JUDGEMENt DAY~天使と悪魔の二重奏~   作:タコのスパイ

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 見よ、主は火と共に来られる。その戦車は旋風のようだ。怒りを燃え上がらせ、その炎で責め苛む(『イザヤ書』66章15節)


第二楽章「炎舞奏鳴曲~Inferno Sonata~」
第一節「四魔公」


 大小の戸建て住宅と集合住宅(フラット)がひしめくオリバーポート東部の住宅街。

 先ほどまで居た歓楽街が悪魔に蹂躙され血の海と化していたのに対し、こちらにはまだ閑静さが残っていた。……だが、それは落ち着いた生活の名残ではなく、増してや無事だからという意味でもない。

 地獄門(ヘルゲート)開通の衝撃で起こった大地震でほとんどの家々が無惨に崩れ落ち、一面瓦礫と灰が積もるばかり。時刻はまだ早朝。恐らく住人たちの多くは眠ったまま家屋ごと押し潰され、その下で息絶えたのだろう。

 実際、軽く気配を探ってみるも感じられたのは鼠や虫の気配ばかりで、人間はもちろん悪魔の存在すら感じ取れなかった。恐らく悪魔も生きた人間(獲物)を探しに散ったに違いない。枯れた畑に獣は近づかないのだから。

 とはいえ、悪魔の餌食となって貪り喰われるくらいならば、住み慣れた我が家を棺桶としたほうが彼らにとって幾分か救いがあるのではないだろうか――そこまで考えて、マリヤは答えを出す前に思考を打ち切った。どちらにしてもあまりにも愚劣で、あまりにも理不尽な最期だ。

 

「――俺が知ってるのはこれくらいだ。頭に入れたか天使」

 

 辺りに動くものが居ないと、足音も羽音もいやに良く響く。人も車も通らない道路を歩きながら、鉤爪の悪魔ことガレットが不機嫌さを滲ませつつマリヤに確認を取る。マリヤは一つ頷き、彼の説明を心中で反芻した。

 「闇の結界」――かつて魔界の頂点に君臨していた原初の大悪魔が編み出し、人間界侵攻に用いた拠点防衛用広域戦略魔術。特殊な呪文を彫り込んだ「塔」を中心に据えて発動するそれは、島一つに相当する面積をドーム状の魔力の力場で隔離する。この力場は手で触れる事の出来ない「壁」であり、魔界に属するもの以外の全て――光を含むあらゆる種類の電磁波、機械、そして生き物の出入りを完全に遮断してしまう。

 即ち、この結界の発動に巻き込まれれば最後――人間は逃げ場のない暗闇を彷徨いながら悪魔に狩られる獲物となり、同時に天界もまた異常を察しても応援を寄越す事が叶わない。オリバーポートは今、外界から完全に隔絶された巨大な檻の中の世界なのだ。

 

「改めて状況を整理すると絶望的ね。結界をどうにかしない限り、私たちは死ぬまで悪魔と戦い続けなきゃいけないと」

「そういう事だ。特にお前が出してる光と匂いは、この闇の中じゃ何処に居ても目立つからな。一度嗅ぎつければ奴らは我先にと群がって来るだろうぜ」

「……心の準備が出来て助かるわ」

 

 聞けば聞くほどげんなりして来る。しかし同時に、この一件の黒幕はやはりロゼではないのだろうとも思う。

 都市一つを丸ごと呑み込むほどの巨大な地獄門(ヘルゲート)

 魔界の支配者が遺した古代の大魔術。

 そして、血に飢えた悪魔の大軍。

 いずれも準備には莫大な時間と労力を要した事は想像に難くなく、その全てを(幾ら他の同族より腕も度胸も立つとはいえ)一介の夢魔(サキュバス)に用意出来るとは到底思えない。

 加えて、開きかけた地獄門(ヘルゲート)から一瞬感じたあの禍々しい気配――ロゼの暗躍の裏に、夢魔(サキュバス)など及びもつかないような巨大な悪意の影を意識せずにはいられなかった。

