逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
緒方精次は、日本棋院会館の喫煙室で一服しながら、ここに勤める顔見知りの職員と共に世間話をしていた。
子ども囲碁大会の運営で棋院に来ており、午前中のみの業務予定であったため、午後から別の指導碁のイベントに移動するまでの休憩時間で一服していたのだ。
「いやぁ、参りますよ。大会当日で忙しいってのに、今日も外国から例の電話がありましたからね。それも午前中だけで四件!」
「ご苦労様です。やはり減りませんか、例の電話は」
「ええ、日本囲碁協会のホームページにも注意喚起の文書を掲載したというのに。海外からの連絡ばかりですからね、ホームページの電話番号だけ見て注意書きを読んでいないのでしょう。英語と中国語と韓国語でも記載してみましょうかねぇ」
「意外と効果的かもしれませんよ。国は違えど、囲碁を心から愛する者に心底の悪人はいませんからね」
「悪気がないのがむしろ困る点なんですがねぇ……」
話題はここ数カ月、棋院が頭を悩ませている迷惑電話だ。
内容は全てほぼ同じ。電話をかけてくる側に悪気がないため通報などが出来ず、しかし職員の業務時間が削られるのは事実なので、困り果てていた。
その内容は────
「──『
「ホントに全く! ネット碁で多少打てるというだけでこんなに血眼になるものなんですかねぇ? 緒方プロはどう思います?」
「勿論、迷惑電話で棋院を困らせるのは論外です。……だが、電話する者の気持ちがまったく分からない、とは言えません」
「おや? というと、緒方プロもネット碁を御存じなのですか?」
「多少嗜みます。私ももしその三人のうちの誰かと打てるのであれば、ぜひ打ってみたいとは思っていますよ」
「ハハハ、プロですなぁ……もし打つ機会があれば言ってやってくださいよ、早く名乗って棋院への迷惑電話を減らせ! って」
「考えておきましょう」
緒方は肩を竦めて所感を零し、一服を終えて業務に戻る職員を見送ってから、さらに自分はもう一本煙草を取り出して紫煙をくゆらせた。
そして先程の世間話の内容……現在ネット碁を騒がせている神と悪魔と天使、saiとh-i-bとlightについて考えを巡らせる。
(1月ごろからネットに現れた三人……何度か棋譜を見たが、異常な棋力だ。特にsaiの練達さは長久の歳月さえ思わせる。h-i-bもどこか新機軸の未来を感じさせる凄まじい鋭さを持つ。まだ底は見えていないが、俺でも勝てるか……いや、塔矢名人でももしかすると……)
先程職員の前では零さなかったが、緒方もまたネットに現れる三人の亡霊に取り憑かれていた。
三人が同時にログインすることはなく、誰か一人しかネットにはいない。それがまた噂を盛り上げている。
プロ集団説、AI説、日本がネット碁の地位向上の為に裏でプロを雇ってる説……様々な憶測がネット上で飛び交い、世界の囲碁界隈を騒がせていた。
(俺もログインしている三人を見つけて対局申し込みをしたことは何度もあるが、何故か一度も受諾されん。おのれ……一柳プロはsaiと打ったと自慢してやがったのに……)
そして生憎、緒方はそれら三名との対局が出来ていない。
強者との一局を求める傾向にあるsaiとh-i-bならばプロである自分とは打ちたがるはずだ。名前もogataとプロを知るものならばピンとくるであろう名前にしてあるのに常に対局申請は却下される。
それがまた緒方の気に障る。いつかはネット碁でも、もし正体が分かれば現実でも対局して勝ちをもぎ取らねば緒方の気は済まないだろう。
(しかし、その二人に対してlightは不思議な人気が生まれているな。確かにlightも圧倒的な実力の持ち主だが、彼が打つ全ての対局においてお互いに妙手が連発している。誰が戦っても打ちやすい相手、という事なのかもしれない)
さてしかし、名の上がった三人のうち、lightはsaiやh-i-bに比べて謎の人気がある。
一度対局した相手が、何故か、再度の対局を強く懇願するのだ。
そのため、lightがログインするとsaiやh-i-bの比ではないほどの対局申請に見舞われる。そこからランダムで選んで対局している様だが、観戦するとどちらも実によい勝負をしているのだ。
lightの打ち筋は指導碁ではない。プロの目から見ればそれは明らかだ。指導碁特有の、自分の好手を潰してでも相手に有利になる様な一手は全く見当たらない。
独自の打ち回しと言おうか、お互いの全力を吐き出して見事な盤面を作り上げるのだ。
lightの相手が強ければ強いほど最後の盤面は見事な仕上がりになる。
