逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
碁会所の客の平均年齢は高い。
中高年の趣味、と世間一般では考えられている囲碁を打つ場所なのだから当然にしてそうなるわけだが、しかしここ『囲碁さろん』はそんな一般的な碁会所のイメージとまったく一致せず、若い少年少女が集まる珍しい碁会所であった。
とはいえ、集まる若者はすべて院生だ。ヒカルとあかりが院生の友人を呼んで、研究会に使っているという面が強い。
だからこそ、そんな碁会所に院生ではない子どもで、自分たちと同じくらい若い少年が来たという非日常に、院生たちも大変に興味を持って、その三谷という少年とヒカルの対局を観察していた。
(……なるほど、このトシで初見の碁会所に一人で乗り込んでくるだけあるぜ。アマにしちゃ十分打ててる。院生レベルにはまだ足りないけど、磨けば伸びるな。要所を察する判断力はある)
(ちょっと小生意気な感じのコだったけど、意外と素直ないい手を打つわね。とはいえ進藤のこれは……)
(ヒカル、本気だ)
ヒカルとの検討を終えた和谷、そして奈瀬とあかりも対局を終えてヒカルと三谷が打つ盤面を近くで眺めた。
和谷と奈瀬の二人の院生から見て、三谷の棋力は中々に見込みがあるものだった。
普段、魔境になった院生間で必死の検討をしながら打つようになった身からして、さっぱりと打てている三谷の囲碁に可能性を感じなくもない。
しかし、あかりが察したように……ヒカルは、三谷に本気で打っていた。
「……進藤、お前……何歳?」
「来月から中一。葉瀬中に入学するんだ」
「オレと同い年で
「いちおー院生だからな。みんなでこの碁会所で勉強会とかしてんの」
「院生? ……院生ってこんなに強いのか」
「オレはその中でも一番強いから。プロより強いぜ、たぶん」
「ハッ、ホラに聞こえねー」
三谷は、見る見るうちに形勢が傾いていく勝負に、悔しさと驚きを覚えていた。
同い年のヤツでこんなに打てる奴がいるのかと。
院生と言ったが、周囲にいるこいつらも同じなのだろうか。
しかし三谷は、囲碁に真剣なヤツらが自分より強いという事実に、悔しさはあれど納得もあった。
その中でも格別の強さを持つこの進藤ヒカルという男子。
これだけの腕だ。きっと対局相手の力なんてすぐに分かっちまうんだろう。
圧倒的な腕の差がある。それは三谷にだって分かる。
その上で、ヒカルが一切手加減をせずに自分に向かってきたことが、三谷は嬉しかった。
オレを格下だと思って加減して打つようなナメたことをしていない。
逆に、それが心地よかった。
手加減して対局されていたら、見損なっていたところだ。
「…………この巡目で打つ手がないってのは初めてだよ。負けました」
「有難うございました」
「お疲れ。……進藤のじーさん、アンタの孫強すぎるんだけどー!」
「カッカッカ! いずれ本因坊になる孫だからな!」
最早清々しさすら感じられるほどの圧倒的な敗北を経て、三谷は肩を竦めた。
つえーや。スゲーやつだ。プロになるのってこういうヤツなんだろうな。
そんな新鮮な驚きを三谷は味わっていた。
決してこの時点で、ヒカルに対しての印象は悪くなかった。
だが、対するヒカルは内心で焦っていた。
(……やっちまったか!? 三谷相手に変に手加減したら逆に機嫌損ねそうだと思って本気で打ったけど、こんなに早く終局しちまうとは思ってなかった! もっと碁の中で語ろうと考えてたのに!)
『そういえば三谷は早碁が得意でしたね。感覚で打てるタイプなのでしょうね。夏休み明けの頃は囲碁部のみんなで打つのも楽しんでいましたし、囲碁が好きなのは間違いないのですが』
(これで囲碁部入ろうぜーって話を切り出すのは勇気いるぜ!? いけるかなぁ!?)
三谷の機嫌を損ねていないか、不安でならないヒカル。
かつては囲碁部で毎日のように打つ仲であった三谷だが、ヒカルの中で彼との仲違いの件は割と重めのトラウマとして悔いが残っていたのだ。
自分が強くなりたい、院生になりたいという我儘で三谷に酷い事をしてしまった。
その自覚はヒカルにもあり、一時的に三谷を囲碁から、囲碁部から遠ざけてしまった件は悔やんでも悔やみきれない。
その躊躇いが、ヒカルに普段の押しの強さを失わせていた。
内心でどうしたものかと困り果てているヒカル。
佐為にもそれを助ける力はない。佐為が打っても同じ結果になりかねないからだ。
しかし、ヒカルには既に、困った時に助けてくれる相棒が、佐為のほかにもう一人いるのだ。
「ね、三谷くん。次は私と打ってみない?」
「ん? ……アンタは?」
「藤崎あかり。ヒカルの幼馴染で院生。三谷くんと同じで今年から葉瀬中に入学するの」
「ほーん。同級生か」
「ついでに進藤の彼女である」
「恐らく将来を固く誓い合う所までは進んでいるのである」
「うるせーぞ和谷と奈瀬!!」
「んだよ彼女連れかよ進藤、スミに置けねーな。……じゃ、次ヨロシク。ヘタの相手させて悪いけど」
「そんな、全然! 三谷くんすごい打ててるから自信もっていいよ! それじゃ、互先ね!」
「んじゃ代わるわ。あかり、よろしく」
あかりが、三谷との続けての対局を希望した。
ヒカルはそれに驚き、和谷と奈瀬の茶化しにキレるが……これはチャンスだと考えた。
あかりが打つなら、三谷の腕なら相当面白い勝負になるはず。
(これで三谷が機嫌よくして、いい感じに囲碁部に誘えれば……! 頼むぞあかり!!)
