逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
子ども囲碁大会当日の朝。
あかりの母が運転する車でヒカルとあかりの二人を日本棋院会館まで送ってもらう予定になっており、ヒカルはあかりの家に向かっていた。
ショルダーバッグを肩にかけ、ヒカルが自宅の玄関を出て、すぐ近くのあかりの家に向かおうとすると、道中で見知った人とすれ違った。
「あれ? ゆかりさん」
「おー、ヒカルくんじゃん。おっはー」
あかりの姉である藤崎ゆかりだ。
最近はヒカルの家でネット碁や棋譜検討をすることが多く、あかりの家にヒカルが向かう頻度は減っていたが、去年まではそこそこの頻度であかり宅にお邪魔しており、その時に何度も顔を合わせた。
囲碁のルールも覚えており、ゆかりの気が向いた時には指導碁を打った経験もある見知った相手だが……こんな朝早くに出会うとは珍しい。
しかも、見れば明らかに着飾っている。あかりと同じ長い黒髪も、櫛を通して綺麗に結われていた。
そもそも藤崎家はそれなりに裕福な家庭で、あかりの私服もいつも可愛いものを両親が選んで着飾らせている。それに感謝と眼福を覚えるヒカルだが、今日のゆかりは間違いなく気合を入れておめかししていた。
「今日はいつも以上に綺麗っすね。デートだったり?」
「あらやだマセちゃって。でもありがと、そんな感じー。部活の後輩と遊びに行くんだー。ヒカルくんはあかりと囲碁大会だよね?」
「うん」
「今日もあかりのことよろしくねー。それじゃ」
精神年齢が二十四歳を数えるほどになったヒカルは、お世辞の一つくらいを言える礼儀はわきまえていた。
ゆかりも雑にそれに応じて、しかし長話するつもりもお互いに無く、それじゃ、とゆかりは駅の方に歩いて行き、ヒカルはそれを見送った。
(……あかりほどじゃねぇけど、ゆかりさんも綺麗だよな)
『ええ。今世では間違いなく美人と表現される容姿ですね』
(あんな人とデートできるなんて幸せなヤツがいたもんだな)
『おや。羨ましいのですかヒカル? ヒカルにはあかりちゃんがいるでしょうに!』
(羨ましいとかじゃねーよ、相手が気になっただけ)
ゆかりのデート相手に嫉妬ではない羨望を感じつつも、今日の目的はあかりの大会制覇を見守る事。
佇まいを戻して、改めてあかりの家のチャイムを鳴らすヒカルであった。
※ ※ ※
「わー……すごい、人がいっぱいだね!」
「え、こんな人数でやる大会だったの? お母さん聞いてないわよ?」
「おばさん、これ一応全国大会です。日本中から集まってるんですよ……と言っても予選とかはないけどね。子供で大会出るほどの囲碁好きなんて中々いないし。腕自慢が集まってきてるって感じかな」
「そうなのね? 囲碁の事は本当に分からないから、今日は色々教えてくれると助かるわ、ヒカルくん」
「任せて。あかりは受付済ませてきなよ」
「うん! 頑張ってくるね!」
会場に到着し、早速あかりが小学生の部に参加受付をする。
会場にはずらりと机に碁盤と椅子が並び、これから真剣勝負が始まる事を思わせる熱気が他の多くの参加者から発せられていた。
参加する子達の中には、やはり緊張の色が見られる子も多い。
しかし碁会所巡りで勝負度胸を養っていたあかりはそこまで緊張することなく、大会に参加するわくわくした気持ちをもって臨むことが出来ていた。
早速大会が始まった。
トーナメント参加者の名前に見覚えのある名前が無いことをヒカルは確認し、あかりの優勝を確信しながらも、あかりだけではなく会場内の様々な手筋を踏む若き棋士たちの碁石の並びに目を輝かせていた。
「……こうやって改めて打ってるのを見ても、どっちが勝ってるのか全然わからないわねぇ。ヒカルくん、あかりは調子良さそう? 勝てそう?」
「うん、どうやっても負けはないよ。大丈夫だっておばさん、あかりが優勝だよ」
「……もしかしてあかりってすごく強いの?」
「うん。プロ並み」
「……ヒカルくんはあかりに教えてくれてるのよね? ヒカルくんってもっと強いの?」
「秘密」
保護者としてついてきてくれているあかりの母にも簡単にルールを教えてから、会場内を勝負の邪魔にならないようにあかりの母と一旦別れて散策するヒカル。
ワンデートーナメントのため、決勝以外お互いの持ち時間は少ないが、そんな中でもあかりがあかりらしい、相手の手を最大限まで引き出しながらそれに応じるいつもの棋風を遺憾なく発揮しているのを見て微笑ましく笑うヒカル。
そのまま、他にも面白い碁を打ってる所はないかな、と会場内を歩いて探していると……なんと、想定外の人と、想定外の状況で出会った。
「……ッ!?」
筒井を見つけたのだ。
かつてお世話になった大先輩の、若干記憶の顔よりも背も小さく若い姿を会場に見つけたのだ。
大会中であるという事をしっかり認識した精神年齢も重ねているヒカルだからこそ、対局の邪魔になるような大声は出さなかった。
しかし、それでも思わず息を呑み、咳き込みそうになるのを堪えるほどの衝撃だった。
(佐為! 筒井さんだ! 筒井さんがいる、あそこ! しかも私服だぜ、スゲー! めっちゃレア!!)
