ジャッジメント・デイ~天使と悪魔の二重奏~   作:タコのスパイ

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第六節「炎の破壊者Ⅱ」

 再びルブルムの咆哮が闇空に轟き渡った。彼は燃え盛る巨体を観客席へと押し上げ、スタンド椅子を踏み潰しながらこちらに迫って来る。

 

『どっちから先に死ぬかの相談は終わりか? なら――てめぇら纏めてぶっ潰れろ!』

「お断り……よ!」

 

 炎を纏いながら繰り出された右の鉄拳をゴールドルナの弓柄(ゆがら)で弾く。目標を失った拳が轟音と共にコンクリートの土台の中に埋まった瞬間、間髪入れず掌から生み出した雷球をルブルムの顔面目掛けて投げ放つ。破裂音と共に弾けたそれはルブルムに大した痛痒を与えられなかったが、光に弱い悪魔の目を眩ませるには十分だった。

 ガレットはその隙を見逃さなかった。ルブルムが拳を引く前に右の鉤爪を手の甲に突き立て、そのまま勢いを付けて切り裂く。硬い肉と金属が擦れ合う不快な音を響かせながらインクのような鮮血が迸り、持ち主自身の体温によって蒸発した。

 ルブルムは苛立ちを込めて拳を引こうとするも、それは自身の腕を抉る鉤爪をさらに深く食い込ませるだけだった。さらにガレットは爪を突き刺したまま何本もの鎖を打ち込んで手を地面に固定し、自身の胴回りほどもある手首目掛けて左の鉤爪を振り下ろす。至近距離で攻撃を加える以上ガレット自身も熱気に曝(さら)される事となるのだが、彼はその程度の痛みなど些事だとばかりに意に介さない。

 100キロはゆうに超える(両腕の義手を含めれば)であろう全体重を掛けた斬撃。毛と肉と骨とが削れ、マグロの頭を落とすような鈍い音と共に掌が断ち切られ、座席の合間に落下した。

 次に上がった野太い叫びには明確な苦痛が籠っていた。しかし右手を失った程度でルブルムの戦意は鎮まらず、むしろその憤怒はますます燃え上がった。爪に着いた血をこれ見よがしに舐めるガレットの姿を、血走った紅玉(ルビー)の目が睨み下ろす。

 

『このっ……チビが、黙って灰になりやがれ!』

「貴様がこのまま枝肉になるんだよ……!」

 

 減らず口への返答は口腔から吐き出された猛火。人間大の悪魔ならば数秒でウェルダンと化す灼熱のカーテンが眼前に迫ってもガレットは全く怯まず、前転で炎を躱したかと思うと自分が付けた胴の傷を抉った。塞がりかけていた傷から再び鮮血が噴き出す。

 これが並みの悪魔であればこのまま腹筋ごと内臓を引きずり出せていたところだが、残念ながらルブルムは「並みの悪魔」ではない。

 ルブルムは己の体内に深々と鉤爪が食い込んだのを見計らってか、逆に腹筋に力を入れてみせたのだ。結果、ガレットは鉤爪を引き抜けなくなってしまった。決して知的にも冷静にも見えないにも拘らず、戦闘における判断の速さは恐るべきものがある。

 身動きの取れないガレットに向かって左の拳が迫るも、上空に飛び上がっていたマリヤが頭上から降らせた稲妻がその動きを止めた。炎に覆われた巨躯に電熱が通用するなど思っていないが、頭から伸びたヘラジカのような角が避雷針代わりになる事を期待しての一撃だった。実際、その一撃は今度は無視出来なかったらしく、角を通して頭蓋に流れ込んだ電流は確実にルブルムの意識を僅かに――ほんの僅かな時間とはいえ確実に刈り取った。そして次の瞬間、憎悪に満ちた咆哮と共に立ち上った火柱がマリヤを襲った。

 片翼が掠っただけでも命取りになりかねない火柱に対し、マリヤは身体を逸らして回避しながらもう一射雷撃を撃ち込み、力の緩んだ腹筋をガレットが切り裂いてから距離を取るのを見届ける。

 

(……あと一押しあれば――)

 

 マリヤの目的はルブルムの狙いを一人に絞らせない事だった。

 ルブルムは間違いなく強い。判断力もある。総合的に見て、これまでの500年間の生においてマリヤが遭遇した悪魔の中でも文句無しに最強と言って良い。――だが、ガレットの挑発にあっという間に爆発したところといい、極端に視野が狭い。目の前の敵に対してひたすら憤怒と衝動を叩きつけているのだ。