『最近のヒカルはじーちゃんだったりあかりちゃんだったり他人任せが多いですね』
(うるせ!)
ヒカルは、信頼できる彼女の勝負の行方を見守るのであった。
※ ※ ※
この碁会所に来て二連敗中の三谷。
進藤の祖父も進藤も、相当に強い事は理解した。
そして今相手する、進藤の彼女という藤崎もまた強いのだろう。
さっきの進藤にはボロクソにやられたが、果たしてコイツ相手にはどれくらい行けるか……そんなことを考えながら始めた一局。
だが。
(……スゲェ! オレ、今かなり打ててる! さっきのじーさんや進藤との対局のおかげか!? カクランしてやろうと早めにぶっぱなしたゴーインな攻めや不意をつく一手が、あとから全部見事に繋がりやがる! たまたまかもだけど、偶然でも何でもいい……
三谷は、想像以上に活路を見い出す己の手筋に驚愕していた。
じーさんとの一戦は様子を見た。進藤との一戦は圧倒的な実力差を悟った。
故に、この三戦目は出来ること全部やって足掻いてやろう、と初手から誓っていた。
早い時点で相手の地と盤面を荒らすような一手を繰り返した。
普段は試した事もない破れかぶれの一手だったが……しかし、これが予想以上の見事なハマりを見せた。
盤面を荒らせればいいと思って打った己の黒石が、暫く経って石が増えて盤面の状況がマギレたことで、黒と黒が結ばれて見事に連絡した。
己の地を相当強固なものにできて、さらにそこから藤崎の盤面に鋭く切り込むことさえできていた。
これは相当押し返した。ここから先はヨセがあるが、そこまでマギレればワンチャンス。
面白い。予想外に育った自分の手に、格上である院生を追い詰めているのではないかという未知の体験に、三谷の心は躍った。
テンポよく石を置けている。藤崎もこちらの早碁に合わせてくれているのか、待ち時間が少ない。
パチ、パチ、パチと小気味よいリズムを刻む石の音が、三谷の耳に心地よく響いた。
流行りの音楽なんて目じゃないほどに気持ちよく奏でられる16ビート。
(けど……やっぱこっから押し返してくるよな! 一気に差が詰まりやがる……五目、いや十目……十五目か!? とんでもねぇ、やっぱウデそのものが違う! これがプロを目指すヤツの碁か!)
しかし、終盤に入れば藤崎が見る見るうちに地を押し返してくる。
その見事さに圧倒されつつも、三谷も渾身の抵抗を果たす。
リズムは崩さず、気持ちよく一手一手を放ちつつも、それでもやはり、相手の攻めは相当厳しい。
大波のように押し返された末、とうとう終局を迎えた。
「……ワリ。整地するぜ」
「うん」
カチ、カチ、と丁寧に整地を始める三谷と藤崎。
これほど見事に打てた対局だ。変に急いで万が一にも結果を崩したくはないと三谷は考え、ゆっくりと地の数を確認する。
中盤まで大いに広げた三谷の地は、やはり相当に押し返されており……結果、コミを入れて3目半差で白番、あかりの勝利であった。
「有難うございました」
「……ありがとうございました」
悔いのない決着に、三谷は初めて、対局相手の終局の礼に、自然と礼を返していた。
※ ※ ※
それを見届けていた院生の二人は、終了の礼が終わった瞬間に、対局内容を褒めちぎった。
「オイ、すっげーな三谷! 藤崎相手に早碁でここまで打てるのは才能だよマジで! オレ二十手目の巧手に気付けなかったもん!」
「私も驚いたー! あかりちゃんらしい対局になったけど、早碁であかりちゃんにここまで食らいつけるのは進藤とフクくらいだって! もっかい並べて検討しよ!」
「っと……なんだよ、負けたんだぜオレ」
「進藤と藤崎に勝てる奴なんて院生にもいねーよ! 胸張れって! ……あ、オレ和谷! 中二な!」
「私は奈瀬、中三! いやでもホントにキレッキレだったわー……ほら、ココだよね、二十手目の三谷の黒。ここよく思いついたわね、この早さで」
「私もそこにノータイムで打たれてすっごい驚いたの。じっくり考えれば至られるかもって思ってたけど、三谷くんは手拍子だったでしょ? 鋭いセンスしてる」
「……たまたまだよ。けど、確かにソコ打ってからさらに打ちやすくなったかも。この後に打ったココが自分でも驚くほどハマってさ」
「あー、そこな! そこもめっちゃ良かったぜ、白の左辺を睨みつつ黒の連絡を確約させた一手だったよな」
「その時にこっちに打っても面白かったかもだけどね。あかりちゃんならどこが一番嫌だった?」
