逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
海王中囲碁部が使っている普段の部室は、今日は部員たちの控室として使われていた。
部員たちが現在、昼休憩の時間としてここで過ごしている。
しかし、その中の雰囲気は休憩と言えるような穏やかな時間とは一転し、緊張感に溢れていた。
「午前中の葉瀬中の対局の棋譜はこれで全部!?」
「た、多分! 一年生の三将の子が相当な早碁ですぐに試合が終わっちまって片付けちゃってたけど、おおよそは間違ってないはずです!」
「大将の試合は最後の方まで打ってたけど……多分こんな感じで……」
「いや……ここ石の順番が違ってなかったか?」
「覚えてないんだよ! 序盤中盤は微妙な腕前で定石を外してくるし、終盤に入ってからは意味わかんない所に打ち込むし!」
「この副将も相当打てるぞ……僅かでも相手が甘い所に打ったらすぐに咎めてくる。一番強いのは副将か……?」
「そう……ね。副将と三将が序盤から攻め立てる打ち方。大将は終盤までモツレてるけど、序盤はちょっと甘い打ち筋が見えるわね……そういう作戦かしら」
囲碁部の女子生徒の大将である日高が、女子の部に参加していた自分が見られなかった葉瀬中の対局の棋譜を並べて所感を零した。
一回戦、二回戦共に3-0で勝利を収めた、今大会のダークホース、葉瀬中。
まさかこんな中学校が出てくるとは思わなかった。
しかし、この結果もある意味では当然と言えるだろう。
なにせ、葉瀬中の囲碁部にはあの進藤ヒカルと藤崎あかりが入部しているのだ。
(こんな日じゃなければ、藤崎さんにサインの一つでも貰いたかったくらいよ……ズルいわ、葉瀬中は! 私だって藤崎さんと一度でも打ってみたいのに!)
女子部員である日高は、己が囲碁の実力に自信を持ちつつも、男子との差に悩んでいた時期があった。
それはプロの世界まで続く、囲碁界に蔓延する女性棋士の立場の弱さ。なぜか実力に現れる男女差。そういったものを日高は部内ですら感じたことがあり、気に入らない文化であった。
しかし、そんな日高が週刊碁で見た、藤崎あかりという光明。
決勝戦では惜しくも進藤ヒカルに敗退してしまったが、記事の中には二人は幼馴染で、実力は極めて伯仲しているとも書かれていた。
現時点でタイトル戦に挑んでいてもおかしくない棋力を二人とも持っている、と塔矢名人の太鼓判までコメントで押されていたのだ。
すなわちそれは、男性棋士に勝るとも劣らない実力を、自分よりも年下の女子が持っていることになる。
ファンになるには十分な理由だった。藤崎あかりがプロになり、いずれ公開対局や指導碁のイベントなどがあろうものなら絶対に参加しようとまで考えていた。
そんな藤崎あかりと、大会の相手校の部員として出会ってしまうとは。
日高は、この唐突な出会いに感激と苦心を同時に味わっていた。
「……久野、青木」
「はい」
「はい」
そして、囲碁部部長であり、この後の決勝戦に挑む岸本は、同じく大会メンバーである副将の久野、三将の青木に声をかけた。
葉瀬中の実力を確かめるためにこうして棋譜を並べて見たが、結局のところここにある棋譜だけでは実力は正しく測れるはずもない。
三谷と加賀は中押しでの勝利。筒井の打ち筋は、その恐ろしさを感じ取れる者しか感じ取れないのだ。
「三将の少年は早碁でペースを乱しつつ、相手をかき乱す打ち筋を得意としているようだ。青木はとにかく落ち着いて打て。ペースを乱したら一気に持っていかれるだろう……守備に徹するのも手かもしれない。決してスキがないわけでは無い。お前の力を信じろ」
「うん、ボクもそう考えてたよ。一年生なのに強いよねぇ、この子……でも、我慢強さはちょっとだけ自信があるからね。頑張るよ」
「ああ。そして久野が相手する副将の打ち筋だが……正直な所、ここまで見える盤面では隙と思えるような隙が無い。序盤中盤、攻めにも守りにも鋭い手を打つオールラウンダーだ。力戦になるぞ」
「分かっている……分かっているよ岸本。出来る限りの全てを出すしかない。オレの三年間が試されるな……」
「頼んだぞ、二人とも。……恐らく、オレの試合が一番厳しいものになるからな」
「えっ」
「何で?」
共に戦う二人に決勝戦に挑む前の検討を果たしつつも、岸本は眼鏡を指先でくい、と持ち上げて、弱気とも思える言葉を零した。
その言葉に、副将と三将である久野と青木が首を傾げる。
