ジャッジメント・デイ~天使と悪魔の二重奏~   作:タコのスパイ

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第四節「仇敵Ⅱ」

 熾天使(セラフィム)・アーク。その名は天使ならば誰もが知っている――恐怖と戒めの記憶として。

 かつて無数の悪魔を屠り、古の悪魔王さえも討ち滅ぼしたという天界随一の武勇を誇っていた彼は凡そ500年前、その絶大な力を事もあろうに同胞に向けた。天界に屍山血河(しざんけっか)を築き、積み重ねて来た武功を己の罪業によって全て打ち消し、多くの犠牲を払いながら拘束されたアークに下された裁きは――死刑。

 

『長い間、あなたがどれだけ私達を守ってくれたか、私は誰よりも存じています。願わくばこれからもあなたと共に天界を支えたかった。……そのあなたに、このような形で永久(とわ)の別れを告げる事になるとは残念です』

 

 そう判決文を締め括ったもう一人の熾天使(セラフィム)・エデンの声が重々しく法廷に響いたのを、当時治癒天使・グレースに連れられて傍聴していたマリヤは幼いながらも覚えている。

 アークの処刑は即日に執行され、その刃を能天使(パワー)達が下す事が決定した。

 能天使(パワー)は隆々とした白磁の巨体と、身の丈を超える大斧を振るう剛力を備える戦闘天使。悪魔との戦いの最前線に立つ者達。だが彼らとて、本来ならば悪魔に向けるべき刃を同胞の首へ振り下ろす事に躊躇いがあったのかも知れない。――そして、その隙が運命を分けた。

 既に傷だらけだった肉体の何処にそれだけの力を残していたのか。アークは咆哮を上げながら全身を縛る鎖を引き千切り、自らを取り囲んでいた天使達を払い除け、捥がれていた筈の六翼を再生させてその場から飛び立ったのだ。

 無論、すぐさま戦闘天使の追手が放たれた。しかし、天界は勿論、人間界の何処を探しても終ぞアークの姿を発見する事は出来なかった。

 100年以上にも渡る大捜索の末、アークは天界からの逃亡で力を使い果たして死亡したものと見られていた……筈だった。

 

 

 痛々しさすら感じる程の沈黙を破ったのはロゼの舌打ちだった。

 

「……チッ。頭のイカれた悪魔に付き合うだけ時間の無駄か。二人仲良くアズーリャに凍らされりゃ良いんだ」

 

 荒々しく震えすら混じった彼女の声には、先ほどまでのような嘲笑や飾り付けたような余裕は一切無い。斬りかかって来たガレットから逃れ、彼女は翼で自分の身体を包むようにしながら暗闇の中へと姿を消した。後に残されたのはロゼの代わりに切り裂かれ、瓦礫の塊と化したコンクリートの壁だけ。

 ガレットは後を追おうとはしなかった。頭に血を登らせた自分を恥じているのか、あるいはこの場をロゼを態々追ったところで無意味だと割り切っただけなのか、鉤爪を下ろしながら深々と溜息を吐く。

 

「熾天使(セラフィム)・アーク……まさか生き延びていた上に、魔界の王になっていたなんて」

「……ああそうだ。俺が生まれた頃には、奴は他の上級悪魔との権力争いに打ち勝ち、魔界を牛耳っていた。今この街を襲ってる連中も、奴の権威の下で好き勝手やってる破落戸共だ」

 

 ガレットは忌々し気に吐き捨て、マリヤに向かって左掌を広げてみせた。掌から立ち上った黒い煙が蠢きながら色付き、一つの「形」を象る。

 捻じ曲がった双角を生やす頭部と、夜の闇よりも尚黒い六翼を持つ、天使とも悪魔とも付かぬ異形――それこそがガレットの記憶の投影であり、同時に彼が見たアークの姿である事は疑いようが無かった。

 本来であれば、魔界に満ちる闇の瘴気の中で天使は長く生きられない筈である。にも拘わらず、アークは生き延びた上に魔界の頂点にまで上り詰めたというのだ。恐るべき生命力と執念。

 

「……あなた、アークを見た事があるのね」

「掃き溜めみたいな魔界のスラムでな。俺はその頃シーピアとグレイ――義妹(いもうと)と義弟(おとうと)と一緒に暮らしていた」

「兄弟が居るの?」

「路地裏で拾った犬悪魔(ヘルハウンド)と小悪魔(インプ)のガキだ。血は繋がってない」

 

 義妹と義弟の名を口にするガレットの横顔は穏やかで物憂げだった。

 

「住処は雨風も満足に凌げないあばら家で、食い物を手に入れるのにも困る日々。惨めな暮らしだったが、少なくとも俺は辛いとは思わなかったよ。いつかは3人でスラムを出ようと、よく語り合ったもんだった」

 

