なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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保護者のサイン

 

 

/*/ 

 

 

「……で、ここに“保護者の署名”っと」

 

 放課後。

 惣一郎の部屋のローテーブルの上に、アルバイト許可願いが広げられていた。

 

「伊集院 貴也、っと」

 

 惣一郎が、ボールペンで叔父の名前を書き込む。

 続けて押印欄のハンコの形を見て、少し眉をひそめた。

 

「印鑑……どうしよ。さすがに叔父さんのハンコ、俺持ってないし」

 

「え、持ってたら逆に色々駄目だと思う」

 愛香が、クッションを抱えたまま即ツッコミを入れる。

「印鑑証明とか、そういうレベルじゃないの、それ」

 

「だよなぁ。……ってことで、これは直接持ってくしかないか」

 

「どこに?」

 

「伊集院グループの本社」

 

 さらっと言う。

 

「うわ、出た。大都会」

「ここからバスで15分くらいの“現代日本”だよ」

「そういう意味じゃなくて」

 

 愛香は、許可願いを覗き込みながら、さりげなく話題を振った。

 

「惣くんさ。こういうの、今まで何回くらいやってるの?」

 

「何回って?」

 

「保護者のサインとか。学校の書類とか。

 毎回、叔父さんのところ持ってってるの?」

 

「あー……」

 

 惣一郎は、少しだけ天井を見上げた。

 

「小学校の途中までは、親父の知り合いってことで、別の人が書いてたんだよ。

 『一応、形だけでも保護者ってことで』って」

 

 そこから先の記憶は、あまり楽しいものではない。

 夜遅くに、ずっと続いていた夫婦ゲンカ。

 ある朝、がらんとした台所と、置きっぱなしの麦茶。

 そして、テーブルの上に一枚だけ残された紙。

 

 ――悪いな。

 ――どうにもならん。

 

 そこには、誰の名前も書いてなかった。

 

「夜逃げしたの、惣くんが小学校上がるくらいだったっけ」

 愛香は、あえて“夜逃げ”という単語を軽く口にする。

 それが完全なタブーになってしまうのが嫌だったからだ。

 

「まあ、そんな感じ。

 で、そのあとちょっと色々あって、伊集院の本家に“引き取られた”のが中学上がる前くらい」

 

「色々、ね」

 

 “色々”の部分には、児童相談所だの、一時保護だの、そういう単語が詰まっている。

 それを詳しく言葉にする必要は、お互い分かっていた。

 

「保護者のサインも、それからは理事長――叔父さんか、会長のじいちゃんのどっちか。

 ……まあ、主に叔父さんだな。じいちゃん忙しいし」

 

「偉い人って、忙しさの単位がよく分かんないよね」

「ニュースで見てる人が、“保護者欄”に名前書くって、ちょっと変な感じだしな」

 

 惣一郎は、苦笑いしながら書類をクリアファイルに挟んだ。

 

「とりあえず、明日の放課後にでも行ってくるわ。

 ついでに“沈み口モールでバイトしたいんですけど”って話もしとかないと」

 

「絶対、なんか言われる」

 

「だろうなぁ」

 

 それでも、行くしかない。

 形式的なサイン以上に、“沈み口”のことを、伊集院側がどう受け取るのか――それを知っておきたかった。

 

 

/*/ 伊集院グループ本社 /*/

 

 

 翌日、放課後。

 

 郡山駅から少し離れたビル街の中に、伊集院グループ本社ビルはそびえていた。

 ガラス張りの外壁に、自動ドア。

 生徒手帳の表紙とは、まるで違う世界。

 

「……相変わらず立派だな」

 

 惣一郎は、小さく息を吐いてから、受付に声をかけた。

 

「すみません。伊集院理事長にお会いしたいんですけど。伊東惣一郎です」

 

 受付嬢は、名札を見て、すぐににこやかに会釈した。

 

「お待ちしておりました。伊集院様よりお話伺っております。

 こちらのエレベーターで、20階へどうぞ」

 

「話、早っ」

 

(じいちゃんか叔父さんのどっちかが、もう根回ししてんだな……)

 

 無駄に勘のいい少年は、そう内心で苦笑する。

 

 エレベーターのドアが閉まると、耳がツンとするような静けさの中、数字が一気に上がっていった。

 

 20階。

 ドアが開くと、応接スペースと、その奥に重厚な扉が見える。

 

「よく来たね、惣一郎くん」

 

 出迎えたのは、スーツ姿の男――叔父の伊集院貴也だった。

 理事長とはいえ、堅苦しさよりも、“優秀なサラリーマン感”の強い人物だ。

 

「お久しぶりです、叔父さん」

 

「この前の始業式以来かな。

 とりあえず、中に入って」

 

 応接室に通されると、テーブルの上には既に書類用の朱肉と、伊集院の丸い印鑑が置かれていた。

 

「バイトの許可願いだろう?」

 

「はい。……あと、“沈み口モール”って聞いて、何か言われるかなーって」

 

 惣一郎が率直に言うと、貴也は苦笑いを浮かべた。

 

「そこまで分かってるなら、話が早い」

 

