JUDGEMENt DAY~天使と悪魔の二重奏~   作:タコのスパイ

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 その国の暗さは全くの闇で、死の闇に閉ざされ、秩序はなく、 闇がその光となるほどなのだ(『ヨブ記』10章22節)


第一楽章「闇黒前奏曲~Darkness Prelude~」
第一節「天使が降り立った街」


「なぁなぁ、今朝の流れ星見たか? 俺、願い事したんだけど叶うかな」

「俺も見たぜ、金色のやつだろ。朝から珍しいもん見れて、何か良い事ありそうだよな」

「うーん、私は違うのよね。何て言えば良いのか……こう、不吉の予兆みたいな感じ……」

「あんたは相変わらず暗い事考えがちね。そんな悪い事、早々起こりっこ無いって」

 

 

 

 

 

 6月6日、グリニッジ標準時にして午前5時。旭光(きょっこう)の下、眠っていた街がゆっくり目覚め始める頃、洋上都市「オリバーポート」もまた静かに目を覚ました。

 オリバーポートはイギリスの沖合に浮かぶ人工島であり、建材や建設機械を主として取り扱う大手ゼネコン「ゴールデンアップル・グループ」の拠点として開発・整備された街だ。コンクリートと鋼材の島に住む約1万人の市民はほぼ全員がグループの社員とその家族、並びに提携企業や団体の関係者達で占められている。

 朝の空気には潮の匂いと機械油の香りが混じるが、それもこの街の日常に他ならない。

 

 

 遥かなる高み、雲の上の存在たる天界の主神に仕える戦闘天使・マリヤがこの街に降り立ったきっかけは偶然だった。普段の日課として人間界を偵察していたところ、あり得ざる気配をオリバーポートから感じたのだ。闇の住人――悪魔の気配を。

 不自然だ。悪魔とは、闇と死に惹きつけられるもの。死の匂いが色濃く残る廃墟か墓場、あるいは処刑場跡ならともかく、魔界と人間界とを繋ぐ地獄の門(ヘルゲート)がこんな新興都市で自然に開くなどまずあり得ない。

 

(じゃあ人間が悪魔を召喚したの? 誰が? 何のために?)

 

 疑問こそ覚えたものの、とにかく調べなくてはならない。自分の勘違いであったならばそれで良し、もし本当に悪魔が存在するのであれば早期に対処すれば良し。そう判断し、マリヤは単独での調査に臨んだのだった。

 ……上級天使の指示を仰がない独断専行。本来褒められない筈の行動が正しかったと分かるのは、それから僅か1時間後の事だった。

 

 

 結論から言えば、オリバーポートには悪魔が居た。

 街に降り立ってから早朝出勤の人間達の噂話に耳を傾け、悪魔の痕跡と気配を探って辿り着いた歓楽街。その一角にあるナイトクラブ「Night Butterfly(夜飛ぶ蝶)」から一人で出て来る瞬間を捕捉したのである。

 場に漂う花のような、あるいは腐った果実のような甘い匂い。それを撒き散らす薔薇色の頭髪と薄紫の肌を持つ痩身に、マリヤは見覚えがあった。20年前、イギリス本土の町で粛清した夢魔(サキュバス)の一味の生き残り。名前は確かロゼといった筈(これから殺す悪魔の名前になど興味は無かったのだが、妙に通る声で名乗られたため覚えてしまった)。

 マリヤがロゼの事を覚えていたように、ロゼもマリヤを覚えていたようだ。純白の軍服を纏う青髪碧眼の天使を捉えるなり、アーモンド型の赤い目を大きく見開く。

 

「あんた、(いかづち)天使……!」

 

 幻術で人間の目を誤魔化しているようだが、天使の目にはその本来の姿がはっきりと分かる。

 マリヤほど起伏に富んではいないながらも、均整の取れた薄紫の肢体。その身を露出の多い黒いドレスに包み、首を動かすたびピンクに近い薔薇色のポニーテールが揺れる。そしてこの世ならざる闇の住人の証である、頭から突き出した山羊のような捩れた角と、くびれた腰から伸びた蝙蝠のような被膜で覆われた翼。