しかしその分、相手に合わせて打ち筋を変えるような棋風のlightは、棋譜を見ても打ち筋に一貫性がなく、一般的なプロやsai、h-i-bと比較すると棋譜から打ち手を推察するのが容易ではなかった。
その不思議な打ち方と相手を導く様な碁で、lightは謎の男性人気を得ており、囲碁関係のネット掲示板を見れば、何故か可愛い天使のようなキャラに擬人化をされたりしていた。
場末の掲示板は緒方の趣味ではないので、そちらは本当に噂話程度しか知らないが。
(相手に合わせて打ち筋を柔軟に変え、その上で僅差で凌いで勝つというのも凄まじい実力が無ければできない技だ。どんなヤツが打っているんだ……)
緒方が打ちたいのはsaiとh-i-bだが、lightもまた興味の対象。
ログインのタイミングは隠せない。lightとsai、h-i-bは間違いなく繋がりがある。
(誰か一人でも手掛かりを得られれば、そこから芋づる式に残る二人も見つけ、全員俺と対局させて…………ふっ、何を熱くなってるんだ俺は。手がかりも何もない、どこにいるか知れないヤツがすぐに見つかるはずもない。それよりも来月のタイトル戦に集中しなければな……そろそろ午後のイベントか。移動しよう)
多少熱く考え込んだ緒方だが、煙草を吸い終えたタイミングで冷静さを取り戻す。
世界の誰もが何の手掛かりも得られていない霞のような相手が、すぐに目の前に出てくるなんて甘い話があるはずもない。
まずはネットで一度打ってみて、将来さらに話が大きくなってきたところで噂を精査すればいい。
そう思考に見切りをつけて、吸い殻を灰皿に捨て、次の仕事先の会場へと移動していった。
今この棋院会館に、saiもh-i-bもlightも勢揃いしているなどとは当然にして想像できるはずもなかった。
※ ※ ※
『全国こども囲碁大会、小学生の部……優勝は、藤崎あかりさんです。おめでとうございます』
「ありがとうございます!」
『こちら、表彰状とトロフィーです』
「はい!」
ヒカルは、見事に大会優勝を果たしたあかりが、壇上でトロフィーを受けとるのを誇らしげに胸を張って眺めていた。
最初の試合から最後の試合まで、あかりらしい名勝負ばかりだった。
あかりと戦った相手も、負けてしまってはいたが、実力を遺憾なく発揮して自分でも驚くほどうまく打てた手もあったのだろう。
決勝の相手などは悔し涙も流していたが、こんなにいい手を打てて負けたなら破れて悔いなし、と言わんばかりのスッキリとした表情であかりの勝利を褒めたたえていた。
(オレや佐為じゃこうはならねぇよなぁ。上手く指導碁にするっつっても絶対どこかで負けん気が出て相手の手を潰しちゃうし)
『そうですね、本当にあの押し引きの妙はあかりちゃん独特の棋風です。いつか指導する立場になったらあかりちゃんは人気になるでしょうね』
ヒカルはかつての世界で自分が打った指導碁などを思い出して、あかりの異様な棋風が生む副次効果の凄さに内心で驚嘆していた。
お互いにこれしかない、と思えるくらいシビれる一手の応酬を果たした試合は、お互いの棋力をぐんと成長させる。
印象深くヒカルと佐為が覚えているものとしては、院生時代に打った洪秀英との一局だろうか。
和谷と伊角と共に碁会所巡りをしていた最中に出会った韓国の研修生、秀英がヒカルを挑発し、それに応じて始まった勝負。
ヒカルが絶好の一手を放ち、秀英もまた負けじと妙手を返し、結果はヒカルが勝利したがあの一局をきっかけにヒカルも秀英も相当棋力を伸ばした。
あれに近い経験を、あかりと真剣に対局した相手は感じているのだろう。
対局相手の棋力を伸ばす囲碁。
あかりが求める広大な宇宙を創るために指す一手は、他にはない異様な輝きを放ち始めていた。
「おかーさーん! 見て見て、優勝トロフィー!」
「おめでとうあかり! 今夜はごちそうね! そうだ、よかったらヒカルくんも夕飯一緒に食べない? 今日は色々お世話になっちゃったからそのお礼に、どうかしら?」
「いいの? ありがとうおばさん! それじゃごちそうになります!」
「優勝できたのはヒカルのおかげだもん! 私もお料理手伝うからね!」
「ま、この子ったら。あなたの祝勝会なのに手伝ったら意味がないでしょう?」
「いいの! お料理するの好きだもん!」
優勝トロフィーをもって報告に来たあかりに、母もそれはもう喜んで祝福した。
強いとは聞いていたが、まさか優勝してしまうほどあかりが強いとは知らなかったのだ。
ド素人で、今日ようやくヒカルに教わってルールのさわりを覚えた程度の母の目から見ても、決勝戦であかりと相手の子が描いた盤面は綺麗だった。
真剣な表情で打つあかりの指先が光っているように見えたのは親バカが過ぎるだろうか。
そんな喜びのテンションで、これまでも色々あかりに教えてもらって、今日は慣れない自分にも教えてくれたヒカルも夕飯に誘い、奮発して豪勢な食卓にしようと心に誓っていた。