 だが、とガレットは歯を食い縛る。

 

「あの堕天使は、自分に逆らう奴らへの見せしめが必要だと思ったんだろうな。……そのために選んだ『舞台』があのスラムだった」

「……まさか」

「そのまさかだ。奴は破落戸共を率いてスラムごと悪魔を殺し始めた。シーピアもグレイも……俺の目の前でバラバラにされ、死体まで焼かれた。まるでゴミでも処分するみたいにな」

「あなたの目の前で……」

「そして俺はアークに飛び掛かり――両腕を切り落とされて崖から叩き落された。その後はこの義手・ソウルブレイカーを口と魔力で作って崖から這い上がり、奴らが人間界で夜宴(サバト)を開こうとしてる事を知った」

 

 後はお前も知っている通りだ、とガレットは言葉を切った。

 凄絶な話だった。即ち、アークは過去に天界で行ったのと同じ大虐殺を魔界――仮にも自分の領土となった地でも重ねたという事になる。それも自分に直接刃向かったわけでもない者達を相手に、見せしめなどという理由で。

 ――冷酷で不遜で、同胞にも情け容赦の無い彼が、子供や親子に対してだけ乱暴な優しさを見せる理由が分かった気がする。

 

「……事情は分かったわ。でも、魔界の覇権を競い合う上級悪魔が大勢居たのに、よりによって堕天使を新しい王に迎えるだなんて――」

「俺だって少しぐらい期待したさ! 毎日毎日飽きもせず潰し合うバカ共の頭を誰かが張ってくれりゃ、あんな魔界でも少しはマシになるんじゃないかとな。――それがこのザマだ!」

 

 ガレットは声を荒げ、マリヤの目の前にソウルブレイカーを突き出す。両肘から先を置き換える冷たい鋼の塊は、皮膚を突き破るボルトやビスで腕の肉に直接固定されていた。

 

「……だがな。シーピアとグレイ(あいつら)の痛みに比べれば、俺のこの腕なんざ怪我の内にも入らない」

 

 彼は言いながら鋼の拳を握りしめ、手近な位置の街灯を殴りつけた。苛立ちをぶつけられた哀れな街灯は枯れ木のようにへし折れ、千切れた電線とガラス片を撒き散らしながら横たわった。

 だが、その破砕音に多少なりとも落ち着きを取り戻したらしい。思い出したように彼は首を捻った。

 

「それにしても……お前、悪魔王がアークだと知らなかったのか。てっきり知ってるからこそ地上に降りて来たんだと思ってたが」

 

 ガレットの疑問は当然である。また、初めて出会った時に互いの認識が嚙み合わなかった理由もこれで分かった。彼は天界がマリヤ一人にアークの討伐任務――言葉を選ばずに言ってしまえば、身内の不始末の後処理を押し付けたと思っていたのだ。

 マリヤは首を軽く振りつつ答える。

 

「実を言えば、夜宴(サバト)に首を突っ込む事になったのは偶然よ。今朝にロゼ――さっきの夢魔(サキュバス)がコソコソしているのを見つけたから追っていただけ。……もしアークが裏に居ると知っていたら絶対一人で来なかったわ」

「だろうな。まあ、結果的にはそれで正しかったわけだが」

「……確かに、ね」

 

 仮にオリバーポートに降り立った時にアークの介入及び夜宴(サバト)の証拠と成り得るものを見つけていたとしたら、自分は間違いなく天界にその情報を持ち帰っていただろう――その結果、討伐隊の編成をしている間に街は闇の結界で封鎖され、何も手を打てなくなっていた。闇の中で悪魔達が誰にも邪魔される事無く、欲望のままに人間を喰い散らかし、蛮行の限りを尽くしていた――アークの目論見通りに。

 上級天使の判断を待たないまま地上に降り立った事が、天界の一員として褒められる行動ではないと重々承知している。だが、それでもこの状況に限っては確かに正しい判断だったのだろう。

 

「奴は街の何処かに潜伏してる筈だ。――態々言う必要も無いだろうが、間違っても元天使だからと手加減しようなんざ思うなよ」

「ええ、当然よ。私にとっても仇だもの」

 

 間髪入れずマリヤは頷く。

 それと同時に、自分がアークに抱いた怒りはガレットが悪魔達に向けているものと全く同じものなのではないかと、ここまで話していてふと気付いた。目を覆いたくなるような惨事を引き起こしているのが、よりにもよって自分の同胞であるなどと……腸が煮えくり返る。

 アークが何の目的で夜宴(サバト)を主宰したのかは依然不明な事に変わり無い。だが今朝方、生きながら食われる人間達の断末魔はまだ耳に残っている。

 生きながら引き裂かれる人間達の最期はまだ目に焼き付いている。

 それを首謀した者が誰なのか明らかになったのならば――、

 

「生かしておけないわ。絶対に」

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