逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
日本棋院職員、『週刊碁』の記者である天野は、カメラを持つ己の手の震えを止められなかった。
一回戦終了のこの時点で、カメラも取材も、需要は出てこないと考えていた。
せいぜいが一回戦を
若獅子戦はやはり若手のプロ同士の対局がどうなったかが注目される。
二日目から三日目にかけて取材の頻度が増えることが予想された、そんな初日の一回戦を終えて。
(──前代未聞だ!! 十六名のプロのうち、院生に勝てたのが一人だけなんて!! しかもほとんどの対局が中押しによる勝敗! プロが下手を打ったのではない、院生が強すぎたんだ!! これは事件だ……間違いなく囲碁界を揺るがすほどの大事件!!)
既に天野の脳内には、いくつもの一面記事の文言が生まれていた。
『プロ完敗! 若き力、院生たちの逆襲劇!!』
『院生に勝てないプロ その資質が問われている』
『院生の革命 何が起きた? ──院生師範 篠田プロに聞く──』
どんな記事タイトルにしようと、囲碁界は大きく揺れるであろう。
若手のプロの立場を危うくするような記事は書けない。書きたくない。
彼らがそれぞれ努力をして、必死にプロとしてやっていっている事実を知っているからだ。
だからこそ、ここでフォーカスするべきは院生の強さ……それをはっきりと記事にするために、天野は最後の対局が終わった瞬間に、院生師範の元へ駆け寄った。
「……篠田さん! すみませんが一言お願いしていいですか!?」
「ああ、天野さん。ええ、私への取材は勿論構いません。ただし、院生への取材はせめて今日の二回戦が終わってからにしてください。彼らには午後の対局があるのですから」
「あ、は、はい! それは確かに……その通りですね」
「よければ他の記者たちも一度に全部呼んでしまいましょう。午後の対局開始まで、私が全て質問に答えますよ。天野さん、声をかけてきてもらっていいですか?」
「わ……わかりました。そうですね、その方が午後の対局に影響が出ないでしょう」
「ええ。どうかよろしくお願いします」
天野が声を張り上げて篠田に取材を依頼すると、待ってましたと言わんばかりに篠田が微笑み、取材に応じる。
篠田は、このタイミングの取材が当然にしてあることを分かっていた。
分かった上で────絶対に院生たちの勝負の邪魔はさせないと、己に誓っていた。
余計な取材も、過分な激賞も、まだ院生たちには早い。
むしろ、この後の対局こそが、院生たちにとっては本番なのだから。
だからこそ、篠田はここで記者の取材を一手に受け持つことを決めていた。
進藤ヒカルと藤崎あかりを院生に加入させることを決断したときに、責任は取ると己に誓ったのだ。
院生たちに下手な好奇心からの取材で調子を落とさせてはいけない。
今日の午後の対局が終わるまでは、院生たちの盾になる決意だった。
そして、天野もまた、篠田のその覚悟を正しく受け止めた。
先程までは余りの事件に動揺があったが、篠田の様子で改めて思い返したのだ。
ここで院生たちに次々と、かわるがわるに取材など出来るはずもない。
取材を始めてしまえば、間違いなく興味は加速する。お昼休憩の時間も、対局までの集中も切らしてしまうだろう。
そんなことを週刊碁の記者がやってはいけない。
篠田と天野の想いは共感し、即座に現地にいる全ての記者を別室に集めて、取材が始まった。
もちろん、記者たちがいの一番に聞きたい事はただ一つ。
「────院生に何があったんですか、篠田師範!?」
そして、それに対する篠田の答えもただ一つ。
「────強くなったんですよ。立派でしょう?」
人を食ったように笑う篠田。
天野はその瞬間のシャッターチャンスを逃さなかった。
※ ※ ※
「アキラくん」