「それじゃそろそろ帰りましょうか。あんまり遅くなっても渋滞に巻き込まれちゃうし」
「そうね、この時間ならスーパーで買い物していっても十分間に合うでしょうし。ヒカルくんにはちょっとつき合わせちゃうけれど、帰りに寄って行っていい?」
「いやいやそんな、全然問題ないです! ご馳走になるんだからむしろ荷物持ちとかいくらでもするから!」
「あら、ありがとね。いい子ねぇヒカルくんは。…………(あかり、頑張るのよ)」
「(ちょ、ちょっとお母さん……!? が、頑張るけど! ヒカルの前で耳打ちしないでよぉ!?)」
『あかりちゃんの近くにいたから聞こえちゃった。ヒカルは果報者ですね』
さて、しかし棋院会館で長話すると何に巻き込まれるか分かったものではない。
あかりの打ち筋からlightと見抜くプロが出てきてもおかしくない。
とはいえ、あかりの棋風は相手が強くなって初めて色濃く盤面に現れるものだ。
ヒカルが見ても今日の大会程度ではあかりの底は見せてないのでバレないとは思うが、早くお暇するに越したことはなかった。
さりげなく促して、あかりとあかりの母と共に棋院会館をあとにするヒカル。
なお、午前中に会ったゆかりと筒井はあかりが優勝するまでひそかに会場で見ていたが、優勝が決まった瞬間にヒカルにだけ手を振って帰っていた。
先にあかりの家に帰っているだろう。夕飯の場で『実は現地で見てたよ』って明かす予定らしい。仲の良い姉妹である。
(ま、これであかりのプロへの道も一歩前進、だな。あとは来年、六年生になったら院生試験だ)
『楽しみですね、あかりちゃんが院生に触れてどんな道を歩むのか』
将来に想いを馳せて、ヒカルと佐為はますますあかりの指導に尽力しようと誓うのだった。
以下、コメント欄で生まれた閑話として緒方が一柳棋聖に自慢された一幕。
※ ※ ※
いやー聞いてよ緒方プロ! このあいだオレとうとうsaiと打ったんだよsai!! 知らない? 知ってる? そっか緒方プロもやるんだねぇネット碁! じゃあsaiとも打ちたいよなぁ! 打った? まだ打ってない? そぉ~。いやー強かったね! ありゃなんだい、神様か悪魔だな! 見せたかったよ~対局の様子を! えっ見たって? 何? 棋譜がネットにあるの? へぇそう! じゃあ見ただろsaiの見事な三十四手目! 中盤でねぇ、完全に活路だ! と思ってオレが切り込んだらあんなに鮮やかに切り返してきたんだよ、しかもアレ長考してないんだよ? すぐにだよ! ポンってさ、目ん玉飛び出るかと思ったよオレ! そっから完全に地が切られてさぁ、あの強さはホントにヤバいよねぇ、塔矢名人だって不覚を取るかもしれないよ? いやぁ~何者なんだろうねぇ。オレもさ、正体は気になっちゃうわけよ。だから対局が終わった後にチャットでこう言ってやったの、「アナタハダレダ、マタウテナイカ」ってさ! そしたらだよ、普段はチャットしないって言われてるsaiがさ、「マタ」って二文字だけ返してきたんだよ! いやぁ~粋だよねぇ~、なんかもうオレさ、その二文字を見ただけで嬉しくなっちゃってさ! 他の誰もチャットに返事なんて来ないのに、オレにだけ、「マタ」だよ? 実力がわかったんだろうねぇ~。あれ以来もうsaiのファンだよファン! 若い子がアイドルおっかけるみたいにさ、saiのファンになっちゃった! あんなに新鮮な気持ちで碁を打てるってこと中々ないしさ、やっぱりsaiも、ハイブもライトもだけど、見てて勉強になる所いっぱいあるよねぇ! いやぁ~また打ちたいなぁ、名前は覚えてもらったし次はハイブと打てるチャンスがあればなぁって思ってるのよ。ライトちゃんは中々人気が高いから対局申請しても受けてもらえないもんねぇ。緒方プロもロビーで三人の名前見つけたらとにかく何度もお願いしてみる事だよ! あとは日頃の行いが良ければ受けてもらえるって! あっ、緒方プロが日頃の行いが悪いわけないか! じゃあ嫌われてたりしてな! あはは、ウソウソ冗談冗談! ……でもマジで、アレが表に出てきた日にはどうなっちゃうんだろうねって思うよオレも。うん、囲碁界は震撼するだろうねぇ。でもさ、そういうのを座して待つのがオレみたいなタイトルホルダーなワケよ。saiたちが表に出てくるのかは知らないけど、もしその日が来たらオレ、タイトルの座で待ってたいよね。なんか活まで入れられたよ……ははは!! まぁでもネット碁はネット碁、プロの試合はプロの試合だからな! 次またどこかで勝負することがあればよろしくね! あ、そういえば塔矢名人の息子さんって何歳だっけ? 小6? あ、まだ小5なんだ? 強いって噂だよねぇ~…………
みたいな。
緒方さんプルプル震えてそう。