一輝が倫理委員会に連れさらわれ、身柄が拘留されてから三日。
バージルはいつも通り、朝のホームルームで朝の出席確認を取っている折木の隣に立ち、いつでも折木の吐血に対処できるよう、片手にバケツを持って立っていた。
このバケツは折木の吐血による汚れを防ぐため、ここ最近になってバージルが考案して携帯しているものである。
彼の超人的な反射神経と反応速度であれば、血を吐いた瞬間に全ての血液をバケツに汲み取ることができる。
しかも、その汲み取り方があまりにもスタイリッシュな動きのため、この一年一組の間では、ちょっとした名物として知られていた。
しかし、今日の折木は調子がいいのか、吐血することなく、無事にホームルームを終えることができそうだった。
バージルとしては何とも珍しいことがあるものだと思っていたが、ふと教室内の空席に目が向く。
そこは、黒鉄一輝が座っていた席。
一輝は未だ連盟支部内の査問会から抜け出せることはできず、理事長である黒乃も色々と手を尽くしているようだが、状況は芳しくないようだった。
代表選抜戦自体は連盟支部から出れない一輝のため教員付き添いの元、対戦相手の生徒が連盟支部内の模擬戦場へ向かうことになっている。
そこで対戦が行われることになっているため、代表選抜戦に出れずに七星剣武祭への道が途絶えることはない。
とはいえ一輝を連盟から追放するために、ここまでの事をしでかしてくる者たちだからこそ安心などできないのだが。
バージルは空席となっている一輝の席を見つめ、顔を顰める。
赤座と共に一輝が連盟支部へ連れていかれるとき、自分は教師として一輝を守り切ることができず、むしろ逆に彼に守られていた。
あの時、一輝が止めなければ、もしかしたら自分は赤座の言った通り連盟を追放か、そこまでは行かずとも何らかのペナルティをもらっていたかもしれない。
だが、それは仕方のないことでもある。何しろ今のバージルはただの教師。
力関係は自分を管理している連盟の者たちの方が上なのだ。
今まで物理的な力によって全てを解決してきたため、それが通用しない秩序を重視する人間社会の前ではバージルは無力にも等しい。
バージルにとって無力であるという事は、この世で一番忌避するべきこと。
故に自分の無力さを突きつけてきた、あの赤座という男には、いずれ相応の報いを受けさせようと思っているが、まるでいい案が思いつかない。
そのようなことを考えていると、どうやら折木が最後の挨拶をしようとしているようだった。
「それじゃあ皆、今日も一日頑張って行こーーっ! えいえい、おブファーーーーーッ!!」
瞬間、バージルは正面を向いたまま手首のスナップを効かせブーメランのように空中の血液に向かってバケツを投げると、吐かれた全ての血液がすっぽりとバケツの中に収まった。
そのままバケツは教室内を一周してバージルの元へ戻ってくるが、そのまま跳躍し空中で一回転しながらバケツをキャッチして着地する。
そのアクロバティックなアクションに、興奮した生徒たちから盛大な拍手が巻き起こった。
「おぉー。今日もスタイリッシュだ」
「カッコイイ……!」
「120点」
「Smokin’Sexy Style!!」
バージルは今日も折木は耐えられなかったか、とため息をつき、そのまま倒れ伏す彼女の襟を引っ掴みながら生徒たちに告げた。
「これでホームルームは以上とする。各自、授業に遅れぬよう準備をしておけ」
生徒たちは元気よく返事をすると、各々一限目の授業の準備をし始める。
しかし、その中で憂鬱な表情を浮かべるステラの姿が視界に入る。
一輝が拘留されてからというもの、彼女は常に苛立っているか、今のような暗い表情のままだ。
それも当然だ。何しろ自分たちの嘘ばかりを並べたてられた記事やニュースを連日報道されているのだから。
