逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
四月も中頃になり、新生活がそれぞれで始まったころ。
ヒカルたちは、平日は囲碁部での部活と自宅でのネット碁、土曜日は碁会所で勉強会、日曜日は院生研修……というルーチンで日々を囲碁漬けで過ごしていた。
そして、今日は日曜日。
院生研修の為に、ヒカルとあかりは棋院会館に向かう電車に乗っていた。
「こないだネット碁で『ichiryu』と打てたの、あかりにとってデカかったなァ」
「うん、ホントにすっごい勉強になった。一柳プロ、ものすごく挑戦的な手ばっかり打つんだもん。定石のない勝負ってワクワクしたー」
『一柳は子どものような発想で囲碁を打ちますよね。以前に私が打った時にも、目を見張るような手がいくつもありました』
「──だってさ。でもまぁ、本気じゃなかったにしてもプロにも勝てたのは事実だしな。自信もっていいぜ、あかり」
「うん! ヒカルたちにももうすぐ追いついちゃうね!」
「それはまだ早いかなァ」
『そう簡単には追いつかせませんよ、あかりちゃん』
「む。ヒカルじゃない声まで聞こえた気がするー」
話題は様々だが、先日たまたまネット碁であかりがタイトルホルダーの一柳プロと打てたことで盛り上がっていた。
一柳プロがネット碁を嗜むことは有名だ。saiとの一戦、h-i-bとの一戦でそれぞれ敗北をしており、それもまたネット民たちの間では随分と盛り上がったのだが、とうとう三銃士の一人、lightにも敗北した。
しかしlightとの対局はあまりにもお互いに挑戦的な手が多く、観戦してた人が起こした棋譜が無断で『うp』されており、ツッコミどころ満載の話題の尽きない勝負にネット民が盛りあがっていたりした。
あれが一柳プロの本気でないことはヒカルもあかりも佐為も察しており、その上で楽しく発想を広げ合うような対局を打てたことを喜んでいた。
あかりの碁は、日々益々と、深さを広げ続けていた。
「……そういや」
「ん?」
「伊角さん。また休みなのかなァ、って」
「ああ……ね。中国からまだ戻ってないのかなぁ」
さて、しかしふとヒカルが思い至り、電車内でそれを話題に出す。
伊角。院生仲間にして、ヒカルたちとも深い付き合いのあった高校二年生。
そんな彼が、九星会の誘いを受けて中国に旅立ったのが三月の下旬。
事前にヒカルたちも話は聞いており、一週間の対局旅行という話だったのだが……四月になっても、日本に帰ってきていないというのだ。
何かあったのか、と九星会に繋がりを持つ院生に聞いてみると、なんと伊角は中国に単身残り、囲碁を打ち続けているという話で。
あかりは勿論心配したし、院生内でも大丈夫か伊角さん、と話題にも上がったのだが、ヒカルはこの件について前の世界の知識もあり、何が起きているのかはおおよそ把握していた。
(佐為がいなくなって、囲碁を打たないって迷走してた時のオレを助けてくれたのが伊角さんだった。あの時に確か、二か月くらい中国で打ってたって言ってたよな……)
その後に伊角もプロになり、付き合いの中で本人からヒカルが聞いた話では、中国で打った対局が悔しすぎて無理矢理滞在して打ち続けていた、といった内容だった。
この世界でもそれが起きてるんだろうなぁ、と察するヒカルだが、少々タイミングが悪い。
(もし前の世界と同じように二ヶ月中国に伊角さんがいたら、若獅子戦が始まっちまう。その前に帰って来てくんないかな)
院生と若手プロが戦う若獅子戦は五月に開催される。
そこで院生が
不戦敗は順位のレートの変動が考慮されてはいるが、それでも現在の伊角の一組順位は十六位。
五月の順位発表で若獅子戦のメンバーが決まってしまうので、今日から院生研修に伊角が参加できないと若獅子戦に出れなくなってしまう。
とはいえ、中国棋院の連絡先を知っているはずもなく、連絡も取れない伊角にヒカルとあかりから何か出来ることはない。
待つだけしかないんだけどな……なんて思いながら、電車を乗り継いで棋院会館前まで近づいていた。
「……お、和谷だ。おはよ」
「お。オハヨーバカップル」
「なんだそりゃ」
「おはよ、和谷くん」
そこでたまたま和谷の特徴的な髪型を見つけ、挨拶をして、三人で棋院まで歩く。
棋院まですぐ近くだし、昨日も勉強会で会ってるし、特に話題などもなく歩いていたが……しかしそこで、さらに見覚えのある後姿をヒカルが発見した。
「……あれ? アレ伊角さんじゃね!?」
「え? ……あ、ホントだ伊角さんだ! 戻ってきてたのかよ!」
「わっ、伊角さーん! 久しぶりー!」
「お……」
三月の頃の記憶より、だいぶ髪が伸びた伊角の姿を発見したのだ。
三人の声に伊角も振り返り、驚いたような顔を見せる。
「……
「あぁ? 急に何!? 伊角さんなんでオレの頭撫でんのォ!?」
「どしたの伊角さん、中国で何があったの!?」
「伊角さん、髪伸びたねー! なんかオトナっぽくなった!」
「向こうで髪切れなくてな……昨日帰って来たばっかりなんだよ。とりあえず研修室行こうか」
「色々聞かせてよね、伊角さん!」
一ヶ月ぶりの再会に四者とも嬉しくなり、笑顔を零しながらも棋院会館に入って行った。
※ ※ ※
「……へェー、そんなことしてたんだ伊角くん! 私結構心配しちゃったよー、中国で死んじゃったんじゃないかって」
