逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
塔矢行洋は表情を引き締めた。
気を緩めれば──微笑と、それ以上に冷や汗が流れ出てしまいそうだったからだ。
眼下の碁盤。
己が息子、塔矢アキラと向かい合い対局するこの盤上にて、己の分の悪さを取り返し切れないほどに苛烈な攻めを息子から受けていた。
「…………」
親子で打つには長すぎる長考の時間を経て、加減の無い渾身の一手を行洋が放つ。
それに動じずに押し返してくる愛息子に、真剣を向けて剣戟を交え合う。
紙一重を重ねに重ねて徐々に形勢を押し戻した塔矢行洋は、とうとう息子に親の意地を見せつけることに成功した。
「……ありません」
「有難うございました」
「ありがとう、ございました……!!」
終局までのヨミを超えて、アキラが投了し、行洋が勝利した。
僅かな差だった。
僅かな差……置石があったとはいえ、僅かな差での勝敗であった。
(つい昨日までは、三子の置石でようやく悪くない碁を打てていたアキラが……たった一晩でこの変わりよう。何があったのだ……)
昨日は確かに、三子を置いていた。
名人である自分に対し、三子を置いて勝負になる実力。それだって同年代の子と比べても突出した才を誇る。
近いうちに、小学校を卒業するまでには置石を減らし、二子に至るだろう。
そうなればプロ試験の受験を薦めるつもりであった。
塔矢の姓に恥じぬ成績でプロ試験を突破できるだろうと……そう、考えていたのに。
息子はたった一日で獅子へと変貌した。
「……アキラ。何があったのか聞かせてほしい」
「はい、父さん」
勝負の熱も徐々に冷め、塔矢行洋の胸の内に続いて広がるのは疑問のみ。
なぜ息子はこうも棋力が高まったのか?
確かに人によっては大きな進化を短期間で果たす者もいるだろう。
しかしアキラの実力は既に囲碁界で見ても上澄みに近い。急激な進化というものは本来望めないほどに読みも極まり始めてきている。
だというのに、文字通り……人が変わったような。
そんな様子を見せる息子に行洋は問いかけて、アキラは行洋の問いに応えるべく正面から顔を見返して……そして、子どもらしい無垢で無邪気な笑顔を見せた。
「────実は、友達が出来たんです」
「友達?」
想定外の表情を浮かべ、想定外の答えを返してきた息子の言葉にぽかんとオウム返しをしてしまう行洋。
友達、とは。
いや、確かにアキラには囲碁界に浸からせたことで中々親しいと言える友人が出来ず、申し訳ない思いもあったのだが、しかしいずれは囲碁界を牽引する才を持つ我が子だ。
強い意志で歩むアキラに心配はいらないと思っていたのだが……しかし、こんなにもよい笑顔で友達が出来た、と言われてしまうと、行洋の胸はきゅっと痛む。心筋梗塞にはまだ早い。
「はい。昨日、囲碁を愛する同い年の友達が、なんと二人も出来たんです」
「ほう……」
「そして────二人とも、ボクよりも圧倒的に強かった」
「……なんだと?」
再び、行洋は己の耳を疑う。
二人も友達が出来た。囲碁愛のある同世代の友人。そこはいい。親としても安心する話だ。
しかし続く言葉は、どうやっても信じられない。
アキラよりも強い小学六年生が、二人もいる……と、いうのか?
「父さんは、ここ最近碁会所で話題になっている、『碁会所破り』の噂はご存知でしょうか」
「ん……ああ、耳にしたことはある。詳しくは無いが」
「その二人が昨日、『囲碁サロン』に現れました。ボクは二人と対局し……完敗しました。そして、友達になりました」
「そうか……」
未だに話を呑み込めない行洋に、アキラは淡々と経過を説明した。
二人が来会し、自分が応じて勝負したこと。
藤崎と名乗る女子は、一目半でアキラに勝利したこと。深さを感じられたこと。
進藤と名乗る男子は、中押しでアキラに勝利したこと。高さを感じられたこと。
二人と打ったことで、自分の棋力が相当に伸びたことを自覚したこと。
それを確かめるために、今日、父さんに二子を置いて打たせてもらったこと。
興奮した様子でそれらを語り、そして。
「……でも、友達にはなれたんですが、二人と囲碁を語り合えるレベルにまだ自分はいなかったんです。それが悔しくて……あの二人と本当の意味で肩を並べられるように、強くなりたいと思いました。ボクは、もっと強くなりたい」
「ふむ……アキラがそこまで言うほどか」
「はい。不躾ながら、ボクの知るプロでも、あの二人に勝てる
「そうか」
そう宣言したアキラに、ようやく行洋も理解が追い付いてきた。
アキラは素直な子だ。嘘を言う子ではない。
話はすべて本当なのだろう。
友達が出来たことは喜ばしく、しかし己の実力が追い付いていないことを悔しく思っている。
実力が足りないことを自覚させるほどに、その二人は強かった。
