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MTBとクロスバイク──一組の男女が、それぞれの自転車で街路を駆けていく。
制服からすると、郊外にある大型私立学園・逢瀬学園高等部の生徒のようだ。
時間的にはまだ余裕があるはずだが、二人とも標準からすると「飛んで」いると言っていい速度で道路を走っていた。
「日本の道路ってホント走りにくいよね」
MTBを駆る意志の強そうな男子生徒、東青見(あずま・あおみ)が、隣のクロスバイクの女子生徒・安達彩女(あだち・あやめ)に話しかける。
「知らないわよ。私は行ったことないんだから」
そう答えると、彩女は縁石をバニーホップで軽々と飛び越えた。
長い髪をひとまとめにしたポニーテールが、若駒の尻尾みたいに元気よく跳ねる。
青見は、毎朝のことながらそんな少女の躍動美に、つい見惚れてしまう。
「今度は私も連れて行きなさいよ」
着地し、器用に振り返って拗ねたように彩女が口を開く。
「自分の分の旅費を出してくれるなら、ね」
信号に引っかかり、彩女に追いつくと、二人とも自転車を止める。
足を地面につかず、器用にバランスを取りながら、信号が変わるのを待つ。
「う゛……ああ、そういえば来週は期末試験だけど、ど、どう?」
「どうって……普通ーかな。必要な分は出来てるはずだよ?」
「余裕ねー。進路は決まったの?」
幾分、気遣うような調子で彩女が尋ねる。
「目的はあるよ。手段もある。後は迷いを振り切るだけ」
遠くの誰かに語るように、青見は視線を前じゃなく、もっと遠くへ投げた。
「分かり難いわね」
信号が変わる。
「いつか父さんの背中に追いつきたい。そして、今度は俺も守りたいってことだよ」
また分かり難い答えと、良く分からない微笑みを浮かべて、青見は走り出した。
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逢瀬学園は、無数の丘の上にまたがるように校舎が建っている。
校舎の周りの丘も森も、すべてが学園の敷地だ。
丘の上に高等部。
北に丘を一つ越えた麓に、道路に面した中等部の校舎。
大学はその南、比較的平坦な場所に広くキャンパスを構えている。
郊外にこれだけの敷地を確保できたのは、「伊集院」家という名士のおかげだ。
この地域における明治~戦後の発展の立役者。
遠く西から山脈を越え、広大な湖から疎水を引くために国外から技術者を招き、大政奉還前は寂れた宿場町でしかなかったこの地に水をもたらし、金融と物流の発展に貢献した家系。
その三代前の当主が、富国強兵の一環と称して私財を投じ、防空壕まで完備した全寮制学園を作り上げたのが始まりだという。
現在は学生寮もあるが、自宅から通う生徒も多い。
歴史は古いが、校風は比較的自由な学園だ。
門をくぐると、木々に囲まれた緑のトンネルが、丘の頂上へ向かって伸びている。
それなりにきつい傾斜が長く続き、時間が進むほど「本気モード」の自転車通学生が増えていく。
歩けば校舎まで10分はかかる坂だ。
遅刻ギリギリの時間帯になれば、己の限界まで──あるいは限界を越えて──ペダルを踏む者も少なくない。
バス通学組には別ルートがある。
バスは校舎前ロータリーまで運んでくれるので、乗り遅れさえしなければ遅刻はない。
その代わり、乗り遅れれば「絶対の遅刻」が待っている。
そんな、遅刻者にとっては“心臓破り”の坂を、今はまだ余裕のある時間帯ながら、結構な勢いで駆け上がっていく二台の自転車があった。
シルバーとブルーのフレームを持つMTBとクロスバイク。
力強くペダルを踏み込む青見と、軽やかに回す彩女のものだ。
朝の木漏れ日の中を駆け上がる二人は、多くの生徒をすり抜け、歩く者ばかりになってきた坂の中ほどを越え、さらに先へと進んでいく。
「おはようございます。お二人とも、今日も元気ですね」
そんな二人に声をかける生徒がいた。
「「おはよう」」
答えて二人は自転車を降り、その女子生徒を加えた三人で、今度は歩いて坂を登り出す。
「期末試験前ですから、朝練はお休みですか?」
三人目となった女子生徒。
髪をおさげにした小柄な少女は、とても利発そうな印象的な瞳で、青見と彩女を見上げる。
「そうよ」
彩女の声色は、少しばかりよそよそしい。
自分にはないタイプの「可愛らしさ」を持つこの後輩──三森玲子(みもり・れいこ)が、彩女はどこか苦手だった。
長身の青見と並べば、そこそこ女らしく見える自分。
それでも、たいていの男子より背が高い。
少女らしい小柄な玲子を、羨ましいと思ってしまう時がある。
「そういえば、玲子は進路って考えているわけ?」
「私ですか?」
玲子はくすりと笑い、余裕の笑みを浮かべる。
「2年生が終わったら、飛び級で大学に進んで、お父さんの研究を手伝うつもりですよ」
「研究? あぁ、玲子のお父さんって……えと、考古学者だっけ?」
後半から青見の方へ視線を飛ばし、自信なさげに尋ねる。
「人類学だよ。春に個人研究のお祝いやったろ」
呆れながらも、興味のない者の無理解を笑って受け流す。
「う、ごめん」
小さく詫びてから顔を上げる。
「そっか、玲子は頭いいもんね。飛び級かー、わたしにはムリね。今で精一杯」
「彩女さんは進路考えているんですか? やっぱりスポーツ特待生?」
「え? わたし進学は考えてないわ。専業主婦よ」
「……は?」
玲子はぽかんと表情を崩し、彩女を見上げた。
「だーかーらー専業主婦。お嫁さん。女なら誰もが夢見る職業でしょ?」
なぜか勝ち誇った、実に晴れ晴れとした笑顔で玲子に言い放つ彩女。
「……知ってます? 自信過剰な人ほど、ここ一番で取りこぼすんですよ?」
「大丈夫よ。わたしはそんなヘマしないから」
朗らかに笑いながら、彩女の目は笑っていなかった。
「そうですね。彩女さんは、しっかりしていますから」
朝にふさわしい爽やかな笑みを浮かべて答える玲子の目も、やはり笑っていなかった。
「二人とも、なんか怖いぞ?」
取り残された青見の呟きは、三人を避けるように登っていく生徒たちの間で、ぽっかり空いた「過疎のドーナツ地帯」に寂しく響いた。