逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話   作:そとみち

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31 岸本パイセン!? まずいですよ!!

 

 院生になったヒカルとあかりは、院生研究会の初日、棋院会館に到着した。

 

「緊張してるか? あかり」

「ううん、大丈夫。緊張がないわけじゃないけど……早く打ってみたいなって、そっちの気持ちの方が強いの!」

「そか。心配はいらなそーだな」

『あかりちゃんも随分と勝負度胸がついてきましたね。これで導きの碁を打つのですから、本当に稀有な才能です』

 

 ヒカルはともかく、初めて向かうあかりに緊張がないかと危惧したヒカルだが、杞憂だったようだ。

 知らない人と打つこと自体を楽しめるようになっている。とても良い事だ。

 あとは……優しいあかりが、勝負という場で勝利する重みと敗北の重みを経験できれば……いや、その発想は最早過保護か。

 見守るだけでいい。もうあかりは自分の囲碁の道を歩み出している。

 

 そして、棋院会館に入る二人。

 

『あ! ニセモノのサカナですよヒカル! 私も名前を覚えましたよ! ホログラムですよホログラム! どんな仕組みなのでしょう!』

(お前ほんっとにソレ好きだよな)

「ん。ヒカル、なんて?」

「これ好きなんだよ。なんでか知らねーけどさ」

「ふふっ、そうなんだ。かわいい」

 

 入口の近くにあるホログラフィックの水槽をこよなく愛する佐為がそれを眺めはじめたことで、ヒカルは肩を竦める。

 そんな僅かな気配で、あかりも佐為が何かしているのを察し、周りに悟られぬように聞いて、ヒカルもまた最低限の会話で答える。

 長年の付き合いである。ヒカルもあかりも、佐為関連で迂闊に他の誰かに言うようなことはないし、あかりはヒカルのちょっとした態度で佐為の行動を読み取れるようになっていた。

 囲碁にはガチだけどだいたい子犬系。あかりの佐為への印象はおおよそそんな感じで、それは正しい評価であった。

 

 さて、二人が院生研修部屋に到着した。

 エレベーターの扉が開いて、二人が玄関に到着すると、その近くにいた院生全員の視線が二人に向かう。

 その視線がまぁ多い。そして動揺を伴っている。

 ちょうど玄関前にいた伊角などはあっけにとられた様子でヒカルとあかりを見ていた。

 

(……え、なんで? 今回は別に睨まれる要素なくないオレ?)

『前回は塔矢の事でクチを滑らせて注目されてましたけど……今回はどうしたのでしょうね。あ! もしかするとあかりちゃんという可愛い彼女をヒカルが連れているから嫉妬されていたりして! ぷぷぷ!』

(だいぶ恋愛脳になったよなお前……)

 

 前回の事をヒカルが思い返すが、今回は別に何もやってない……と、思う。なぜ注目されているのかわからなかった。

 佐為も心当たりがなく、あかりも少々驚いている。

 実を言うとこの三人の感性はだいぶズレていた。先日自分たちが和谷の対局検討で披露した、終局の盤面からお互いの手筋を読む力というのがどれほど特異な能力なのかを認識できていなかった。

 ずっと三人でお互いの手を空白から埋める『予想碁』で訓練して来た独自の囲碁脳回路は、もはやしっかりした打ち筋の二人が対局するのであれば、終局の盤面だけ見ればおおよその手の流れを予想することが出来る。

 だからこそ以前の検討の時にあかりが述べた内容をヒカルも佐為も危惧していなかったのだが、そんなことが出来るのは日本にこの三人しかいないのである。

 

(ま、いいや)

 

 原因不明の注目には驚いたが、その程度では二度目の人生を満喫するヒカルは動じない。

 こちらを見るみんなに、にかっと笑顔を見せて挨拶する。

 

「おはよ! 今日からよろしくね、伊角さん!」

「お……う、おはよう、進藤、藤崎」

「おはようございます!」

 

 満面の笑みで二人から挨拶されれば、人の好い伊角にそれに応えない択は無い。

 苦笑を漏らしつつも周りの院生たちも挨拶を返して、靴をゲタ箱に入れてヒカルたちは部屋に入る。

 

