逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
【side 芦原】
(────こんなに苦戦するなんて思ってなかった! くっ、まだ一回戦だぞ!? 名人や緒方さんに合わせる顔がない! ここから巻き返さないと……!)
芦原は、自分の盤面がかなり押し返されている事実に冷や汗をいくつも流して、なんとか巻き返しの道を探っていた。
一回戦の相手は、院生の女子。
随分と可愛い子が院生にいるな、いつか女流プロになれれば写真映えもよさそうだ……なんて、気楽な気分で対局を始めた芦原。
院生相手に負けるなど、今この瞬間まで考えてすらいなかった。
これまでの若獅子戦でも院生相手に負けたことがないのだ。
院生のレベルはある程度把握しており、既に三段に至っている自分の実力があれば、負けることはないだろうと。
勿論、手を緩めて打っているわけでは無い。
精神面で油断はしていたかもしれないが、対局自体に手を抜くはずもない。
相手の甘い手があれば咎め、隙があれば穿つつもりで対局に臨んでいた。
実際、これまでの自分の手を振り返っても、自分なりの失敗はない。
ただ純粋に、力負けしているというだけなのだ。
(若い子に見られる甘い手や緩みが一切ない! 五段クラス、いやそれ以上にも思われるくらいに厳しい手ばっかりだ! なんだこの子は!? アキラ並みだぞ!? 院生でもトップクラスなのか!? いや……でも──)
勝負にはなっている。
なっているが、全ての点において読みを一歩上回られている。
時折、自分の理解が及ばない箇所に石が打たれ、緩手かと思いその先まで手筋を読むが、読み切った時点でそこが己の急所だと気づく様な。
本来は自分がそれをして、院生たちの緩みを指摘してプロの厳しさを教えるための若獅子戦だというのに。
逆に自分が緩みを突かれてしまっている。
だが、芦原は相手の異様なる実力とはまた別、疑問が浮かんでいた。
(──でもこの子は、
対局相手は、奈瀬明日美。
院生で現在一組四位を維持している、上り調子の中学三年生の少女であった。
「……」
「……ッ……!」
奈瀬が、静かな心を維持したまま、さらに芦原の急所を責める。
これ以上は貴方に何もさせません、と石が叫んでいるかのような苛烈なる責め。
盤面をさらにガチガチに固めて、逆転の一手すら導かせないと鋭く深く芦原の白石に切り込んでいく。
それを受けて、芦原の次なる一手が止まった。長考に入った。
次の一手を正しく打てなければ、己の敗北が確定することを理解したのだ。
奈瀬は、ヒカルとあかりが院に入るまでは、一組の中位~下位を行ったり来たりする程度の棋力だった。
ガッツリ崩れもしないが、強い相手に勝つこともない。
ある意味では安定した実力と言えた。囲碁の才能はあったのだろう。
……いや、才能という意味では、彼女は正しく測られていなかった。
なぜなら、奈瀬は他の院生のほとんどがやっているように、プロの指導や研究会への参加、九星会などの囲碁を学ぶ場に所属していなかったのだ。
独学で院生一組を維持する棋力を持っていた。それだけでも十分に彼女の努力が伺える。
そんな彼女が、劇薬と劇薬を服用した。
ヒカルとあかりという、院生にのみ服用を許可された特効薬。
これを、最高の濃度で服用したのが奈瀬明日美という少女なのだ。
院生研修での検討にも真剣に参加し、ヒカルたちが土曜日に碁会所で勉強会を開くとなれば、毎週欠かさずに参加した。
さらに、ヒカルとあかりのネット碁の話題を秘匿する事を交換条件に、平日放課後はネット碁であかりと対局を交わすようになった。
二人との出会いをきっかけに、強くなるためにできる全てをがむしゃらに取り組んだ。
その結果、他の院生と比較しても頭二つ抜きん出る勢いで、棋力を伸ばしていた。
院生の一位と二位は説明するまでもなく、三位は奈瀬よりも先に
それに次ぐ順位を維持できるまでに、奈瀬の碁は成長していた。
和谷。奈瀬。そして中国で更なる棋力を身に着けて帰って来た伊角。
この三人が、現在の院生トップ2を除いて、院生最強の三人である。
「──────ありません……」
「ありがとうございました」
「有難うございました……」
長い長い長考を経て、芦原が己の投了を宣言した。
力負けだった。
アキラを相手にするときのような、己の手が全て吞み込まれるような
こんな院生がいてしまうのか。
絶対、この子が院生のトップだ。
間違いなくアキラのライバルになるだろう。
芦原は、自分のトーナメント運の無さを嘆いた。
「……キミ、凄いね。油断したつもりはなかったけど……強かった、ホントに……院生のトップだろう? 師匠は誰に?」
「いえ、院生順位は四位です。まだ勝ったことのない子も二人いますし」
「えっ? 四位……?」
「はい。プロの指導は受けてなくて、その二人が師匠だったりします。一杯教えてもらって……可愛い二人ですけどね、年下の。でも強くなるきっかけをくれた心の師匠でもあるの。今大会の目標はあわよくば師匠超え!」
「え……えっ??」
芦原は耳を疑った。
こんなに強い子が、院生内で四位? さらに上に三人もいるのか?