「うーん……リズムに乗って私も打ってたから、打ってる時は三谷くんに打たれたその一手がやっぱり一番苦しかったかも。でも、その二手後の三谷くんのコレ、ここが勝負の分かれ目だったかもね。これがもし……こっちだったら、私もホントにキツかったと思う」
「え? …………あ、そうか。コレこっちに打ってりゃまだ粘れたのか」
「ホントだ。この一手はオレでも悩んだな……実際打ってても三谷と同じ所打ってるかも」
「読みの深さはまだあかりちゃんには敵わないわねー……」
和谷と奈瀬から見ても、見ごたえのある一局だった。
あかりの棋風はいつもの事だが、今日は珍しく早碁であった。その速度に三谷がついていけていたのが何より驚いた。
深く悩んで考えれば、自分達ならより良い一手を選べるだろう。対局速度を落ち着けて、じっくり打ち据えることも可能であろう。
だが、早碁を最後まで維持したうえで、あかりにここまで食らいつき、荒らしに荒らした三谷の実力には一目を置いた。
もちろん、三谷と実際に打つならば一目置く側ではなく置かせる側なのだが、早碁なら一目置かせてちょうどよさそうだな、と三谷のセンスを高く評価した。
碁会所のおっちゃん達よりも、早碁という条件下では強い。はっきりとそう感じ取れた。
そうして自然と始まった検討に、三谷も渾身の対局が自分よりも棋力が上の人たちに丁寧に分析されていくのが面白くなり、積極的に付き合った。
祖父と打つときや、小学校の教師と遊んでいた時には無かった、真剣な囲碁の検討。
こんな面白くて勉強になるのか……と新鮮な気持ちを味わっていた。
この碁会所に来てから、初めての事を味わいっぱなしだ。
ここに来て正解だった。三谷は満足して盤面を眺める。
「ね、三谷くん」
「ん? なに? 藤崎」
そんな検討の最中、対局相手であったあかりから声を掛けられ、盤面に向けていた顔を上げて正面を見る。
楽しそうに微笑むあかりの顔を見て、美人だなコイツと感想を持った。
進藤は幸せモンだな。中学に入ったら茶化してやろう。
「よかったら、葉瀬中でも囲碁部入らない?」
「囲碁部? ……あんの?」
あかりから三谷に投げかけられたのは、囲碁部へのお誘い。
三谷はその話に興味を持ち、色々と質問を投げかける。
「うん、お姉ちゃんの知り合いに囲碁部の先輩がいてね、部員募集してるの。私とヒカルも入部するつもりなんだけど、私たちって院生でしょ? 大会とかには参加できなくて……で、メンバーがもう一人足りない、って話も聞いてたんだ。これまで大会にも参加できてなかったんだけど、もう一人入部したら、ようやく初出場できるんだって」
「ふーん。……その囲碁部の先輩って強いの?」
「強いよ。たまに打つんだけど、すごい面白くて、綺麗な碁を打つの。三谷くんともいい勝負してくれると思う」
「ほーん。大会っていつ?」
「夏と冬にそれぞれ一回ずつ」
「相手は?」
「北区の中学校対抗戦。海王中が目下の目標だよ」
「海王中か……ハッ、噂には聞いたことあるぜ。囲碁部がクソ強い所だよな、確か」
おおよその囲碁部の規模と、大会参加の夢がその先輩にある事は分かった。
藤崎が強いって言うなら棋力は相当なモノだろう。
そんな先輩と自分が打てれば、今みたいに囲碁の勉強マジでやって強くなれば……海王中にも。
だとしたら面白い。
三谷はくくっと笑い、今年の夏の予定を組み立てた。
「────無名で初参加の葉瀬中が、なんと王者海王をブッ倒しちまうどんでん返しをしたい、ってワケだ」
「ふふっ。面白そうじゃない?」
「ああ、ウケるね。……いいぜ、オレも囲碁部入るよ。ただし藤崎も進藤も、オレにもっと囲碁教えてくれよな」
「うん! ありがと三谷くん、一緒に頑張ろうね!」
「ハナからそのつもりだよ、こっちも。よろしくな、三谷!」
「おう」
三谷は、囲碁部に入る事を決意した。
進藤と藤崎がいれば、きっと退屈はしないだろう。
これから始まる中学校生活が、とても楽しみになっていた。
※ ※ ※
なお。
(最近オレら蚊帳の外じゃね?)
『オチに使われてますよこのスペース』
(オレのやりたいことをあかりとじーちゃんと筒井さんが全部やってくじゃん)
『どうしてこうなったんでしょうねぇ』
最終的に望む方向に向かった三谷との邂逅に、しかしヒカルは何とも言えない気持ちを抱えていた。