逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
ヒカルとあかりが六年生を間もなく迎えるころ。
碁の指導のため、あかりの家にヒカルは来ていた。
しかし、いる部屋がいつもと違う。
いつもは当然あかりの部屋で打つわけだが、今日は別の目的があって藤崎家に来ていたからだ。
「へえ……ゆかりさんの部屋って初めて入ったけど、あかりと一緒で綺麗にしてんだな」
「ヒカル? お姉ちゃんの部屋の中あんまりじろじろ見ないようにね? お姉ちゃんにヒカルが変なとこ探らないように見張っといて、ってキツく言われてるんだから」
「しないって。ゆかりさんオレの事どんな目で見てんだよ」
「信頼してくれてると思うけど、それとこれとは話が別でしょ。私はお茶準備してくるから、ヒカルは座って待っててね」
「はいよ」
今日お邪魔したのはあかりの姉である藤崎ゆかりの部屋だ。
精神年齢が大人なヒカルであっても、流石に以前の世界では一回も入ったことのないあかりの姉の部屋に入るのは多少の緊張と精神的負担が伴う。
努めてそれを表に出さないように気をつけつつ、ヒカルは今日これから指導碁を打つ相手が来るのを楽しみにしていた。
そう、今日は以前に囲碁大会の会場で約束していた、筒井に指導碁をする日なのだ。
相変わらずゆかりと筒井の謎の関係は理解できないヒカルであったが、それはそれとして筒井さんを鍛えるチャンス。
めいっぱい指導碁をして、打ち筋なども上手く導けるようにと気合を入れていた。
お茶の準備を終えたあかりとヒカルがゆかりの部屋で待っていると、しばらくして玄関のドアが開く音がした。
「……たっだいまー。さ、上がって上がってー」
『ワン! ワンワン!』
「……うわっ!? 犬っ!?」
「……お姉ちゃん帰ってきたね。ラルフ*1が鳴いたってことは……」
「ああ。筒井さんも一緒だろうな」
「お、お、おじゃまします……あ、進藤くん! と……えっと」
「それウチの妹ね、大会で見た顔でしょ。あかり、挨拶しなー」
「はーい。初めまして、ゆかりの妹のあかりです。いつもお姉ちゃんがお世話になってます」
「つ、筒井です! お世話なんてそんな、ボクのほうが藤崎先輩にはいつもいつもお世話になってまして……! 先日は子ども大会優勝おめでとうございます!!」
「たしかに私がお世話してることの方が多い気がすんねー。ま、崩して崩して。女子の部屋に入ったからって緊張しないでねー」
「それは無理です藤崎先輩……!!」
(何だこの二人お似合いか?)
『完全に手懐けられてますね筒井さん』
ゆかりに連れられて、筒井がやってきたのだ。
見慣れた学ラン姿だが、やはりヒカルの記憶にある筒井よりも背が小さく子供っぽさも強い。
頼れる先輩として後輩の立場で筒井の姿を見ていたからだろうか。
精神が大人になってから見る中学一年生の筒井は、ヒカルと佐為をもってして子犬系、という言葉を連想させた。
「お、ヒカルくんちゃんと碁盤持ってきてくれてんねー、えらいぞー。こないだ折り畳み式の碁盤増えたって言ってたもんねー」
「碁会所で古くなって捨てるヤツ貰えてさ。それじゃゆかりさん、筒井さん。さっそく打ちましょ。2面あるから、まずオレと筒井さんで五子置いて指導碁。あかりはゆかりさんと対局しててくれ」
「うん、わかった。よろしくねお姉ちゃん」
「終わったらそれぞれ検討して、交代して、って感じでとりあえずやってみよう。ゆかりさんも筒井さんもそれでいい?」
「そだねー、早めにやりましょっか。お母さんには事情伝えてるけどお父さん帰ってくるまでに筒井くん帰してやらないと殺されちゃうしね」
「え、え!? 殺されちゃうんですかボク!?」
「なんなら娘さんをボクにくださいーって言ってみる?」
「なっ……なんてこと言うんですか藤崎先輩、冗談でも怒りますよ! もっと自分を大切にしてください!」
「相変らず着眼点ズレてんねー後輩」
「……ヒカル、この先輩面白い」
「気持ちは分かる」
