逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
院生が変わった。
そのように監督官である篠田が感じ始めたのは、11月の初旬のころ。
院生二組の順位表、および対局表を眺めながら……その、大きな変化のうねりを読み取っていた。
(────順位の変動が激しすぎる。これまで中々伸びてこなかった子が一気に伸びたり、一組と二組の入れ替えも相当な数……しかし、総じて言えることがある。強くなった子しかいないという事だ)
本来、院生内の順位の変動はそう簡単に大きく動くものではなかった。
実力は回数をこなせばこなすほどはっきりと表れる。急に強くなれる、なんて手段は囲碁には存在しない。
しかしこの一ヶ月……あり得ないはずのそれが頻発しているのだ。
一気に実力を伸ばした数多くの院生が、順位変動を盛んにしていた。
原因は明らかである。
(進藤くんと藤崎さん、この二人と対局した者から順番に棋力が上がっている。間違いない、対局表と順位変動を分析すれば明らかだ。一日四回の対局のうちで二人と打てた者の棋力が伸びている……こんなことがあり得るのか……いや……)
10月から入会した、進藤ヒカルと藤崎あかり。
この二人が、対局者の棋力を順次底上げしているような。
それにより順位の変動が起こり、翌週には再び別の対局者が棋力を上げて順位を上げて……そんなことが、繰り返され続けている。
(あり得て……しまうのだろうな。現実と認めるしかない。私がこの二人を合格させた理由に、院生へのよい刺激になればと思ったことは事実……しかし、これは特効薬……いや、劇薬すぎる)
この事実を、院生の子達も徐々に気付き始めているのだろう。
ヒカルとあかりの二人が圧倒的な実力を持っていることを認めるのと同時に、二人と打てば実力が伸びることを理解し始めた。
実力の差に、多少の反発もあった。しかし、それは己の弱さから目をそらす事と同義。
二人の教えを、対局を素直に受け取れない者は落ちていくしかないが、少しでも己の碁の実力を上げたいと思うものは、二人に意見を聞きに行くことが多くなっていた。
篠田が全体の様子を見ている限り、一組の和谷や奈瀬も上手い具合にフォローを入れているようだ。
一組の上位である二人が、ヒカルとあかりの検討を積極的に参考にする様子を見て、他の子達もそれに倣っている。
二人の対局が終わった後は、相当なギャラリーが周囲に集まり、自分たちの対局以上の真剣さすら見せて、ヒカルとあかりの打った棋譜を、検討を聞き及んでいた。
それにより、さらに全体のレベルが上がる。
二組の平均棋力は既に一組の下位と比較しても遜色ないほどになっていた。
そして、そんな二人が今日から一組に上がる。
(一度の敗北も無し。最速の一組加入だ……これから先は、一組に同じことが起きる。きっと二組の子も一組の二人の対局の検討に参加するだろう。上位も下位もなく、積極的で情熱的な検討が毎週四回……いや、倍の八回行われる。どこのプロの研究会よりも濃密な、若き力による検討が行われている……!)
篠田は、震えそうになる腕をひしと掴んで抑えた。
これでまだ一ヶ月。二人が院生になって一ヶ月しか経っていないのだ。
このまま、来年のプロ試験まであと九ヶ月、密度が変わらずに院生の全員が棋力を上げたら、どうなる?
若獅子戦は……プロ試験は、どうなってしまうんだ?
