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翌朝。
雨は弱くなったものの、空一面を灰色の雲が覆っていた。
「……ねむ」
惣一郎は、寝癖のついた頭を片手で押さえながら、布団の上で半身を起こした。
枕元のスマホ画面には、見慣れないメールの通知が光っている。
件名:
《【自動返信】フォーシーズン・クロス郡山 アルバイト応募受付のお知らせ》
「お、来てるじゃん」
タップして本文を開く。
『このたびは、フォーシーズン・クロス郡山 スタッフ募集にご応募いただきありがとうございます。
以下の内容で応募を受け付けました。
――希望職種:バックヤード軽作業』
そこまではごく普通の文面だ。
ただ、その下。スクロールしないと見えない位置に、細い文字列が一行だけ追加されていた。
『沈み口エリア関連部署への配属は、別途審査ののち決定いたします。』
「……関連部署なんて、選んだ覚えねーけど?」
惣一郎は、眉をひそめてもう一度確認する。
昨夜、自分がチェックを入れたのは「バックヤード軽作業」だけだ。
「沈み口エリア」なんて項目は、どこにもなかった。
「まあいっか。テンプレで付いてるだけだろ」
深く考えないあたりが、彼の長所であり短所でもある。
さらに下にスクロールすると、「面接希望日を選択してください」というリンクがあった。
押してみると、日付がいくつも並んでいる。
「お、土曜の午後イチ空いてるじゃん。これで」
ピッ、と最短の候補にチェックを入れて送信する。
その瞬間、画面の端が一瞬だけちらついた。
――23:00~の枠が、一瞬だけ表示されて、すぐ消える。
「……?」
惣一郎が目をこすった時には、もう普通の一覧に戻っていた。
「寝ぼけてんのかな、俺」
首を傾げながら、スマホを枕元に置いて立ち上がる。
/*/ 登校とオカ研チャット /*/
登校路。
昨夜の雨で路肩にはまだ水たまりが残っている。
空気はひんやりしているのに、湿度だけやけに高い。
「おはよー」
「おは」
角を曲がると、青見と彩女が並んで歩いているのが見えた。
ふたりの家は隣同士だ。
そこに惣一郎が合流し、少し遅れて、愛香が駆け足で追いついてくる。
「はぁ……間に合った」
「今日はちゃんと起きられたな、愛香」
「惣くんちから来たからね」
「サラッと爆弾を投げるな」
「事実じゃん?」
「……事実かもしれないけど、言い方ってものが」
わちゃわちゃ話しながら歩いていると、ポケットの中でスマホが震いた。
惣一郎が取り出す前に、青見のスマホも、彩女のスマホも、ほぼ同時に震える。
「……オカ研か」
画面には、部長からのメッセージが並んでいた。
《【沈み口情報共有】
某筋からのリーク。モール地下ピットの浸水、まだ続いてるっぽい。
水位、昨夜よりさらに+○○cm。
排水ポンプ、形式上は“復旧”扱いだが、実際には時々勝手に停止。
原因不明。
これ、ガチで“中陰の渦”起きてる気がするんだけど》
続けて、副部長からの返信。
《で、あんた達は何しに地下まで行ったの?
勝手に“現地調査”して怒られなかった?》
さらにその下に、スタンプと共に短い一文。
《今度、ちゃんと報告会してね》
「……見てたな、誰か」
彩女が眉をしかめる。
「別に隠してたわけじゃないけどさ」
「設備の人が、“オカ研の部長に連絡しとく”って言ってたしな」
青見が、少し肩をすくめた。
「『ああいう話は、そっちの方が手早いだろう』って」
「公認窓口がオカ研ってどうなんだ、この街……」
惣一郎がぼやきつつ、自分宛ての別の通知に気付く。
件名:
《【面接日時確定のお知らせ】フォーシーズン・クロス郡山》
「お、もう来た。仕事早っ」
開いてみると、こう書いてある。
『この度はご応募ありがとうございます。
以下の日程で面接を行います。
日時:今週土曜日 13:30~
場所:フォーシーズン・クロス郡山 3Fバックヤード面接室』
そこまでは普通だ。
ただ、その下に、また細い文字が一行。
『※沈み口エリアへの立ち入りを希望される場合は、別紙「特別許可申請書」を当日お渡しいたします。』
「……え?」
惣一郎が思わず声を漏らした。
「どうしたの?」
「いやさ、“希望される場合”って、何を希望した前提なんだこれ」
画面を覗き込んだ3人も、同じ箇所で固まる。
「特別許可申請書……」
青見が、嫌な予感を覚えながら読み上げる。
「そんなもん、高校生がもらっていい代物じゃないだろ」
「ていうか、惣一郎、“希望”してないでしょ」
彩女が睨む。
「沈み口エリアって、あの地下ピット周りのことでしょ、絶対」
「まあ、そこだろうな」
愛香が小さく頷く。
「……嫌な匂いする」
“嫌な匂い”という言葉の含みは、彼女だけがよく知っている。
/*/ 昼休み・進路指導室にて /*/
昼休み。
弁当を早めに片付け、4人は進路指導室の前に集まっていた。
「で、なんで進路指導室なんだっけ」
「バイトするには、学校に申請出さなきゃ駄目でしょ」
彩女が言う。
「どうせ書類出すなら、その時に“沈み口モール”って名前出して、先生の反応も見ておこうと思って」