現在並べられた盤面を見ても、葉瀬中の三人のうち、一番ヌルい手が多く見られるのが大将の筒井の盤面だったからだ。
少なくとも序盤と中盤は、他の二人よりも甘い。
今この場で盤面を見ている部員たちのおおよそ全員がそのように読み取れており、だからこそ疑問を抱かざるを得ない。
その疑問をいの一番に口に出したのは、検討に混ざっていた女子生徒の日高であった。
「岸本くん? 部長のあなたが弱気になってどうするのよ! どう見てもこの三人なら大将が一番棋力が低いわ。貴方が早くに勝ちを確定させて、二人を楽にさせてあげないと駄目じゃないの!」
「……耳が痛いな、日高。もちろん、負けるつもりは一切ない。ないが……」
もとより男勝りで竹を割ったような性格の日高は、部長の弱気を咎める言葉をかけた。
内容はまさしくそのとおりであり、岸本もこれには苦笑を零すしかないのだが、しかし違うのだ。
知っているのだ。
岸本は、その恐ろしさを、既に一度味わっている。
「────岸本部長の仰っていることは、ボクは正しいと思います。部外者が差し出がましくて恐縮ですが……」
「え、塔矢くん……?」
「急にすみません。でも、葉瀬中の三人の中で、恐らく最も棋力が高いのは大将の人です。その恐ろしさは……ボクには分かった。岸本部長もきっと……」
「ああ。オレは……院生にいた頃の最後に、藤崎と一度打っていてね」
「ッ!」
「あの時に見せられた、オレの囲碁人生を大きく変えた対局に見えたクセが……大将の筒井くんの手から散見されるんだ。恐らく、彼の神髄は終盤戦にある」
「……嘘でしょ? 序盤からこんなヌルい打ち方をしてるのに?」
「いや、二人の言う事もあながち的外れではない」
「尹先生まで!? そんな……」
話にアキラも絡んできて、岸本の判断とアキラの判断も一致した。
囲碁部顧問である尹もまた、筒井の異常なる棋風を感じ取り、仮説を補強する。
アキラが感じ取り、岸本が一度味わっており、尹も韓国のプロのハイレベルな対局を知っているからこそ辿り着いた結論。
筒井という少年は、終盤に全振りという異常な打ち方をしてくるのだ。
「彼に勝つには……中盤戦までにひっくり返せないほどの地の差を作るしかないだろうな。何とか中押しでの勝利をもぎ取れれば……」
「頑張りますよ。オレは幸いにして、昨年の院生時代に藤崎と一度打てている。あの一局を経験したことで、中盤までに地を広げるのは随分と上達した実感があります。それを使って、取り返せないほどの差を作る。それしかない……」
「導火線になる箇所の石がいくつも配置されてますから、それを連絡されないようにすることも大切だと思います。岸本部長、もしよろしければ今ここにある盤面で、自分が読み取れた地雷のような箇所の石について棋譜検討しますか?」
「すまないが頼めるか、塔矢。なりふり構っている暇はない。部員のみんなも昼食を取りながらでいい、ぜひ塔矢の検討を聞いてくれ。高レベルな棋力を持つ人の検討を聞ける機会は貴重だ。検討することでより碁の理解が深まるからな」
あっけにとられる日高を置いてけぼりにして、岸本と尹とアキラが本格的な筒井の手の検討に入る。
アキラが読み取った筒井の意図を一つずつ説明するたびに、日高を含む部員たちの顔色は青くなったり白くなったりとせわしなくなった。
説明されればされるほど、終盤からどれほどの勢いで捲り返してくるのかが恐ろしいほどであったからだ。
棋力が高ければ高いほど、この盤面の恐ろしさを読み取れる。
副将、三将の久野と青木も共に、岸本はこの昼休憩の時間で僅かでも対策を練るべく、全霊でその検討に臨んでいた。
(……もしも中盤までオレが攻めに攻めて、それでも中押し勝ちが出来なかったら…………オレは、再び
そんな中で、ふと岸本の脳裏によぎる、藤崎あかりとの初対局にして最後の対局。
中盤までに自分でも信じられないほどに巧手を討ち果たし、その上で終盤に一気に捲り返してきたあかりの手に、岸本は己の敗北を察して投了した。
あれと同じようなことになったら……いや、させるわけにはいかない。
(落ち着け。たとえ背後に進藤と藤崎がいても、実際にあの二人と対局するわけでは無い。院生で揉まれ、心が折れ、夢諦めて……なお、囲碁にしがみついたオレなりのプライドがある。……負けない。ここで負けるわけにはいかないんだ)
岸本は、一筋の冷や汗が背中に流れ落ちたのを感じた。