 

「……結界を張ってる塔の場所、心当たりはあるの?」

「あったらお前とこんな所をウロウロ歩いてるわけないだろ」

 

 素っ気ない答えが返って来る。無視されないだけ上等と言えなくもないが、その声には天使に対する嫌悪感を全く隠そうともしていない。

 しかし、天使と悪魔が戦わずに同じ場所に居るというだけで既に異常事態なのだ。ガレットの憎悪と敵意の矛先ははあくまでオリバーポートを跋扈する他の悪魔たちであり、それを殲滅するためならば天使と手を組む程度の事は我慢できる――言わば「許容範囲内」なのだろう。

 彼が何故そこまで同胞を憎むのか、マリヤには想像もつかない。訊いたとしても恐らく教えてくれないだろう。

 

「ただ――」

 

 ガレットが足を止める。

 

「少なくともこの街の何処かにあるのは間違いない。結界は外側からは発動できない仕組みになってる筈だからな」

「でもはっきりとした場所までは分からない……となると、怪しそうな場所を虱潰しに探していくしかないわね。――悪魔を倒しながら」

「ああ、ゴミ掃除の続きだ」

 

 弓と鉤爪が向いた先には、瓦礫の山を掻き分けながら蠢き、闇空から舞い降りる複数の影。天使の存在を嗅ぎつけたのか、あるいは戦いの予兆を感じ取ってか――悪魔たちがこの場に集まりつつあった。

 

 

 

 

「何だか静かになってると思ったら……随分酷い有様じゃないのさ」

 

 闇と静寂に支配された歓楽街の大通り。

 動きづらいドレスから黒のチューブトップとレザーパンツに着替え、ニーハイブーツの靴音を鳴らしながら現れた夢魔(サキュバス)・ロゼは周囲を睥睨しながら鼻をひくつかせた。

 歓楽街を彩っていたバーにレストラン、ホテル、ブランドショップ……何処も彼処も荒れ放題で、無傷の建物は一軒も無い。

 罅割れた道路一面に広がる固まりかけの血の海には食い散らかされた人間の死体――だけでなく、焼かれ切り裂かれた悪魔の死体が無数に浮かび、芳醇で濃密な死の匂いを辺りに撒き散らしていた。

 そしてそんな中でもはっきりと分かる、鼻を突くオゾン臭。それを生み出したのが誰なのかは考えるまでも無かった。

 

(雷天使め、生きてたわけね)

 

 ――もっとも、低級悪魔が群がった程度で殺せるようなら初めから苦労は無いが。

 足下に転がっていた白山羊悪魔(バフォメット)の生首を足蹴にしなが独りごちる。自分たち夢魔(サキュバス)を散々見下してきた中級悪魔が、ほんの少し見ない間に物言わぬ肉塊になっているとは。

 悪魔に痛痒を与えうる人間、いわゆる悪魔祓い(エクソシスト)の類いはオリバーポートには居ない――他ならぬロゼがそうなるよう仕向けたのだから。そもそも最下層の小悪魔(インプ)一体や二体ならまだしも、中堅の一族たる山羊悪魔(バフォメット)を殺せるような悪魔祓い(エクソシスト)など今の時代に存在しない。

 そして、当の戦闘天使の喰われ残し(・・・・・)は近くには無い――つまりはそういう事だ。

 

 

 20年前を思い出す。

 あの時、ロゼと3人の同胞(サキュバス)――エム、ラン、イトはイギリス本土にある別の街で工作活動に従事していた。夜宴(サバト)の下準備を円滑にするべくオリバーポート建設計画に関わるゴールデンアップル・グループの役員と地元の投資家を篭絡するという、言わば「裏方」の穏便な仕事。簡単に終わる筈だった。