「おっ、来たなふたりとも。待ってたぜ」

「よっす、和谷。今日からよろしくな」

「おはよー、藤崎さん! 今日からだね、頑張って!」

「あ、奈瀬さん! うん、よろしくお願いします!」

 

 先日自己紹介した和谷、奈瀬が声をかけて来たのでそちらにもヒカルとあかりが返事をしつつ……しかし、やはり院生たちの雰囲気は珍獣を見る目だ。

 一般的な新入生を見るそれよりも注目が強い。

 それは先日の和谷とフクの対局の検討の風評を聞いているという事情のほかに、男子の院生はあかりの可愛さも注目し、他にもヒカルのトチ狂った前髪の色への注目もあったのだが、それこそ当人には全く自覚のないものだった。

 

 さて、院生として部屋に入れば、それぞれが自分の対局する席について対局を待つことになる。

 ヒカルは資料として事前にもらっていた対局表を見て、自分とあかりの相手を改めて確認した。

 

(オレの相手は前の世界と同じで内田か。二組の四位……で、オレが二組の二十五位、あかりが二組の二十六位から開始。ま、当然一番下からだな)

『二組にいる間に、いろんな子と当たりたいですね。特にあかりちゃんが』

(オレもそう願ってたよ……ただ、あかりの初戦の相手がなぁ)

『驚きましたね。まさか()()()()()()とは』

 

 そう、あかりの相手が問題であった。

 あかりの初戦の相手は、岸本────前の世界で海王中の大将を務めていた、あの岸本である。

 

「……キミが噂の新入りか」

「はいっ、藤崎あかりっていいます」

「岸本だ。ヨロシク」

「よろしくお願いしますっ」

 

 ヒカルの記憶よりも若干の幼さが残る岸本が、正座して待っていたあかりの前に座った。

 相変らずメガネだ。メガネのブリッジ部分を左手でつまむ仕草、そして時折眼鏡を外して拭う仕草は懐かしさすら感じさせる。

 海王中という大きな壁の大将。そして、ヒカルが院生になる事を決意したきっかけを与えてくれた人でもあった。

 そんな人が、あかりと打つ。

 

(……前の世界の時は院生辞めちゃったんだよなァ、岸本さん。一組にも一度上がった経験があったって和谷から聞いたけど……今は二組。もしかすると辞める前の時期なのかもなぁ……)

 

 複雑な胸中がヒカルの中にあった。

 偶然本屋で出会い、誘われて一度碁会所で対局したその後は出会う事もなかったが……しかし、大きなきっかけをかつての自分に与えてくれた一人ではあった。

 院生をやめるかどうかの決断は本人の葛藤の内に決めたものだとも思う。

 それが、今日あかりと打つことで何か変わる所があれば、共に囲碁の高みを目指せる仲になれるかも。

 しかし彼が院生を続けるという事は、海王中の大将として大会に参加はしてこないという事。

 来年は葉瀬中の囲碁部に入部し、自分は参加できなくとも三谷を連れて、加賀をなんとか大会に参加させて、海王中に勝利させたい……その時に岸本さんがいなきゃダメというワケでもないんだけど、やっぱり海王中の大将って岸本さんってイメージ強いし……ううん。

 なんとも言えなかった。この世界では当然にして岸本とヒカルは知り合っておらず、岸本自身もあまり人当たりのよい性格とは言い難かったため、ヒカルの方から積極的に声をかけて関係を作るのもおかしな話だし……という葛藤を抱えていた。

 

「では……対局を始めてください」

 

 しかしそんなヒカルの葛藤も、篠田先生による対局開始の合図を以て心に仕舞われた。

 対局中は、対局相手に真っすぐ向かい合う。失礼に当たらないように。

 相手の内田とあいさつを交わしたヒカルは、彼女の才能を潰さないよう、発想が伸びるよう、指導碁とバレないように……あかりの棋風を見習って、気を張って対局に挑んだ。

 

 

 

※    ※    ※

 

 

 

「…………」

 

 岸本は困惑していた。

 院生を辞めると決意し、今日の対局を終えたら篠田先生にその旨を伝えようとした最後の日に、自分がこんなにいい碁を打てるとは思っていなかったからだ。

 今日から院生に入った藤崎あかりの噂は、話に混ざってはいなくとも耳にしていた。

 なんだかすごい才能を持つ二人が入ってくるらしいよ、という噂を。

 新入りでそれほどに強い者が二人も入ってくるならば、今の時点で実力の頭打ちを感じている自分の居場所はない……そんな考えを元に、親にも院生を辞めることを伝えており、今日がその日だった。

