ジャッジメント・デイ~天使と悪魔の二重奏~ 作:タコのスパイ
「おい天使。真上から来るぞ、落とせ」
「ええ、見えてるわ――下からも来ているわよガレット!」
バスという移動する舞台の上で繰り広げられる血みどろのダンスは、二人の舞踏者が奏でる金属音と雷鳴、そして招かれざる客達が上げる咆哮と悲鳴をバックに繰り広げられていた。
上空から襲ってくる
その上バスを追って来ているのは今や
何せ、全長13mはある鉄の塊が路上の瓦礫や放置車を蹴散らしながら全速力(目測で凡そ時速100キロ)で走っているのだ。目立たない筈が無い。さらに、大半の悪魔達は「タイヤの付いた乗り物には
窓に飛びつき、手近な老人を引きずり出そうとした
「ダグラス、こんな状況で何だけど今何処に向かっているの?」
展望があるものと期待したかったが、ダグラスの返答は芳しくなかった。
「……正直言って、何処を走ってるのか自分でも皆目見当が付かん。見ての通り街中ガタガタで、こんなに真っ暗だってのに信号も街灯も全部止まってるからな……トドメにカーナビまでうんともすんとも言わんと来てる」
「この闇は太陽の光も電波も遮っているらしいから……衛星とやらも効かなくなってるんでしょうね」
「随分と仕事が丁寧じゃねぇか悪魔共。至れり尽くせりだぜ、クソが」
まだ悪態を吐ける程度には余裕がある……わけではなく、悪態の一つでも吐かなければ冷静さを保てないというほうが正しいだろう。
この数時間、ダグラスは自宅に残してきた我が子達を案じ、悪魔に追われながらずっとバスを飛ばし続けて来たのだ。彼自身の心身の疲労は勿論、このままではバスそのものも限界を迎えかねない。現に六輪あるタイヤの幾つかからは摩擦熱でゴムが焼ける悪臭が漂って来るのに加え、繰り返し加えられる過度の圧力と衝撃でサスペンションが軋む不気味な音が耳に入って来た。これでは完全に損壊するのも時間の問題である。
――この場に集まって来た
「……港。街の南の港湾に向かって下さい」
女の声が聞こえた。屋根越しのため当然姿も顔も見えないが、位置的に前方の席に座っているようだ。
「港ですって?」
「はい、都心は悪魔だらけですから……オリバーポートから出られないとしても、少しでも離れたほうが良いと思うんです」
「確かにこのまま逃げ回ってても埒が明かんが……」
屋根に飛び乗り、マリヤ目掛けて鉤爪を振り上げた
――今女が言った通りオリバーポート全体が闇の結界で封鎖されている以上、どれだけ走り回ろうとも人間達を脱出させる事は不可能である。だが結界を解除するまでの間、倉庫なり船舶なりに人間を隠す事であれば可能な筈だ。となれば、
「私の指示通りに運転して。今周りが見えるのは私だけだから」
「それは良いが、道は分かるのか? 地図は?」
「……あなたの家にあったパンフレットなら」
「パ、パンフ……ああ、分かった。どっちみち他に充てはなさそうだ」
「ガレット」
「ゴミ共をお前に近づけるなと言いたいんだろ。厄介払いのためならやってやる」
そう応じたガレットは、自分に嘴を突き立てようとした
『な、何でだ、お前も
「俺が今殺したいのは天使よりお前らだからだ」
しかし、懸念はまだあった。
(……さっきの女の声、何処かで)
オリバーポート南部の港湾地区に入り、周囲のビル街が倉庫や工場に変わり始めた頃。マリヤは心中に湧いた違和感が明確になるのを自覚した。
――悪魔の追撃が止んだ。バスを執拗に追って来た
それに――寒い。ルブルムが生きていた時は真夏を凌駕する暑気がサッカースタジアムを襲っていたが、今度はその逆で、真冬に差し掛かろうかという寒気に包まれ始めている。天使の肉体は人間ほど寒さに弱くないものの、それでもこの急激な気温変化は異常だった。
「これも悪魔の仕業かしら」
「他に何がある。人間が街を凍らせて何か得すると思うか」
マリヤの独りごとにガレットが素っ気なく答える。彼は齧りかけの尻尾を投げ捨て、もっと遠くを見ようと顔を突き出す。
周辺環境に影響を与えるほどの悪魔――ルブルムに劣らぬ強大な力の持ち主に違いない。車内をパニックに陥らせてしまうのは得策ではないと考え、運転席のダグラスにのみ聞こえる程度の声量で警告する。