ヒカルはゆかりが完全に筒井をからかって遊んでるんだなと理解して内心で嘆息した。
あかりも筒井の謎の和みオーラを感じて姉に危害を加えない存在であることを確信し、息の合った姉と筒井の掛け合いを見て色々と安心した。
そんな一悶着もあったが、今日は筒井への指導碁が目的である。
早速ヒカルはこの時代の筒井との対局を始めた、のだが。
(…………うん。お世話になった人にこう想うのはマジで胸が痛むけど……相変らずだなぁ)
『本当に真面目でよい子なのですけどね、筒井さん。神はなぜこの子に碁の才能を与えなかったのか……』
弱かった。
自分の記憶の通り、序盤から中盤にかけては手筋がブレブレだ。
本を読む癖は意外にも無くなっており、これはゆかりか加賀のどちらが矯正を果たしたのかと首をかしげたが、しかし本を読まなくなってもまぁ、うん。弱い。
当然のごとく指導碁を打ち、ある程度定石に沿えば答えの一手を得られる所も促しているのだが、正答率は半々と言ったところか。
だが、ヒカルもこうであることは分かっていた。ここからいかに伸ばせるかがプロの指導碁の腕の見せ所であり、筒井の棋力を伸ばすためにどうしてやるのがよいか、真剣に頭を悩ませる。
(……やっぱりココかな、伸ばすなら。筒井さん、ヨセに入ってからはマジでミスらないからな)
『これもまた不思議な才能ですね』
そしてヒカルは、筒井の輝く唯一の才として、終盤のヨセの上手さに着目した。
かつての世界で加賀がそう表現したように、序盤中盤はマヌケな打ち方だが、ヨセに入ってからはミスが一気に減る。凄まじい勢いで捲くり返してくるのだ。
終盤に入るまでに凄まじい勢いで地を失うのだが、終盤に入ってからは地を取り返しに来る。
であれば、終盤までに地を失わないような打ち筋を学べばヨセでの逆転を狙える。
そこを中心に指導していくか……そんなことを考えつつ、筒井との指導碁を終えた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。……指導碁だって分かってても、進藤くんの強さがはっきりとわかったよ。すごいね、進藤くん! こんなヘボが相手してもらっちゃって申し訳ないくらいで……!」
「卑下するのはやめようぜ、筒井さん。筒井さんもヨセはすごく上手だったし、そこをメイン武器としてうまく活用できるような打ち方とか学んでいけばすぐに強くなれる……と、思うよ……多分……約束できないけど……恐らく……!」
「本当!? 嬉しいなぁ、頑張るよ! まさか未来のプロに教えてもらえるなんてなぁ……!」
「あ、うん。はい。オレも頑張ります」
かつての恩人である筒井に妙に神格化されてやりづらさを感じるヒカルだが、検討は真剣に。
序盤中盤のミスを一つ一つ指摘するよりも、全体の流れから相手に攻めさせないような打ち方などを教えていると、隣で打っていたゆかりとあかりの姉妹の対局も終わったようだ。
「うわぁー、やっぱりあかりには五子じゃあ勝てないや。ありがとうごぜーましたぁー」
「ありがとうございました。駄目だよお姉ちゃん、終わった後の挨拶はしっかりしないと」
「はーい。筒井くんのほうも終わった? んじゃ次はあかりが筒井くんと打ってみよっか」
「欠片も検討するつもりがないねお姉ちゃん?」
「まぁまぁ、ゆかりさん囲碁にガッツリってんじゃないし時間も押してるから勘弁してやれよあかり。……じゃ、筒井さん。次はあかりとどうぞ。あかりと指導碁なら置石は四子かな」
「う、うん。それじゃあ、えっと……あかりさん、って呼んでいいかな? 藤崎先輩と呼び方が被っちゃわないように」
「はい、好きに呼んでもらって大丈夫ですよ筒井さん。よろしくおねがいします」
「よろしくおねがいします!」
「……ふゥーん……」
(…………)
『ぷぷっ! あかりちゃんが下の名前で呼ばれててヒカルが機嫌悪くなってる! ぷぷぷ!』
(るせーぞ佐為! ってか俺だけじゃなくてゆかりさんもちょっと顔曇ってんじゃん!)
