JUDGEMENt DAY~天使と悪魔の二重奏~ 作:タコのスパイ
第一節「四魔公」
大小の戸建て住宅と
先ほどまで居た歓楽街が悪魔に蹂躙され血の海と化していたのに対し、こちらにはまだ閑静さが残っていた。……だが、それは落ち着いた生活の名残ではなく、増してや無事だからという意味でもない。
実際、軽く気配を探ってみるも感じられたのは鼠や虫の気配ばかりで、人間はもちろん悪魔の存在すら感じ取れなかった。恐らく悪魔も生きた
とはいえ、悪魔の餌食となって貪り喰われるくらいならば、住み慣れた我が家を棺桶としたほうが彼らにとって幾分か救いがあるのではないだろうか――そこまで考えて、マリヤは答えを出す前に思考を打ち切った。どちらにしてもあまりにも愚劣で、あまりにも理不尽な最期だ。
「――俺が知ってるのはこれくらいだ。頭に入れたか天使」
辺りに動くものが居ないと、足音も羽音もいやに良く響く。人も車も通らない道路を歩きながら、鉤爪の悪魔ことガレットが不機嫌さを滲ませつつマリヤに確認を取る。マリヤは一つ頷き、彼の説明を心中で反芻した。
「闇の結界」――かつて魔界の頂点に君臨していた原初の大悪魔が編み出し、人間界侵攻に用いた拠点防衛用広域戦略魔術。特殊な呪文を彫り込んだ「塔」を中心に据えて発動するそれは、島一つに相当する面積をドーム状の魔力の力場で隔離する。この力場は手で触れる事の出来ない「壁」であり、魔界に属するもの以外の全て――光を含むあらゆる種類の電磁波、機械、そして生き物の出入りを完全に遮断してしまう。
即ち、この結界の発動に巻き込まれれば最後――人間は逃げ場のない暗闇を彷徨いながら悪魔に狩られる獲物となり、同時に天界もまた異常を察しても応援を寄越す事が叶わない。オリバーポートは今、外界から完全に隔絶された巨大な檻の中の世界なのだ。
「改めて状況を整理すると絶望的ね。結界をどうにかしない限り、私たちは死ぬまで悪魔と戦い続けなきゃいけないと」
「そういう事だ。特にお前が出してる光と匂いは、この闇の中じゃ何処に居ても目立つからな。一度嗅ぎつければ奴らは我先にと群がって来るだろうぜ」
「……心の準備が出来て助かるわ」
聞けば聞くほどげんなりして来る。しかし同時に、この一件の黒幕はやはりロゼではないのだろうとも思う。
都市一つを丸ごと呑み込むほどの巨大な
魔界の支配者が遺した古代の大魔術。
そして、血に飢えた悪魔の大軍。
いずれも準備には莫大な時間と労力を要した事は想像に難くなく、その全てを(幾ら他の同族より腕も度胸も立つとはいえ)一介の
加えて、開きかけた
「……結界を張ってる塔の場所、心当たりはあるの?」
「あったらお前とこんな所をウロウロ歩いてるわけないだろ」
素っ気ない答えが返って来る。無視されないだけ上等と言えなくもないが、その声には天使に対する嫌悪感を全く隠そうともしていない。
しかし、天使と悪魔が戦わずに同じ場所に居るというだけで既に異常事態なのだ。ガレットの憎悪と敵意の矛先ははあくまでオリバーポートを跋扈する他の悪魔たちであり、それを殲滅するためならば天使と手を組む程度の事は我慢できる――言わば「許容範囲内」なのだろう。
彼が何故そこまで同胞を憎むのか、マリヤには想像もつかない。訊いたとしても恐らく教えてくれないだろう。
「ただ――」
ガレットが足を止める。
「少なくともこの街の何処かにあるのは間違いない。結界は外側からは発動できない仕組みになってる筈だからな」
「でもはっきりとした場所までは分からない……となると、怪しそうな場所を虱潰しに探していくしかないわね。――悪魔を倒しながら」
「ああ、ゴミ掃除の続きだ」
弓と鉤爪が向いた先には、瓦礫の山を掻き分けながら蠢き、闇空から舞い降りる複数の影。天使の存在を嗅ぎつけたのか、あるいは戦いの予兆を感じ取ってか――悪魔たちがこの場に集まりつつあった。
「何だか静かになってると思ったら……随分酷い有様じゃないのさ」
闇と静寂に支配された歓楽街の大通り。
動きづらいドレスから黒のチューブトップとレザーパンツに着替え、ニーハイブーツの靴音を鳴らしながら現れた
歓楽街を彩っていたバーにレストラン、ホテル、ブランドショップ……何処も彼処も荒れ放題で、無傷の建物は一軒も無い。
罅割れた道路一面に広がる固まりかけの血の海には食い散らかされた人間の死体――だけでなく、焼かれ切り裂かれた悪魔の死体が無数に浮かび、芳醇で濃密な死の匂いを辺りに撒き散らしていた。
そしてそんな中でもはっきりと分かる、鼻を突くオゾン臭。それを生み出したのが誰なのかは考えるまでも無かった。
(雷天使め、生きてたわけね)
――もっとも、低級悪魔が群がった程度で殺せるようなら初めから苦労は無いが。
足下に転がっていた白
悪魔に痛痒を与えうる人間、いわゆる
そして、当の戦闘天使の
20年前を思い出す。
あの時、ロゼと3人の