(プロ試験の合格枠は三人────
篠田が感じるその感想は、これまでに感じていた理由とは異なる意味になった。
これほどの碁が打てる院生たちが全員プロになれないのは余りにも惜しすぎる……そういった意味での、狭すぎる門。
来年、その証明が果たされるであろう。
篠田は改めて思う。
何があっても、己が責任を取るのだと。
※ ※ ※
11月下旬、その土曜日。
ヒカルとあかりは、行きつけの碁会所である『囲碁さろん』に午前中から顔を出していた。
自分たちの碁の勉強は勿論の事、ここ最近は院生たちで集まって囲碁の勉強会をするための場所として、この碁会所を使わせてもらっているからだ。
「ちわーっす。……おお、奈瀬。早いな」
「おはようございます、修さん! 明日美さんもおはよ!」
「ホホ。今日もにぎやかになるネ。おはよう、二人とも」
「おはよー進藤、あかりちゃん! そりゃもーやる気一杯ですから!」
ヒカルたちよりも早く碁会所に入っており、客と一局打っていた奈瀬が振り返り、店主である修と共に挨拶を返す。
奈瀬がここで行われるヒカルたちとの勉強会に参加し始めたのは一ヶ月前。初回からスタメンで参加しており、ヒカルとあかりとの対局、検討を経てここ最近みるみる棋力を伸ばしている。
一組内の順位を直近の三週間で5つも上げて、一組四位になっている。奈瀬が院生になってからこんなにも勝利を重ねられたのは初めての事で、ますますのやる気を見せていた。
重ねて、奈瀬は容姿がいい。
碁会所を訪れる中高年の客にも物おじせずに囲碁に挑む姿は、あかりとはまた別枠で元気な孫を見るような温かい目で見られており、人気が高かった。
客相手には三子を置いて打つのがここに来る院生のルール。
今奈瀬が打っている対面の客に対しても、そのルールで対戦していたのだが、しかし。
「へっへっへ、奈瀬ちゃんよ。元気にご挨拶するのはいいが。盤面の元気はだいぶ削れてきちまってるぜ? ……ほらよっと。ここ、急所だろ?」
「ん! ……んん……くぅ~。オジさんそれ上手ぅ……!」
「ははは! 奈瀬ちゃんより一年以上前から、ヒカルの坊主とあかりちゃんと打ってんだ! 下手の横好きな俺でもこんくらいは打てるようにならぁな! 三子くらいじゃあまだまだ負けてやれねぇなぁ!」
奈瀬は悪戦苦闘していた。
並大抵のアマなら四子置いても一蹴できるであろう奈瀬の現在の棋力だが、しかしこの碁会所を訪れる中高年は皆一様にして棋力が高い。
読みの深さと攻めの鋭さがアマのそれではない。かつての院生下位ならば互先で不覚を取ってもおかしくないほどの好手が無造作に放たれてくる。
奈瀬がそこから数手進めたところで、己の敗北を悟り投了した。
「……ありません。くー! 悔しい!」
「へへへ、ありがとうございましたっとォ。よぉヒカルの坊主、この対局検討してくれよ」
「おー。……ふむ、イチさんいい所打ったなァ。ここの一手、完全に急所見極めてんじゃん」
「こないだ坊主に教わった新定石に近い形だったからなァ。正解だろ?」
「大正解。奈瀬はその数手前のこの時点、ここでイチさんにこの形にもっていかせないように、上辺の陣地作成を切り替えて眼形を捨てるべきだったな。モタモタしてる間にイチさんに置いた石上手く使われて切り込まれた感じ」
「言われなくても分かってるぅ。守りを固めなきゃって考えてそこ打ったけど、よく考えたら石置かせてるんだから荒らさなきゃダメよね」
「そーゆーこと。だからそのとき奈瀬がここじゃなくて……こっちに打ってたらどう?」
「……あ、次の手めっちゃ広い。そっか、ここ打てば左辺とも連絡できるんだ……」
「ホントだなぁ。そこ打たれっちゃあ俺も攻め辛くってしょうがねぇな」
「荒らしの定石みたいなのも結構あってさ。オレとあかりで見つけたんだけど……」
打ち終えたら早速検討だ。
