◆格技場・剣道部
銀の少女は、静かに語り始めた。
己の過去を。悲しみを。
「私の本当のお父様は、よく出かけては武具や古道具を……収集してくる人でした」
ユイリィは銀の髪を震わせてうつむく。
表情は見えない。けれど、その声には、どこか“嘘”の影が混じっているようにも聞こえた。
それでも――そこに宿る「哀しみ」だけは、紛れもなく本物だった。
「お母様は早くに亡くなって、父一人、子一人でした。けれど、それでも幸せでした」
少しだけ、遠いものを見るような声になる。
「でも……お父様は事故で倒れてしまいました。床に伏せて、もう立ち上がることもできなくなって……。ずっとうわ言を言っていたんです」
ユイリィは、まるでその場に戻ったかのように、淡々と、その言葉をなぞる。
『父さんは……ずっと、お前のそばにいる』
『母さんも死んで、もういないんだから……父さんはお前を一人にしない』
『父さんは……決してお前を置いていかない――お前を守る』
「その言葉を最後に、お父様は逝きました」
かすかな息を飲む音。
「私はそのあと、お父様の友人だった今のお父様に引き取られて……ここに来ました」
熱にうなされたような、血の気のない蒼白な顔。
その横顔を見つめながら、青見は拳を握りしめる。
「青見さんは……それでも『武』を求めるんですか?」
ユイリィの声が、少し震えた。
「青見さんはそれで、幸せかもしれません。でも――残された人たちは? 青見さんを大切に思う人たちは? きっと、悲しみます。
幸せになんて、なれません!」
まっすぐにぶつけられる、痛いほどの言葉。
「それでも……『武』を求めるんですか?」
問い詰めるような視線。
それに、青見は短く答えた。
「……だから……戦うと、決めた」
何もかも失って、皆に嫌われることになったとしても。
それでも、戦うと決めた。
「……そうさ。オレは父さんを助けられなかった。守ってもらうことしかできなかった」
誰に責められても構わない。
誰の心を踏みにじることになっても構わない。
「そうさ!! 残された者は、哀しい。やるせない。
――だから、戦う!!」
あの夏の夜を、忘れない。
母さんが、父さんが、殺された夜。
恐怖。絶望。その前に立ち塞がり、穴だらけになりながらも、自分を守り続けた父の背中。
決して忘れない。
忘れてしまってはならない。
「父さんみたいな、“普通に”強くて、優しい人がいるなら――今度こそ守る。
死なせない。
こんな哀しくて、切なくて、寂しい思いは……もう、誰にもさせない」
だから――戦う。
戦う相手がいない日々でも、歩みを止めない。
そう何度も何度も、同じ悲劇が起きるはずがないと頭では分かっていても、一度知ってしまった現実を「知らなかったこと」にはできない。
この哀しみも、苦しみも、やりきれなさも、悔しさも。
忘れられない。忘れたくない。
自分を許したくない。許してしまいたくない。
だから――守りたいと願う心を、守るために。
平穏な日常という“現実”に流されて、全部を忘れてしまいそうになる自分自身と戦い続ける。
そのために、戦う。
◆
かつーん、かつーん。
拍車がリノリウムの床を叩く音が、ふいに止まった。
鉄をきしませ、何かを探すように。
何かを守るように――。
暗闇から歩み出た「在り得ないモノ」が、その赤く輝く眼で、銀の少女をじっと見つめている。
◆
暗い廊下の奥から、再び、鉄の擦れ合う音が響く。
嘆きにも聞こえるその音に重なるように、リノリウムを叩く規則正しい足音。
紅い光。
二つの赤い輝きが、暗闇からじわりと近づいてくる。
そして、格技場へと続く扉の前に差しかかったとき――明かりの中へ、ゆっくりと姿を現した。
格技場の照明を受け、青い金属光沢がきらめく。
それは、ブルーメタリックに輝く一揃いの騎士鎧だった。
盾と剣を携えた異形の鎧。その兜の奥で、二つの紅い光が爛々と燃えている。
人の眼が、あんなふうに光るはずがない。
ならば、これは――在り得ないもの。
「……お父様の……鎧」
ユイリィの声は、擦れるようにかすれていた。
その脳裏に、先ほど語った記憶が、鮮明に蘇る。
◆回想
『父さんは……ずっと、お前のそばにいる』
『母さんも死んで、もういないのだから……父さんはお前を一人にしない』
『父さんは……決してお前を置いていかない―――お前を――守る』
◆
少女の頬は蒼白で、震えを隠そうともしていない。
青見もまた、怖かった。
あれは在り得ないものだ。
あれは危険なものだと、本能が全力で警鐘を鳴らしている。
今すぐにでも、この場所から逃げ出したかった。
だが――あの日の誓いが。父の面影が。彼の足を、ここに縫いとめていた。
「……死んだことが分からないお父様の魂が、あの鎧を動かしているんです」
ユイリィの声は、どこか諦めきった色を帯びていた。
「自分がもう“人間”じゃないことも分からなくて、どうしようもなく苦しくて……。
私を探して、彷徨っているんです」
だから、きっと――。
「私がお父様について行けばよかったんです」
生きることを諦めた声。
その一言が、青見の胸を鋭く刺した。
どんな傷よりも、痛かった。
その痛みは、恐怖を飲み込み、轟々と心を震わせて燃え上がる。
「違う……それは違うよ」
唇を湿らせることさえできない、からからの喉で絞り出した声は、哀れなくらい掠れ、震えていた。
それでも、その言葉を吐かせたのは――胸の痛み、ただそれだけ。
それは感傷であり、愚かで、独りよがりで、傲慢で、幼稚な感情なのかもしれない。
それでも、それだけで片付けてしまうには、あまりに重く、あまりに切実な言葉だった。
「ユイリィの父さんは、死んでも、ユイリィを守ろうとしてるんだ」
その「気持ち」が間違っているなんて、言えない。
その「想い」が間違っているなんて、言わせたくない。
「だって――オレも、その気持ちで、生かされてるんだから」
脳裏に再び浮かぶ、あの夏の夜。
血塗れで、穴だらけで、それでも『イキナサイ』と背中越しに告げた、あの声。
それまで見たどんな背中よりも大きく、切なく、儚く、そして強かった背中。
どんな言葉よりも重く、熱い声。
――生きること。
何があっても、命ある限り、生き続けること。
死を選ぶことなど、許されない。
それが――「愛されている」ということだ。
「だから、ユイリィは――生きなきゃダメだ」
青見は、鎧の赤い眼と、ユイリィの青い瞳を、順に見つめる。
逃げ出したいほど怖くて、膝が震えて、喉も乾いて、それでも。
父の魔法に救われた一人として。
同じように父の想いに縛られた少女に、ただ一つだけ――どうしても伝えたい言葉だった。