それに何か? この子はプロの誰にも指導してもらっていないって? 院生同士で教え合って……一年で、この強さに?
それじゃあ、プロの、名人の元で教わってる自分はなんなんだ?
この子よりも強いというその二人に教えてもらっている院生は、どうなっちまってるんだ?
茫然としてしまい、笑顔で碁石を片付け始める奈瀬の顔をぽかんと眺めてしまう芦原。
それに気分を良くした奈瀬は、プロ相手に勝利した快感を反芻しながら片付けを進める。
芦原が我を取り戻した時、既に碁石は入れ物に仕舞われており……そして、既にさらなる事件は起きていた。
「────え?」
芦原がそれに気づいた。
余りにもざわついた会場内。
ほとんどの対局がすでに終わっている様子で。
そんな中で。
対局を終えたプロの誰もが真っ青な顔をしていることに、芦原が遅れて気づき。
その原因に思い至り、顔色が同じものになった。
※ ※ ※
【side 倉田】
(いやー、打てるなこの子! すごいぞ、四段のオレにここまでやれたのはマジで強いよっ! でも悪いね、この一手で終わりだっ!)
ぱしっ、と甲高く白石を鳴らして、急所に差し込んだ倉田。
対局相手の、まだ間違いなく小学生であろう小さな男の子が、倉田の一手にぐ、と苦し気に長考に入る。
ここまでお互いにテンポよく、早碁のようなスピードで打っていたが、中盤を超えて終盤に入り、ヨセに入るあたりで少年の打つ時間が一手ごとに長考を挟んでいた。
倉田の白石が、少年の黒石の地を削り取っているのだ。
(いやぁ……まさか中押し勝ちできなかったとはなぁ。終局まで打っちゃったよ、ホントに鋭い打ち込みばっかりだった。若いのに大したもんだ。このコ、オレ並みの才能かもな! ドンマイだな、一回戦でオレに当たっちゃって。例年なら決勝まで行ってもおかしくないよ)
会場内のエアコンが随分と効いていないようだ。
五月でも少々室内が暑い。ぱたぱたと扇子を仰いで、倉田が改めて盤面を見る。
そこには、一切の油断なく、全力で打ち果たした結果の優勢な白石が並んでいた。
(座った瞬間に勝負勘がヤバいって感じたんだよなァ……いやーその通りだったよ。見た目で判断しなくてよかったマジで。油断してたらひっくり返ってたかも。これでこの年齢ってんだから将来楽しみすぎるよなァ。オレが研究会とか開く時は絶対呼んでやろっと)
恐らくは今年参加する院生の中でも最年少であろう少年に、しかし倉田は対局に入った瞬間に一切の油断も隙も無いと判断を改めることになった。
それ故に対処できた。若さが迸る様な鋭い切り込みにも、妙手にて見事に応え、押し返すことに成功していた。
その後も、少年が最後まで諦めずに何とか地を押し返そうと必死にヨセで足掻いたが、覆ること能わず、三目半差で倉田が勝利した。
「有難うございました」
「ありがとう、ございました……ぐすっ……くぅぅ~~……っ!!」
「わ、わわっ、泣くなって! オレが悪者みたいになっちゃうじゃん!」
「うえぇぇぇ~~~~ん……!!」
「泣くな泣くなァ! 強かったぞキミ! 福田クン*1だったよな、名前バッチリ覚えたぞ! なんならそこらへんのプロとの対局よりオレ必死だったもん! 早くプロになるんだぞ! オレへのリベンジ待ってるぞォ!」
「わぁぁ~~!! うわぁぁ~……っ!」
「はぁ。困ったなァ」
対局終了の挨拶までは堪えたが、しかし敗北した院生の少年が、大粒の涙を零して泣き始めてしまったのだ。
これには倉田も参った。自分という最強のプロにここまで善戦して負けたのだから、そりゃあ悔しいだろうが……泣かれたら打つ手がないのだ。最強の一手を終局後に打たれてしまった。
ほとほと困り果てて、周囲に助けを求めて会場を見渡す倉田だが、しかしここで、ようやくその異様なる状況に気付いた。
「……あれ? ウソ、オレが最後の終局? みんな中押しで終わったの?」
既に、自分達以外の全ての一回戦の対局が終了していた。
故に、最後まで打っていた自分たちの周りにギャラリーが勢揃いしており、それも驚いた。
ギャラリーの中に何故か自分以外に一回戦に参加していたプロの姿が少ない。
ほとんどは院生と、あと塔矢名人と緒方プロと、記者の方々くらいで。
しかしその中のプロ側の人間のうち、何人かは顔色がすごく悪い。
何があったのか。
「……え? あれ? ゴメン結果どうなったの? ねぇ先生? オレ以外のプロ誰が勝ち上がったんです?」
倉田は、その中から一番冷静に話が出来るだろう相手、塔矢名人に怖気づく事無く状況を聞くことにした。
塔矢行洋は、倉田のある意味ではいつも通りな傍若無人な雰囲気に苦笑を零しつつ、現状を説明する。
はたしてそれは、囲碁界を震撼させる事件であった。
「キミだけだ」
「……え?」
「キミだけが、一回戦勝利したプロということになる。そのほかは全て、院生が勝利した」
「────は?」