逆行したヒカルと佐為が藤崎あかりを魔改造するお話 作:そとみち
海王中の二敗が確定し、優勝校が決定した。
その事実に、海王中の囲碁部はどうしようもなく気分が落ち込むことから逃れられない。
常勝校だったのだ。環境から違う海王中の囲碁部は、敗北なんて考えられないほどの棋力で何年も王者に君臨していた。
団体戦ならば学校全体の棋力が求められる。敗北するなんて想像すらしておらず、ショックを隠し切れない部員もちらほらと見える。
だが。
その嘆きも、困惑も、その周囲にいる人々には伝わっていなかった。
現在も行われている決勝の大将戦、筒井と岸本が鬩ぎあう盤面が余りにも灼熱の時を迎えていたからだ。
(岸本部長……見事だ! 中盤戦を経てここまでの差! これならば、
盤面を眺めていたアキラは、現状の盤勢を見て、そう判断した。
序盤から中盤にかけての岸本の攻勢が、凄まじいの一言に尽きた。
懸念されていた、地雷のように埋め込まれる後半から捲りの種になる筒井の黒石も、限りなく連絡を絶っている。
ここからアキラがそれぞれ打ち継いだとして、間違いなく岸本の白で押し切れるであろう……黒の捲りは凌げるであろう、そんな盤面が組み上げられていた。
「……っ、……!」
「…………」
盤面を睨む筒井が可能性を模索し続け、岸本が冷や汗を流しつつも応手を待つ。
この決勝で、全ての想いが託されているこの勝負に、海王中の生徒も、葉瀬中の生徒も、一心に睨み想いを共有していた。
ヒカルとあかりも現状の盤面を見て、筒井が相当に厳しい事を理解しており、表情は真剣そのものだ。
三谷も加賀も、筒井が後半からワケの分からない捲りを果たすことを知っていてもなお、ここまで押し込まれてはかなり厳しい事を察している。顔色は悪い。
だが、それでも敗北はまだ確定していない。
一心に、ここからの筒井の逆転を祈り、心から応援をしていた。
みんなで筒井の背後に立ち、共に戦っていた。
それは海王中の生徒たちも同様だ。
敗退した久野と青木、他にも部員たちが勢ぞろいし、このまま押し切って勝利し、大将戦の勝利を、一矢報いることを岸本の背に期待していた。
お互いの学校が一丸となり、二人の盤面に想いを注いでいた。
そんな様子を、少し離れたところ、壁に背を持たれながらも遠目に眺めていたのが、藤崎ゆかりだ。
(がんばってんなー筒井くん。みんなもあんなに必死になって……セーシュンしてんね、なんか)
この部屋の中で一番真面目に囲碁に向き合っておらず、棋力も低い(と自分では思っている)ゆかりは、あの輪の中に自分が混ざる事を、なんだか気恥ずかしく思い、遠目に離れて応援することにした。
自分は高校一年生で、はっきり言えば部外者だ。
葉瀬中囲碁部OG……と胸を張って言えるほどの者でもない。
そもそも仮入部だったし。部活として正式に認められてないし。
大会にも、一度も参加してないし。
(ホントに、囲碁部としてなにか活動したってのはないんだよねー、私。週に一回くらい放課後にふらりと理科室寄って、筒井くんと囲碁一局だけ打って。月に一回の勉強会でウチにお呼びして……そこでもあかりとヒカルくんが筒井くんと打ってただけで、私はほとんど見てただけだしなー)
不思議と、中学時代を思い返すゆかり。
筒井の真剣な横顔を見ていると、どうしても思い出す。
放課後、薄暗い理科室で、窓から入る風がカーテンを揺らしながら、筒井と気楽に対局していたころを。
(部活としてぜんっぜん機能してなくて……私にとっては暇つぶしの一環だったんだけどな。部員も増えなくて、筒井くんも寂しそうにしてたけど……こうして、大会に参加出来て……あんなに必死に、一緒に戦ってくれる部員たちができて……よかったね、筒井くん……)
今、ゆかりの目に写る光景は、とても暖かくて、眩しいくらいの青春の風景だった。