 許可願いに目を通しながら、さらりとサインを書き入れる。

 “保護者”の欄に、自分の名前を書くことにも、もう慣れている。

 

「まず確認だが――」

 印を押しながら、貴也は視線だけを上げた。

 

「地下の調整ピットを見に行ったのか?」

 

「……やっぱり、話行ってるんですね」

 

「設備会社経由で、会長のところに“相談”が来ている。

 『言われた通り杭を浅くした場所で、想定外の浸水が続いている』とな」

 

 会長。

 祖父、伊集院謙吾。

 

「じいちゃん、何て?」

 

「『だから言っただろう』の一言だよ」

 

 貴也は肩をすくめた。

 

「“あそこは古い鎮田の跡地だ。水を張らなくなった時点で、地下の“渦”は形を変える。

 ならば、せめて無垢な土で蓋をしろ”――会長がそう言ったのは、20年くらい前だ」

 

「四九号結界計画の頃、ですか」

 

「そこまで知ってるのか」

 

 叔父の目つきが、少しだけ鋭くなる。

 

「オカ研が喜びそうな話だが、あれは“計画”と呼ぶには雑なものだ。

 戦後の混乱期に、“裏部署”が数合わせみたいに『4と49を交差させろ』と言い出して、各地に変な道路が引かれた」

 

「郡山は、その“成功例”なんですか」

 

「成功しているなら、今、君がここに相談に来る必要はない」

 

 淡々とした言い方だが、含みは重い。

 

「四九号結界は、“縫い止める”ことはできても、“消す”ことはできない。

 同じ数字の上に構造物を重ねることで、“こっち側”に引き出された“向こう側”の力を、日常の流れに紛れさせる――

 それが当時の連中の考え方だった」

 

「で、今は?」

 

「当時の連中は、もうほとんど生きていない。

 書類も、責任の所在も、あちこちでうやむやになっている」

 

 貴也は、テーブルの上の許可願いを指先で軽く叩いた。

 

「その結果、こうして“高校生のバイト先”の選択が、“四九号結界”の管理と絡むような事態になっているわけだ」

 

「……笑えないですね」

 

「笑い事じゃない」

 

 そこで、応接室の扉がノックされた。

 

「入れ」

 

 低い声がして、扉が開く。

 

 杖をついた白髪の老人が、一歩ずつ静かに入ってきた。

 背筋はまだ伸びていて、眼光も鋭い。

 

 伊集院謙吾。

 伊集院グループ会長にして、逢瀬学園の前理事長。

 

「久しぶりだな、惣一郎」

 

「ど、どうも。お久しぶりです、じいちゃん」

 

 緊張で言葉がぎこちなくなる。

 

「バイトの許可か。……見せてみろ」

 

 謙吾は、テーブルの書類に目を落とす。

 “保護者”欄に「伊集院貴也」とあり、その上部には小さく「伊東惣一郎」の名前。

 

「ふむ。フォーシーズン・クロス郡山、ね」

 

 短い鼻息。

 

「“沈み口”でバイトしたいそうだ」

 

 貴也が、簡潔に事情を補足する。

 

「地下ピットの浸水も、この目で見てきました」

 惣一郎が、おそるおそる口を挟む。

「水面に、前の田んぼの風景とか、その下でもっとヤバそうなのとか……。

 多分、“中陰の渦”ってやつだと思います」

 

「見たか」

 

 謙吾の声が、わずかに低くなる。

 

「見ぬふりをするには、少し遅かったな」

 

「じいちゃん、反対なら言ってくれれば――」

「反対はしない」

 

 老人は、即答した。

 

「むしろ、賛成だ」

 

「……え?」

 

 惣一郎だけでなく、貴也も一瞬、目を瞬かせる。

 

「どういう意味ですか、会長」

 

「四十九囲区で生まれ育った子どもたちが、あそこにどれだけ“慣れている”か。

 それを見極める必要がある」

 

 謙吾は、惣一郎をまっすぐ見た。

 

「東の子と安達の子、それに伊東。

 君たちは、“ここで育った世代”だ」

 

「……それ、じいちゃんも、知ってるんですね」

 

「当然だ。

 夏の怪異で家族を失った東のことも、夜逃げした両親を持つお前のことも。

 私の耳に入らぬはずがなかろう」

 

 惣一郎は、言葉を失った。

 

「四九号結界は、“よそから連れてきた誰か”が維持するには無理がある。

 土地の理屈も、住んでいる人間も、何もかもが変わってしまった。

 だからこそ、“ここに根を張っている子ら”の目と足が要る」

 

「それって――」

 

「“監視役”だよ」

 

 貴也が、ぽつりと言葉を継いだ。

 

「裏部署の残骸みたいな部署が、今でも細々と残っている。

 夜間巡回監視員、沈み口エリア担当。

 名簿だけは生きているが、実働はほとんどいない」

 

「昨日、バイトの応募フォームで、チラッと見えた気がするやつだ……」

 惣一郎が、小さな声で呟く。

「“夜間巡回監視員(沈み口エリア) 高校生不可/要特別許可”って」

 