 その姿は天使の目から見ても魅惑的で、そして欺瞞に満ちている。夢魔(サキュバス)の妖麗な美貌など、所詮は人間を油断させるためのまやかしに過ぎない。例えるならば、花蟷螂(ハナカマキリ)が蘭の花に化けて蝶を誘き寄せるようなもの。

 鋭い視線を向けられたロゼは、半歩ほど後ずさりながらも挑発的に口端を吊り上げる。

 

「随分久しぶりじゃないの。再会を喜びたいところだけど、昨夜からずっと酒飲んでたから疲れちゃってねぇ。あたしに用ならまた今度にしてくれない?」

「お酒? 人間の生き血の間違いじゃないの?」

「いやいや、ちゃんとお酒も楽しんでるって。あんたこそ、こんな可愛い夢魔(サキュバス)相手に目くじら立ててないで、ちょっと休んだらどう?」

「生憎だけど、悪魔が地上に湧いて来るからにはそうは行かないのよ。それに『可愛い夢魔(サキュバス)』ですって? そんなものが本当に居るなら、確かに私も目くじら立てずに済むでしょうね」

「何よその言い方、酷くない?」

「酷くないわ」

 

 彼女はおどけたように両手をひらひらと振って見せた。

 一挙一動を見逃さないよう睨みつつ、マリヤは右手に愛用の天使武装、弓幹(ゆがら)と曲刀が一体化した黄金の長弓「ゴールドルナ」を顕現させて握りしめる。

 

「そのクラブ、夜のお店でしょ? 中で一体何人殺したの?」

「だーれも? 皆して今頃はVIPルームのベッドでお寝んねしてるよ」

「天使に嘘を吐くつもり?」

「本当だってば。あたしは忙しい日々で疲れた人間に良い夢見せてあげる代わりに、ちょっとずつ精気を分けてもらってるだけなんだから。ほら、献血みたいなもんだよ」

「私が今まで粛清した夢魔(サキュバス)も、皆同じような事を言っていたのだけど」

「ああ……それはあんたが悪い子の夢魔(サキュバス)しか見て来なかったからさ。あたしは違うよ。少なくとも街中でミイラ作ったりしてないわけだし……ねぇ?」

 

 話しながらわざとらしく上目遣いをして来る。大きな赤い瞳が青い瞳とかち合った。

 

悪魔慣れ(・・・・)していない人間だったら、これで誤魔化されてしまうんでしょうね)

 

 マリヤは冷ややかに思った。

 

「何より、神様のお気に入りの人間と同じで、あたしらも食わなきゃ死んじゃうわけだしさ……分かってちょうだいよ天使様」

「……そうね」

 

 ロゼの言い分に数秒瞑目する。

 誤解を恐れないようはっきり言えば、殆どの天使にとって夢魔(サキュバス)など取るに足らない存在だ。人間に対しても基本的に害悪しか齎さないとはいえ、その被害の程度も限定的。直接的な破壊力や殺傷力を持つという意味では、山羊悪魔(バフォメット)蜘蛛悪魔(アラクネー)などのほうが余程脅威と言えるだろう。

 ゆえに、夢魔(サキュバス)は天界からすれば単なる監視あるいは粛清の対象に過ぎない。とりわけ己の分も弁えず浅ましい欲を満たそうとする「愚鈍」な夢魔(サキュバス)は、20年前のように速やかに戦闘天使によって狩り出される。マリヤ自身も、これまでに刎ねた夢魔(サキュバス)の首は100をゆうに超える。

 自分の手から逃れた後、ロゼが何時からオリバーポートに潜伏していたのかは定かではない。しかし、これまで死者を出さないよう、天使に見つからないように振舞っていたところを見るに、同族の中では浅知恵と自制心を働かせられる部類なのだろう。確かに、普通なら「目くじらを立てて」まで必死で追う必要のない手合いと言って良い(勿論、見逃すわけではなく、あくまで他の悪魔に比べて優先順位が高くないという意味である)。