お互いの学校の部員たちの想いを受け止めながら、お互いの部長が信念をかけて、決勝戦にて競い合う姿。
これ以上はないほどに晴れの舞台と言えるだろう。
そんな場面で、真剣に盤面を見つめる筒井の横顔を見つめていると、なぜか。
筒井の周りに、たくさんの部員がいて、一緒に戦っている姿を見ていると、なぜか。
(────あ、ヤダ。ウソ、恥ずかしい、化粧落ちちゃう。っ……まだ、終わってないじゃんね……っ)
涙が、溢れてくるのだ。
ゆかりの瞳から、静かに涙が零れ落ちていった。
それは、あの二人きりの理科室で、いつか大会で優勝して藤崎先輩に恩を返したい、と言っていた筒井が、本当にそんな場面に臨めていることへの感動なのか。
それとも、既に卒業してしまってあの場に一緒にいられない自分の虚しさか。
わからない。
わからないけれど……どうしようもなく、涙が溢れてきてしまうのだ。
ぐす、と鼻を鳴らして、涙で化粧が落ちてしまわぬようにハンカチで上品に拭う。
トイレで化粧を直してきてしまいたいくらいだが、流石に今、ここでこの場を離れるつもりはない。
(絶対、最後まで見届けるからね。頑張れ。筒井くん。頑張れ……)
ゆかりの目から見ても、現状の盤面は筒井に絶望的なほどだ。
ヒカルとあかりの顔色を見ても、相当悪い。厳しい事が察される。
でも。
ゆかりの知る筒井は、いつだって、ここからワケわからん捲りを果たして、鮮やかに逆転するのだ。
だから、ゆかりはこの場にいる誰よりも純粋に、筒井の勝利を信じることが出来ていた。
(────頑張れ)
その祈りは、言葉としてではなく、涙として零して。
胸の前に両手を置いて、一心に筒井の勝利を祈り続けていた。
祈りは、果たして通じたのか。
「────ッ!!」
「────っ!?」
筒井は、秒読みになる寸前まで己の持ち時間を使い切り、先の可能性を検討し続けて、とうとう応手を果たす。
打ち付けた黒石は、ヒカルとあかりの目を通し、光を放っているように見えた。
アキラの目には、余りにも凄まじい一手に映り、心底から戦慄した。
岸本もまた、同様に戦慄した。
その一手。
神の一手の真逆、悪魔の一手のような打ち筋。
(ウソだろう!? ここに来て……筒井さんの黒石、その中でも最も広く地が形成できるであろう右辺の有利を
アキラは、筒井のその一手の意味を、ヒカルとあかりに一寸遅れて理解した。
まるで身投げのような妙手。
悪手と見間違わんばかりの一手だ。
実際、そこに石が置かれた時点で後方で観戦していた海王中の部員たちからは軽い安堵の気配が漏れている。
自分の利を、中盤戦を終えた瞬間に投げ捨てる様な凶行なのだ。
これで岸本の勝利はほぼ固まったとみてもいい。海王中の部員はそう感じ取っていた。
だが。
そこには特大の罠が仕掛けられている。
(しかし、
それは、対局相手に選択肢を求めたこと。
これにより、筒井は勝率を1%以上に強制的に固定した。
先程までは、岸本と筒井が完全に正着打を打ち続けていれば、勝敗は100%だった。
僅差まで筒井が詰め寄るだろうが、岸本が僅かに凌ぎ切る未来が見えていた。
だからこそもアキラも、ヒカルもあかりもそれを察して顔色を悪くしていたが、筒井はあえてこの時点での僅かな己の有利すら捨てて、更なるイバラの道へ足を踏み込んだ。
そして、相手方に有利になる様な一手を打ち、それによる油断すら戦略に組み込んで、マギレを求めていった。
敗色濃厚だった筒井がさらに己の分を悪くすることで、岸本の困惑を誘い、泥沼に引きずり込んだ。
アキラはこの一手に、無限の可能性を脳内に描くことになった。
常識では測れない、しかし確かな意図を含んだ一つの石。
神ならば打たないだろう。
最良の一手たる神の一手からは、最も離れた所に存在するこの一手。
