「きゅうひゃく…………はちじゅういいち…………きゅうひゃく、はちじゅうにい…………」
ぷるぷると震える腕。けれど構わず体を支える腕を曲げる。
「きゅうひゃく…………はちじゅうさん、きゅうひゃくはちじゅう…………よん!!」
すっかり鈍ってしまっている、と感じた。自身が片足を失ったその日から、ずっと鈍らせてきた体は、酷く錆び付いていた。
「きゅうひゃく…………はちじゅうごお…………きゅうひゃく、はちじゅうろく」
左腕は背中に、今地面について体を支えているのは右腕だけだ。体は倒立の要領で持ち上げ、全体重を右腕一本に集約させる。
「きゅうひゃく、はちじゅうなな…………きゅうひゃく…………はちじゅうはち…………きゅうひゃくはちじゅうきゅう……………………」
震える腕が曲がらない、痙攣を起こし、筋肉が悲鳴を上げている。
だが足りない、この程度では足りない。
「きゅうひゃく…………きゅうじゅう!!!」
腕の重みも、限界を感じさせる震えも、全て意思でねじ伏せ、無理矢理に曲げる。
「きゅうひゃくきゅうじゅう…………いち」
この程度のことならば、昔の自分ならば容易にやっていたはずだ。
片腕ずつ全体重を乗せての腕立て伏せ千回。ほとんど日課のようにこなせていたはずだ。
「きゅうぎゃくきゅうじゅう…………にい、きゅうひゃくきゅうじゅう…………さ…………ん」
まずは落とさなければならない、錆び付いた体からブランクを。
そして片足を失った以上、以前以上の力が必要だ。
これから先、再びG級ハンターに復帰するつもりならば。
「きゅうひゃくきゅうじゅうよん、きゅうひゃくきゅうじゅう…………ごお…………きゅうひゃくきゅうじゅうろくう!」
相方レーティアはこの先に、必ずG級に到達するだろう。
それだけの潜在能力が彼女にはある、そして狡猾なる狩人の理を知る彼女はこの先も生き延びて、その才能を開花させていくだろうことは予想できる。
そしてG級に到達した彼女の隣に、けれど自身の居場所などありはしない。
「きゅうひゃくきゅうじゅうなな、きゅうひゃくきゅうじゅうはちいい…………きゅうひゃくきゅうじゅうきゅう!!」
片足を失ったハンターの居場所など、無い。
自身はそれが原因でG級でいられなくなったのだから、当たり前の話だ。
「せ…………ん…………」
千回、確かにやり遂げると同時にどさりと崩れ落ちる。
痙攣し、言うことを聞かない右腕を歯がゆく思う。
きっとこの先も彼女は、先の黒い竜のような強敵たちと戦い続ける。
けれどそれに自身がついていけないことは、先の黒い竜の戦いを見れば一目瞭然だった。
今の…………片足を失ったリオレイシアにはG級モンスターどころか、上位モンスターとだって戦って生き残る術がない。
やり方を変える必要があるのは分かっていた。それでも、ただ生きていくだけならば下位クエストをG級時代に培った経験と武器防具で無理矢理こなしているだけでもなんとかなった。
けれど、今はそれではダメなのだと悟る。
正直に言えば、リオは怒っていた。
誰よりも、何よりも、自分自身に腹の底から怒りを覚えていた。
どうして、どうしてなのだ。
どうして自身はあの黒い竜を前にして、彼女を一人置いて逃げ出したのだろうか。
分かっている、あの場でリオが残ったとしても意味などない。
二人して竜に言いように遊ばれるのがオチだろうことなど分かり切っている。それどころか、レーティアに自身を庇わせてしまう分だけ足を引っ張る結果にしかならないことなど分かっている。
それでも納得はできない。
自身よりも三つも下の少女に全てを押し付けて自身は安全圏で助けを待つだけだなんて、納得できるはずがない。
どうしてそうなってしまったのか…………分かり切っていた。
弱いからだ、リオが、あの黒い竜を前にして、何の手立ても無いほどに弱かったからだ。
あの時、竜を怯ませる手立ての一つでもあれば、レーティアをサポートすることだってできたはずだ。
あの時、竜を相手に逃げ延びる手立ての一つでもあれば、囮となってレーティアを助けることだってできたはずだ。
無力だった、余りにも、無力だった。
そんな自身に腹が立った。
情けない、それでも元G級ハンターなのか、つまらない、弱い女に成り下がったな。
自身を
何一つ言い返せない。自身で呟いた言葉の全てが自身の胸を射抜いてくる。
それはつまり、自分で分かっていると言うことに他ならない。
自身の弱さが、脆さが、愚かさが。
だからこそ、必要だと思った。
以前の強さが…………否、以前以上の強さが。
少なくとも、足を失った直後のあの当時のリオならば、あの黒い竜と対峙しても手立ての一つや二つあっただろう、例え片足を失っていても、何もできずに逃げ出すだけだなんてこと絶対にありえなかった。
当時の日課だった訓練をやってみれば結果は一目瞭然だ。
自身の体は酷く鈍っている。分かってはいたが想像以上に酷かった。
だからまずは元の身体能力へと戻す。あの頃の自身の強さを手に入れる。
だがそれだけではダメなのだ。
そこで終わってしまってはリオの目指す立ち位置にはたどり着けない。
例え元の身体能力と、以前の戦闘勘を取り戻したとして。
――――今のリオには片足が動かないと言う大きなハンデがある。
確かにそれでも十分と言えば十分だろう。
ふ ざ け る な !!!
