逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
泣き止んで落ち着いたあかりが、ヒカルに抱きしめられた体勢のままに、ふと目の前にあった碁盤を見て、ヒカルに聞いた。
「それ、おじいちゃんがやってる、囲碁のやつだよね?」
「……ああ。碁盤、って言うんだぜ」
「ゴバン。……ヒカルはこれを探してたの?」
「ん。ああ、そうだな……
ヒカルはそれに優しい声色で返して、自分も振り返り、改めて碁盤を見る。
血のシミが見える、因縁深き碁盤。
今、己の隣に座る佐為が宿っていた碁盤。
再び出会えた奇跡に……しかし、ここでヒカルは一つ思いついた。
ここは夢の世界なのだろう。
ならば、夢でこうして佐為と再び出会えた今、いの一番に俺達がやる事は何か?
いや、いの一番にはあかりを慰めてはいたんだけれども。
そうじゃなくて、一番やりたかったことは何か?
言葉を交わす事か?
急にいなくなったことへの恨み言か?
お前がいなくなってからも、あんなことやこんなことがあって、頑張ってたぜって伝える事か?
本因坊のタイトル取ったんだぜ……って、語りあう事か?
────
俺たちはどんなに時を経ても、俺たちなんだから。
「あかり……もう大丈夫か? 泣かない?」
「うん」
「えらい。じゃあオレがご褒美に、この碁盤のスゴイところ見せてやるよ」
「えっ?」
『ヒカル?』
ヒカルは抱きしめていたあかりの体を離して、蔵の中にある棚の一つに向かう。
蔵の中に置いてあるものはおおよそ覚えていた。
佐為に出会った時に一度。その後も泥棒が入った騒動などで何度か足を運んでおり、さらには佐為がいなくなったときに蔵の中に隠れているんじゃないかと隅から隅まで棚を探したからだ。
そしてその時に見つけていたモノがあった。
碁盤があるのだから『それ』があっても何らおかしくはない。
「これ、何かわかるか? あかり」
「あ、おじーちゃんが板に打ってた……オセロだ!」
「オセロて」
『違いますよあかりちゃん』
「これはな、碁石って言うんだ」
「ゴイシ」
「ああ。この碁石を使って────碁盤に
「うちゅう!?」
『ヒカル────』
ヒカルが手に取ったものは、古い碁石が入った碁笥だった。
少々古ぼけてはいるが、打つには十分すぎる黒と白。
そしてヒカルはあかりに語る。
「ほら、見てみろよあかり。碁盤には九つの星があるだろ? この黒い丸がさ」
「え? ……ほんとだ。九つあるね」
「これが宇宙なんだよ。ここに石をひとつひとつ置いてって、どんどん宇宙を作ってくんだ。そして、宇宙を作った者が神様になる」
「かみさま!? すごーい!」
「ははっ、だろ?」
急に大人びたヒカルが、優しい表情を浮かべながら説明してくれる荒唐無稽な内容に、しかしあかりは心底から喜んで受け入れた。
ヒカルがこんなに丁寧に物事を教えてくれるのは初めてで、それを語るヒカルの顔がとっても優しく見えたからだ。
先程も、泣き出しそうだった自分を本当に心配して抱きしめてくれたことで、あかりの目には今の七歳のヒカルが50%増しでカッコよく見えていた。
「だからさ、宇宙が出来るのを今から見せてやる」
『────ッ!!』
「え?」
続くヒカルの言葉に佐為が息を呑み、そしてヒカルの意図を理解した。
ヒカルが碁盤の傍に座り、石を並べ始めたからだ。
それは、佐為にとっても、ヒカルにとっても、忘れることなどできるはずもない、宇宙のはじまり。
『……ヒカル、これは……!!』
「ヒカル? いま並べてるの? これから宇宙ができるの?」
「ああ。そうだな……あんまり時間かかるとじーちゃんも心配するから、
ぱち、ぱち、ぱち。
手慣れた手つきで置かれた石の数は、黒が7つ、白が6つ。
まだ4辺に置かれ始めただけの、これからどのように石が道を形作るのかを予想もできない、完成まで遠い道程を歩むと想わせる、
ヒカルと佐為が最期に打ち、佐為が消えたことで時を止めた盤面だった。
※ ※ ※
「十秒に一つ置いてくからな。見てろよあかり、すごいことになるんだぜ」
「え? でも私、囲碁のルール分からないよ……」
「大丈夫。ルール分かんなくても、見てるだけで面白いから」
「……ほんと?」
「ホントホント。白と黒の流れを意識して……っつってもまだ分からないか。白と黒が、これからどんなふうになるのかな、って考えながら見ててくれよな」
「う、うん」
ヒカルが13個の石を碁盤に置いた時、既にその正面には佐為が正対して座していた。
全てを理解したのだ。
あえてヒカルが口にした早碁という言葉、十秒という時間も、無論の事理解している。
あの時に打ち進められなかったこの盤面から、どのように打ち進めるかも幾度も考えた。
ヒカルの気持ちが、意志が、これ以上ないほどに真っすぐに正確に、佐為に伝えられた。
そう、ヒカルの指が語っていた。
「さて……あかり、ここからはオレも集中するから、少し静かになるぜ」
「うん」
『────』
既に佐為の瞳は、きつく結ばれるように正面のヒカルを見据えていた。
その視線は、言ってしまえば、七歳児に向ける眼力のそれではない。
もしも佐為の姿が見える者がいれば糾弾されても仕方ないほどの圧を放ち、心の真剣を構えていた。
しかしそれを受け止めるのは、見た目は七歳児でも、その中身は本因坊の冠を被るほどに成長を果たした男。
進藤ヒカルという存在が、佐為の重圧を真正面から受け止めていた。
一手十秒の早碁。
そんな縛りなど、この二人には何の意味もない。
雄弁に、永遠に語り尽くせるであろう。
永い時を超えた奇跡の語り合いが、ぱちりと小気味よい音を立てて始まった。
※ ※ ※
藤崎あかりは、
見届けていた。
見惚れていた。
(────キレイ…………)
美しかった。
きっかり十秒に一度、進藤ヒカルが盤面に打つ白と黒の色の並びは、美しかった。
囲碁のルールが分からなくても、まだ七歳であっても、その美しさは分かった。
『宇宙を作って神様になる』とヒカルが言った言葉が、本当だったんだとあかりは思った。
ぱちり。
ぱちり。
ぱちり。
ぱちり。
宇宙の広がりは留まるところを知らない。
離れた白と白が繋がり合い、黒を切り、黒がまた繋がり合い、白を混ぜる。
たった二色の色の変化が、本当に宇宙を感じさせるような、無限の広がりをあかりはヒカルの手から感じ取っていた。
藤原佐為。
進藤ヒカル。
二人の極限が、何年分もの重みを籠めた想いの対話は、あかりに人生で初めての感動を味わわせていた。
かつて見たことがないほどに真剣な表情のヒカルが作る黒と白の色から、目が離せなくなっていた。
そのすごさを。
あかりのこの感情の機微を、あえて表現するならば。
かつてヒカルが小学六年生だったころ、海王中で行われる団体戦に筒井と加賀と共に挑んだ時の想い出。
海王中に挑むヒカルがまだ実力不足で、佐為の指示する手を打っている中で、ヒカルに佐為が示した言葉と同じ。
碁の流れを感じる事こそが、はじめの一歩。
藤崎あかりは、目覚めた────。