逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
「強い相手を探してるんでしょ? いいよ、ボク打つよ」
「え? ……キミが一番強いの?」
「……へっ」
あかりは、にこりと笑いかけてきた同い年くらいの少年が、自分たちを碁会所破りと知って対局を挑んでくるのを見て、驚きの表情を浮かべた。
横にいるヒカルは、自分から言ってくるのかよ、と当時の事を思い出して苦笑を零す。
(なんだ、随分と好戦的じゃんか。このころの塔矢ってこんな感じだったなぁ。刺激に飢えてたんだろうなァ)
『こうして純真な様子を見てしまうと、ここに来るのをギリギリまで躊躇ったのが申し訳なくなりますね。もっと早く塔矢を千尋の谷に叩き落としていれば、前の世界以上に伸びていたかも……』
(ブッソーだなオイ)
佐為と内心で歓談しながらも、しかし目論見通りに話が進むなら事が早くて有難い。
驚くあかりの前に一歩踏み出して、ヒカルは真っすぐアキラの目を見据える。
ちょっと身長負けてる。悔しい。
「ラッキーだったな、噂では聞いてたんだよ。この碁会所には塔矢アキラがいるって話。お前だろ?」
「うん。ボクの事知ってるの?」
「なんかの囲碁雑誌の記事で見た覚えがあってさ。オレ、進藤ヒカル。小学六年生」
「ボクは塔矢アキラ。ボクも六年だよ。そちらは?」
「わ、私は藤崎あかりです! ヒカルと同い年! 塔矢くんって……もしかして、塔矢名人の?」
「うん、塔矢行洋はボクの父。碁会所破りに挑むのに不足はないと思うけど」
「オレらもそうっとう強いぜ? じゃ、奥の方で打とうぜ」
「うん。どうぞこっちへ」
お互いに自己紹介を交わし終えて、中高年が集う表に面した席ではなく、空いている奥の席へ向かう三人。
市川が冷たい麦茶を出して、夏場の渇いた喉をヒカルとあかりが潤してから、碁盤に向かい合うように座る。
対局前の準備を進めつつ、軽く雑談を広げようとするアキラ。
この頃はまだ純真だ。友達作りに邁進していた。
「さっきの話聞こえちゃったけど……藤崎さんは子ども囲碁大会の優勝者なんだって? すごいね!」
「え、えへへ、ありがと。頑張ってヒカルと一緒に囲碁勉強してたから……強い人に褒められるのは嬉しいなぁ」
(…………)
『ヒカルが拗ねてる! すっごい拗ねてる! ぷぷぷ!』
(ブン殴るぞお前)
「進藤くんは藤崎さんとよく碁を打つの? 二人とも誰に教わって囲碁習ったのか聞いてもいい?」
「……あぁ、オレら二人とも、オレのじーちゃんから4年前くらいに教わってな。ハマってからは近所で幼馴染だから、毎日のように二人で特訓してたんよ」
「へぇ……じゃあ、プロの指導とかも受けてないんだ? それで囲碁大会優勝は本当にすごいね、藤崎さん!」
「えへへー! 褒められ慣れてないからそれ以上言わないで塔矢くん、顔真っ赤になっちゃう! それにヒカルのほうが強いんだよ、ホントだよ?」
「ホント? ふぅん……」
(…………決めた。全力で打つわオレ)
『ぷぷぷ! ……って、待ってくださいヒカル!? 塔矢と最初に打つのは私の約束のはずですよ!?』
(気が変わったわ。ここで塔矢潰してもいいよな別にな。よく考えたら塔矢一人いなくなっても神の一手目指せるもんなオレらな。あかりに悪影響になる前に潰すかな)
『ダメですよ私がやります! 塔矢と初めて打ったのはsaiの打ち筋だ、って塔矢行洋に伝える事でsaiの打ち筋に興味を引かせて、塔矢行洋と私を打たせてくれるって話だったじゃないですか!? 塔矢の初めては佐為の方がいいってヒカルも言ってくれていたのに!』
人当たりが良かったころのアキラと、永遠に人当たりがよいあかりが少しの会話で意気投合をし始めるのを、顔には出さずに全力で不機嫌になりながらヒカルが眺めていた。
小学生を4年もやっていると、精神年齢も多少は逆行するようだ。
どっちがアキラと打つのかで脳内で佐為とぎゃーぎゃーしていたが、しかしアキラが碁石入れを手に取ったところで、一瞬でヒカルと佐為の思考は囲碁に染まった。
心を向き合わせた。
「それじゃあ打とうか。えっと……どっちが先に打つ?」
「あかりが先でオレが後。どっちがどう勝ち負けしても対局はその二戦で終わり。それぞれの対局の検討もしたいけど、いいよな?」
「うん、ぜひ! 勉強になる事がいっぱいあると思うし、検討まで真剣にやらせてもらうよ! 流石、二人で研究していたってだけあるんだね!」
「家で毎日のようにやってたんだ! それじゃあニギろ! ニギらせてもらうね」
「うん。……藤崎さんが先番だね」
「だね。それじゃあ塔矢くん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
果たして、碁会所破りの勝負が始まった。
そわそわと少し離れたところでギャラリーをしていた手持無沙汰の中高年たちが、アキラと意外と仲良くやっている様子の二人を見て、なんだ囲碁好きのいい子たちじゃあないか、アキラくんと友達になってくれたらいいな、などと孫を見る祖父のような気持ちで見守っていたところで────空気が、一変した。
アキラの顔つきが、先程までのふんわりとしたそれから変化し、真剣なものになった。
いや、これはアキラの常だ。真剣勝負する時に、プロのような気迫を放つアキラの圧は、流石塔矢名人の子だと思わせる。
しかし、空気が変わった原因はそこだけではない。
アキラに相対するあかりまでもが、アキラに勝るとも劣らない真剣さからくる圧を放ち始めたからだ。
西洋人形のように美しく可愛らしかったあかりの表情が、勝負師のそれに変貌を遂げた。
アキラの圧に怖気づく事無く、意識は全て盤面の宇宙に注がれた。
藤崎あかりの一手目、右上スミ小目が美しい音を立てて盤面に放たれた。
※ ※ ※
(────!!)
