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逢瀬学園のカフェテリアは、この地方都市には少々不釣り合いなほど洒落た造りで知られている。
木漏れ日が差し込むオープンテラスは常に綺麗に掃き清められ、店内は明るくさっぱりとした雰囲気だ。
客としてくつろぐ生徒たちと、運営側として働く生徒たちが、思い思いの時間を過ごしている。
その店内――
カウンター席は本日、事実上の「貸切」状態だった。
帰りがけに一杯お茶を楽しもうと立ち寄った生徒たちも、近づくことすらためらい、遠巻きに様子をうかがう“絶対領域”と化している。
「にょほほー、ワシは世界で一番不幸な爺じゃわい……」
カウンター席で、打ち上げられたアザラシのようにぐったりと突っ伏し、カウンターの上に指でのの字を書いている元気な老人が一人。
「うるせぇッ、爺ィ! 孫娘に金の無心に来んじゃねェッ!!」
その祖父を怒鳴りつけながら、キュッキュと皿を磨いているウェイトレスが一人。
惣一郎たちのクラスメート、安生梨花(あんじょう・りか)である。
彼女を長姉として、友香、ユイリィ、ルテアの三人を合わせて、人は「カフェテリアの四姉妹」と呼ぶ。
この店きっての看板ウェイトレスたちだ。
「しかも女遊びの金だぁ? どんなセクハラでドメスティックなバイオレンスだ、それ!」
にょほほーいとふざけた調子で落ち込んで見せる祖父に、梨花はさらにヒートアップ。
磨く皿を持つ指先に、目に見えて力がこもる。
周囲の生徒たちはビクビクしつつも、耳はしっかりこちらに向けたまま、興味津々といった様子で遠巻きに眺めていた。
「ユイリィはワシの味方じゃよな?」
水を下げにきた孫娘の一人、ユイリィへと、祖父――李・安生(リー・アンミン)は縋るような声で問いかける。
しかし、返ってきたのは彼女の銀髪のように冷えた一言だった。
「こればかりは、梨花姉さんに同意します」
「な、なぜじゃ!?」
信じられんと目を見開き、大げさなポーズのまま固まる祖父。
そんな様子に溜息をつきながら――ついでに「溜息をつくと幸せが逃げるよ」と突っ込んできた妹、友香を皿で軽く小突きつつ――梨花はショートカットの次女・友香へ視線を向けた。
「友香、馬鹿兄は?」
「修行だってさ」
頭を押さえ、半泣きで恨めしそうに姉を見上げながらも、きっちり答える友香。どうやら姉には逆らえないらしい。
その答えに梨花はコクリと頷き、今度は反対側に立つユイリィへ視線を移す。
「ユイリィ、糞親父は?」
「悪を倒す、と出かけました」
銀の髪をそっと押さえながら、また一つ溜息を重ねるユイリィ。
二人の妹の報告を受け、梨花は苦々しい表情でうなずいたあと、磨いていた皿を脇に置き――
仁王立ちになって、自分の祖父へ向き直る。
「……だ、そうだ。爺ィ」
「うむ、我が一族の男として頼もしい限りじゃの」
当の祖父は、流石は我が息子、とばかりに満足げに頷いている。
「どこがだ」
深々と一度ため息をつくと、梨花は腰に左手を当て、右手をピンと伸ばして祖父・李に突きつけた。
「一家の大黒柱たる親父は、いい歳こいて『正義の味方』で一銭も稼がないプー太郎。
爺ィは国から掠め取った年金を家にも入れず、金の無心。
あたしたちの学費、生活費、食費――ぜーんぶ、このカフェテリアのバイト代。
分かるか爺? これは立派な親権放棄、虐待だぞ?」
今さらになって己の日々を振り返ったのか、李の禿げ上がった額に、ダラダラと脂汗が浮かぶ。
それでもなお、反論の糸口を探そうともがいている。
「いや、しかしじゃの、梨花。人はパンのみで生きるに非ずとも言って――」
「先ず食わなきゃ生きられない。
……大体、爺ィ、なんで構内にいるんだ?」
反論は一刀両断だった。
「……中拳部に、外部講師として呼ばれたんじゃよ」
観念したように答え、一つ溜息をつくと、李は渋々懐から茶封筒を取り出し、カウンター越しに梨花へ差し出した。
「今月の、講師代じゃ」
梨花はそれを受け取ると、素早く中身を確認し――
「……これで今月、生きていける……」
心底ホッとしたように、安堵のため息を漏らした。
「姉さん、おばさん臭い……」
友香の不用意な感想は、再び皿の一撃によって黙らされることになる。
「私だって鬼じゃないの。
毎月毎月、きちんと生活費を入れてもらえるなら、お茶の一杯ぐらいはお出ししますよ――お爺様?」
くるりと表情を切り替え、年相応の花のような笑顔を浮かべた梨花は、手早く用意したお茶をカウンター越しに差し出した。
「それが、男のロマンというものじゃて」
上機嫌でそう言いながら、李は孫の淹れたお茶を一口、二口と堪能する。
そして、何事もなかったかのように飄々とカフェテリアから去っていった。
その後も――
「姉さん、またお爺さま甘やかして……」
「な、こ、これは信賞必罰と言ってだな……」
「あの二人は、罰する方が多いんだよ? 分かってる?」
「だがな……」
四姉妹が一杯のお茶を巡ってわいわいとやり合う声が続く。
それもまた、このカフェテリアではすっかりお馴染みの、日常風景の一つなのであった。