逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話   作:そとみち

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【side 真柴】

 

 

 信じられなかった。

 仕掛けたはずだ。プロで経験した優位な流れを掴むための、強く攻めるための手筋を果たしたはずだ。

 ここで伊角に負けようものならダサいにもほどがある。だから、ちゃんと本気で打ったはずだ。

 自分の本気を出したはずだ。油断はしていなかったはずだ。

 

 それなのに。

 

「…………ッ、……ぐ……っ!!」

「────」

 

 中盤戦にも入っていない現時点で、己の筋は全て殺されていた。

 打つ手がない。

 どこに打っても、悪足掻きにしかならない。

 

(……クッ、ソ!! どうなってやがる!? 伊角のやつ、いつの間にここまで!?)

 

 まだ誰も、どこの対局も終わっていない。

 投了するしかないが、投了したらいの一番に自分が負けることになる。プロの自分がだ。

 そんなことは恥ずかしすぎる……と、もはや盤面に集中すらできておらず、周りに負けた時の理由を探してしまっているほどの劣勢に立たされている自分を、真柴は自覚する事すらできなかった。

 ただただ持ち時間だけが過ぎていく。

 誰か……誰か、自分よりも早く投了してくれ。

 そんな、情けない思考を自分が持っていることに、数分かけてようやく思い至り、自覚し、顔を紅潮させてその言葉を口にした。

 

「…………マケマシタ」

「……ありがとうございました」

 

 伊角が投了に応え、頭を下げて礼節を守る。

 チッ! と周囲に聞こえるほどの舌打ちを鳴らした真柴は、どうしても負けを心から認めきれず、零す。

 

「……ヘッ。こんなところでオレに勝ったってイミねーぜ。プロ試験に受かんなきゃしょーがねーんだよ」

 

 捨て台詞にもほどがあるその言葉。

 幸いにして、まだ対局中の院生の耳にはこの言葉は入らなかった。

 伊角の対局を観戦していた数名の二組の院生はそれが聞こえてしまったが、実際にプロ試験に臨んだ経験のない若者たちは、悔しさは覚えてもそれに異を唱えることはしなかった。

 ここで騒いでは、周りの者たちの対局を乱してしまうからだ。

 今、院生の仲間たちみんながとても大切な対局をしている。それを壊すことは絶対に出来なかった。

 

「……真柴」

「なんスか、伊角さん」

「いや、お前の言う通りだと思ってね。プロにならなきゃ意味がない。けど────プロになるのを焦る必要はないとも思ってる。特に、今は」

「は?」

 

 伊角は、盤面を片付けて去ろうとする真柴を呼び止めて、今の想いを伝えた。

 プロにならなきゃいけないという焦り。

 それが、伊角の成長を縛り付けていた枷であった。

 伊角はそう感じていた。進藤に出会い、中国に行くまでは、プロにならなきゃという焦りを抱え、院内順位を維持する事ばかり考えていた。

 

 でも違う。

 強くなろうとすることは、いつだってできるから。

 今は強くなる時。プロになってからも勝てる実力を積み上げる時。

 だから、目指すはプロになるという事ではない。

 目指すのは高み。

 求めるモノは更なる強さ。

 神の一手に至る道。

 

「……なんでもない。オレがプロに行くのは、少し待たせるかもだけど……プロになったら、また打とう」

「はぁ……? ……どーせ来年の若獅子戦も出るでしょ伊角さん」

「ん? ……あ、そうか」

「なんスか……オレに勝ったんだから変な天然出さないでくださいよ。せめて勝ち上がってくださいね、オレが弱く思われるんで」

「ふふ、そうだな。そうするよ」

「何なん?」

 

 真柴は伊角の言葉の意味を十全に理解はできなかったが、以前の繊細なメンタルではなくなったことは察した。

 なので雑に応対すると、どうにも伊角はそれがおかしかったらしく、IKEMENになった顔でフフッと笑う。

 そんな顔を見て真柴の肩の力も抜けて、はーぁ、と大きくため息をついた。

 そして、二人ともそれぞれが他の対局の観戦に向かった。

 

 

 

※    ※    ※

 

 

【side 冴木】

 

 

 頼むからこれが夢であってくれ。

 

 冴木はそう願った。願わざるを得なかった。

 一回戦の対局相手、進藤ヒカル。

 和谷から噂は聞いていた。院生に去年の10月に入ってから、院生内の対局で()()の天才。

 彼の強さが、和谷の強さを生んでいるとも。

 院生全体が、その強さに引っ張り上げられていることも聞いていた。

 交際関係にある藤崎あかりと共に、凄まじい実力を持っていると。

 だから今日の対局が極めて厳しいものになる事を知っていた。

 自分があるいはまったく敵わないかもしれないと危惧しており、故に一切の油断はなく全力で初手から攻め込んでいた筈だった。

 

 だというのに。

 

(コイツ、強すぎる……ッ!! オレが大手合で打ったどんなプロよりも、いや、森下先生でもここまでは……異次元の棋力だ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()!!)