自身と彼女は相棒だ。互いが互いを助け合うことはあっても、片方が片方を一方的に助ける関係などではない。
サポートにしかならない相棒…………そんなもの、パーティーでも何でもない、お供程度の存在ではないか。
明確に意識する。
そうだ、自身はレーティアと対等で居たいのだ。
自身にとって、レーティアが必須だと思えるように。
故に必要なのだ。今までの自分に無い、何かが。
もしくは。
今までの自分を取り戻せる何かが。
そのためならば。
――――強さを妥協してはならない。
「…………いいさ。恥は捨てよう」
――――弱さを甘受してはならない。
どうせ以前散々迷惑をかけたのだ…………今更なことである。
――――強くあれ、ただ強くあれ。
呟き。
――――そうでなければ狩人に生きる資格など無い。
遠くからやってくる人影を見ながら。
「さて、まずは着替えてくるとしようか」
ショートパンツにタンクトップ一枚で汗だくになっていると言う中々異性に見せられないような自身の恰好に思わず呟いた。
* * *
工房ですでに完成していた太刀を受け取り、その足でギルドに向かった。
鉄刀に関しては借り物をダメにしてしまったこともあり、こちらで引き取ると言ったのだが、工房主の鍛冶師がいいと言ったので、少しだけ気兼ねしてしまう。
義兄が長年愛用している工房らしく、自身の義兄から紹介されて通うようになったのだが、あの工房の太刀は確かに他の工房と比べても随分と質が良い。同じ素材と代金で頼むならば、絶対にあそこが良い、と思う程度には。
ただ工房主である鍛冶師が随分と寡黙な職人であり、決して気難しいわけではないのだが、どうにも苦手に思ってしまっている。
まあそれはさておき、ギルドに入ると相変わらずそれほど広いわけでもない一階のフロアに所狭しとテーブルが並んでおり、狩りから戻ったばかりのハンターや、これから狩りに向かうハンターたちがテーブルで酒を酌み交わしたり、パーティー内でクエストの説明をしていたり、狩ってきた獲物の自慢話を吹聴していたりと、非常に騒がしく雑多としている。
ハンターとは賑やかな人間が多い。それは、明日自身が生きているかも知れないそんな命がけの職であるからこそ、その日その日を全力で生きようとする風潮のようなものだ。だからいつだって騒ぐための口実を探している。口実の半分以上は酒を飲みたいと言う欲求だが、それでもそう言う面があるのも事実である。
例えG級ハンターであろうとも同じだ。いつ死ぬか分からない、義兄だって本当はもう…………。
「お、レーティアの嬢ちゃんじゃねえか」
誰かがそう言った。
クエスト受注カウンターと半ば兼用になった酒場を歩く自身を認めて、誰かがそう言った。
「おい、生きてたのかよ嬢ちゃん」
「お、なんだ…………レーティアの嬢ちゃん、戻ってきたのか」
「噂の竜と戦ってた聞いたが、やっぱり嬢ちゃんなら生きて戻ってこれたな」
「だから言ったろ、嬢ちゃんが死ぬわけねえだろ、なんたってカイの野郎の妹なんだからよ」
「は? でもカイだって死んだじゃねえか」
「ばっか、あいつが死ぬわきゃねえだろ。あいつが本当に死ぬようなタマかよ」
「そりゃそうだ、きっとどっか別の地方でまたぞろ女ひっかけながら狩りでもしてるんだろうよ」
「おいバカやめろ、俺たちがレイナさんに殺される」
「ちくしょおおおお、俺のレイナさんをおおおおおおおお」
「まだ泣いてるバカいるのな、もう何年経ってると思ってんだよ」
「いやでもあの鉄壁のレイナさんがまさかの爆弾発言だぜ、俺あの時いたけど思わずジョッキ落としちまったわ」
「号泣してるバカ多かったなあ、まあかく言う俺もジョッキどころか樽一つ頼んでパーティー全員でヤケ酒したけどな」
「いやでも前から素振りはあったろ」
「バカ野郎、レイナさんなら誰でも優しかったじゃねえか、それならアイツも所詮その一人だって思ってたのに、思ってたのにいいいいいいいいい」
「でもカイの野郎いなくなって、レーティアの嬢ちゃんも独り立ちしちまったら、レイナさんもあの家に一人で寂しいんじゃねえのか?」
「お? 俺の出番かな」
「「「「「下がってろ三下」」」」」
「んだとこの野郎ども!!!」
「そうそう、三下は下がってろ、ここは俺の股間のラオシャンロンの出番だろ」
「おいおい、その汚いモスの尻尾しまえよ」