塔矢アキラが味わっている感情は、何と表現したらよかったのか。
驚愕と、衝撃と、感動と、敬意と、畏怖と、嫉妬と、羨望と────小学六年生の脳が受け止められる容量を、はるかに超えるこの感情。
強い。掛け値なしに強い。
これまでアキラが打ってきたプロと比較しても……いや、父である塔矢行洋と比較しても見劣りしない圧倒的な己との実力差。
それを、藤崎あかりの手から
指導碁、ではない。
指導碁ではないが、しかし、あかりの打つ手が余りにも深すぎる。
その深さが、まるで深海の中で対局しているかのような錯覚すら伴って、塔矢アキラを襲っていた。
囲碁の思考は潜水に例えられることがある。
先の先の手を読み、相手の思考を読み、その読みの深さをどこまで持てるかが活路を開くカギとなる。
対局者と共に底の見えぬ海に潜り続けていき、より深く潜って行けた者が勝利する。
藤崎あかりが大会優勝の実力を持ち、噂の碁会所破りと分かっていたからこそ初手から一切の油断をせずに深みへ潜り続けた塔矢アキラだが、ここではっきりと
塔矢アキラが囲碁の才能に溢れているからこそ感じ取れてしまった、それ。
藤崎あかりのほうが、己よりも深く潜れている。
己の読みの深さの限界値を、何の躊躇もなく彼女は超えて、さらに先を潜っている。
そして、超えた先で──こちらの手を掴み、
恐怖だ。これは恐怖だ。
歓喜だ。これは覚醒だ。
天使だ。これは化物だ。
自分の打つ手が、自分が想像した以上の好手となって盤面に輝きを生み始める。
藤崎あかりの一手から導かれる自分の最善手を、限界の先まで見極めて打ち込むことで、そこから次の一手が、自分の感覚が、広がっていく様な。
一手ごとに、己が成長していくような。
そんな非日常にもほどがある感覚を、たっぷり一時間、塔矢アキラは味わい続けた。
完璧だ。
塔矢アキラは自分で考えうる限り完璧な手を打ち続け、一秒前の自分よりも強くなる実感を伴い続けながら────最後の一手まで、宇宙を埋め尽くした。
「……ありがとう、ございました────」
「ありがとうございました」
コミを入れて一目半差。
塔矢アキラは、敗北した。
※ ※ ※
「……すごい」
対局を終えて、塔矢アキラは自分と藤崎あかりが描いた盤面の美しさに魅入っていた。
敗北した。それは間違いない。
だが、敗北の悔しさよりも、対局の楽しさの方がアキラの中で上回った。
こんな対局は打ったことがない。自分の棋力が間違いなく伸びたと断言できてしまうような、閃きの数々。
塔矢アキラという囲碁の才能に溢れた者だからこそ、あかりと打った時の伸び幅も大きかった。
「すごかったよ、藤崎さん! 本当に強かった……強かったし、楽しかった!」
「ホント? えへへ、有難う。私もすっごい綺麗な宇宙が描けたから楽しかった!」
「えっ、宇宙?」
「うん。私にとって、碁盤って宇宙なの。打ち終わった後の白と黒の並びが好きなんだ。塔矢くんがいい手ばっかり打って来るから、こっちも負けないぞって思って全力で打って……私も大満足! ね、すごかったよねヒカル!」
「おう、マジですごかったわ。塔矢も流石だな、ここまで打てるなんて」
未知の感覚を味わえたことで興奮するアキラにあかりも笑顔を見せて、この対局が素晴らしい宇宙の広がりになったことに満足感を覚えていた。
ヒカルも、妙にあかりに馴れ馴れしい塔矢に少々イラついた部分はあるが、それにしたってこの一局に貶める様なものは一切ない。見事な一局を打ったアキラに、留飲は下がっていた。
囲碁バカだからこそ、目の前に素晴らしい盤面が広がっていればその美しさを味わえる。
三人は奇妙な一体感を味わいつつも、しかし改めて己の敗北を受け入れて、塔矢アキラがふぅ、と大きく息をついた。
「……なるほど、碁会所破りで無敗なわけだ。こんなに強いなんて……一切の油断なく、夢中で全力で打てたよ。ゴメン、最後の数手は投了するべきだったかもしれないけど、最後まで可能性を諦めきれなかった」
「ん-ん、いいの! 私は最後まで打ってもらえる方が嬉しいから! 個人的な意見だけどね」
「そう。……有難う、藤崎さん。今日の一局、本当に大きな経験になったよ」
塔矢アキラは、返り討ちにするつもりであった自分が結局負けたことに、悔しさよりも尊敬を深めていた。
自分よりも何歩も前に進んでいる、自分と同い年の少女。
この子となら、囲碁の道を歩める。共に歩んでいける。
今はまだ差があるが、今日の一局だけでも自分はまだまだ成長できるとわかった。
すぐに追いついて、神の一手を目指していけたら……などと、将来の妄想にまでアキラが及び始めたところで。
「……さて。次はオレだぜ? もう一局やる体力はまだ残ってるか、塔矢?」
「あ。そうだったね、うん、ゴメン! まだ全然大丈夫! 進藤くんとも、ぜひ!!」
もう一人の天才との対局が残っていた事を、アキラはここでようやく思い出した。