以前、加ヶ美に折木との関係を誤解されるような記事を書くと脅されていたことを思い出し、自分も、もしかしたら同じような目にあっていたのかもしれないと思うとゾッとする。
昔の自分だったら、今のステラのように大人しくは出来ない。
必ず発信元を突き止めて、跡形も残らず塵にするくらいはやるだろう。
とはいえ、今のバージルやステラは連盟という組織の枠組みの中に組み込まれた歯車の一つに過ぎない。もしそのようなことをすれば、追放処分待ったなしだ。
自分ならまだしも大多数の人間にとっては、そういった枠の中からはみ出ることを恐れる。
それはバージルがこの学園に来てから学んだ、人間という生物の習性の一つだった。
自分も悪魔を探してもらうという取引をしている以上、先日赤座へ行った脅しが精一杯。
気に入らないが、今はこのまま事の成り行きを見守るしかないのだと、自分に言い聞かせていた。
そしてバージルは、そんなステラから視線を外し、折木を引きずって保健室へ向かうのだった。
*********************
国際魔導騎士連盟・日本支部地下十階。
一輝はそこの地下の一室に拘留されていた。
だが、ここ数日間一人だったその部屋にはいつもと違い、もう一人の人物がいる。
一輝の父親である、黒鉄厳だ。
どういう気まぐれか、今回の事件の発端となった張本人であるはずの厳が、一輝のことを訪ねに来たのである。
しかし、一輝としては何の目的で来たのか分からず、しかも五歳で家を出奔してから顔を合わせたことがなかったため、何を話せばいいのかが分からなかった。
そうして無言の時間が続くこと数分。
「一輝」
ようやく厳の方から会話を切り出した。
「は、はい」
緊張しているのか、思わず上擦った声で返事をしてしまう。一体、何を話しに来たのか。
「選抜戦だが、順調らしいな。今のところ十六戦無敗と聞いている」
「え、うん。今日ここでやった試合を合わせると十七勝かな……」
「決して弱い相手との対戦ばかりではなかったようだな。大したものだ」
「……え」
一輝は困惑する。今この状況に追いやっている人間が自分を褒めているのだから。
一種の皮肉なのかとも思ったが、一輝の知る限り自分の父親はそのように無駄に煽るような真似はしない。であればそれは純粋な賛辞ということになる。
それを理解した一輝は
(なんだろう、これ……。僕は、喜んでいる?)
父親に褒められて嬉しい。
そんな単純な息子としての感情。
以前、バージルに尋ねられた「父親を憎んでいないのか」という質問に対しての答えが今、はっきりと分かった。
多少は憎む感情が出てきてもおかしくないはずなのに、父から褒められたことでそんな負の感情は全て吹っ飛んでしまっていた。
だからこそ思う。もしかしたら、と。
「あ、あのさ、父さん」
「何だ」
「……あの、僕は、が、頑張ってます。Fランクのままだけど、強い人にも勝ってきました」
「あぁ」
「だから……。だから、僕が七星剣武祭で優勝出来たら、ぼ、僕を認めてくれませんか……?」
一輝は父親である厳に勇気を振り絞り、自分の望みを伝えた。
自分の強くなる理由は、自分と同じような境遇の人たちに『夢を諦めなくてもいい』と伝えられるような人間になることだ。
しかし、自分にだって叶えたい夢がある。それは、父親に家族として認められること。
昔のようにただの弱者ではなく、いや、今のように弱者のままでも強さを示し続ければ、厳に認めてもらえるのではないか。そんな希望が一輝の心の裡に沸いてきていた。
「……なるほど」
厳は、そんな光の宿った目でこちらを見る一輝を見つめ返す。
「ずっと不思議だった。何故お前が私の元を去ったのか。お前は自分が弱いから、認められていないと思っていたんだな」
「は、はい。黒鉄の家名に泥を塗るからだって……」
