語られない物語 ― 郡山怪異譚 ―   作:ぶーく・ぶくぶく

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朝の通学風景(4月・身体測定の日)

 

 

◆

 

 

 逢瀬学園高等部の正門をくぐると、そこから先は木々に囲まれた緑のトンネルだ。

 朝の光に葉が揺れ、坂道は丘の上の学び舎まで、ゆるやかに続いている。

 

 門を潜った生徒たちは、決まりごとのように自転車を降りて押し歩き、

 「おはよう」「今日は暑いね」と挨拶を交わしながら、坂を上っていく。

 

 いつものように彩女と登校していた東青見も、坂の途中で一人の背中を見つけた。

 

「おはよう。朝飯は抜いた?」

 

 マウンテンバイクを減速させながら声を掛けると、小柄な男子生徒が肩越しに振り返る。

 

「おう、おはよう」

 

 伊東惣一郎と、その隣を歩く松坂愛香だ。

 どうやら今日は、「朝飯は抜いた?」が天文部内での挨拶になっているらしい。

 あちこちで、同じ言葉が飛び交っている。

 

 細い肩をすくめて、惣一郎が並んだ青見に答えた。

 

「俺は、朝飯は食わない派だ。そういう青見は?」

 

「オレはいつも通りだけど……」

 

 言いにくそうに言葉を濁し、青見は隣の彩女へ視線を流す。

 

「食わなかったのか? 意外だな」

 

 惣一郎が目を丸くする。

 

 小柄な惣一郎と比べ、彩女の背は拳一つ分ほど高い。

 そのせいか、彼女は自分の身長を少し気にしている節があった。

 

「まったく、タケノコみたいにすくすく伸びやがって。俺にも分けて貰いたいぜ」

 

「うっさいわね。できるなら、私だってそうしたいわよ」

 

 彩女は唇を尖らせて拗ねて見せる。

 それを見て、惣一郎はつい口元を綻ばせた。

 

「服なんか、この辺じゃサイズもねぇだろ?」

 

「売ってないわよ。おかげでパンツばっかりよ」

 

「ご愁傷様。俺もサイズ合うのが女物ばっかりで嫌になってる」

 

 青見を挟んで、逆向きの悩みを吐く少年少女。

 そのやり取りを聞きながら、青見はぽつりと感想を漏らした。

 

「大変だねぇ」

 

 その一言が、見事に火に油を注ぐ。

 

「勝者の余裕か!? 今年は一八〇越えましたってか!?」

 

 惣一郎がくわっと目を剥き、見上げるように噛み付く。

 

 彩女も負けじと――

 

「大変って、あんた意味わかってんの!? わたしだって可愛い服とか着てみたいのよ!?

 パンツの丈は足りないし……」

 

「うるせぇッ、体操部! てめぇもか!? あ?

 『パンツの丈が足りないしぃ~』。それは何か?

 “わたしは足が長いのよ~”って言いてぇのか!?」

 

 惣一郎が――切れた。

 

 そんな中、空気を読んでいるのかいないのか、愛香がふわりと笑って口を挟む。

 

「あ、でも、彩女ちゃんは青見くんと並んでると、背の高いのも気にならないし、可愛く見えるし、お似合いよ?」

 

「なっ……」

 

 彩女の頬が、さっきまでとは別の意味で真っ赤に染まる。

 

「あ、愛香! 変なこと言わないでよ。コイツが図に乗るでしょ!」

 

「彩女、オレとじゃイヤ?」

 

 「コイツ」と指差された本人が、わざとらしく悲しそうな顔で聞き返した。

 

「だ、誰も嫌とは言ってないでしょ……だから、調子に乗るなって言ってる!!」

 

 気づけば素直に答えてしまっていて、彩女は慌てて照れ隠しのコークスクリューブローを青見の鳩尾に叩き込む。

 

「へぶッ!?」

 

 綺麗なフォームで吹っ飛ぶ青見。

 