「なんでしょう? 緒方さん」
午前中の対局が全て終わったころに、緒方がアキラに声をかけた。
同席していた塔矢名人は、篠田師範が取材に向かうのを見て、それに続いて取材室に入って行った。
囲碁界を震撼させる事件。どのような記事になるのか確認をしなければならなくなったからだ。
そして、革命を目の当たりにした緒方もまた、当然の疑問をアキラにぶつけることにした。
「院生たちの異常なる進化……キミは知っていたな?」
「はい。こうなるだろうなとは思っていました」
「何故言わなかった?」
「何故言うと思ったんです?」
「…………成程。確かにオレに言う理由はないな」
「はい」
しれっと緒方の問いに答えるアキラ。
緒方はその様子に、ホントに反抗期になりやがったなコイツ……と内心で舌打ちしつつも、同時に己のアンテナの低さに辟易した。
院生全体のレベルが、低段のプロを超えるほどにまで成長していること。
上位になれば、五段六段のプロでもいい勝負になってしまうほどの力。
アキラにも比肩しうる実力を、院生の複数名が保有しているという事実。
それを全くもって把握していなかったのだ。
そして、院生トップの二人……進藤ヒカルと藤崎あかりが、恐らくは院生の成長を促した。
その二人は、今すぐタイトル戦に出ても場違いにはならない棋力を保有している。
こんな事態になっていることに、半年以上も気付けなかった己の失態を恥じていた。
(クソ……確かに塔矢門下には院生はいない。森下門下なら確か院生が一人いたはずだし、他のプロの研究会や、九星会にもいたはずなのにどこからも情報が漏れてなかった。院生側で漏らさぬようにしていたか……いや、違う。こんな面白い事を誰が漏らそうとするのか。自分の弟子が、塾のエースが若獅子戦で牙を向くことを画策していて、それをバラす師範がいるものか……やりやがったな。誰も
自分まで情報が来なかった理由は簡単だ。
他のプロで、院生の弟子が強くなっていることを自慢する……くらいはするかもしれないが、それに伴い院生全体がプロを脅かすほどに成長しているとは思わなかったのだろう。
思ってもバラさなかったのかもしれない。院生が若獅子戦で勝つこと自体は珍しい事ではないからだ。
しかし、十六人中十五人も勝ち上がってしまえば全ての前提が覆る。
院生側の、特に篠田師範は確信犯だろうが……しかし、そこまで緒方は考えて、この思考自体が根本から間違っていることに気が付いた。
(……いや、違う。
今回の事態に、悪かった者はいない。
少なくとも、院生側に何の非もない。
彼らはただ、院生という存在の意義である、囲碁の実力向上に努めていただけなのだ。
強くなりすぎたことが罪になるはずがない。
篠田師範も含めて、御咎めなどあろうはずもない。
だからこそ。
どうにもならないこの事件に、囲碁界は揺れざるを得ない。
「……アキラくん。君は今年プロ試験を受けると言っていたな」
「ええ。今日ここに来て、改めてその気持ちは強くなりました。流石は進藤くんと藤崎さんだって、胸を張って叫びたいくらいですよ」
「フッ、やはりその二人がこの事件の首謀者か」
「事件だなんて。トーナメント戦で、実力で勝敗が決まった。それだけでしょう?」
「それだけになってほしいものだな」
故に、緒方はアキラに話題誘導を仕掛けて、院生がこうなった原因を聞き出した。
朝に挨拶していたアキラの友人だという二人。
この二人が間違いなく院生に何かしたのだ。
それが確信できたことで、さらに緒方の推理は鋭く核心へ進む。
(アキラの棋力が伸びた理由、院生が強くなった理由────繋がった。
会場内に準備されている灰皿スタンドの前で煙草を取り出し、火をつけて緒方は己の推測に確定の印を押下した。
これほどの急激な院生の実力上昇。『light』が絡んでいるとなれば頷ける話だ。