『あかりちゃんのお姉さんも自分が名前で呼ばれてないの気にしてますねぇ! ぷぷぷ!』
(このクソ平安貴族一度シメてやろうか……)
ヒカルと佐為が脳内で漫才を繰り広げつつも、あかりと筒井の指導碁が始まった。
手持無沙汰になったヒカルはゆかりに対局を申し込むが一日二回は面倒なんでパス、と言われて肩を竦め、二人であかりと筒井の盤面を眺めることになった。
さて、早碁気味に対局が進んでいくが……ヒカルが眺める盤面が、徐々におかしなことになっていた。
(……マジ? あかりの奴、そこまでやるか)
『徹底的にヨセの難易度が上がる形になっていっていますね。筒井さんも珍しく応手を間違えていないのですが、それがより終盤を難しい形にしていって……』
(だな……容赦ねぇな。この形までいったら院生レベル……いや、プロでもヨセをミスる人いるぞ)
あかりが意識して打つ指導碁は、普段の打ち筋をより濃縮したような形になっていた。
はっきり表現してしまえば、相手の実力を深める様な打ち方は、今やヒカルや佐為よりもあかりのほうが上手だ。遠慮なくお互いの地を広げられるような誘いの手をいくつもあかりは打っていた。
しかしその結果、ヨセに入り急激に難易度が上がる盤面が作られた。
針の穴に糸を通すようなそれ。プロでも悩ませるだろうこの形。
「……ねぇヒカるん」
「急にどしたのゆかりさん」
「てきとー。……でさ、素人目なんだけどこの局面めっちゃ筒井くん厳しくない? もうあかりの勝ちじゃない? これ」
「そっすね……普通の人なら投了してもおかしくない盤面だと思う。ただ、完全に死んでるわけじゃない。際どいけど、一手も間違えずヨセ切れば、かなり差を詰められる」
「マジ? ……えっ。無理じゃない?」
「でも筒井さんはまだ投了してないよ」
「……なるほど?」
対局に集中する二人の耳に届かぬよう、無声音でゆかりとヒカルが盤面についてコメントする。
ゆかりの腕ではこの盤面、どうやってもヨセ切らない。筒井が大差で敗北する予想がついていた。
しかしヒカルにはか細い糸が見えている。それを完全に通し切った上で……あかりが僅かでもミスれば、むしろ筒井が勝てるくらいの細い細い筋が見えていた。
筒井の長考。
暫く無言の間が流れ……そして、意を決した筒井が強い意志を籠めて碁盤に次の手を打った。
(……!)
『まず一つ、通した』
それはヒカルの考えていた正着打。
それに応じるあかりは時間をかけずにこちらも正着の一手。
しかし返す刀、筒井は脳細胞をフル回転させて再び正着打。
その後も見事な応酬が繰り返され……筒井は一手たりともヨセを見誤らなかった。
傍目に見ていても分かる、凄まじい捲くりが展開されていた。
「……お。…………お、お。…………おお? …………おおお??」
(ゆかりさんも驚いてるな……オレもだよ、マジで)
『筒井さん、本当にヨセは見誤らないのですね。かつて加賀が彼に一定の評価をしていた理由が分かりました。成程、彼の者の才はここにあった。それを導いたあかりちゃんの才もなんと優雅な事か……』
綺羅星のような宇宙は、とうとう最後の一手まで打ち終えて終局した。
一目差。
20目以上の地の差をあかり相手につけられていた筒井は、あと一目まで押し返した。
「……負けました。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
目算も間違えない才能を持つ筒井は、整地することなく己の敗北を宣言した。
あかりもそれに応じ、終局の挨拶を交わして、改めて盤面を見る。
「……キレイな形になったもんだねー」
「わかる。これはオレも魅入るね。お疲れ様、鮮やかだったよ筒井さん。あかりも。お茶飲むか?」
「うん、ありがとー。筒井さん最後まで真剣に打ってくれたから、すっごい綺麗な宇宙になった! それじゃあ検討を……って、あれ? 筒井さん?」
「…………」
ヒカルは打ち終えたあかりと筒井を労わるため、急須からお茶を淹れる。
あかりもそれを受け取って、ゆかりもお茶を飲み一服するが、しかし筒井の反応がない。
どうしたのだろう、とお茶を飲みながらヒカルとあかりが筒井を見ると、茫然とした様子で筒井が呟いた。
「……自分でも、驚くほど上手く打てたんだ。中盤までも相当堪えられたし、ヨセに入ってからは……ボクが、ボクじゃないみたいだった────」
「おっ、後輩が中二病になったぞ。一年早いなー」
「ゆかりさんの茶化しが鋭すぎてもう言葉のナイフなんよ。ずずー……」
「お姉ちゃん! もう! でも筒井さん、全然伸びる余地いっぱいあるように感じられましたよ。ずず……」
お茶を飲みながら、渾身の対局を終えて放心状態だった筒井が呟くように余韻を味わっている姿を見る。
ゆかりのへそ曲がりなコメントは置いておくとしても、ヒカルもあかりも会心の一局で味わえる成長の実感の気持ちよさを知っているため、茶化すことはせずにその想いを尊重し、浸らせてあげることにした。
二人で仲良くお茶を飲んでいたところで、しかし筒井の続く言葉に。
「────まるで、噂のネットアイドル囲碁天使『light』ちゃんと打ったみたいだ!!」
同時に思いっきりお茶を噴き出した。