「物騒だな奈瀬! いい人たちばかりだったよ、みんな囲碁に真剣でさ……
「オレに似た奴ねェ。その歳で伊角さんとバチれるんじゃ強えーや」
「さっき話に出てた、九段クラスの実力の人とは?」
「ああ、中国行ってすぐの交流会でその人に負けたのが悔しくて……意地になった所もあったけど、勝つまで帰らない! って奮起してさ。最後に一回だけ勝てたから、自分の碁に自信がついた。……進藤」
「ん」
「お前のお爺さんの言う通りだったよ。挑戦するのっていいな……色々スッキリしてさ。強くなれた実感がある。後で碁会所であったらお礼を言わせてくれ」
「うん。じーちゃん最近いっつもあそこにいるからさ、いつでもどうぞ」
「助かる。そして……」
院生に囲まれながら、中国の思い出話に花を咲かせる伊角。
随分と濃厚な経験を積んできた伊角は、その佇まいも変わったようだった。
高校生が単身で外国の棋院で囲碁を打ち続ける。並大抵の心臓ではやれるはずがない。
そんな経験を果たし、精神的にも成長した伊角は、ヒカルに声をかけて、強い眼差しで見据えた。
「……オレと打ってほしい。院生で一番強いお前に、今のオレを試したい! 今すぐにでも!」
「っ! ……ああ! オレだって打ってみたい! 打とうぜ、伊角さん! それじゃあ──」
お前と打ちたいと。
棋士だから、どうしてもそれを試したくなる。
自分の力がどこまで進藤に近づけたのか、今すぐにでも試したくて、伊角は熱を籠めて勝負を持ち掛け、ヒカルもそれを快く了承した。
中国帰りの伊角さんと打つという事。ヒカルにとっても、それはとても大きな意味を持つ一局になるからだ。
しかし、そこで待ったが入る。
「……こらこら。もうすぐ対局の時間だよ、進藤くん、伊角くん。みんなも」
「あ、篠田先生!」
「そっか、もうそんな時間か! やっべ!」
「伊角くんは久しぶりです。……いい経験をしてきたようだね、中国で。佇まいが一回りも二回りも違う」
「ハイ。中国に行って、滞在できてよかったです。院生研修を休んだことはご迷惑をかけました」
「いいえ。伊角くんが無事帰ってきて、自分の中で納得できているなら何も言う事はありません。……ふむ、しかし勿体ないな。正直な話をすれば、私も君たちの対局が見たいよ。流石に組み合わせの予定は崩せないが……」
院生師範の篠田が、話に熱中する院生たちを窘めるために間に入る。
その言葉で蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの対局席に向かう院生たちだが、篠田は話の流れで二人の対局について、今日という日に実施させないのは勿体ないと感じていた。
二人の対局が見れれば、絶対に院生全体にいい影響になる。
そう思えるほどに伊角の風格が出てきたのもあり、悔しい思いを抱える篠田だが、しかしそこで機転を利かせた院生の二人が声をあげた。
「あの、先生!」
「ん。なにかね本田くん」
「オレ、体調不良で午後から早退するかもしれません! 午後にオレと手合いの予定だった進藤との対局、予定を変えておいてもらっていいですか? 進藤に悪いですし、空いてる人とでも!」
「ふむ? しかし、空いている人と言っても、伊角くんとの予定だった小宮くんはこうして来ているし……」
「あ、先生! オレも午後から腹痛で休むかも! だから午後の対局で伊角さん相手の予定だったけど、もしかすると対局空いちゃうかもしれないっス! でも意外と体調が治って午後も参加できるかもしれないから、そしたらオレ空いてる本田さんと打つよ! そんな感じでなんかいい感じにお願いしまーす!」
「まったく、君たちは! ……いいのかね?」
「問題ないです!」
「見てぇよオレらも!」
「ふぅ……若さだな。では、本田くんと小宮くんが体調不良で午後から休むかもしれないので、午後の対局は予定を変えます。進藤くんと伊角くんが対局。本田くんと小宮くんは、もし体調が回復すればしっかり対局には参加しなさい」
「ハイ!」
「あざっす!」
午後の一戦目でヒカルと当たる本田と、同じ時に伊角との対局予定で、伊角が来なければ不戦勝扱いの予定だった小宮が、息を合わせて理由を作った。
単に院生の希望というだけでは対局予定は変えられないが、欠席が二名出れば空いた一人ずつが対局する決まりだ。
そこを柔軟についた、勢い任せの提案に……しかし院生の熱意に感化されて柔軟になった篠田も、否とは言わなかった。
午後一番からの、ヒカルと伊角の対局が決定した。
その決定に、わっと院生たちから歓声が上がる。
「ありがとう先生! 本田さんも、小宮も!」
「恩に着ます! ……午後からだな、進藤!」
「ああ! ガッツリ打とうぜ、伊角さん!!」
ヒカルも伊角も、本田と小宮の思いを受け取り、礼を言って午後からの対局に想いを馳せた。
篠田は、囲碁への熱意と連帯感が揃った今の院生の環境に、改めて若獅子戦が凄まじい事になる未来を幻視して……この熱を冷ます事だけはないようにと、改めて心に誓った。
「────さあ、やろうぜ伊角さん!」
「ああ! よろしくお願いします!」
その日の午後。
三戦目の対局を終えたのち、ヒカルと伊角が向き合った一つの碁盤に院生全員が集まり、ひたすらに高みを目指して検討を重ね続けていた。
若獅子戦まで、あと一ヶ月。