逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
あかりと対局した盤面を崩すことに一抹の寂しさを覚え、脳内の棋譜に全て正確に書き写してから碁盤を整理したアキラは、あかりと交代して席に座ったヒカルと相対していた。
先程の一局に余りにも集中してしまい、もう一人の相手がいたことを失念してしまうほどだったが……しかし、彼もまた相当の棋力を持つのだろう。
なにせあかりが勝負前に言っていた。ヒカルはあかりよりも強いと。
「……ねぇ、進藤くん」
「なんだ?」
「さっき…………いや、何でもない。ごめん、勝負の前に変なコト言って」
「んだよ、らしくねぇな。いいから早く打とうぜ。オレたちはこれから、
「そう……だね。その通りだ。早速始めよう」
それを言葉で確認しようとしたアキラだが、口に出す前にそれを止めた。
余りにも失礼な話だと思ったからだ。
今から勝負するのに、君は藤崎さんよりも本当に強いのか? なんて。相手の実力を信じていないような愚かな口ぶりを零すところだった。
進藤くんの言う通りだ。これから始まる対局で、語り合えばいい。
「……ニギリは12、偶数。進藤くんが黒だね」
「だな。それじゃ────お願いします」
「お願いします」
※ ※ ※
先番を決めて、お互いに頭を下げて対局を始める。
再び勝負に臨むアキラは、先程までの真剣な圧────否、つい先ほど打った対局で著しい成長を遂げ、更なる圧を纏って勝負に臨んだ。
今度こそ、油断の欠片も許されない。
藤崎さんよりも強いという進藤くんが、どのような手を見せるのか。
ボクはどこまで食らいつけるのか。
そんな思いで心を引き締め構えるアキラだが、しかし。
(────ッ!?)
悪寒は唐突に正面から放たれた。
ヒカルから放たれる、あかりの気配とは桁が違う尋常ならざる威圧感。
タイトル最終戦の対局を構える父が背負うそれでようやく並ぶかと思わせるほどの、鋭くこちらを睨んでくるような気配。
それを塔矢アキラは感じ取る事が出来てしまった。
先のあかりとの対局で鋭敏になったアキラの脳が、それを敏感に感じ取らせた。
(なんだ、この空気は──ッ!? 歴戦の古豪のような気迫! そんな、進藤くん、キミは一体……!?)
圧で負ける、というかつてない経験。
父や他のプロと碁を打つ時にも、それは真剣の場ではなかった。指導碁であったり、検討であったり、プロの加減もあっただろう。
しかし今、進藤ヒカルという己よりも強い存在が、本気で自分との対局に臨んでいる。
一切の手加減はされない。
そう断言できるほどの気迫が、進藤ヒカルの表情に籠められていた。
ヒカルが初手を打つ。
右上スミ、小目。
先程あかりが打ったのと同じ場所だ。
それなのに、その黒石がまったく別の輝きを放っているようにアキラには感じられた。
(……っ!!)
獅子に睨まれたアキラは、しかし、それでも己を奮い立たせた。
つい先ほどのあかりとの対局が、彼に勇気を与えていた。
自分の棋力が届くか、届かないか……ではない。
進歩した自分が、その全てをこの盤上に放たなければ、一筋の活路も見い出すことなくこの対局を意味のない物にしてしまうと。
そう確信したからこそ、全身全霊の囲碁を打つ。
クーラーの効いた碁会所にて、アキラは背中にびっしょりと汗をかきながら、渾身の一手をヒカルに繰り出し続ける。
それでも。
(────高い……!!)
届かない。
高みだ。
進藤ヒカルの碁は、高みを感じさせる。
積み上げた年月が、悠久さえも思わせるほどの高みから打たれている。
自分の手を掴んで、引き上げてくれることなどしない。
力量を図るなんてとんでもない。
その高さは、壁などという表現では生ぬるい。
天上の、はるかな高みから────
(────ボクが追い付くのを、待っている?)
