ジャッジメント・デイ~天使と悪魔の二重奏~ 作:タコのスパイ
第一節「一寸先は闇Ⅰ」
――短い休憩時間の終わりを告げたのは、皹割れだらけの道路が奏でた擦過音だった。
騒ぎを聞きつけて別の悪魔がやって来たのかと注視するも、金網フェンスを破って駐車場に突っ込んできたのは六輪の大型長距離バスだった。
「コーチ」と呼ばれるその車両は一般的な観光用バスよりも頑丈な筈だが、やはり街の状況が状況だけに無傷ではなかった。車体表面の塗装はボロボロで元々どんな色だったのか判別出来ず、割れていない窓は一枚も無い。一対のヘッドライトこそ点いているものの、無明の闇を照らし出すには何とも頼りない。
車内から複数の人間の気配(息をひそめているのか誰も姿を見せようとしないが)を感じ、マリヤは構えていたゴールドルナを下ろす。
ややあって、フロントガラスから作業着姿の男が顔を出した。歳は30代後半から40歳前後といったところだろうか。彼は割れたガラスで手や顔を切るのも
「レオ! ナタリー! やっぱりお前達だったか!」
「パパ!?」
ライトに照らされて眩しそうにしていたナタリーが叫び、レオも目を見張る。
――彼が二人の父、ダグラス・テイラーのようだ。今朝6時に
「あなた達のパパ、で合ってるかしら」
「うん!」
「おう。……正直もうダメだと思ってたけど」
「そう――お互い無事だったみたいで何よりだわ」
ひとまず問題は一つ解決した――あくまで一つだけだ。悪魔に闇の結界、
「……何だ、人間か」
親子の再会を眺めながらガレットがつまらなさそうに鼻を鳴らす。ルブルムとあれだけの死闘を繰り広げた直後だというのに、まだ戦闘を期待していたのだろうか。
ガレットの声に反応したダグラスがこちらを向き、ぎょっと目を見開く――彼の反応は自然と言えよう。何せオリバーポートを荒らしまわっている連中と同じ悪魔が立っていて、隣には白い軍服と白い翼の天使(のような姿の悪魔だと思われているかも知れないが)が居るのだから。
警戒を露わにするダグラスが何かを言おうとすると、ナタリーが庇うようにマリヤの前に出る。
「パパ、天使さまだよ」
「……天使だって?」
「わたしとおにいちゃんを守ってくれたの」
ダグラスだけでなく車内の人間も困惑しているのを感じた。疲労と恐怖で掠れた声だが、天使の聴力であれば微かに聞き取れる。希望、疑念、不信……当然と言えば当然だが、明るい雰囲気ではない。
一方のガレットはと言えば、やはり人間達のやり取りや自分への視線になど全く関心が無いらしい。バスから背を向けてマリヤに視線を向ける。
「何にせよ良かったな。これでお荷物共と心置きなくお別れ出来るぜ」
「……他に言葉を選べないの?」
「実際、後腐れ無くてお前も安心だろ。俺もお前も時間を取るべきはこいつらじゃない」
身も蓋も無い言い草に真っ先に噛みついたのは、例によってレオだった。
「『お荷物』って、俺たちの事言ってんのかよ」
「態々そうだと言ってやらないと伝わらないのか?」
「こ、こっちだってお前と離れられて清々するよ!」
「清々ついでに精々喰われないよう頑張るんだな」
この二人は相変わらずだった。ガレットが手を上げない限りマリヤがいちいち口を挟む必要もないだろう。
――などと思っていたのも束の間、ガレットが突如として爪を剝いた。目の前に居たレオは当然驚いて仰け反ったが、当のガレットは既にレオなど見ていない。彼が見ているのはすぐ脇のビルの屋上だ。
ぼとり、と何かが地面に落ちる――内臓と背骨を断面から覗かせる人間の上半身だ。ゴールドルナを再び構えながらマリヤも目線を上げると、そこには人間でも、増してや天使でもないもの達がこちらを覗き込んでいた。
紫色の羽毛で覆われた全体像は人間界の鷲や鷹に近い。だがその頭部は頭蓋骨を思わせる白い外殻に覆われており、眼窩に当たる穴から赤い目を光らせて獲物を品定めしている。翼を持つ死神の如き姿――
足下も覚束ない闇黒の中でも、人ならざる者の殺気は感じられる。車内から悲鳴が聞こえ、異変に気付いたダグラスも焦燥に満ちた声を上げる。
「クソ、奴らやっぱり追って来やがったのか!」
ダグラスの言から察するに、バスを痛めつけた犯人はあの
『そんな鉄の塊で逃げられると思ったか、
一羽の
ゴールドルナに電気を集めたマリヤが素早くバスの屋根に飛び乗り、突っ込んで来る
残りの
『おいあれを見ろ。本当に天使が居やがるぜ』
『てっきりあたしゃ
『居ねぇな。……って事はやられたのか。死んだんならいい気味だぜ。あの肉達磨、前々から気に喰わなかったんだ』
『ああ。これ以上あいつのお零れに
頭上から聞こえて来る会話にマリヤは肩を竦めながら吐き捨てる。
「全く、ルブルムがお行儀良く思えて来たわ」
「言っただろ。人間を好き好んで喰いたがる奴らの品性なんざこんなものだと」
悪魔は人間の天敵であるが、実のところ魔界から人間界へ渡るのは決して簡単な事ではない。出入口たる
しかし、本来なら生存のために人間を喰らう必要性など無い筈である。それに加えてマリヤのような天使に見つかって粛清される危険も付き纏う。はっきり言って割に合わないのだ。それらの前提があるにも拘わらず、態々人間界に姿を現す悪魔は大きく分けて次の二つ。
一つは、未知の世界で何かしらの知見を得んとする物好き。
もう一つは、人間を害する事そのものに悦びを見出している下衆。
今朝から交戦した
「レオ! ナタリー!」
「子供たちは心配しないで! あなた達はそこから絶対に降りないで!」
頭上の
マリヤの言葉に応じて……というわけでは無いかも知れないが、ガレットが兄妹を両手それぞれで無造作に(もちろん爪で身体を切らないよう力加減はしている……筈である)掴み上げる。
「おい人間共。聞こえてるならどいつでも良いから、ガキ共を受け止めろ」
と、レオ達が何かを言う前に二人をバスの窓に向かって放り投げた。ガラスの無い窓に吸い込まれた二人と車内から悲鳴が上がる。あまりにも乱暴極まりないものの、今はこれが最善手ではある。
『逃がすか、俺たちの獲物を!』
再び
しかし、
もう一羽も迎える末路は同じ。嘴をゴールドルナの刃で抑えられ、直後にマリヤの全身から迸った放電を諸に喰らって叩き落された。
だが安心などしていられない。崩れかけのビルの合間から、闇空の向こうから、10は下らない数の羽音と耳障りな
「ガレット、こっちへ!」
「やっと人間のお守りから解放されるかと思ったのに、お荷物が増えちまった……全く……」
彼はブツブツと文句を言いつつも屋根に飛び乗る。マリヤの隣に並んで立ち、迫って来る
「出して!」
マリヤの鋭い声が響いた直後、バスの六輪と大型エンジンが再び唸り声を上げた。
レオとナタリーにはもう少しだけ付き合ってもらいます。