「だとしたらそれは勘違いだ。私はお前を、ちゃんと息子だと認めている」
「………え?」
予想もしない言葉に一輝は固まった。
「う、嘘だ……。だったら、なんで……」
「嘘ではない。何故ならば――――」
厳から語られた真実に、一輝は絶句した。
それは、一輝という人間の精神を壊すには十分な理由だったからだ。
すべてを語り終えた厳は、突如嗚咽を上げながら泣き続ける一輝をそのままに部屋を立ち去った。
その夜、薄暗い部屋の中で一人の子供がすすり泣く声がずっと響いていた。
*********************
数日後、バージルは一輝の代表選抜戦の審判として、連盟日本支部の模擬戦場での仕事を終えると学園の正門前まで帰って来ていた。
一先ず一輝の選抜戦は未だ無敗のままだ。
彼との意思疎通に関しては倫理委員会の方から完全に遮断されていたため話は出来なかったが、闘っている彼の様子から、ある程度の状況は読み取れた。
どうやらあまり良い環境を与えられていないのか、恐らく何らかの病気に罹っている可能性がある。さらには、それに付随してか精神的な疲労も相当なようで常に余裕がない状態だった。
それでも何とか勝ててしまうところは、さすがは負け戦を得意とする《落第騎士》と言ったところだが。
しかし、これでは時間の問題だろう。
いくら一輝と言えど、あのまま最後の選抜戦まで持つかどうかは分からない。
とりあえず一輝の状況を黒乃に知らせるため理事長室に向かおうとすると、ステラ、珠雫、有栖院の三人が待ち伏せていたのかバージルの前に立ちふさがっていた。
「何だ」と声を掛けると、ステラが不安そうな目でこちらを見つめてくる。
「先生……。その、一輝の様子はどう? 勝てたの?」
「あぁ、勝ってはいたな」
一先ず勝利したという報告を聞き、三人は胸を撫で下ろす。
だが、バージルの含みのある言葉が気になったのか有栖院がそのことについて追及した。
「"勝ってはいた"ってことは、何か他に問題があるってことよね?」
「見たところ体調が悪そうだった。恐らく、まともな睡眠もとれていないのだろう。顔色も悪い」
「ステラさんの風邪がうつったとか……」
「嘘……。アタシのせいで……」
みるみる不安な顔になっていく三人。さらにはステラの風邪がうつったのかもしれないという自己嫌悪で、ステラは悔しげな顔を浮かべる。
「いや、恐らくは奴らの仕業だ。たかが風邪であそこまでやつれることはないだろうからな」
その言葉でステラが救われることはないだろうが、事実ではないことは否定しておくべきだと判断した。
とはいえ、倫理委員会の連中に何かをされているというのはどっちにしろ彼女たちを不安にさせたようだった。
「お兄様……」
「先生、どうにかならないかしら……」
ステラが懇願するような目でこちらを見つめてくる。
自分とて期待している一輝の騎士としての夢が潰えるのは甚だ不本意だ。
出来れば何とかしたいとは思っている。
しかし、いくらこの世界において最強の力を持っていたとしても、立場上バージルにはどうすることも出来ない。
故にバージルはステラの懇願に対して黙ることしかできなかった。
「……ごめんなさい。無理を言ったわ」
ステラはバージルの立場を考慮していない自分の発言に気付いたのか、すぐに謝罪した。
「……俺は新宮寺に、奴の状況を伝えに行く。ではな」
バージルは彼女らの間を抜け、理事長室へ歩き出す。
後ろから三人の視線を感じながら、バージルは何もできない自分に対して、苛立ちを隠せなかった。
*********************
バージルは理事長室に入ると、思わず顔を顰めた。
何故なら室内に、ある刺激臭が充満していたからだ。
その原因となっている女性に対して、バージルは思わず語気を強くして呼びかけた。
「おい、俺の前ではそれをやめろ」
