科の先生が――」
「そういう話じゃなくて」
彩女は、ガラス越しに自動ドアの向こうをじっと見つめた。
人の出入りは多い。
ベビーカーを押す親子連れ、高校生のグループ、仕事帰りらしいスーツ姿。
――でも、なぜか。
出てくる人の“足音”だけが、すこし薄い気がした。
地面にちゃんと接していない、というか。
空中に半歩だけ浮いたまま、スライドしてきているような、そんな妙な感覚。
「行くぞ、彩女」
青見が、いつもの調子で肩を軽く叩く。
その一拍で、彼女は現実側へと意識を戻された。
「……うん。行こ」
自動ドアが、スッと左右に割れる。
冷房の冷気が、外気と混じり合って、境界線に淡い白いもやを作る。
その瞬間。
青見の足元で、スマホのバイブが、ぶるっと短く震えた。
ポケットから取り出してみると、画面に一瞬、意味を成さない文字列が浮かんでは消える。
「……?」
Wi-Fiの自動接続か何かかと思い、気にも留めずスリープボタンを押す。
同じタイミングで、彩女のイヤホンから流れていた音楽が、一小節ぶんだけ妙に伸びて、ぐにゃりと歪んだ。
「え……?」
再生時間は普通どおり進んでいる。
波形にも異常はない。
けれど、耳の奥に残る残響だけが、少し遅れて彼女の鼓膜を撫でていく。
「どうした、彩女?」
「ううん、なんでもない」
惣一郎は気付いていない。
自動ドア横のポスターに描かれた新作ホラー映画を見つけて、「これ皆で観にこーぜ」と騒いでいる。
何かがおかしい。
でも、それは「事故」や「異常」と言うほど、大きなものではない。
ただほんの一秒だけ、世界のほうが、彼らを見ていた――
その程度の、微かなズレ。
やがて三人の姿は、建物に飲み込まれるように、ガラスの向こうへと消えた。
沈み口と呼ばれた土地は今日も、分厚いコンクリートと商業施設の喧騒の下で、静かに「何か」を待っている。
そこが、本当に「埋め立てられた」のかどうか。
それを知っているのは、地面のずっと下で、土を食み続ける“誰か”だけだ。