JUDGEMENt DAY~天使と悪魔の二重奏~ 作:タコのスパイ
「何なんだこいつ!?」
「下級悪魔の筈なのに――」
ほんの数秒の間に、狩る側と狩られる側は完全に逆転していた。
鉤爪の悪魔が腕を振るうたびに
血と臓物が辺りに撒き散らされ、大通りに新たな死の匂いを加える。周囲一帯は既に鼻が痛くなるほどの臭気で満たされており、その発生源が人間の死体なのか悪魔の死体なのかすら最早判別が付かない。
悪魔たちの戦いを観察しつつ、マリヤは片膝を付くと共にゴールドルナを手繰り寄せる(無論、自分に注意が向かないよう慎重にである)。
鉤爪の悪魔の乱入によって、状況は確かに変わった――悪魔が人間を一方的に食い殺す
思考を巡らせているうちに、目の前で一体の
しかし当の彼は正面の敵に集中しており、自分の背後で複数の
自身の背中を狙っていた
彼がマリヤに向かって何かを言おうとした瞬間、一体の
「お、俺はもう嫌だ!」
怯えた
「天使の相手をさせられる上に、こんな訳の分からねぇ悪魔まで出て来るなんて、そんなの聞いてねぇよ。俺達は人間を好きなだけ甚振り殺して食って良いって、たったそれだけの美味しい話だった筈じゃねぇか。それがこんな――」
「逃げようとしてんじゃねぇ、この腰抜けが!」
先程までマリヤの近くに立っていた筈の
リーダー格の凶行にどよめく
「
マリヤも眉を顰める言い草。不快感を覚えたのは鉤爪の悪魔も同様だったらしく、呆れと嘲りを同時に込めた溜息を吐く。
「大した仲間想いぶりだな。それも
(あいつ?)
「何言ってやがんだ。魔界じゃあ
「……なら、これからお前が潰されても文句は無いんだな?」
ジャキンと鉄の爪が擦れる音が響く。怒りの籠った鉤爪の悪魔の声音は低く、冷たかった。
「バカが! 何処の馬とも知れねぇ低級悪魔とくたばり損ないの天使に俺を潰せるか!」
鉤爪の悪魔の行動の意図も言葉の意味も判然としないが、とにかく今は目の前の敵に集中するしかない。立ち上がり、ゴールドルナを構え直す。一方の鉤爪の悪魔はマリヤをちらりと見たが、何も言わずに
「天使が俺がやる! お前ら――」
「まだ俺が喋ってただろ」
店内から争い合う轟音と
だが、それだけでは終わらなかった。
「何よこれ、どんな状況?」
甲高く間延びした声に振り返る。
マリヤの背後に立っていたのは一体の
「さっきデカい車――えっと、バスって言ったっけ? とにかくそれに乗って逃げようとした人間が10人ばかり居たから殺して来たんだけどさ、あたしの男は何処行ったわけ?」
白い
「ねぇ天使ちゃん、あんた何か知ってる?」
軽い調子で人間を殺したと語る悪魔に、頭の奥がチリチリと焼けるような感覚を覚えつつマリヤは答える。
「あなたの男なら別の悪魔と戦っているわ。――多分、もう会えないんじゃないかしら」
「――は? 何それ?」
マリヤの返答は白
「だったら、あんたさっさと喰って加勢して来るわ」
言うが早いが、脚を高々を振り上げてマリヤの脳天目掛けて振り下ろして来る。側転で躱したマリヤがつい数瞬前まで立っていた路面に、蹄が深々とめり込んでいるのが見えた。
魔界でも中堅に属する
ゴールドルナの
マリヤは反射的に飛び退って距離を離すが、白
短い悲鳴を上げて仰け反った白
「えぇい、鬱陶しい!」
痛みと苛立ちで白
――それに、この甲高い声もこれ以上聞いていたくない。
そう決めて翼を羽搏かせ、今度はこちらから一気に距離を詰める。白
節々から黒煙を上げ、首を失った長身が仰向けに倒れるのを後目に、マリヤは思わず鉤爪の悪魔と黒
直後、咆哮と紛うような悲鳴が響いた。