 そして、その上から踏みつけるように――一見爽やかな声が、朝の通学路に響いた。

 

「よ、天文部の諸君。今日も朝から漫才か? 日々、楽しげで羨ましいな?」

 

 

◆ゲーム同好会会長・門脇耕太

 

 

 声の主は、長身でメガネの三年生だった。

 痩せぎすな体つきに、どこか眠たげな目。けれど口だけはやたらとよく回る。

 

 顔なじみのその先輩に、惣一郎が肩をすくめて返す。

 

「よ、門脇先輩。今日も朝からダメ人間全開ですか?」

 

「私はいつでも回路全開だよ、ん?」

 

 なぜか、いつも最後が疑問形になる二人である。

 

 同じく彼を知っている青見は、地面から起き上がりながら小さく笑って挨拶した。

 その一方で、男連中の会話についていけない女子たちの中から、彩女がそっと青見の袖を引いて小声で尋ねる。

 

「誰?」

 

「ほら、去年まであったゲーム部の部長」

 

「あぁ、部費でゲーム買いすぎて、やりすぎて、挙げ句に留年した伝説の……」

 

 それなりに小声ではあったが、当人の耳には十分届いていたらしい。

 

「ふ、今年の私はゲーム“部”から昇華したゲーム同好会・会長さまだ。

 クラスダウン(部→同好会)したが、レベルアップ(部長→会長)したのだよ」

 

 どこから湧いてくるのか分からない自信満々の門脇耕太・十八歳(留年済)。

 

「懲りてねぇ……」

 

 ぼそりと惣一郎が呟く。

 

「はっはっは、若さとは躊躇わないことだよ?

 東くんも躊躇わないことだね?」

 

 門脇は手をわきわきさせながら、青見の方へ振る。

 どう見ても、柔らかい何かを揉み上げるような、生々しい手つきだ。

 

「なーに、その手? いやらしい」

 

 彩女は眉をひそめ、嫌そうな声を漏らす。

 その手つきに何を連想したのか、青見の顔もさっと赤くなり、彩女はその耳をぐいっと引っ張った。

 

 一方、惣一郎は妙に関心したように先輩へ言葉を投げる。

 

「門脇先輩、親父臭さに磨きがかかりましたね」

 

「学園最年長としては、このくらいの加齢臭は必要なのだ」

 

 胸を張って誇らしげに笑う門脇。

 確かに現在の逢瀬学園には留年生は他におらず、高校生徒の中では彼が最年長だ。

 

 だからといって、齢十九にして「加齢臭」を自称するのはどうなのか――

 と、誰もが心の中でつっこんだが、口に出したのは一人だけだった。

 

「おはよう……って、先輩また天文部捕まえてる」

 

 新聞部の「ブンヤの瞳」こと、同じ三年の女子生徒が歩いてきて眉をひそめる。

 

「おう、ブンヤの瞳ちゃんか? クラスメートに“先輩”はないだろう。

 かつてはともかく、今は同じ教室で学ぶ“同級生”だ」

 

「はいはい。でも門脇先輩は、なんで天文部ばっかり絡むんです?」

 

「良い質問だ。彼らからは、私と同じ臭いがするのだよ」

 

 その言葉に――

 

 す、すすっ……と、天文部一同が一斉に惣一郎から距離を取る。

 

「って、おい!? なんで俺から離れる!?」

 

「いや、だって……」と目を逸らす青見。

 

「ねぇ……」と、同じく目を逸らす彩女。

 

「惣くん、親父臭いから……」

 

 愛香は申し訳なさそうな顔で、とどめを刺した。

 

「はっきり言うんじゃねぇ!!」

 

 今朝だけでいったい何度キレているのだろう。

 そのうち本当に血管が切れそうだ。

 

「まぁ、加齢臭の件もあるが、それよりも……」

 

「否定しろよ!!」

 

 なぜ私が否定せねばならん、とでも言いたげに肩をすくめ、門脇は話を続ける。

 

