ジャッジメント・デイ~天使と悪魔の二重奏~ 作:タコのスパイ
マリヤが見ていない間に既に勝敗は決していたようだ。
破壊された店内を覗き込むと、床一面は既に真っ黒な血の海と化していた。ハンガーラックやマネキンがひっくり返るフロアの中に、白
藻掻く事すら出来ない黒
「まだ死ぬな」
冷たい声での囁き。マリヤも声を掛けることなく注視する。
「死ぬ前に聞いておく事があるからな。この
『ふざけんな、てめぇ……誰が言うか……』
鉤爪の悪魔の詰問に対し、黒
人間ならば四肢を荒々しく切断されれば失血死あるいはショック死は免れないが、悪魔の強靱な肉体はその程度では命尽きない。……今の状態でそれが「恩恵」と呼べるかは別だが。
『てめぇら……誰に手ぇ出したのか分かってんのか。俺たちのバックにはな、とんでもねぇのが居るんだぞ。それが
黒
「俺に聞かれた事だけ答えろ。それとも、目玉を抉られた程度じゃ物足りないか? 次は耳か鼻を削ぎ落してやろうか」
息を呑んだのは黒
少なくとも、鉤爪を振り上げる姿を見て黒
『ま、待て……止めろ、話す、話すから……』
もつれる舌を必死で動かし、言葉を吐き出す。
『俺はあの方が何処に居るかなんて、知らない……俺もさっきの
「腸を引きずり出せば思い出すか?」
『嘘じゃねぇ、本当だ……俺みたいな下っ端は顔すら見た事ねぇんだよ』
「……そうか」
息も絶え絶えの回答が噓とは思えない。鉤爪の悪魔は暫く黙ってから口を開いた。
「じゃあ別の奴にでも聞くとするか」
言いながら、再び爪を振り上げる。
『ま、待ってくれ……こ、殺さないでくれ。頼む、さっきは行き違っちまったけど、俺たちは同じ悪魔じゃねぇか。だからここは同族のよしみで――』
「――同じ悪魔、か」
その言葉を反芻する鉤爪の悪魔の声が、より低く、より鋭くなった。まるで一番言われたくない言葉を聞いた――というように。
「なら……悪魔相手に命乞いなんざしても無駄だと、悪魔のお前が一番よく分かってるよな」
それが死刑宣告だった。
引き絞られた鎖が黒
残虐な尋問を鑑賞するのを止め、マリヤは再び大通りに足を踏み出した。どうやら自分と鉤爪の悪魔がそれぞれ倒した2体の
――ふと、大型トレーラーの影になっている場所に目が留まった。悪魔たちと戦っている最中には意識すら向かなかったそこに、二人の人間が倒れている。その人間たちにマリヤは見覚えがあった。先程、
……だが、二人とも既に息は無かった。
うつ伏せで倒れている若い母親のほうは、背中側から肋骨と肺が見えるほど深い裂傷が走っている。恐らくは即死だろう。そして抱えられていた赤子は、母親から少し離れた路面に転がっている。全身を強くアスファルトに打ち付けたのか、その小さな口から泣き声が上がる事はもう無かった。
一度は助けられた筈の命が奪われた事実に、マリヤは固く拳を握り締めた。
――不意にガラス片を踏み砕く音がすぐ横から聞こえた。目をやると、いつの間にか鉤爪の悪魔がすぐ近くまでやって来ていた。思わず身を固くするマリヤには一切目も暮れず、彼は赤子の元に屈み込んだ。
まさか喰らうつもりなのか。その考えが頭を
「……待ちなさい。それ以上その二人を傷付けるのは……」
だが、鉤爪の悪魔の行動はマリヤの予想とは全く違った。彼は小さな亡骸を出来るだけ爪で傷付けないようそっと抱え上げ、母親の腕の中に横たえた。
「……もう離すなよ」
呟きにも等しい一言は優しく、そして寂しげだった。先程まで荒々しく、そして冷酷に同胞達を切り刻んでいた姿とは似ても似つかない。
悪魔が人間の死を悼むという異様な光景に、思わずマリヤは呆然と見守る。
暫しの沈黙の後、彼はゆっくりと立ち上がってマリヤのほうに向いた。