 無論、適当に繰り出される拳と炎自体が生半可な天使や悪魔にとって必殺の一撃に外(ほか)ならず、一瞬でも気を抜けばその瞬間に血霧か消し炭にされる。先ほどの熱波も、まともに受ければマリヤとて丸焼きになっていた事は想像に難くない。

 だからこそ、多少強引にでも隙を作り出さねば勝ち目は無い。ここには二人しか居ないのだから。

 

 

『虫ケラがちょろちょろしやがって……今度こそ消し飛ばしてやる!!』

 

 残された左の拳でガレットの義手と打ち合っていたルブルムだったが、やがて業を煮やした彼の巨躯を覆う赤い剛毛の一本一本が白熱の光を帯び始めた。それが熱波を放射しようとしている予兆だと本能的に察した。

 止めなければとマリヤは動く。ルブルムが目の前のガレットに意識を向けている間に急降下し、その眼前に姿を晒す。ぎょろりとこちらに視線が向いた瞬間、今度は牽制のための雷球などではなく霊力を込めた雷矢を目に向かって放つ。――如何に強大な魔力と頑健な肉体を持つ上級悪魔とて、眼球だけは鍛えようが無い。瞬間的に高まった熱と圧力によって房水と硝子体(しょうしたい)が沸騰し、限界に達した圧力によって左の眼球が弾け飛ぶ。

 一瞬にして視野を失った動揺と脳を突き刺すような激痛に、ルブルムが仰け反りながら左目――だった穴を左掌で覆った直後、ガレットが駆け出し、右前足(みぎまえあし)に向かって渾身の力で鉤爪を振り抜いた。巨体を支えていた脛骨が斬撃と自身の重量に耐えられず両断され、それに伴い支えを失ったルブルムの巨躯がスタンドから転げ落ちる。

 燃える物が無くなったからか、既にフィールドの炎はだいぶ勢いが収まっていた。だが、地獄の如き業火で炙られ続けた地面は完全に水分が飛んで乾ききり、迂闊に降り立っただけで足裏が焼けてしまいそうな程の熱を保ち続けている。だが、ガレットは何の躊躇もなくそこに飛び降りた。ブーツの靴底から白煙が上がっている事など気にも留めていない。

 右手と右前足を失ってうつ伏せになりながらも、ルブルムは依然として戦意を無くさないまま起き上がろうとしている……が、それを阻んだのは地面と虚空から伸びて来た無数の鉄鎖だった。ある鎖は先端のフックをルブルムの肉体に突き立て、またある鎖は太い胴と残された手足に巻き付いて雁字搦めにし、その巨躯を地面に縫い付ける。

 

「終わりだ、筋肉脳味噌」

 

 その拘束が目の前の悪魔によるものだと理解し、ガレットは罵声を吐き出す。

 

『バカが、さっき証明してやった筈だぞ。この俺をこんな鉄屑で抑え込めるなんざ――』

「ああ。思っちゃいない」

 

 ガレットがちらりと頭上を――マリヤに目を向けながら呟く。

 そう。例え全身を隈なく、一切の隙間なく鎖で縛りつけようとも、ルブルムの灼熱と膂力に掛かれば10秒と掛からず再び振り解かれるだろう。

 10秒――、

 

「十分よ、ガレット」

 

 マリヤはその目線の意味を正確に汲み取り、全身に満ちる霊力をゴールドルナに集中させ、それを雷撃の雨に変えて眼下のルブルム目掛けて落とす。

 瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの雷鳴と、目を潰さんばかりの雷光が火葬場と化したフィールドを支配する。マリヤの動きを見て素早く飛び退ったガレットは感電せずに済んだものの、動けないまま何本もの稲妻を浴びたルブルムはそうは行かなかった。

 金属は電気を通す――その当たり前の物理法則がルブルムにとって致命的だった。一条一条が悪魔の肉体を焼き焦がす天使の雷が、そして全身を縛り上げる悪魔の鎖が導電路となって巨体の隅々まで、そして肉に食い込むフックが体内の臓器一つ一つに至るまで電流を送り届ける。爆ぜた鉄が生み出す火花の音と絶叫とが交錯し、終戦を告げる奏鳴曲(ソナタ)を奏でた。

 ――そして、落雷の衝撃で生じた砂埃が収まる頃、全身各所から煙を噴きながら横たわる彼の姿がそこにあった。かつて空気を焼き焦がしていた炎のたてがみは消え失せ、もはや起き上がる事も出来ないその様は誰がどう見ても死に体だった。

 慎重に降下したマリヤの隣にガレットが歩み出、火の代わりに黒い血の泡を吐く大悪魔に鼻を鳴らす。

 

「また地べたを這いつくばったな」

 

 ギリリ……とルブルムの歯軋りが鳴る。

 