 

 その差は計り知れなかった。

 プロの四段に上がった自分の常識外の強さを持つ進藤ヒカルという少年。

 彼の打つ一手が、定石という己の根幹の(ことわり)を超えて放たれ、それらが余りにも鮮やかにつながって新たな定石を生んでいるような。

 

 見えなかった。

 進藤ヒカルの強さが、理解すらできなかった。

 

(クッ……オレの地はこれでいいのか!? 想定すらしていない箇所に進藤の黒が置いてある……あれが連絡されたら終わるが……ここから連絡するような手筋を踏めるのか進藤は!? わからん! だがオレのスジが切断さ(ぶった切ら)れる予感しかない! くそぉっ……!!)

 

 冷や汗を幾筋も流しながら、それでも盤面から己がここしかないと思う個所に白石を打ち込む。

 対するヒカルは、緊張も慢心もなく、ただ冷静に冴木の手に応じた一手を返す。

 返された黒石に、ここで冴木の理解がようやく、僅かに追いついた。

 

(──────そう、いう、事か……。そうか、四手前に打った黒石はこの時のために……ダメだ、オレの筋は死んだ。それにより右辺も左辺も勢いが殺された。ここからはもうどうやっても目はない……まるで耳赤の一手を進化させたような究極の急所……)

 

 そこまで察せたことが、冴木の実力の証明と言っていいだろう。

 ヒカルの打つ新定石。この対局室内にいる誰よりも神の一手に近い彼の脳には、さらにここから幾手もの攻め手の札が手札に温められていた。

 もはや攻め札をすべて奪われた冴木は、静かにそれを察し、投了した。

 

「……ありません」

「有難うございました」

「有難うございました。……はぁーっ……!」

 

 強すぎた。

 未知なるもの。まるで宇宙人との邂逅を果たしたかのような緊張と恐怖から解放され、冴木は大きな大きなため息をつき、顔を上げた。

 

 すると、そこには。

 

「────っ!? げほ、ごほっ……え、ええ!?」

「……って、うわ怖」

 

 塔矢行洋。緒方精次。塔矢アキラ。

 ほか、院生で見学に来ていた少年たちが、ずらりと周囲を囲うように自分たちの一局の観戦をしていたのだ。

 余りの驚愕にむせる冴木と、碁盤を目線で焼き払おうとでもしてんのかってくらい睨みつける塔矢行洋と緒方の表情に気付いてビビるヒカル。

 対局は終わったが、盤面を崩すなとプロ二人の全身が語り掛けてくるようだ。

 冴木は固まった。何がどうしてこんなことになっているのか。

 

「……進藤くん」

「なんですか、塔矢名人」

「君は……君と藤崎さんは、いったい何者なんだ」

「ただの院生ですよ。今はまだね」

 

 塔矢行洋が、対局を終えた進藤に震える声を抑えて質問する。

 ヒカルはその質問に、事実だけで返した。

 余計なことを言うつもりもなかったし、それに……。

 

「いや、だが……しかし──」

「名人。オレ、午後に二回戦がありますよね」

「む? ああ……」

「それに集中したいんです。ここでヘンに騒がしくしちゃっても他の打ってる人たちに悪いし。だから、なんかオレに話したい事とかあれば、今日の試合が全部終わってからでいいですか?」

「…………成程、道理だ。その通りだな……その通りだ。しかし……いや、その通りだな……」

 

 ここで騒がしくなるのは困る。

 どうせ午前中の対局が終わったら棋院全体が騒がしくなるんだ。その上オレとあかり絡みでもう一悶着あってたまるか。

 話すなら今日の午後にある二回戦が終わってから。

 そう約束を取り交わし、じゃらりと盤面に置かれた石を崩すヒカル。

 

「なっ! ……あ、いや……」

「あっ……ううん……」

 

 緒方とアキラがそれに敏感に反応するが、知ったことではない。どうせ脳裏には刻みこんでるだろう。

 塔矢名人とアキラだけだったらまだギリ何とでもなるけど緒方さんにバレたの痛いなぁ。

 絶対めんどくせぇよこの人。どうしてくれようか。

 そんな第三の盤面も脳裏に描きながら、席を立ってあかりの応援に向かうヒカルであった。

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