なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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放課後の買い物

 

 

 

 青空が、ゆっくりと藍へと溶けていく。

 

 その途中の、ほんのわずかな時間だけ――空は、確かに金色になる。

 夕暮れは「赤い」と言ってしまっていい。けれど、その前後に挟まれた、金色にきらめく瞬間のことを、東青見は好きだった。

 

 幹線道路から分岐したバイパスの歩道を、二台の自転車が並んで走る。

 

 道路そのものが街を横切る壁のように高く持ち上がっているせいで、柵の向こうには街の屋根が一望できた。

 遠くの住宅街、線路沿いの踏切、ショッピングセンターの看板。どれも夕陽に縁取りされ、輪郭だけがくっきり浮かび上がっている。

 

 歩道は広く、段差も少ない。

 ただ、立体交差のたびに上り下りがあるので、徒歩やママチャリにはあまり好かれていないらしい。人影も少なく、車道のエンジン音だけが低く唸っていた。

 

 もっとも――

 

 毎日のようにここを通っている二人にとっては、どうでもいい話だ。

 

 シルバーのマウンテンバイクと、ブルーのクロスバイク。

 東青見と安達彩女は、いつものペースより少しだけゆっくりと、それでも息の合った速度でペダルを回していた。

 フレームが夕陽を反射して、朱と金の線を引く。

 

「なぁ、彩女」

 

 信号に差しかかる手前で、青見が口を開いた。

 

「ん?」

 

 隣でハンドルを握っていた彩女が、横目だけこちらに向ける。

 ポニーテールが、風にひとつ揺れた。

 

「帰りに、タウベ・ドール寄っていいか? 夕飯の買い物、少ししたい」

 

「タウベ・ドール?」

 

 一拍置いて、彩女は「あぁ」と頷く。

 

 タウベ・ドール。

 何十年も前、この辺りで産声を上げた地元発のスーパーだ。

 大手チェーンに飲み込まれることもなく、地道に店舗を増やし続けてきた、なかなかしたたかな奴でもある。

 

 今日、二人が走っているバイパス沿いにも、その支店が一つある。

 駅前ほど混まないし、自転車でも寄りやすい場所だ。

 

「いいけど。夕飯、材料切れ?」

 

「んー。冷蔵庫にあるもので何とかなるっちゃなるけど、あと一品欲しい感じ」

 

「また、鶏むね?」

 

「……まぁ、そんなところだ」

 

 あっさり肯定すると、彩女が小さく吹き出した。

 

「ホント、好きだよね。鶏むねと豆腐と野菜炒め」

 

「安いし、タンパク多いし、脂少ないし。正義だろ」

 

「はいはい。筋肉バカ」

 

「バカって言うな」

 

 軽口を交わすうちに、信号が青に変わる。

 二人は息を合わせてペダルを踏み込んだ。

 

 バイパスを降りるスロープを抜けると、タウベ・ドールの大きな看板が見えてくる。

 夕暮れの光を背に、白い文字がオレンジ色に染まっていた。

 

 

 

 

 自転車置き場に並んでバイクを停め、鍵をかける。

 店の自動ドアが、二人を迎えるように音を立てて開いた。

 

 中に入ると、空気が一変する。

 夕焼けの金色は、蛍光灯の白い光に塗りつぶされ、どこまでも均質で、少し冷たい明るさに変わった。

 

 入口付近には、今日のお買い得品の山。

 

「キャベツ一玉百円……いいな」

 

「すぐ野菜の値段見るの、ちょっとじじくさいよね」

 

「家計を預かる身の発言に対して何てコメントだ」

 

 カゴを一つ取って青見が腕にかけると、彩女はそのカゴの反対側の縁を、当然の顔でつまんだ。

 二人で一つのカゴをぶら下げて、店内を歩き出す。

 

「で? 今日は何作るつもり?」

 

「まだ決めてない」

 

「そこを決めてから来なさいよ」

 