言われた女性、黒乃は疲労した顔で「あぁ、悪い」と空返事を返し、指に挟んでいたタバコを灰皿に押し当てた。
昔からタバコの匂いは嫌いだった。
故に愛煙家である黒乃には自分と話す際には止めろと言い含めていたのだが、突然の来訪だったため不運にも吸っている最中に出くわしてしまったようだ。
ここ最近の一輝とステラの件で、様々な対応や連盟からの追及でストレスが溜まっていたのだろう。
それを表すかのように灰皿の中には、山盛りの吸い殻が捨てられている。
バージルは、室内に漂っている紫煙をうるさそうに手で払いながら、デスクに座っている黒乃の方まで歩み寄る。
「黒鉄だが、一先ず今日の選抜戦は勝利した。だが――」
「日に日に体調が悪くなっている、だろう? 大方『赤服』の連中に何か一服盛られていると言ったところか」
バージルは頷く。
それを見た黒乃は、ため息をつき懐から一本のタバコを取り出すが、バージルの視線を感じ取ったのか、それをすぐ元の場所に戻した。
「はぁ……、下衆どもめ。わざわざたった一人の生徒に対して、何とも陰湿な奴らだ……」
「そこまでして黒鉄を追い落とそうとするのは何故だ? あれは、ただ単に家名に泥を塗るからと言うだけではないように見える。Fランクとは言え、奴は今までの選抜戦は無敗。噂では他校の有力な生徒をも降したと聞いている。奴は強さを示し続けているというのに、何がそんなに気に食わんのだ?」
バージルの純粋な疑問。
家名に泥を塗るというのは一輝に
故にその将来に望みがないため、騎士としての道を閉ざそうとした。
しかし、今の一輝は、はっきり言えば強者の部類に入る。この学園内でも有力な学生騎士を何人も降しており、Aランクであるステラにも勝利している。
この情報は別に隠しているわけでもなく公になっているものだ。
であれば、さすがに厳の耳にも入っているだろう。
誇りこそすれ、卑下するものでもない。
「さぁな……。私にも分からん。何故そこまで長官はあいつを敵視するのか。ただ単に嫌いとかいう個人的な理由でやっているのかもと思ってしまうな」
「以前、厳と話した際には、そんな無駄なことをするような奴には見えなかったがな」
いくら話したところで憶測の域を出ないだろう。
とはいえ、このままでは一輝は連盟に潰され、本当に追放処分となってしまう可能性がある。
「だが安心しろ。私たちには一つのゴールがある」
「ゴールだと?」
「あぁ、今回の当事者の一人であるヴァーミリオン。あいつの父親であるヴァーミリオン国王が今回の件のために近々来日してくるらしい。さすがに国王自身が訪ねてくるとなれば、査問会も面会謝絶もあったもんじゃない。そこで黒鉄とヴァーミリオンの関係を彼が認めてくれれば、今のスキャンダルはただのデマ、ということになる。そうなれば、連中は黒鉄に対して何も言えなくなるというわけだ」
そう、結局は倫理委員会の論調は一国の姫を誑かしているという、根拠のないデマを元に作り上げたものに過ぎない。
故にステラの父親がそうではなかったと認めれば、この茶番も終わりを迎えるだろう。
だからこそ、それまで一輝が自分の非を認めず耐えきってくれれば、こちらに反撃のチャンスができる。
しかし、それを聞いたバージルの意見は違っていた。
「……果たして、どうだかな。ここまで用意周到に追い詰めてきた連中が、この程度のことを思いつかんわけがないと思うが」
「どういうことだ?」
「奴らにとって、ステラの父親がやってくるのは織り込み済みだという事だ。だがどちらにしろ、奴らにとってもそこがゴールであることには違いない。であれば……」
「……そうなる前に黒鉄を確実に追放するための手段を用意してある、という事か」
「恐らくはな」
「…………」
黒乃は自分の考えが甘かったとでも言うように、片手で頭を抑える。