そこに『h-i-b』も絡み、もしかすれば『sai』も絡んでいるとなれば……あり得てしまう話なのだろう。
この確信で、緒方の中で進藤と藤崎という二人の中学一年生に対する年齢の壁は抹消された。
年齢で実力を疑う事はない。既に見せつけられてしまったのだ。
何故その年齢で、と聞くことも、どこで誰に囲碁を教わったか、などと聞くことももはや不要。
二人の腕に神の一手が宿っている。その事実だけで緒方にとっては十分だった。
「…………くくっ」
「……随分楽しそうですね、緒方さん」
「わかるか? 恋焦がれた女にとうとう出会えた気分だ」
「気持ち悪いですよ?」
「ストレートすぎるな最近のキミは」
絶対に、進藤と藤崎にはオレと一局打ってもらう。
そのために、二回戦が終わった瞬間にどのように動けばいいのか、緒方は脳内でいくつもの作戦を組み立て始めるのであった。
※ ※ ※
「うぅ……ごべんねみんな゛ぁ゛……ボクが負けたから、院生の全勝がぁぁ……!!」
「なーに言ってんのフク! あの倉田四段に最後まで粘って三目半まで鬩ぎあったんだから! 誰もアンタを責めないわ!」
「そうだぜ。進藤と藤崎以外、オレらの誰がやっても倉田プロは厳しい相手だった。倉田プロだって対局終わった後にフクの事褒めてただろ? アレ絶対本心だぜ」
「全勝が惜しいって気持ちは分からなくもないけど、実力を十分見せつける事は出来たさ。オレたちに申し訳ない、なんて考えなくていいぞ」
「ぐすっ……ふぇぇ~~……!!」
一回戦を終えた後、院生たちは一室に集まっていた。
この日のための控室を、篠田師範が準備していたのだ。
必ず一回戦が終わった後はこの控室に集合し、不用意に外に出ないように、と指示していた。
指示の理由も説明されて分かっている。
今ここで院生が自由に歩き回っていたら、記者からどんな取材を持ってこられるか分かったものではない。
私が一回戦を終えた後の記者からの面倒な質問は全て受け止めるから、キミたちは二回戦に備えなさい────と。
「よしよし。頑張ったぜ、フク。倉田プロ相手にマジでよく打ててたよ。学ぶところも多かったろ?」
「進藤くん……うん、ぐすっ。倉田プロ、ホントに強かった……くやしいけど、いっぱい勉強もできたよ」
「そうだ。いつもオレたちで言ってる通りだぜ。勝った対局も、負けた対局も、捉え方次第で自分の糧になるってヤツ。現役プロで一番勢いがある人とバッチバチに鎬を削り合えたんだぜ? 胸張っていい。お前は頑張ったよ……そして、その悔しさは忘れんな」
「……うん」
師範の思い遣りを受けて、勝ち上がった院生たちは次なる試合に集中することが出来ていた。
一撃目の革命は終わり、ここからは(ほぼ)院生同士でのガチの試合だ。
院生という立場は、実を言うとこういった公式な試合に参加する機会がほとんどないと言える。
院内での順位戦や、今回の若獅子戦、プロ試験ももちろんあるが……逆に、院生になったことでアマの試合などへの参加が禁止される。
プロ試験を目指す立場とは裏腹、敗北の許されない公式試合の経験が乏しい立場に置かれるのだ。
一局の重みを実感する場として、この若獅子戦の経験を無駄にするわけにはいかない。
そんな想いで、ヒカルも皆と共にフクを慰め、フクもヒカルたちから教わったその心意気の通り、今日の倉田プロとの敗北を胸に刻んだ。
「大丈夫だよ、フクくん」
「藤崎さん……」
そして、涙を拭うフクに笑顔で声をかけるのは、藤崎あかり。
可愛い後輩がいじめられたのを見て、大人しくできるほどこの少女はお淑やかではなかった。
「午後は私が倉田プロと当たるからね。仇はお姉ちゃんが取ってあげる!」
「……うん! こてんぱんにしちゃってよ!」
「任せてっ!」
ぱちりと綺麗にウインクして、フクの仇を取る事を誓うあかりであった。