『本当ですね! 懐かしい御顔です……おや? ヒカル、隣にいるのはあかりちゃんのお姉さんではないですか?』
(え? ……えっ!? マジだ!! なんで!?)
ヒカルの脳内は混乱の渦に叩き込まれた。
あかりの姉、ゆかりと筒井が並び立って囲碁を観戦している。
そんな余りにも予想外の組み合わせに完全に思考がフリーズした。
どうやらゆかりのほうもヒカルに気付いたようだ。
ヒカルの明るい前髪はそれはもう目立つ。まだ小学五年生で、平均身長よりも低めのヒカルであっても、ゆかりがその姿を見つけるのは容易だった。
ひらひらと手を振ってゆかりがヒカルに挨拶して、ヒカルもそこで我に返ってゆかりに話を聞きに行く。
もちろん、対局者に迷惑にならないようお互いに極力小声である。
「……ゆかりさん、なんでここにいるの? しかもつ……あー……えっと、彼氏さん?」
『筒井さんの名前を言いかけましたね今ヒカル?』
「やほー。なーに、実は後輩に誘われてねー。この子、ヒカルくんに負けないくらい囲碁バカでさ。たまに放課後一局付き合ってたんだけど、こないだデートに誘ってくれたもんだから妹の応援ついでにこうして付き合ってやってんの」
(筒井さんが!? ゆかりさんを!? デートに誘って!? 日本棋院会館に!?!?)
『ちょっと面白すぎますねこの状況! 何がどうなってこんなことになったのでしょうか!? 筒井さん!? まさかぷれいぼーいだったのですか!?』
「ほら筒井くん、自己紹介。この子ウチの妹の彼氏でねー、囲碁でサイキョーなんだよ」
「は、はい! つ、筒井って言います! その、藤崎先輩から進藤くんのお噂はかねがね!」
「あ、はい、どうも、進藤です……ええ……? ゆかりさんと筒井さんが……ええ……???」
ゆかりから話を聞いてさらに脳内にクエスチョンマークが増殖するヒカル。
筒井さんに女っ気など前の世界では欠片も見当たらなかった。文字通りの囲碁バカで、囲碁を愛する心は本当に尊敬する立派な先輩だったのに。
そんな先輩が俺の彼女の姉の後輩でデートに誘って棋院に来てて……????