マリヤが見ていない間に既に勝敗は決していたようだ。
破壊された店内を覗き込むと、床一面は既に真っ黒な血の海と化していた。ハンガーラックやマネキンがひっくり返るフロアの中に、白
藻掻く事すら出来ない黒
「まだ死ぬな」
冷たい声での囁き。マリヤも声を掛けることなく注視する。
「死ぬ前に聞いておく事があるからな。この
「ふざけんな、てめぇ……誰が言うか……」
鉤爪の悪魔の詰問に対し、黒
人間ならば四肢を荒々しく切断されれば失血死あるいはショック死は免れないが、悪魔の強靱な肉体はその程度では命尽きない。……今の状態でそれが「恩恵」と呼べるかは別だが。
「てめぇら……誰に手ぇ出したのか分かってんのか。俺たちのバックにはな、とんでもねぇのが居るんだぞ。それが
黒
「俺に聞かれた事だけ答えろ。それとも、目玉を抉られた程度じゃ物足りないか? 次は耳か鼻を削ぎ落してやろうか」
息を呑んだのは黒
少なくとも、鉤爪を振り上げる姿を見て黒
「ま、待て……止めろ、話す、話すから。……俺は、あの方が何処に居るかなんて知らない。俺もさっきの
「腸を引きずり出せば思い出すか?」
「嘘じゃない、本当だ……俺みたいな下っ端は顔すら見た事ねぇんだ」
「……そうか」
息も絶え絶えの回答が噓とは思えない。鉤爪の悪魔は暫く黙ってから口を開いた。
「じゃあ別の奴にでも聞くとするか」
言いながら、再び爪を振り上げる。
「ま、待ってくれ……こ、殺さないでくれ。頼む、さっきは行き違っちまったけど、俺たちは同じ悪魔じゃねぇか。だからここは同族のよしみで――」
「――同じ悪魔、か」
その言葉を反芻する鉤爪の悪魔の声が、より低く、より鋭くなった。まるで一番言われたくない言葉を聞いた――というように。
「なら……悪魔相手に命乞いなんざしても無駄だと、悪魔のお前が一番よく分かってるよな」
それが死刑宣告だった。
引き絞られた鎖が黒
残虐な尋問を鑑賞するのを止め、マリヤは再び大通りに足を踏み出した。どうやら自分と鉤爪の悪魔がそれぞれ倒した2体の
――ふと、大型トレーラーの影になっている場所に目が留まった。悪魔たちと戦っている最中には意識すら向かなかったそこに、二人の人間が倒れている。その人間たちにマリヤは見覚えがあった。先程、
うつ伏せで倒れている若い母親のほうは、背中側から肋骨と肺が見えるほど深い裂傷が走っている。恐らくは即死だろう。そして抱えられていた赤子は、母親から少し離れた路面に転がっている。全身を強くアスファルトに打ち付けたのか、その小さな口から泣き声が上がる事はもう無かった。
一度は助けられた筈の命が奪われた事実に、マリヤは固く拳を握り締めた。
――不意にガラス片を踏み砕く音がすぐ横から聞こえた。目をやると、いつの間にか鉤爪の悪魔がすぐ近くまでやって来ていた。思わず身を固くするマリヤには一切目も暮れず、彼は赤子の元に屈み込んだ。
まさか喰らうつもりなのか。その考えが頭を
「……待ちなさい。それ以上その二人を傷付けるのは……」
だが、鉤爪の悪魔の行動はマリヤの予想とは全く違った。彼は小さな亡骸を出来るだけ爪で傷付けないようそっと抱え上げ、母親の腕の中に横たえた。
「……もう離すなよ」
呟きにも等しい一言は優しく、そして寂しげだった。先程まで荒々しく、そして冷酷に同胞達を切り刻んでいた姿とは似ても似つかない。
悪魔が人間の死を悼むという異様な光景に、思わずマリヤは呆然と見守る。
暫しの沈黙の後、彼はゆっくりと立ち上がってマリヤのほうに向いた。
「それで、天使がこんな所で何をやっている?」