「ふざけんな俺の話まだ終わってねえだろ」
「つうかモスの尻尾って、渦巻いてるのかお前」
「なにそれみた…………いや、冷静に考えなくても見たくないな」
「てめえら…………ぶっ殺してやらああああああ」
………………………………うん、何と言うか、本当に賑やかな人たちである。
「…………ふふ、みなさん、お元気そうで」
後ろで起きている乱闘に苦笑しつつ、酒場エリアを抜けて奥のクエストカウンターへと向かう。
「えぇっとだからこっちの区域のクエストを…………こっちだよねぇ? えっとぉ? それから、こっちのクエストはぁ…………あ、これ上位クエストじゃない、向こうに回さないと…………それにこっちのは…………ちょっと、ここどこよぉ未開のエリアを当たり前のように指定されたって行くわけないでしょ、焚書よ焚書」
「ユイさん? ちょっと良いですか?」
ぶつぶつと一人呟きながらクエストの紙を仕分けている下位クエストカウンター受付嬢に声をかける。
「あ? 今忙しいんですけどぉ…………ってレティちゃんじゃない。よく来たわね、お菓子食べてくぅ?」
「あ、いや、今はいいです」
この少しだけ間延びした喋り方をする受付嬢がユイ・カーティス。
元受付嬢だった義姉さんの後輩だった人。
「んー…………さてぇ、ではではぁ。レーティアちゃん。ようこそギルドへぇ、本日はどのような用でしょうかぁ?」
その縁で昔からの知り合いであり、半ば私の専属みたいに、私好みなクエストを優先的に回してくれる人。
「リオからの伝言は、あります?」
「ああ、レティちゃんのパーティーメンバーのリオちゃんねぇ。ありますよ…………えっとですねぇ、もう一週間ほど時間が欲しい、だそうです。因みにこれ昨日の伝言ですねぇ」
「なるほど…………じゃあ、その一週間、使わせてもらいましょう」
そうして告げようとする言葉に、胸が弾む。
太刀を握る力が強くなる。
「クエストお願いします」
告げた言葉にユイの顔に笑みが咲く。
「はぁい」
そうして彼女が渡してきたそれを見て。
「ふふ…………ふふふ」
義姉にも言ったが。
やっぱり私は私なりの理由があってハンターをやっている。
だってほら…………今だって。
新しい武器を持って、身に着けた技を振るいに行けると思うと。
笑みが止まらないのだから。
私ももう心の底からハンターと言う生き方に染まってしまっている。
登場人物紹介
レーティア・ブランド― 16歳 身長159cm 黒髪赤目
ポッケ村の隣村辺りに住んでた元村娘。村の風習である、神への供物として死ぬところをカイによって助けられ、以降はカイの義妹として街に引っ越してくる。
現在ハンターランク2のハンター。数か月前までは義兄の家に義姉と共に住んでいたが、行方不明の義兄を探すためハンターとなるべく家を飛び出す。現在ボロ家に一人暮らし。ただしほとんど寝るためにしか戻ってないので、半分以上は物置状態。でも下位のハンターなんて割とそんなもん。
因みにリオ曰く“ハンターランク6くらいの実力はありそう”。ただし装備は(
アンノウンと出会ったことで、少しだけ意識が変わったらしい。
基本スタイルがハンター基準なので、女性らしい悩みと言うのはそれほど持っていないが、それでも義姉との圧倒的女性としての性能の差には少しばかり思うところが無いわけでもない。
リオレイシア・ハーティス 18歳 身長149cm 白髪青目
実はレーティアよりもちんまり合法微ロリ。髪は元々金だったが、片足を失った時に白くなった。元G級ハンターで“スナイパー”の称号持ちだったが、クエスト中の出来事により片足を失い、現在HR2まで降格した。因みにこの世界の制度的に、一定期間内に最低限の成果を出せないか、もしくは何度も連続でクエストを失敗すると降格処分が下る。リオの場合、片足を失ったことに自棄になってクエストを受けて、失敗するを何度も繰り返してしまったため。割と落ちるとこまで落ちて冷静になってからは受けるクエストも選ぶようになったがそれでも消沈してしまっており、もう上を目指す気力も無く日銭を稼ぎながら生きていたらレティと出会った。現在割と真面目に片足のハンデをどうにかする方法を考えているらしい。
カイ・ブランドー 24歳 身長186cm(最後の記録では) 黒髪黒目
誰だっけこいつ?