「それで、天使がこんな所で何をやっている?」
冷たい目だった。恐らく市場を牛肉を品定めする料理人のほうがまだ暖かい目をしているだろう、とマリヤは思った。
ただすぐに斬りかかって来ないのもまた事実であり、マリヤはそれに応じた。
「戦闘天使が地上に居る理由なんて一つでしょう? 悪魔を倒しに来たのよ」
「……なるほどな」
頷きながら僅かに口元が吊り上がる。その笑みの意味は、嘲りだった。
「つまり天界は、自分達の不始末の後処理のためにお前一人を駆り出したってわけだ」
……悪魔とはいえ、初対面の相手にそんな事を言われる謂れは無い。苛立ちを覚えつつマリヤは言い返す。
「誰かに命令されたわけじゃないわ。それに……確かにこの騒ぎを起こした
「……
――自分は何かおかしな事を言っただろうか? 何か重要なところが噛み合っていないような気もするが……。
少しの間、奇妙な沈黙が歓楽街を包む。先に沈黙を破ったのは鉤爪の悪魔のほうだった。
「……何の話をしてるんだか知らんが、まあいい。俺はこれからこの乱痴気騒ぎを起こした奴の首を獲りに行く。せいぜい邪魔はしてくれるなよ、天使」
「待って」
黒いダッフルコートの背に思わず声を掛ける。
「敵が同じだって言うんなら、一緒に行きましょう」
――自分は一体何を言っているのか。何故か自然に出た言葉に自分自身でも理解が追い付かなかった。
自問自答をする前に、ぐるりと振り返った鉤爪の悪魔と目が合う。灰色の顔に浮かんでいるのは驚きと不信感。
「命拾いした代わりに頭のネジでも抜けたか? それとも元から頭がおかしいのか、どっちだ」
「頭がおかしくても何でも、こんな事冗談では言わないわ」
「冗談じゃないなら尚更
「そんな事をして何になるの? 私だって、殺されるとなったら流石に黙ってないわ。それに今ここで私たちが戦って喜ぶのは――あなたの言う『この乱痴気騒ぎを起こした奴』だけよ」
凍りつくほど冷たい視線に胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えながらも、マリヤは視線を逸らさなかった――逸らしてはいけないと思った。
「……最初に言っておく」
痛いほどの沈黙の後、彼が口を開く。
「裏切ったり邪魔になったりしたら、殺す」
処刑の予告にも似たその言葉は、そのまま了承の意を示していた。眼前に突き出された鉤爪の先端を見つめつつ、マリヤは思う。
下手人の
そう、例えどんな手を使ってでも。
「……ところで」
内心で静かに覚悟を決め、再び声を掛ける。まだ何かあるのかと言いたげな表情を鉤爪の悪魔は浮かべる。
「今のうちに名前を聞いておきたいのだけど」
「教える必要は無い」
「どうして? とりあえずでも共同戦線を張るんだから、お互いにどう呼ぶか知っておいたほうが良いでしょうに」
「どうせ呼び合う前に終わる」
「だとしても知らなきゃ不便じゃない。それとも、まさかずっと『悪魔』と呼べと? ここにあなた以外の悪魔がどれだけ居ると思ってるの?」
再び間が空く。鉤爪の悪魔は小さく息を吐き、納得したのか、あるいは諦めたのか静かに答える。
「……ガレット」
「そう、ガレットーー覚えたわ。私はマリヤよ」
「分かった、天使」
「……ちょっと。教えたでしょ」
「俺が呼ぶとは言ってない。それに、さっきのお前の言葉を借りるなら、ここに天使はお前しか居ないんだ。別に困らないだろ」
マリヤは小さく息を吐く。――こいつ、せっかく名前を教えたというのに。
信頼とは程遠い。背中を預け合える関係とも到底言えない。だがそれでも――無明の闇空の下、天使と悪魔は同じ敵を目指して共に歩み出したのだった。
第一楽章はここまで