 ところが、魔界を牛耳る悪魔王の恐ろしい監視の目から一時でも外れた――そんな解放感に抗えなかった仲間達は、ロゼの制止も聞かず近隣の男達を貪り散らかすという愚行に走った。一夜限りの乱痴気騒ぎにロゼ自身は混ざらなかったため明確ではないものの、精気を吸い尽くされ果てた犠牲者は20人を下らなかったと記憶している。

 無論、天界が悪魔の蛮行を見逃す筈は無く、彼女らは一時の愉しみの代償を命で支払う事となった。その天からの裁きを下すために遣わされたのが、件の雷天使ことマリヤだったのだ。

 

『楽しかったかしら? 人間の命を玩具にするのは』

 

 エムが何かを言った気がする。

 ランが反撃を試みた気がする。

 イトが逃げようとした気がする。

 だが全ては無意味だ。断末魔を雷鳴が掻き消す中、自分だけは命からがら逃げ延びた。

 自分達の危うい立場も忘れ、「天使に目を付けられるような真似をするな」という再三の忠告を無視したエム達は心底愚かであり、はっきり言って死んで当然だとすら思う。……だが、その愚かな仲間たちを射抜いた鋭い眼差しと稲妻の閃きは今でも忘れていない。

 つい数十分前、20年ぶりにマリヤと対峙した時も本当は恐ろしくて堪らなかったのだ。逃げ出さなかったのも忠誠心からなどではない。天使の雷に焼かれるより、地獄門(ヘルゲート)開通の任を放棄した責を悪魔王にどう問われ、どう裁かれるか――その末路を想像する方が恐ろしかった。

 それにしても、あの天使とよりによって自分達が整えた舞台(オリバーポート)で再会する事になるとは……これが因縁というものなのだろうか。

 

 

 ロゼの回想を打ち切ったのは、正面から聞こえて来た重々しい足音と真夏の陽気をも凌ぐ暑気。忘れもしないその温度にロゼはびくりと肩を跳ねさせた。

 顔を上げると――そこには炎の塊が居た。正確には、頭から炎の(たてがみ)を伸ばした巨大な悪魔だ。赤黒い剛毛に覆われても尚分かるほどの筋骨隆々とした体躯を誇り、その図体を支える丸太のような四つ足でしっかりと大地を踏みしめている。

 山羊悪魔(バフォメット)程度とは比較にならない威圧感に、ロゼは慌てて腰を折る。

 

四魔公(よんまこう)……ルブルム様」

「一体何だこのザマは。人間だけじゃなくて使いっ走り共までくたばっちまってるじゃねぇか」

 

 悪魔王直下の四柱の大悪魔、その一角である魔界火山の覇者・ルブルムは開口一番に土間声で吐き捨てた。自分よりも遥かに小さな夢魔(サキュバス)を見下ろす赤い目は冷ややかな光を発している。

 

「それが……この街には元々天使が居まして、恐らくそいつの仕業です」

「天使? ――天使だと!?」

 

 一拍の後、言葉の意味を噛み砕いたルブルムが咆哮を上げた。血臭に満ちた空気がビリビリと震動するだけでなく、その憤怒が本物の熱気となって辺りに立ち込める。

 

「てめぇ、折角俺達がお膳立てして結界まで用意してやったってのに、今の今まで何してやがった? たかだか天使の一匹や二匹ぐらい、儀式の準備の片手間にでも始末しておけただろうが!」

「いやぁ……そう言われましても、あたしのこの街での役目は地獄門(ヘルゲート)を開く事なわけですし。それにあの戦闘天使相手なんて、あたし一人じゃとてもとても……」

「俺に口答えするつもりか、能無しの夢魔(サキュバス)風情が!」

 

 言い訳はルブルムの怒りを宥めるどころかますます盛り立てるのみ。

 

(確か人間はこういう時『火に油を注ぐ』って言うんだっけ……?)