『ふざけんな……ふざけんじゃねぇ、てめぇら如きに殺されて堪るか! 俺は悪魔王を、あの野郎の首を取って魔界の支配者に――』

「出来もしない事を囀るな、負け犬が」

 

 ルブルムの角を鷲掴みにしながらガレットが遮る。義手の握力の前に角の根本が音を立てて軋む。

 

「悪魔王の首は俺が取る。奴は何処だ。――何処に居る!?」

 

 徐々にガレットの声が高ぶり、やがて荒い息と共に感情が吐き出される。だがそれに対して、ルブルムはくぐもった笑いで返した。

 

『知ってどうする。てめぇらに野郎は殺せやしねぇよ……せいぜい、新しい生贄になって終いだろうぜ……』

「貴様なんかと一緒にするな。俺は必ず――おい、おい!」

 

 ガレットがルブルムの顔面を足蹴にするも、今度は何の反応も無かった。呼吸音も既に聞こえない。

 

「……クソが。勝手に死にやがった」

 

 腹癒せに巨大な骸を蹴り続けるガレットの後ろ姿を眺めつつ、マリヤは考えを巡らせる。

 ――新しい生贄、とは何の事だろうか? 悪魔王は夜宴(サバト)を通して一体何を企んでいるのだろうか?

 

 

◆

 

 

「あ、天使さま!」

「……さっきから凄ぇ音してたし、今も滅茶苦茶暑いけど……もう終わったのかよ」

「えぇ。――ひとまずは、だけどね」

 

 それから暫く経って。

 物言わぬルブルムに一頻り当たり散らしてからようやく頭が冷えたガレットは、蜘蛛悪魔(アラクネー)の襲撃直後にレオとナタリーを選手用更衣室に隠したと告げた。マリヤの声を聞いてロッカーから出て来た二人は恐怖と緊張、それから暑さで全身汗だくだったが、ひとまず目視出来る範囲では何処にも怪我をしていなかった。

 ガレット本人に問うと、

 

「邪魔だったからな」

 

 としか彼は答えなかった。が、真意はどうであれ少なくとも彼の判断が兄妹の命を救った事は事実だった(勿論、態々言葉にはしなかったが)。

 そして周囲に他の悪魔が居ない事を確認してから、マリヤは二人をフィールドに連れ出した。魔力の大本だったルブルムが死んで時間が経ったからだろうか。先ほどの暑気は嘘のように失せ、地面も人間が歩いても問題ない程度にまで冷めている。無論、破壊と戦闘の痕跡まで消えて無くなったわけではないが……。

 芝生から変わり果てた焦土に横たわる小山のように巨大な悪魔の姿に一瞬慄き、それが既に死んでいる事に安堵する二人を尻目にガレットはずんずんと足を進める。そして無造作に鉤爪をルブルムの腹――先ほど自分が切り裂いた傷口に叩き込み、無造作に湯気を立てる肉塊を毟り取った。突然の奇行を注視する兄妹と、行動の意味を察したマリヤを他所にガレットはその肉にガブリと食らいつく。

 硬い肉を食い千切り、呑み込む。

 

「……ふん。流石は上級悪魔。普段からさぞかし良いものを喰ってるらしい」

 

 少なくとも蜘蛛悪魔(アラクネー)の腸よりかは彼の気に召す味だったらしい。

 そうして感想を呟くガレットの表情には、凍り付くレオとナタリーに構う様子は全く無い……と思いきや、不意に振り返ると引き千切ったばかりの肉片を乗せた掌を二人に向かって突き出した。

 

「お前らもどうだ。火は通ってるぞ」

「――い、いらない!」

 

 ブンブンと必死で首を振るレオと、兄にしがみつくナタリーをガレットは鼻で笑う。

 

「贅沢なガキ共だ」

「贅沢がどうの以前に、悪魔の肉を人間が食べて大丈夫とは思えないのだけど。昔、悪魔崇拝者(サタニスト)のアジトでそれらしいものを見た事があるけど、酷いものだったわ」

「毒でも何とかして食うのが人間共の得意分野だろ」

「……あなたね」

 

 呆れながら首を振り、野蛮な食事風景を兄妹の視界から遮りつつ空を見上げる。空は相変わらずの闇黒――これで闇の結界を作り出していたのがルブルムではない事ははっきりした。彼以外にも上級悪魔はオリバーポートに来ているのだろうか? 来ているとしたら何体だろうか? 何処に居るのだろうか? それに彼らの背後に居るという悪魔王の思惑は――。

 分からない事が増えてしまった。だが、戦いはまだまだ始まったばかりだという事は確かだった。

 

 

「……あ、チョコ溶けてる」




第二楽章はここまで。
ボス戦は書いてて楽しいけど、難しいわね。
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