アキラもプロの棋力を計るくらいの目は持っている。そのアキラをもってして、そこまで言わせる二人の正体とは。
「興味が出てきたな。その二人の実力が知りたい」
「父さん……」
そして、行洋もまた碁に取り憑かれた男ゆえ。
強さを求め続ける男ゆえに、その二人がどれほど打てるのか、知りたくなるのも当然というもの。
アキラもそれは分かっていた。父の内心、抑えられぬ興味の炎を見て、ふと微笑む。
次に父が言いそうな言葉は分かっている。だからアキラは。
「アキラ、二人と打った棋譜をここに並べてみてくれ」
「嫌です」
笑顔のまま、全力で断った。
「……アキラ?」
「なんでしょうか、父さん」
「いや……お前ならば、それほど印象深く打った対局は覚えているだろう」
「覚えていますが見せるのは嫌です。父さんにも教えたくありません。碁会所の皆さんはしっかり棋譜を覚えてないのを既に確認しています」
「アキラ?」
「なんでしょうか?」
「いや……」
息子が自分の言う事に従わないだと……!? と行洋の内心はそれはもう穏やかではなかった。
先程までのアキラの実力を見た驚きよりも、アキラよりも強い小学生が二人もいる事よりも、アキラに笑顔で嫌ですと言われることの方が行洋には堪えた。
何故そんなことを言うのだろうか。
「……二人の手を見れば、私がお前に助言できることもあるかもしれない。強くなりたいのだろう?」
「出来るかもしれませんし、強くなりたいですが、見せるのは嫌です。ボクが初めて友達と打った大切な二局です。誰にも見せません。これは墓まで持っていきます」
「そこまでか……」
「そこまでです」
「そうか……」
「そうです」
さらに言葉を尽くしても、アキラから棋譜は出てこないだろう事を行洋は何とか呑み込んで、それ以上の追及をやめた。
だが、進藤と藤崎という名前は心に刻んだ。
どこかで出会う事があれば絶対に一局打たなければなるまい。塔矢行洋は決意した。
そしてアキラだが、これは何も父に対して意地悪な意図で拒んでいるわけではなかった。
本心を言えば、父に棋譜を見てもらい十分な検討を果たしたい気持ちも、なくはない。
昨日、進藤くんと藤崎さん、それぞれと打った後に三人で十分な検討は果たしたものの、別の視点から意見を貰う事も大切だからだ。
しかし、アキラは見せることを拒んだ。
先程父に伝えた通り、初めて友達と全霊で打った記念すべき初対局を見せたくないという気持ちも間違いなく存在する。
だがそれ以上に……アキラは、この棋譜が父に見られることで、現時点で不要な騒動が生まれることを予感していたのだ。
(間違いない。ひそかに昨晩ネットで棋譜を検索して確信した────藤崎さんはlight、進藤くんはsaiだ)
ネット上で都市伝説になっている、saiとlightとh-i-bの噂。
緒方が時折研究会にダウンロードした棋譜を持ってきて検討することもあり、アキラも存在は知っていた。
そして、昨日碁会所で打っている時には余りの楽しさと余りの実力差で気付かなかったが、帰ってきて何度も対局を反芻している際に、気付いたのだ。
藤崎さんとの対局は、lightがそう言われるように、相手の棋力を伸ばす。
進藤くんの打ち筋は、自分は僅かしか垣間見れなかったけれども、その切れ味はsaiのものだ、と。
その確信を、現時点で父に伝えるのは望ましくなかった。
少なくとも自分から情報は零したくなかった。
いずれはバレるだろう。彼らが院生になり、他の院生と打つ中で、正体に気付くものは間違いなく出てくる。その時が囲碁会に新しい風が吹く時だと確信していた。
それを己が漏らして早めるのはよくない。
進藤くんと藤崎さんから始まって、二人が向かい合っていかなければならない。
だから見せない。この対局は誰にも見せない。
……ボクから漏れて二人に迷惑が掛かったら、嫌われちゃいそうだし。
「…………」
そんな息子の内心を悟る事が出来なかった行洋は、しかし、改めて息子を打ち破ったという二人の少年少女に興味を持った。
それほどの逸材であるならば──遅かれ早かれ、いずれは我々
それに追いつくために徹底の努力を己に誓うアキラにとっても、悪い影響にはならないだろう。
「……その二人は、プロを目指しているのかね?」
「はい。来年の予定だと聞いています」
「そうか」
「はい。そして、ボクも二人と共にプロになります。今年一年鍛え直して、来年のプロ試験に挑むつもりです」
「ん……そうか。わかった。その気持ちを絶やすことなく強くなれ。アキラ」
「はい!!」
「明日からは二子も置かなくていい。定先で打ちなさい。私も指導碁などという甘い打ち方はせず、本気で打つ。お前はそれを捌いて見せろ」
「っ……はい!! よろしくお願いします!!」
息子の反抗期には面食らったが、しかし行洋はこの変化を待ち望んでいたのかもしれない。
新しい息吹の気配を、己が息子から感じ取る行洋であった。