 呆れたように言いつつも、彩女の足は自然と精肉コーナーへ向かっている。

 この辺りは、長年の習慣だ。

 

「鶏むねなら、こっちの国産のが安いよ」

 

「お、さすが現実的」

 

「誰の幼馴染だと思ってんの」

 

 ぱちん、とトングを鳴らして、彩女がパックを一つ選んでカゴへ入れる。

 

「他は? 野菜炒めにするなら、ピーマンと玉ねぎは欲しいよね」

 

「あと、もやし一袋と……にんじん少しあれば十分だな」

 

「にんじんはウチの残りあげるから買わなくていいよ」

 

「マジで? 助かる」

 

 店内のBGM代わりのポップソングと、買い物客のざわめき。

 カゴの中身は、会話に合わせて少しずつ増えていく。

 

「ごはんは?」

 

「今日は炒飯にしようと思ってる」

 

「……それ、さっきの野菜炒めは?」

 

「炒飯の具と、あと一品おかず」

 

「やっぱり、鶏むね?」

 

「当然だろ」

 

「鶏さんに謝れ」

 

 彩女は小さく笑ってから、少しだけ真面目な顔になった。

 

「……材料、ウチの分も?」

 

「余分に作るつもりだけど、どうする?」

 

「お母さん、今日も遅いからさ。わたし、残り物で済ませるつもりだったし……」

 

 言葉を濁しながら、彩女は野菜コーナーの値札を眺めるふりをした。

 

 青見は、肩をすくめてあっさりと言った。

 

「じゃ、決まりだな。ウチの台所、占拠するか」

 

「……ありがと」

 

 小さく呟いた声は、冷蔵ケースの中のファンの音に紛れそうなくらいだった。

 

「その代わり」

 

「ん?」

 

「彩女は、切る係」

 

「……あのね、私、料理やったことないんだけど」

 

「包丁は握れるだろ」

 

「握れるけど!」

 

「じゃあ大丈夫だ」

 

 即答されて、彩女はあきれ顔で青見の肩を小突いた。

 

「そうやって何でも『できる』前提で話すの、ホントやめてほしいんだけど」

 

「いや、やればできるだろ、彩女なら」

 

「……」

 

 むっとしたような、でも少しだけ嬉しそうな沈黙が、二人の間に落ちる。

 

「じゃあ、今日の目標は、にんじんを千切りにできるようになること」

 

「地味ー!」

 

「基礎は大事だ」

 

「……うん。分かった」

 

 観念したように頷く彩女の横顔は、蛍光灯の白い光を受けて、少し大人びて見えた。

 

 

 

 

 レジを終え、袋詰め台で品物を分ける。

 とはいえ、ほとんどは青見の家で使う分なので、袋は一つで足りた。

 

「飲み物、どうする?」

 

「ウチに麦茶あるからいいよ」

 

「じゃ、デザート何か買ってもよかったかな」

 

「それは今度、木馬で焼きチーズケーキ奢って」

 

「要求レベルがいきなり上がったな」

 

「今日にんじん切るんだし、そのくらいの報酬は妥当でしょ」

 

「……検討します」

 

 袋を自転車の前カゴに押し込みながら、そんなやり取りを続ける。

 

 外に出ると、空はもうほとんど藍色に近づいていた。

 さっきまで金色だった西の地平だけが、かろうじて橙の名残を留めている。

 

「急がないとな。暗くなる」

 

「……うん」

 

 ペダルに足をかける。

 買い物袋の重みが、前カゴの中でがさりと鳴いた。

 

 バイパスへと続く緩やかな坂道を、二台の自転車が再び並んで登っていく。

 街の灯りが一つ、また一つと点り始める中、シルバーとブルーのフレームは、今度は街灯の白い光を反射して、細い線を描いていた。

 

 夕飯のメニューのこと。

 にんじんの千切りがうまくいくかどうかのこと。

 そんな、ささやかで現実的な話を交わしながら――

 

 青見と彩女は、いつものように並んで家路をたどった。

 

 

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