一切の容赦なし。
一切の情けなし。
一切の緩手なし。
全てが神の一手にさえ思わせる
突き放すのを躊躇わないヒカルの一手に、『お前ならここまで来るだろ、早く来いよ』とでも言われているかのような。
根拠はない。もはや彼我の実力差は計れない。
それでも、なぜか────ヒカルの表情が、語り掛けてくるのだ。
お前なら一緒に神の一手を目指してくれるよな、と。
そう、言われているような気がした。
※ ※ ※
「………………っ、…………ありません…………」
「……ありがとうございました」
「ありがとうございました…………」
ヒカルが中押しで勝利した。
最後まで打つことを許されず、素人目にもアキラの劣勢は明らかとなり、悩み抜いたアキラが己の活きる道を見つけ出すこと能わず、己の敗北を宣言した。
対局後の挨拶の後の長い沈黙。
アキラは俯いて、対局の結果を脳裏に反芻していた。
艶やかに切りそろえられた黒髪が垂れ下がり、彼の表情を隠していた。
「────」
「…………」
ヒカルはこの光景を、複雑な感情で眺めていた。
こんな塔矢を見るのは二度目だ。
前にも佐為が彼と二度目の対局を迎え、佐為が中押し勝ちしてアキラは思いっきり沈んだ。
囲碁を知らないヒカルであっても、何とか慰めの言葉をかけてやらないと、と思えてしまうくらいに落ち込んだ様子のアキラ。
それと同じような光景が、目の前に広がっている。
(なんて勝ち方したんだよ──なんて、あの時みたいなことは言わねぇけどな。塔矢に失礼になっちまう)
『あかりちゃんとの一局を経験しただけで、私がかつて初めて塔矢と打ったころの強さを超えていました。やはりこの子は、頭を撫でる余裕など与えてくれません。今の私の、全身全霊を打ちました』
内心で実際に対局した佐為と話すが、結果は変わらない。
真剣にアキラが対局に応じてくれたからこそ、佐為もまた真剣に応え、こうなってしまうだろうこともヒカルも分かっていた。
だからきっと前と同じだ。
オレの言葉なんて、今は聞いちゃいないだろう。聞こえないだろう。
そう思い、口を噤むヒカル。
だが。
優しい心根の少女が、そんなアキラを放っておかなかった。
「……すみませーん! 冷えたお茶のお代わり願いしまーすっ! 塔矢くんすっごい集中してて、汗かいちゃってるのでー!!」
「っ」
「おっ!?」
すぐ隣で二人の対局を見守っていたあかりが、市河に向けてお茶のお代わりを要求した。
その声で、周囲で見ていたギャラリーも、受付からじっと見ていた市河も我を取り戻し、慌ててアキラとヒカルとあかりの分のお茶のお代わりを準備する。
それが運ばれてきて、あかりはアキラの分のお茶を手に取り、しゃがみ込んで目線を合わせて声をかけた。
「はい、塔矢くん。すっごい汗かいてるから、まずは水分補給! 室内でも脱水症状になっちゃうって、こないだニュースでやってたよ!」
「あ……うん、ありがとう、藤崎さん……」
「あかりお前、オレ以外にも面倒見がいいんだな……って塔矢お前マジですげー汗かいたな!? 市河さん、おしぼりもお願い!」
空気をあえてぶち壊しにかかったあかりの手により、アキラも我を取り戻した。
手渡された麦茶を口に含めば、カラカラに乾いていた口内と喉の存在にここでようやく思い至り、息をつきながらも麦茶を飲み干すアキラ。
顔を上げ、おしぼりを市河から受け取って顔も拭い、ようやく人心地がついた。
ヒカルもあかりもお茶を飲み、ふぅー、と腹の中から冷たい吐息を零し、さらなるお代わりが市河から提供されて水分補給をして……やっと落ち着いた空気が生まれた。
「……進藤くん、藤崎さん」
「おう」
「うん」
そして、改めて己が敗北を宣言した盤面を眺めながら、アキラが二人の名を呼んだ。