しかし、だからこそ機能するモノがある。恐怖だった。
「…………」
無論、岸本もその一手の意味する所は察している。
自分の有利をあえてさらけ出されたことで、己の択を増やされた。
これにより、岸本は終盤戦からヨセに入るまで、さらに思考を使う事を強制される。
それは、岸本にとっての苦手な項目。
「……っ」
「────!!」
岸本の応手に、既に持ち時間をほぼ使い切った筒井が即答で黒石を打ち返す。
筒井に迷いはない。既に終盤戦、彼の領域だ。
放たれるは広げた地を無限に食い荒らしてくる怪物の打ち筋。
その気迫に、剣幕に、見る見るうちに息を吹き返す筒井の黒石に、岸本は気持ちの揺らぎが生まれる。
中盤戦まで広がっていた己の地を、後半になって食い破られる経験。
岸本の経験した対局で、最も印象に残っている、藤崎あかりとの対局がデジャヴとなって脳裏に描かれる。
(オレは……)
あの時。
あの時、心が折れていた岸本は、あかりとの対局で、終盤戦の粘りを果たすことなく、
勝敗は変わらなかっただろう。藤崎あかりの才覚からすれば、どれだけ粘っても恐らく僅差で凌がれたのだろう。
しかし、岸本は戦う事すらしなかった。挑むことすら、あの時の岸本にとっては重い行動だった。
序盤と中盤の立ち回りはあの一局で成長したが、後半以降の立ち回りは……大きな成長を果たしていない。
さらに言えば、その後に岸本が所属した海王中囲碁部でも、それを助長した。
なぜなら、今の岸本の中盤までの棋力に追いすがれる部員がいなかったからだ。
中盤までに大きく岸本に盤勢は傾いて、後半からは流れ作業。
後半から凌ぎ合うような対局を経験する、それ自体が難しくなってしまった。
(オレは、あの時……)
そこに現れた、後半からしか凌ぎあえない特化型のバケモノ。
その物ノ怪が繰り出す妙手に、岸本の一手一手の応手が冴えなくなっていく。
徐々に、僅かに、しかし確かに筒井に形勢が傾いていく。
(あの時、藤崎と終局まで打てていれば)
決定的な一打であった。
ヨセにまで入り、この瞬間までも地の比較で言えばまだ粘っていた岸本だが、ここで決定的な一打を打ってしまった。
己の地を確定させる一打。
ヨセに入り、当然にして打たれる一打。
部員の誰もが、そこに打つのが最善手と考えるほどの、汎用にして定石通り、詰碁でも推奨例として記載されるような模範的な一打。
しかし。
その一打だけを狙いすましていた
99点の回答に、残る1点の不利が生まれる理由を、返手の黒石で如実に答えた。
筒井の一手により、それ以上の岸本の白石の地の確保が許されず、一目分のみ筒井の有利が生まれた。
(藤崎との、院生最後となった対局に、最後まで諦めずに真剣に向き合っていれば……)
最後の一手。
岸本が白石を打ち、これ以上お互いに打てる場所が無くなり、終局した。
岸本の序盤中盤の怒濤の攻めから、後半の筒井のとんでもない荒らしからのヨセマクリにより、盤面はとてつもない複雑さを極めていた。
少なくとも、一目でどちらが勝っているかを海王中の囲碁部は察せない。
三谷も、加賀さえも確信したことは言えなかった。
その時点でお互いの勝敗を察せているのは、ヒカルとあかりとアキラの三名と。
目算も絶対に間違えない筒井と。
そして。
「……勝敗は分かっているが。整地しようか、筒井くん」
「はい」
己の敗北を察した、岸本のみであった。
丁寧に、ゆっくりと整地する二人。
誰の目から見ても、整地に間違いがないと理解できるように、丁寧に石を動かしていって、そして。
「……コミを入れて、白59目半、黒60目。負けました」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
決着。
勝者、筒井。
三勝零敗。
優勝、葉瀬中学校。