 しかし、この場に限ってはそれで片づけてはいけない――神より命を授かってから500年、自他ともに認める天界の精鋭として生きて来たマリヤの勘がそう告げている。ロゼは明らかに何かを企んでいる。

 ゆえに、

 

「あなたが人間を食べないと死ぬと言い張るんだったら、今ここで死ぬと良いわ」

 

 見逃すなどという選択肢は無かった。

 突き付けられたゴールドルナと死刑宣告にロゼは一瞬怯んだが、すぐに鋭い犬歯を覗かせながら不敵な笑みを浮かべてみせた。その左手には、いつの間にか顕現させていた赤い三叉槍(さんさそう)。その禍々しい煌めきは確かな殺意の表れ。

 今この瞬間、起き始めの街のざわめきも、上り掛けの朝日もどちらも遠く感じた。

 

「……はっ、これだから天使は困るね。誤魔化しが効かないったらなくてさ!」

 

 ゴールドルナから射られる矢は、マリヤ自身の霊力から練り上げられた雷光そのもの。

 目の前を走った稲妻を飛び退るように躱したロゼ。だがそのまま逃げる事はせず、彼女は一気に踏み込んで距離を詰めて来た。見切れない程ではないものの夢魔(サキュバス)にしては速く、体幹もしっかりしている。自身の魔力から武器を作り出した事も含め、恐らく独自に鍛えているのだろう。普通の夢魔(サキュバス)なら今の一射で炭と化している。

 勢い良く突き出された三又の穂先はゴールドルナの刃で受け止められ、甲高い金属音を奏でた。意図せぬ鍔迫り合いを解くべく再び弓に電流を集めようとしたその時、不意にロゼがグイと首を突き出す。蒼白と薄紫の鼻先が触れ合いそうな程に顔を寄せたかと思うと、彼女は軽く唇を窄めて口から桃色の霧をマリヤの顔に吹きかけて来た。

 魅惑(チャーム)だ。吐息を吸い込んだ人間の判断力と思考を鈍らせ、言いなりにしてしまう夢魔(サキュバス)の十八番とも言える能力。無論そんなものは天使には何の効力も発揮しない。それでも、一瞬だけ――ほんの一瞬だけでもマリヤの目を曇らせるには十分だった。

 つまらない牽制だと見切り、双翼を広げて力強くはためかせる。巻き起こされた突風によって桃色の毒霧で覆われていた視界が霧散し、路地へ駆けて行くドレスの背が見えた。すかさず次の雷矢を番えようとして――ロゼの向かう先に人間の群衆が集っているのが見え、弦に添えられた手が止まる。晴天に似つかわしくない雷鳴が彼らを引き寄せたのだろうか。

 このまま稲妻を放てば確実にロゼは仕留められる。だが、間違いなく10人か20人は巻き添えになる。夢魔(サキュバス)一人のために払う犠牲としては、あまりにも割に合わない。

 瞬時に計算を終えたマリヤは口の中で小さく舌打ちを一つ。畳みかけていた翼を再び広げて地面を蹴り、飛び上がった勢いのまま群衆の頭上を越えてロゼの追跡に移る。本来ならば人間に天使の姿を晒す事は望ましくないが、今は致し方ない。もっとも、恐らく彼らの目には「白い何かが空中を通り過ぎた」程度にしか映っていないだろう。

 何れせよ今は些事だ。自分が気にするべきはただ一つ――人気のない場所でロゼを、その亡骸まで全て始末すればそれで片は付く。

 

 

 

 

 

 ――おかしい。

 人通りが多くなる中、路地を抜け、次の通りへ向かうロゼを暫く追い続けるうち、マリヤは背筋に奇妙なむず痒さを覚えた。

 単に自分から逃げるだけなら人混みに紛れてしまえば良い。それだけで自分の雷撃を封じられる。だがロゼはそうしない。先程から彼女は歩道橋や建物の屋上、そして連なるトラックの屋根などを跳ねまわりながら直進している。まるで何処か、決まった場所をを目指しているかのように。