レイナ・ブランドー 23歳 身長164cm 茶髪金目
レーティアの義姉ちゃん。元ギルドの受付嬢。誰に対しても変わらない公平でありながら優しく親切な態度で、その反面表情はぴくりとも動かない、そのギャップに射抜かれたバカな男は数知れず。今でもファンの多い、街の中で伝説的扱いをされている超人気受付嬢。他の街のハンターにまでファンがいるとかいないとか。それだけにカイとの結婚は波紋を呼んだ、と言うか大タル爆弾Gを誤爆したような大騒ぎになった。本当の本当に、本気で一時期とは言えギルドの運営が止まりかけるほどの大騒ぎになったが、最終的にカイが全員黙らせて、そのカイをレイナがノックアウトして終了と言うオチがついた。カイとのエピソードは割とオモシロユカイなものが多いが、ここでは語らないでおく。
それほど自身の性を意識していないレーティアが思わず意識してしまうほどに圧倒的な女性として魅力に満ち溢れた人物。と言うか、美人で胸が大きくて、家事万能で、料理が上手い。元ギルドの受付嬢だけあって、ハンターと言う職に対する偏見も無く、寛容であり、あとこれで一人の男に一途、となれば誰も勝てねえよこんなの。
それだけにカイの行方不明に精神をすり減らしている薄幸ヒロイン。あれ? この小説のヒロイン(女主人公)誰だっけ(
ロイ・ゴールド 56歳 155cm 茶髪茶目
誰だよこいつ、って思った人、本編に名前は出てない。
カイ…………今ではレーティア行きつけの工房の鍛冶師。本編じゃ名前無いのに、まさかのこっちで出演である。
ゴールドと言うのは、金属鍛冶を代々行ってきた割と由緒ある家の名前らしい。その名の由来は祖先がとある山で金を掘り当てたことに端を欲するとかなんとか。
腕前に関しては伝説の鍛冶師を除けば、
と言うか、ゴールド家の鍛冶師は一人一人得意とする分野のようなものがあり、お爺ちゃんの場合、太刀が専門らしい。
この世界、当たり前だが機械産業なんて無いので、素材と金があれば均一の質、なんて夢のまた夢。職人の腕前次第で割とその武器の質は大きく左右されることなんて当たり前のようにある。
自分の住む街に太刀専門の職人がいるとか、レーティアさん勝ち組過ぎである。
ユイ・カーティス 18歳 身長156cm 金髪碧目
Q.なんでお爺ちゃんより紹介が後なんですか?
A.キミのほうが後に登場したからです。
18歳って若いけど、実はレイナさんが居た頃からずっと受付やってるので、通算するともう2年か3年くらいは受付やってるベテラン職員だったりする。
自身の教育も担当したレイナのことを先輩として当時から慕っており、敬愛する先輩の義妹としてレーティアのことも割と昔から知っていたりする。
何となく勘の良い読者諸君ならば察したかもしれないが、カイとレイナが結婚したのは、実はここ数年のことであり、レーティアはその時すでに拾われてきて数年くらいは経っている。当時のレーティアは、レイナの義妹(予定)なのだが、まあ実際のとこ実の妹のように可愛がっていたので、後輩としては多少嫉妬もあったのだが、レーティアに実際に合うと、キャーこの子カワイイー、となって骨抜きになってしまったオモシロキャラでもある。
登場人物紹介なっが(