 

 ロゼは頭を下げながらも半ば他人事のように思う。

 だが現実逃避もここまでだ。ルブルムの苛立ちに呼応するように一帯の気温はますます上昇し、汗が止まらない。顔を下げたまま周りを見渡してみれば、血の海が完全に蒸発しきったばかりか街路樹までが火を噴き始めた。これ以上は悪魔であるロゼも危険だ。

 それでも何とか弁明の言葉を紡ごうとすると、

 

「そこまでにしなさいルブルム」

 

 別の涼やかな声が場の空気を文字通り変えた。

 ビルの間から現れた声の主は、膨らんだ胸とくびれた腰を有する女体の上半身に、刃のような鋭い鰭を何枚も伸ばす細長い魚の尾を持っていた。冬の氷を思わせる青白い鱗で全身を覆った、どこまでもルブルムとは対照的な存在。

 脚など無いにも拘わらずその悪魔は尻尾の力だけで地面を這いずり、跳ねて、大通りにその姿を現す。

 

「アズーリャ様」

 

 自身の名を呼ぶ夢魔(サキュバス)に一瞥もくれず、魔界の氷海を統べる大悪魔・アズーリャはルブルムに目を向けた。鱗と鰭から発せられる冷気によって、ルブルムの熱気で溶けかけていたアスファルトが音を立てて凍り付き、パラパラと砕ける。

 

「暑苦しく喚く前に少しは思慮を学ぶべきね。実際、その夢魔(サキュバス)の言う事は全てが間違っているわけではないわ」

「何だアズーリャ。てめぇまで俺のやる事にケチをつけるのか」

「まあ文句というか……指摘ね。だって――人間を誑し込むだけが能の夢魔(サキュバス)に天使を殺せだなんて、無駄で無意味な期待としか言いようがないもの。まさかあなたも本気でそんな事が出来ると思っているわけじゃないでしょう?」

 

 何の温度も無いその言葉に嘲笑の色は無い。ただ単に事実を確認しているだけだった。

 しかしその冷たさはルブルムの激情を落ち着かせるに足りたらしい。彼は太い指で顎を撫でながら小さく頷いた。

 

「……ふん。確かにてめぇの言う通りだな。たかが夢魔(サキュバス)に期待して怒ったところでバカバカしいだけだ」

「でしょう? ――とはいえ、天使が生き延びているならそれはそれで都合が良いわ……私が直々に凍らせて砕き殺してやるもの」

「相変わらず天使が絡むとそればかりだな、てめぇは」

 

 二体の大悪魔から向けられる露骨な侮蔑に対し、ロゼは何の感情も湧かなかった。

 今更だ。暴力が支配する魔界において夢魔(サキュバス)の一族は誰からも蔑まれ、嘲られる対象であり、ロゼ自身も魔界に生を受けて400余年、この手の言葉や仕打ちは数えきれないほどぶつけられてきたのだから。初対面の悪魔から唐突に暴力を振るわれた事だって、10や20では利かない。

 人間――特に男を篭絡し、己の言いなりにする幻惑術は全ての夢魔(サキュバス)が生まれつき備えている十八番。だがそんなものは魔界での生存闘争、ましてや天使との戦いには何の意味も成さない。

 これまでは人間を巻き添えに出来ない天使相手に小狡く立ち回ってきたが、他の悪魔が人間を狩り殺して回っているこの状況で、一体どこまで役に立つ事か。少なくともマリヤは守るべき人間が居ないとなれば、今度こそ一切の迷いも躊躇も無く雷撃を見舞って来る事だろう。

 

「とにかく、地獄門(ヘルゲート)を開く役目が終わっている以上、何処まで役に立つかは知らないけど――とりあえず、お前にも手下を何匹か付けてあげる。天使を殺せとまでは言わないから、街中に隠れている人間を見つけ、そして魂を奪いなさい」

「はい」

「ゴミはゴミなりに使い出があるって所を見せてみろ。てめぇ如きを焼き捨てる手間を俺に掛けさせるんじゃねぇぞ。分かったな?」

「……はい」

 

 腰の両脇に置いた掌に爪が食い込む。

 どちらにせよ、自分に選択肢などない――命惜しさに悪魔王にひれ伏した、あの時から。

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