「ダグラス、ここからはスピードを出し過ぎないで」
「ああ、ここら辺の路面が凍ってるのは俺にも分かってたからな。……薄々予想しちゃいるが、何かあったのか」
「……近くに他の悪魔が居るみたい」
「またか……ただでさえカーヒーターぶっ壊れてるのに迷惑なこった。生き残れたらバス会社を訴えて――」
ダグラスの悪態は最後まで続かなかった。突如として巨大な氷柱――氷山とすら形容出来そうな程の巨大な氷の塊が路面がせり出し、バスの行く手を遮ったからだ。ダグラスが急いでブレーキを踏むも間に合わず正面衝突した上に、その衝撃で遂にタイヤとサスペンションアームが限界を迎え、バス自体も動かなくなってしまった。
急いで路面に飛び降りたマリヤが歪んだ扉をこじ開けると、車内から人間達がよろめき、白い息を吐きながら飛び出してくる。ダグラスを含む大人が6人――うち一人は妊婦(不幸中の幸いというべきか、腹は打たなかったようだ)で、子供はレオとナタリーを含め4人、そして老人が二人――どうやら二人は夫婦らしく、夫の方は先ほど
合わせて全部で12人。……彼らの他にも生存者が居る、などとか細い希望は持たないほうが良いかも知れない。
「何だよ……何なんだよこれ! 散々走り回らされた挙句に結局バスまでぶっ壊れちまった! もう何処にも行けねぇじゃねぇか!」
「ちょっとあんた、天使様にそんな言い方――」
「天使だから何だってんだよ、こいつのせいじゃねぇか! こいつのせいで俺達はお終いだよ!」
大声で怒鳴り散らしたのは頭を抱えていた若い男だ。彼は老婦の制止を振り切り、バスを誘導したマリヤに責任があるとばかりに詰め寄って来る。……確かに、自分がもっと早く異変に気付くべきだったか。そう思って口を開こうとすると、
「黙れ」
冷ややかな声が周囲の注目を集めた。声の主は腕組みをしていたガレット。
「悪魔の餌になりたくなけりゃ喚くな」
「何だと? そもそもてめぇだって何様なんだよ、さも自分は味方ですみてぇな
「別にお前らの味方になった覚えは無いが」
「ふざけんじゃねぇ! お前らのせいで俺は、俺はなぁ……!」
ガレットに激情の矛先を向けた彼は、足下に転がっていた鉄棒を拾い上げるや否や紅髪の頭目掛けて思いっきり振り下ろした。周囲の人間達が悲鳴を上げる――彼の凶行と、恐らくガレットの反応を予測して。
この極限状況で興奮するのは仕方がない、とはマリヤも思う。恐らく彼らも今朝から幾度となく悪魔の襲撃を受けて来たのだろう。ゆえにそれを責めるつもりは無い。
しかし同時に、ガレットが「人間大」の悪魔だから手を出したのだろうなという冷めた考えも頭をよぎった。これが例えばルブルムのように、巨大で見るからに恐ろしい姿の悪魔だったら彼は同じ行動を取っただろうか。
そして、人間に殴られて平然としていられるガレットではなかった。悪魔が棒切れ如きで痛痒を負う筈は無い――だが「攻撃された」という不快感は別だ。
「図に乗るなよ」
緩んだ掌から鉄棒が離れる。乾いた音を立てて氷上に転がった鉄棒は、悪魔の頭に叩きつけられた事で大きくひしゃげていた。
「俺は街で羽目を外してるバカ共みたく人間を喰う趣味は無いがな。だからといって殺せないってわけじゃない」
人間達が慄きながら見守る中、鋼の指に力が籠り、くぐもった呻き声が聞こえた。あとほんの少し力が加われば、男の頭と脳味噌は南瓜よりも容易く砕け散るだろう。
これ以上は見過ごせない。歩み寄り、男を抑えつけるガレットの腕を掴む。
「ガレット、彼から手を離しなさい」
「こいつにまた騒がれたらどうする。足手纏いは減らした方が良い」
「離さないと射るわよ」
ゴールドルナに手をかけ、語気を強める――実力行使も辞さないと印象付けるために。ガレットは暫くマリヤを見ていたが、やがて鼻を鳴らして男を放り出した。地面に転がされながら咳き込む姿など既に見てもいない。
後方では全員が固唾を吞んでやり取りを見守っている。誰も何も口にせず、重苦しさすら感じるほどの沈黙が辺りを支配する。
不意に、氷片を踏み砕く音が倉庫街に響いた。