「見えたか。なら、おそらく“向こう”も、君を候補に含め始めている」

 

 謙吾は、静かに言った。

 

「向こう?」

 

「“渦”の方だよ」

 

 老人の言い方は、冗談とも本気ともつかなかった。

 それが余計に質が悪い。

 

「だったら、余計に近づけちゃ駄目なんじゃないですか」

 惣一郎は、思わず声を荒げた。

「俺、何か特別な力があるわけでもないし。

 ただ、“巻き込まれ体質”なだけで」

 

「巻き込まれ体質、ね」

 

 謙吾は、ふっと笑った。

 

「巻き込まれ体質ほど、“現場で役に立つ”嗅覚を持つ者はいない。

 危険を察知するのが遅ければ、そもそも生き残れんのだからな」

 

「褒めてるんだか、ディスってるんだか分かんねぇ……」

 

「どちらもだ」

 

 老人は、テーブルの端に置かれた別の書類に手を伸ばした。

 

「これは?」

 

「モール側から送られてきた“特別許可申請書”の雛形だ。

 沈み口エリアへの立ち入りを許可された者の名簿は、今でも政府のどこかとリンクしている。

 ……未だにFAXで来るのが滑稽だがな」

 

「じいちゃん、それ言って大丈夫なやつ?」

 

「どうせ誰も真面目に読まん」

 

 謙吾は、許可願いの上にその書類を重ねた。

 

「惣一郎。

 お前がここでバイトすることを、私は認める」

 

 言いながら、その書類には何も書き込まない。

 

「ただし、“特別許可申請書”には、今はサインしない。

 夜間巡回監視員になるのは、まだ早い」

 

「……昼間バイト+非公式ウォッチャーで、様子見ってことですか」

 

「そうだ。

 それでも十分、危なっかしいがな」

 

 謙吾は、わずかに口角を上げた。

 

「向こうが“手を伸ばしてきた”時には、こちらからも手を伸ばす。

 その時に――」

 

 老人は、惣一郎の目をまっすぐ射抜く。

 

「お前がどう動くか。

 それを見せてもらおう」

 

 その視線に、惣一郎は喉を鳴らした。

 

(じいちゃんは、俺を“孫”として見てるのか、“駒”として見てるのか)

 

 どちらか一方、なんてことはないのだろう。

 両方だ。

 それが、伊集院謙吾という男なのだ。

 

「……分かりました」

 

 惣一郎は、深く頭を下げた。

 

「とりあえず、昼間バイトから始めます。

 夜間の変な枠にチェックしそうになったら、誰かに止めてもらう方向で」

 

「うむ。止めてもらえ」

 

 老人は、なぜか楽しそうに頷いた。

 

「特に、“東の子と安達の子”にな」

 

「そこ名前がちゃんと出てくるんだ……」

 

 惣一郎は、微妙な表情で笑った。

 

 

/*/ 帰り道・チャットの通知 /*/

 

 

 本社ビルを出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 街灯とビルの灯りが、ガラス面に反射して、昨日とは別種の“水面”みたいに揺れる。

 

「ふぅ……疲れた」

 

 大きく伸びをして、駅へ向かう。

 

 ポケットのスマホが震えた。

 画面には、グループチャットの通知。

 

《どうだった? 保護者のサイン》

《理事長、反対した?》

《会長に会った?》

 

 送信者は彩女と愛香と青見。

 ほぼ同時に飛んできている。

 

「だから、なんで“会長に会った?”前提なんだよ。エスパーか」

 

 苦笑しながら、歩きながら親指で返信を打つ。

 

《サインは取れた。

 昼間のバイトならOK。

 特別許可申請書は、じいちゃんが“保留”した》

 

 送信してすぐ、既読が3つ付いた。

 

《“保留”って言い方が既に物騒》

《やっぱり裏で色々知ってる感じ?》

《じいちゃん=裏部署説》

 

 好き勝手なコメントが流れてくる。

 

《とりあえず、夜間巡回監視員にはさせないって。

 昼間ウォッチャーで様子見。

 向こうが手ぇ伸ばしてきたら、その時考えろ、だってよ》

 

 そう送った瞬間、青見から短い一文が返ってきた。

 

《了解。

 その時は、こっちも剣を抜く》

 

 画面越しでも、その言葉の重さが伝わってくる。

 

「……頼もしいな、マジで」

 

 思わず口元が緩んだ。

 

 愛香からもすぐに返事が来る。

 

《その前に、惣くんを夜勤の求人から引きはがす係=わたしだからね》

 

 そして、彩女。

 

《“渦”の相手は、皆でやる。

 ひとりで突っ込んだら、その瞬間ぶん殴る》

 

「こっわ」

 

 笑いながら、惣一郎はスマホをポケットに戻した。

 

 四十九囲区の空の下。

 道路十字の結界の中で、

 沈み口モールの“次の一歩”に向けて、それぞれの立ち位置が、少しずつ固まっていく。

 

 その夜。

 

 沈み口モールの地下ピットでは、誰もいない空間に、

 ふっと、小さな“笑い声”のような泡が、ひとつだけ浮かんで消えた。

 

 

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