 やはりロゼを逃がすわけには行かない。改めてマリヤは翼に力を込めて羽搏き、空中でロゼ目掛けて急加速。瞬間、驚きの表情を浮かべた彼女に身体ごと突っ込み、時計塔の壁面に勢いよく叩きつける。ロンドンのビッグ・ベンを模した煉瓦の外壁を突き破るほどの衝撃。悪魔がこの程度で死なない事は分かり切っているが、感触からして肋骨は何本か折れた筈だ。

 咳き込みながら瓦礫の中を転がるロゼにトドメを刺すべく、自身も時計塔の機関室に降り立ちゴールドルナを再び展開。雷矢を生成するべく弓に意識を集中した刹那、

 

「――油断したねぇ!」

 

 何とか呼吸を整えたロゼの声が響くと同時に、掲げられた三叉槍の穂先から噴き上がった桃色の炎がマリヤ目掛けて殺到する。

 まだ余力を残していた事に少しばかり目を剥きつつも、咄嗟に雷矢の生成を中断して弓幹で炎を弾き飛ばす。弓から伝わる粘り付くような感触と熱に眉を顰めつつ、両翼から雷撃を放射する。しかしゴールドルナを通したものではないため狙いは定められず、牽制には不十分だった。

 稲妻を躱しながら距離を取るロゼが三叉槍を薙ぎ、瓦礫を外に吹き飛ばす。ロゼの動きに合わせて側転したマリヤの身体に瓦礫が当たる事は無かったが、暗かった機関室が外光によって一気に明るくなる。

 機関室の内部に見えた物は、時計を動かす巨大な歯車、整備員のために設けられた手すりと階段、そして床面に描かれた五芒星(ペンタグラム)――赤黒い血で描かれ、五つの頭蓋骨で囲まれた魔方陣。

 魔方陣を目にした途端、翼と背筋にぞわりと怖気が走るのをマリヤは感じた。同時に、この瞬間に気が付いた。今朝方オリバーポートの上空で察知した悪魔の気配はロゼのものだけではない。この魔方陣から別の力も発せられていたのだ。それも夢魔(サキュバス)などとは比較にならない、巨大で禍々しい力が。

 

「どうやら20年越しの鬼ごっこはあたしの勝ちみたいだね、雷天使。さっき人間ごとあたしを焼き殺してれば良かったのに!」

 

 五芒星の中心に立つロゼが嘲笑う。上ずった余裕の無い声だったが、それは間違いなくマリヤにとって凶報だった。

 

「待ちなさい、これは何なの!?」

「『鍵穴』だよ。地獄の門(ヘルゲート)のね」

 

 息を呑んだのは、果たしてマリヤか、それともロゼか。

 

「さっきの店で景気付けしてたけど、あんたが急かしたせいで少し予定を早めないといけなくなっちゃった。……でもまぁ、あいつら(・・・・)も待ち侘びてるし問題ないよね」

 

 鍵穴、あいつら。その言葉に彼女がこれから何をしようとしているのか察し、ゴールドルナの刃を向けて駆け出そうとする。が、それよりもロゼが三叉槍を五芒星の中心に突き立てるほうが速かった。

 巻き起こった桃色の炎の壁がマリヤとロゼを隔て、陽炎(かげろう)の向こう側で彼女がぶつぶつと呪文を唱えているのが見えた。

 そうして唱え終わった次の瞬間、大気が震えた。

 

「魔界の深淵に座する闇の王よ。今ここに門は開かれました……さぁ、夜宴(サバト)を始めましょう!」

 

 ロゼの宣言に応えるかの如く時計塔――いや、オリバーポート全体が揺れ始める。どんな海底地震にも耐えうるよう設計されている筈の人工島が、まるで悲鳴を上げるかのように軋み、揺れる。間違っても自然に発生するものではない、この世の理を越えた災厄の胎動。

 機関室から脱出するか、それともロゼを止めるか。一瞬判断を迷ったマリヤの頭上に、耐震限界を超えて崩れた煉瓦と鋼材が降り掛かる。轟音の中で視界が塞がる刹那、時計の文字盤がマリヤの目に入った。

 

 

 時刻は、午前6時。

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