と、相変らず混乱が抜けきれないヒカルを見て、この子でも人見知りするんだなーなんてズレた感想を持つゆかりだったが、一つここで妙案を思いついた。
それは前々より懸念していた、筒井の囲碁の腕前についてだ。
「ねぇヒカルくん。ヒカルくんってさ、囲碁を教えるの上手だよね?」
「へ? あ、まぁ、そりゃあかりにも教えてるし……下手って事は無いけど……」
「だよね。よかったらこっちの筒井くんにも囲碁を教えてやれない? この子へたっぴなんだよー、私より弱いの」
「え、教えてもらえるんですか!?」
「あー……」
そんな提案を受けて、ヒカルは筒井の棋力を思い出していた。
本当に真摯に詰碁集を紐解く人で、前の世界では自分も何度も対局を重ねた先輩なのだが、実力の伸びは残念というほかなかったのだ。
愛に比例して棋力が伸びるわけではない。その現実を知ったのも筒井という偉大なる先輩のお陰であった。
だがゆかりからの提案、ヒカルは面白い事になったと感じていた。
筒井は確かに囲碁に真面目に向き合っていたが、本格的にプロの指導を受けたりなんてことは一切ない。完全に独学で我流だったのだ。
囲碁教室などは通ったかもしれないが、彼の訓練の質がよかったかと言われたら否だっただろう。
しかしこの世界では自分がいる。佐為がいる。あかりがいる。
もしも自分たちが入学するより前に筒井の棋力を高めることが出来たら、人数さえ揃えれば大会の団体戦でもいい成績を残せるのではないか……と。
人員集めには尽力を誓っていたヒカルとしては、事前の策として筒井の棋力上昇に貢献することは願ったりな話であった。
「いいですよ、教えるのは全く問題ないです」
「ほ、ホントに!? 有難う進藤くん!」
「よかったねー。……でもどうやって教えようね?」
「そこなんですよね。土日はオレもあかりもちょっと真剣に碁の勉強したいところあるし、平日の放課後って言っても葉瀬中にオレたちが行くのも変だし……」
「そだよねー……うーん、よし。筒井くん、ウチに放課後に遊びに来たまえ」
「ええ!? ボクが、藤崎先輩の家に!?」
(ゆ、ゆかりさんから誘う!? むしろ乗り気なのゆかりさんの方か!?)
『筒井さん、年上の女の子から見たら庇護欲を掻き立てられるのかもしれませんね。子犬系とでもいいますか』
しかし教えるにしても、葉瀬中に今のヒカルたちが行くわけにはいかないし、葉瀬小に筒井が来てもおかしいし……とヒカルが悩んだところで、ゆかりからまさかの提案が続く。
あれこれもしかしてゆかりさんマジで筒井先輩狙ってる!? と内心で更なる衝撃に襲われるヒカル。まさか囲碁大会でこんな方向での精神的ダメージが待っているとは思っていなかった。
「うちに来ればヒカルくんもあかりもいるし、たまにお菓子も出てくるし。悪い環境ではないと思うけど」
「そのお菓子はあかりが作ったものでは?」
「黙らっしゃい。ヒカルくんも貰ってる側でしょ。……そんな感じでさ。勿論だけど、毎日とかは駄目だよ? あかりもヒカルくんもプロ真剣に目指してるしね、その邪魔はお姉ちゃんがさせません。でもま、月に一回くらいそういう講習会みたいな感じで息抜きがてら筒井くんに教えるくらいなら……どうかな? ヒカルくん」
「いいですよ! オレも筒井さんに教えるの楽しみです!」
『ふふ。前の時とは筒井さんと立場が逆になりましたね、ヒカル』
「わぁぁ……有難う御座います藤崎先輩! ヒカルくんも!」
とはいえそこにヒカルも反対はない。
筒井さんならあかりにちょっかいを出すはずもないし、むしろゆかりさんに狙われてる筒井さんの反応見るのも楽しそうだしと、これからの指導碁に期待してワクワクが膨らむヒカル。
ゆかりもヒカルにOKを貰い、嬉しそうにしている筒井の顔に満足を覚えて、約束を取り付け終えた。
「……ん。そろそろ四回戦も終わりそうな時間だねー、お昼だ。筒井くん、ごはん食べに行こーか」
「あ、はい! ぜひ奢らせてください藤崎先輩! 今日来てくれたお礼と指導碁の約束をしてくれたお礼をしたいです!!」
「殊勝だねー。でもダメー。後輩に奢らせる程安い女ではないのです。それじゃーヒカルくんもまたね。母さんには私が来てること秘密にしといてー。あかりの応援もよろしくねー」
「アッハイ。ゆかりさんも筒井さんもまたね」
『筒井さんが子犬のようにあかりちゃんのお姉さんについていきましたねぇ……』
その後、お昼も近づいてきたところで筒井を連れてゆかりは会場を後にしていった。
ヒカルはその後ろ姿に何とも言えない謎の感情を抱えつつも、勝ち上がったあかりとその母が準備したお弁当を食べに行くために、合流しに行くのであった。