ところが、魔界を牛耳る悪魔王の恐ろしい監視の目から一時でも外れた――そんな解放感に抗えなかった仲間達は、ロゼの制止も聞かず近隣の男達を貪り散らかすという愚行に走った。一夜限りの乱痴気騒ぎにロゼ自身は混ざらなかったため明確ではないものの、精気を吸い尽くされ果てた犠牲者は20人を下らなかったと記憶している。
無論、天界が悪魔の蛮行を見逃す筈は無く、彼女らは一時の愉しみの代償を命で支払う事となった。その天からの裁きを下すために遣わされたのが、件の雷天使ことマリヤだったのだ。
『楽しかったかしら? 人間の命を玩具にするのは』
エムが何かを言った気がする。
ランが反撃を試みた気がする。
イトが逃げようとした気がする。
だが全ては無意味だ。断末魔を雷鳴が掻き消す中、自分だけは命からがら逃げ延びた。
自分達の危うい立場も忘れ、「天使に目を付けられるような真似をするな」という再三の忠告を無視したエム達は心底愚かであり、はっきり言って死んで当然だとすら思う。……だが、その愚かな仲間たちを射抜いた鋭い眼差しと稲妻の閃きは今でも忘れていない。
つい数十分前、20年ぶりにマリヤと対峙した時も本当は恐ろしくて堪らなかったのだ。逃げ出さなかったのも忠誠心からなどではない。天使の雷に焼かれるより、
それにしても、あの天使とよりによって自分達が整えた
ロゼの回想を打ち切ったのは、正面から聞こえて来た重々しい足音と真夏の陽気をも凌ぐ暑気。忘れもしないその温度にロゼはびくりと肩を跳ねさせた。
顔を上げると――そこには炎の塊が居た。正確には、頭から炎の
「
「一体何だこのザマは。人間だけじゃなくて使いっ走り共までくたばっちまってるじゃねぇか」
悪魔王直下の四柱の大悪魔、その一角である魔界火山の覇者・ルブルムは開口一番に土間声で吐き捨てた。自分よりも遥かに小さな
「それが……この街には元々天使が居まして、恐らくそいつの仕業です」
「天使? ――天使だと!?」
一拍の後、言葉の意味を噛み砕いたルブルムが咆哮を上げた。血臭に満ちた空気がビリビリと震動するだけでなく、その憤怒が本物の熱気となって辺りに立ち込める。
「てめぇ、折角俺達がお膳立てして結界まで用意してやったってのに、今の今まで何してやがった? たかだか天使の一匹や二匹ぐらい、儀式の準備の片手間にでも始末しておけただろうが!」
「いやぁ……そう言われましても、あたしのこの街での役目は
「俺に口答えするつもりか、能無しの
言い訳はルブルムの怒りを宥めるどころかますます盛り立てるのみ。
(確か人間はこういう時『火に油を注ぐ』って言うんだっけ……?)
ロゼは頭を下げながらも半ば他人事のように思う。
だが現実逃避もここまでだ。ルブルムの苛立ちに呼応するように一帯の気温はますます上昇し、汗が止まらない。顔を下げたまま周りを見渡してみれば、血の海が完全に蒸発しきったばかりか街路樹までが火を噴き始めた。これ以上は悪魔であるロゼも危険だ。
それでも何とか弁明の言葉を紡ごうとすると、
「そこまでにしなさいルブルム」
別の涼やかな声が場の空気を文字通り変えた。
ビルの間から現れた声の主は、膨らんだ胸とくびれた腰を有する女体の上半身に、刃のような鋭い鰭を何枚も伸ばす細長い魚の尾を持っていた。冬の氷を思わせる青白い鱗で全身を覆った、どこまでもルブルムとは対照的な存在。
脚など無いにも拘わらずその悪魔は尻尾の力だけで地面を這いずり、跳ねて、大通りにその姿を現す。
「アズーリャ様」
自身の名を呼ぶ
「暑苦しく喚く前に少しは思慮を学ぶべきね。実際、その
「何だアズーリャ。てめぇまで俺のやる事にケチをつけるのか」
「まあ文句というか……指摘ね。だって――人間を誑し込むだけが能の
何の温度も無いその言葉に嘲笑の色は無い。ただ単に事実を確認しているだけだった。
しかしその冷たさはルブルムの激情を落ち着かせるに足りたらしい。彼は太い指で顎を撫でながら小さく頷いた。
「……ふん。確かにてめぇの言う通りだな。たかが
「でしょう? ――とはいえ、天使が生き延びているならそれはそれで都合が良いわ……私が直々に凍らせて砕き殺してやるもの」
「相変わらず天使が絡むとそればかりだな、てめぇは」
二体の大悪魔から向けられる露骨な侮蔑に対し、ロゼは何の感情も湧かなかった。
今更だ。暴力が支配する魔界において
人間――特に男を篭絡し、己の言いなりにする幻惑術は全ての
これまでは人間を巻き添えに出来ない天使相手に小狡く立ち回ってきたが、他の悪魔が人間を狩り殺して回っているこの状況で、一体どこまで役に立つ事か。少なくともマリヤは守るべき人間が居ないとなれば、今度こそ一切の迷いも躊躇も無く雷撃を見舞って来る事だろう。
「とにかく、
「はい」
「ゴミはゴミなりに使い出があるって所を見せてみろ。てめぇ如きを焼き捨てる手間を俺に掛けさせるんじゃねぇぞ。分かったな?」
「……はい」
腰の両脇に置いた掌に爪が食い込む。
どちらにせよ、自分に選択肢などない――命惜しさに悪魔王にひれ伏した、あの時から。