この碁会所では、打ち終わったらヒカルかあかりのどちらかが検討に入り、対局したお互いが真剣に一手の価値を計りあう事を常としていた。
ヒカルが佐為と打つ中で、またあかりとも打つ中で試して有効であることを確認している新定石なども少しずつ開示していき、それがまた全員の棋力向上につながっていた。
「……おーす。進藤、話してた通り伊角さんと本田さんも連れて来たぜ。オレに順位迫られて慌てて声かけてきてさ」
「順位は関係ないって言っただろ! 進藤と藤崎に少しでも追いつきたいし、二組の棋力の伸びはもう目を逸らせなくなってきたからな……今日は世話になるよ。おはよ、藤崎」
「右に同じ。どんな経験したらあんな棋風が生まれるんだよ……特に藤崎のほう。おはよ、なんか進藤と特別な訓練でもしてたの?」
「おはようございます、伊角さん、本田さん。特別って程のそれは……あ、でもしいて言うなら予想碁がそれかも?」
「予想碁?」
「はい、ヒカルと私でたまに棋譜を並べて、遊びの一環でやるんですけど……」
検討をちょうど終えたところで、和谷と、その後ろに続いて伊角と本田も碁会所にやってきた。
今日はこの四人。一組院生上位の四人が、ヒカルとあかりの勉強会に参加することになっている。
そこまで広くない碁会所だ。院生が集まり過ぎれば他の客が打つ迷惑にもなりかねない。
ヒカルは、自分とあかりの他の院生は最大でも六人までとして奥の長机スペースを検討に借りることにして、今後はメンバーを入れ替えながら、開催頻度を平日などにも増やしていくつもりだった。
「……という感じで、片方の石の置かれた場所から相手の打つ場所を想定するんです。これをやり始めてから頭の中で対局を描くのが上手になったかなぁ」
「いやごめん藤崎。さらっと言われたけどマジで開いた口が塞がらない」
「どれほどの想像力があればそんなことが出来るんだ……?」
「ちなみに何歳のころからやってたんだ?」
「えっと、八歳の頃には……」
「バケモンだバケモン!」
「和谷、比喩表現でも女子にそういうことを言うもんじゃないぞ!」
「伊角くんもっと言ってやって! 和谷はデリカシーがないのにたまに気遣い出来る男を見せてギャップで女を泣かせるタイプなんだから!」
「奈瀬に言われる筋合いはねーよ!!」
とはいえ、休日に集まる少年少女たち。仲良く話が盛り上がる事ももちろんあって。
それはヒカルにとってもあかりにとっても、ようやく囲碁を囲んで楽しく話せる友が出来たという意味で、大変に嬉しいものだった。
もっとも、指導する時のヒカルはガチなので、雑談で盛り上がり過ぎることはないのだが。
「んじゃみんなで予想碁試しにやってみる? 全員棋譜を手元に持って、今からオレとあかりで打ってあかりの黒石だけ打つ位置を教えるから、オレの白石の位置を予想するの。一回やってみないと面白さと難しさってわからねーしな」
「マジで!? 今から!? ……いや、やってみるぜ! こういうの森下師範の研究会じゃ絶対できないし、二人が強くなれた理由分かるかもしれねーしな!」
「私もやってみる! 進藤とあかりちゃんの打ち筋、多少は分かって来たつもりだし!」
「……これはオレたちもやる流れか?」
「いいじゃないか伊角さん、面白そうだ。こういう発想の柔軟さが進藤たちの強さの秘訣かもしれないしな、やってみようぜ」
「了解。んじゃ修さん、悪いけど人数分の碁罫紙*1貰っていい?」
「構わないヨ、コピーした白紙ならヒカルくんに言われて一杯準備しておいたからネ。どうぞ」
「ありがと! よし、じゃあ打とうぜ、あかり」
「うん!」
雑談から話題を拾い、院生たちを更なる高みに導くために予想碁に挑戦させるヒカル。
あかりもヒカルとの対局で更なる己の成長を果たすため、ふんす、と鼻を鳴らして気合を込めて碁盤に向かうのであった。