「私が言いたいのは、年中行事に対する姿勢に見られる人生哲学だね?」

 

「おぉ、今日も朝からくだらないことを小難しく言い換えるな」

 

 なんだかんだ言いながら、惣一郎は合いの手を忘れない。

 すでにかなり染められているのかもしれない。

 

「例えば諸君に質問だ。身体測定における“朝食を抜くかどうか”という年中行事は、気になるかね?」

 

「わたしは、気にする派」

 

 彩女が即答する。

 

「私は気にならないかな」

 

 愛香は首をかしげながら。

 

「俺は他人は気にしない派」

 

 惣一郎は胸を張って宣言した。

 

「オレは……」

 

 言いかけた青見の声を、惣一郎がさらっていく。

 

「“我が道を行く”派」

 

「……」

 

「なんだよ?」

 

「いや、その通りだけど」

 

「そう、それだ! それが良いのだよ!!」

 

 門脇は眼鏡の奥の目をカッと見開き、細身の体を反らせて叫んだ。

 

「結果も、目的も、重要ではない。必要なのは“過程”だ!」

 

 一気にまくし立てられて、誰も口を挟むタイミングを失う。

 

「私は自堕落で享楽的な生き方を望んでいる。

 ゴミ溜めに埋もれるクソのような人生を望んでいる。

 そのために全力を尽くす私と、余人には理解できない目的へ全力を尽くす君ら――

 

 どこが違う!?」

 

 両手を広げて、天上の神々にまで届けとばかりに叫ぶその姿は、確かに“魂の叫び”だった。

 ……が、やっぱり朝の通学路で見るものではない。

 

「絶対、違う。青見に近寄らないで」

 

 反射的に青見の腕を抱え込み、親の仇でも見るような目で門脇を睨む彩女。

 

 愛香も、さっきまで「ほぇ~」と会長を眺めていた目を惣一郎へ向け、

 

「惣くん、もうちょっとだけ自己主張した方が良いんじゃないかな?」

 

「コイツ見ながら言うんじゃねぇ」

 

 惣一郎が即座につっこむ。

 

「『青見に近寄らないで』……か。良いね。

 素敵でドキドキワクワクで、ラブラブなハイスクールライフだ!!」

 

 賞賛と憧れと、隠しきれないからかいを込めた声で、門脇はズバッと妙なポーズを決め、彩女を指差した。

 

「ちょっ、何勝手なこと言ってんのよ!!」

 

「あらあら照れちゃって。……安達くんはツンデレかね?

 二人きりの時はどんな感じかな、東くん?」

 

「え、それは……」

 

「いちいち答えないでよ、バカ!!」

 

 スパーン、と手首の返しも見事な平手が、青見の頬に季節外れの紅葉を咲かせた。

 

「ふ、灰色の高校生活を送って早四年。私も“超トキメキてぇー”」

 

 鉄拳制裁で黙秘を貫く青見を、生暖かい目で見守りつつ、

 自慢できることではないが賛同者多数であろう若者の希望を、恥じることなく天下の往来で主張する門脇。

 

 惣一郎は、前から一度聞いてみたかったことを口にした。

 

「ちなみに先輩の好みは?」

 

「事象の地平線の彼方(ゲームモニターの中)だ」

 

「ダメじゃん」

 

 運動不足と不摂生な生活で、青見の半分も厚みのない胸を張り、堂々と言い切る門脇へ、惣一郎は即座につっこむ。

 

 ――あぁ、このノリでちゃんとつっこんでくれる相手は、こいつら(天文部)以外そうそういないよな。

 

 惣一郎がそう思ったかどうかは、彼と友人たちの名誉のために記さないでおく。

 

「人は変わるものだよ、伊東くん」

 

「変わっても、人間のままじゃ事象の地平線の彼方には行けないよね」

 

 ぼそりと呟いた愛香の突っ込みは――恐らく、誰の耳にも届かなかった。

 

 

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