 たまたま最後の対局相手の一人に新人の名前が入っているのを見て、妙な因果だ、と肩を竦めたが。

 しかしそんな彼女と打つ対局は、初めて味わう体験の連続だった。

 

(四手前に自分で打った手が……自分でも信じられないほどの好位置になっている。こんな碁がオレは打てたのか……こんな碁が、打てるのに……)

 

 対局相手のあかりが、積極的に攻め込んでくる棋風であると感じ、守りを固めて応じて見たところ、実に難易度は高かったが、鉄壁の布陣を整えられている。

 深く考えずに打った数手前の石がマギれたことで絶好の位置に変化しており、しかしそこを苛烈に攻め込んでくるあかりの手に対して必死に応手を考えることで、より深く盤面に思考が沈み込んでいくような。

 こんな碁が毎回打てるようになれば、オレは────いや。

 

(未練……だな。これは未練だ。こんな碁が打てるなら、なんて希望はもう持てない。それだったらこの日を迎える前に打てるようになっていなければならなかった。プロを目指すだけが囲碁の楽しみじゃない。もうオレはプロは目指さない事に決めたんだ。プロになるのは……そう、これほどの鉄壁の布陣を敷いても、果敢に攻め込んでくるこの子のような者が相応しいのだろう)

 

 それでも、岸本の決意は変わらなかった。

 才能の限界を感じたことは事実。その判断は、たまたまこの一局が上手く打てたというだけでは覆らない。

 院生は辞める。その後の囲碁との付き合い方は、また考える。

 いいんだ。それで。

 

 その岸本の内心に応じてしまったように、つい先ほどまで鉄壁と思われていた岸本の布陣が徐々にあかりに侵略され始め、ヨセを合わせればひっくり返されるだろう未来形が見えてしまった。

 持ち時間を使いきって全力で考えれば活路がどこかにあるかもしれないが……今のオレには、もう見えない。

 

「……ありません」

 

 岸本は、投了の言葉を放った。

 

「……有難うございました」

「有難うございました」

 

 あかりはその言葉に、一抹の寂しさを覚えつつも、努めて表情には出さず、終局の挨拶を交わした。

 最後まで打ち進められそうな一局だった。盤面が完成すれば、きっと美しい宇宙が描けたことだろう。

 しかし、それが途中で終わってしまうのは……寂しい。

 勝ちと負けがあり、勝ちを求めることが礼儀の勝負の世界であることは、あかりも十分に理解している。

 理解しながらも、寂しいと感じることは止められなかった。

 

「……強いんだな、キミは」

「え?」

「いや。今日は自分でもよく打てたとは思う……良い記念になったよ。実は今日、オレは院生を辞める予定の人間でね」

「えっ……!」

「すまないな、入会してすぐのキミに言うような話でもないんだが。でも……最終日に打つ碁としては、悪くないと思える一局だった。キミと打ててよかったよ」

「……はい、ありがとうございます」

 

 岸本はあかりに対し、嫉妬でも羨望でもない……感謝を覚え、対局後に自然と言葉が零れた

 その内容を受けてあかりは驚いたが、そういう世界に自分が踏み込んだのだ、という事を改めて教えてもらった気がした。

 丁寧に感謝の礼をするあかりに、岸本は肩を竦めて……最後に打った一局を、記念として目に焼き付けた。

 

「検討しよう。オレの打ったここの一手、自分でも驚くほど後から徐々に意味が生まれていった。これをどう思った?」

「はい。先の先まで見据えた、キレイで上手な一手だと感じました。それで左辺の攻防は分が悪いと思って、右辺への攻めに切り替えて……」

「先の先か……見えていなかったよ、そこまで。打った後から思いついたんだ。本当によく読めている……キミならすぐに一組に上がれそうだな」

「あっ、そ、その……」

「いいんだ。キミがどこまで昇れるのか……草葉の陰で応援している」

 

 岸本はその日の午後、篠田に院生を辞めることを伝え、二度と棋院に足を踏み入れることは無かった。

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