ノックして入ると、進路指導担当の教師――四十代半ばの真面目そうな男性が顔を上げた。
「おお、東に安達、それから……伊東くんに松坂さんか。珍しい組み合わせだな」
「お邪魔します」
「アルバイトの相談で」
椅子に腰かけると、教師は丸眼鏡の奥で目を細めた。
「アルバイトね。
伊東くんあたりはやりそうだな、とは思っていたが」
「先生、どういうイメージですかそれ」
「悪い意味じゃないよ。“動いてないと死ぬタイプ”だろう?」
図星すぎて惣一郎は何も言えない。
「で、どこで働きたい?」
「フォーシーズン・クロス郡山です」
惣一郎が答える。
先生の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……ああ、あの大きなショッピングモールか。
最近できた方のだな」
声のトーンは変わらない。
だが、ペン先だけが紙の上で一拍遅れた。
「なんだよ先生、その“ああ”って」
「いや。最近、ニュースにならない割に、あの周辺で救急車の出動が多いって聞いてね」
「先生、それ“彩女んち方面”からの情報ですよね」
惣一郎が苦笑する。
彩女の父は警察官だ。
「それもあるし――伊集院グループの方からも、多少は情報が来る」
先生はさらりと言った。
「伊東くんの場合、保護者欄には“伊集院理事長”の名前が入るわけだしな。
君の後見人だ」
「ああ、はい。叔父さんです」
惣一郎は、ほんの少しだけ姿勢を正した。
両親が夜逃げしていなくなったあと、自分の籍を引き取ったのは母方の実家――伊集院家だ。
とはいえ、一緒に暮らしているわけではない。
学校と生活費の面倒を“制度的に見る人”として、叔父と祖父がいる。
「バイト自体を禁止するつもりはない。
ただ、“どこで”“どんな時間帯に”働くつもりなのかは、ちゃんと確認しておきたい」
「昼間か、夕方までのシフトだけにするつもりです」
惣一郎は、きっぱりと言った。
「夜遅くは……まあ、“いろいろありそうなんで”」
教師は、じっと彼の目を見た。
「“いろいろ”ってのは?」
「言っても信じないと思いますけど」
惣一郎は、そして笑う。
「地下で、中陰の渦が暴れ始めてるらしいです」
一瞬、空気が止まる。
彩女と愛香は「言った」という顔になり、青見は額を押さえた。
「……オカルト研究会の連中と付き合いすぎじゃないか、君は」
先生は、困ったように笑った。
「まあ、いい。
大事なのは、“危険そうだ”と思った時に、それを真面目に考えられるかどうかだ」
そう言って、机の引き出しから一枚の紙を取り出す。
「アルバイト許可願いだ。
保護者の署名と印鑑をもらって、担任の先生を通して出しなさい」
「保護者……」
惣一郎は一瞬、言葉に詰まる。
“父”“母”という欄は、ずっと空白だ。
そこを見つめるたびに、小学校に上がる頃の夜の、がらんとした部屋を思い出す。
先生は、それを分かっている顔で、やわらかく付け加えた。
「保護者欄には、伊集院理事長の名前で構わない。
君の正式な後見人だ。
書類を持っていくなら、一言、よろしくお伝えしておきなさい」
「……はい」
4人が用紙を受け取って立ち上がろうとした時、先生がふと口を開く。
「東」
「はい?」
「もし、また“あっち側”の気配を感じたら――」
先生は、言葉を選ぶように少し間を置く。
「今回は、ひとりで抱え込むなよ」
青見は、一瞬だけ目を見開いた。
「……はい」
短く返事をして、進路指導室を後にした。
/*/ 放課後、四十九囲区の空の下で /*/
学校を出る頃には、雨はほとんど上がっていた。
雲の切れ間から、薄く夕陽が覗き始めている。
「先生、やっぱなんか知ってたよね」
「少なくとも、“ただのショッピングモール”だとは思ってなかったな」
青見が頷く。
「四九号結界計画の噂とか、伊集院グループ周りの情報とか、そのくらいは教師の間にも回ってるんだろう」
「噂ってレベルで済ませてくれてるうちは、まだマシかもね」
彩女が、アルバイト許可願いの紙を折りたたんでカバンにしまう。
「家帰ったら、お父さんにもちゃんと話しとこ。
“惣一郎が沈み口でバイトする気です”って」
「なんで即チクり体制なんだよ!?」
「安全管理です」
即答。
「惣くんはね、誰かが“ちょっと大げさかな?”ってくらいで心配して丁度いいんだよ」
愛香が、にこっと笑う。
「そうしないと、“あっち側”にずるずる引っ張られちゃうから」
「お前ら、俺を何だと思って……」
「“巻き込まれ体質のフラグ製造機”」
「ひどくね!? 否定できないけどさ!!」
笑い声が、夕方の通学路に溶けていく。
四方を、高速道路と国道のラインが囲む四十九囲区。
その中心で、夏の名残の湿度だけが、どこか重く垂れ込めていた。
その頃、沈み口モールの地下ピットでは。
水面が、ほんのわずかに、しかし確かに揺れた。
誰もいないはずの空間に、小さな足音のような波紋が、丸く、丸く広がっていく。
――新しい“監視役”候補の名前は、
人間のネットワークよりも一足早く、“渦”の方に伝わっていた。