冷たい目だった。恐らく市場を牛肉を品定めする料理人のほうがまだ暖かい目をしているだろう、とマリヤは思った。
ただすぐに斬りかかって来ないのもまた事実であり、マリヤはそれに応じた。
「戦闘天使が地上に居る理由なんて一つでしょう? 悪魔を倒しに来たのよ」
「……なるほどな」
頷きながら僅かに口元が吊り上がる。その笑みの意味は、嘲りだった。
「つまり天界は、自分達の不始末の後処理のためにお前一人を駆り出したってわけだ」
……悪魔とはいえ、初対面の相手にそんな事を言われる謂れは無い。苛立ちを覚えつつマリヤは言い返す。
「誰かに命令されたわけじゃないわ。それに……確かにこの騒ぎを起こした
「……
――自分は何かおかしな事を言っただろうか? 何か重要なところが噛み合っていないような気もするが……。
少しの間、奇妙な沈黙が歓楽街を包む。先に沈黙を破ったのは鉤爪の悪魔のほうだった。
「……何の話をしてるんだか知らんが、まあいい。俺はこれからこの乱痴気騒ぎを起こしたクズの首を獲りに行く。せいぜい邪魔はしてくれるなよ、天使」
「待って」
黒いダッフルコートの背に思わず声を掛ける。
「敵が同じだって言うんなら、一緒に行きましょう」
――自分は一体何を言っているのか。何故か自然に出た言葉に自分自身でも理解が追い付かなかった。
自問自答をする前に、ぐるりと振り返った鉤爪の悪魔と目が合う。灰色の顔に浮かんでいるのは驚きと不信感。
「命拾いした代わりに頭のネジでも抜けたか? それとも元から頭がおかしいのか、どっちだ」
「頭がおかしくても何でも、こんな事冗談では言わないわ」
「冗談じゃないなら尚更
「そんな事をして何になるの? 私だって、殺されるとなったら流石に黙ってないわ。それに今ここで私たちが戦って喜ぶのは――あなたの言う『この乱痴気騒ぎを起こしたクズ』だけよ」
凍りつくほど冷たい視線に胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えながらも、マリヤは視線を逸らさなかった――逸らしてはいけないと思った。
「……最初に言っておく」
痛いほどの沈黙の後、彼が口を開く。
「裏切ったり邪魔になったりしたら、殺す」
処刑の予告にも似たその言葉は、そのまま了承の意を示していた。眼前に突き出された鉤爪の先端を見つめつつ、マリヤは思う。
下手人の
そう、例えどんな手を使ってでも。
「……ところで」
内心で静かに覚悟を決め、再び声を掛ける。まだ何かあるのかと言いたげな表情を鉤爪の悪魔は浮かべる。
「今のうちに名前を聞いておきたいのだけど」
「教える必要は無い」
「どうして? とりあえずでも共同戦線を張るんだから、お互いにどう呼ぶか知っておいたほうが良いでしょうに」
「どうせ呼び合う前に終わる」
「だとしても知らなきゃ不便じゃない。それとも、まさかずっと『悪魔』と呼べと? ここにあなた以外の悪魔がどれだけ居ると思ってるの?」
再び間が空く。鉤爪の悪魔は小さく息を吐き、納得したのか、あるいは諦めたのか静かに答える。
「……ガレット」
「そう、ガレットーー覚えたわ。私はマリヤよ」
「分かった、天使」
「……ちょっと。教えたでしょ」
「俺が呼ぶとは言ってない。それに、さっきのお前の言葉を借りるなら、ここに天使はお前しか居ないんだ。別に困らないだろ」
マリヤは小さく息を吐く。――こいつ、せっかく名前を教えたというのに。
信頼とは程遠い。背中を預け合える関係とも到底言えない。だがそれでも――無明の闇空の下、天使と悪魔は同じ敵を目指して共に歩み出したのだった。
第一楽章はここまで。