しかし一体どうやって、と互いにしばらく考えを巡らせる。
このまま単に査問会を続けたとしても平行線のまま。
一輝の体力を消耗させ、精神的に疲弊させることで何らかの失言を引き出す。
国王がやって来るまでというタイムリミットがある中で、そんな確実性の低い手段に出るなど愚策だ。
であれば、一輝の体力を減らすことは失言を引き出すという目的のためにやっていることではない。
そうすることで得になる事といえば――
すると、何か思い出したかのようにバージルが口を開いた。
「……決闘か」
「何?」
バージルはこの学園の教師として配属された初日の事を思い出す。
ステラが自分に対して『決闘』を申し込んできた時には特に何とも思わなかったが、どうやらこの世界において『決闘』という風習はかなり大きな意味を持っているらしい。
何しろ連盟国同士の戦争の勝敗ですら、国内の代表である魔導騎士での『決闘』で決めてしまうというのだから、元の世界に比べるとかなり異質に感じる。
故にそのことを学内の図書室で読んだ時に、とても印象に残っていたのを覚えていたのだ。
「つまり、こういうことか? 黒鉄を限界ギリギリまで弱らせた上で、そこを決闘で誰かが止めを刺す。そういうことか……」
「だろうな。今回の件は結局のところ、どれほど議論を重ねたところで答えなど出ん。どちらにしろ白黒つけるのであれば、それ以外に方法はないだろう」
「なんという事だ……」
黒乃は両手で頭を抱える。何しろ、その『決闘』に連盟の下部組織である学園の教師が異を唱えることなどできない。
しかも。しかもだ。
「恐らくその決闘は、黒鉄の最後の選抜戦になるだろう」
バージルが、まるで死刑を宣告するように黒乃に伝えた。
どうやら、その考えは黒乃も思い至っていたようで、黙りこくってしまう。
そして、こんなにも一輝を徹底して潰してくるのであれば、連盟側が指定してくるであろう対戦相手も自ずと決まっているようなものだ。
その相手とは、この学園において校内序列第一位を誇る学生騎士。
「しかも相手は、あの東堂だろうな」
バージルの知る中でこの学園内に置いて、一輝に比肩し得るだろう者の名前だった。
一輝の体調が万全であったならば結果は分からないだろうが、あのままの体調で《雷切》に挑むというのであれば、それはあまりにも無謀と言っていいものだ。
十中八九、一輝が負ける。
かつてバージルがダンテに敗れ、魔界の底に落ち、満身創痍の中で母親の仇である魔帝ムンドゥスに挑んだ時のように、あっさりと。
「くそッ……!」
それを理解した黒乃が悪態をつく。
もはや、それくらいしかやれることが残っていないからだろう。
いや、あとは奇跡でも起こってくれと願うくらいだろうか。
せめて一輝の体調を少しでも改善させることが出来れば、その限りではないのだろうが彼への面会は一切遮断されている。
手助けすらできない。そんな無力感に苛まれるかのように黒乃は俯いていた。
*********************
「せっかくここまで来たというのに……。あんまりじゃないか……」
黒乃は教師である前に一児の母親でもある。
いくら他人の子であるとはいえ、こんなにも辛い現実を味合わせていいものではない。
一輝の性格も併せればなおの事、彼のような真面目な少年に夢へ挑戦する機会すら奪うなど、何と残酷なことだろうか。
バージルはそんな諦めにも似た黒乃の呟きに対し、なおも無表情を貫いていた。
しかし、しばらくするとバージルの口から意外な言葉が漏れた。
「……諦めるな」
「……何だと?」
「人間は諦めない。それだけが取り柄だろう」
諦めるな、と黒乃を鼓舞するかのような言葉がバージルの口から発せられたことに驚くが、それでも黒乃は驚きよりも怒りが沸く。
もちろん、彼の言う通り一輝のことは諦めたくはない。しかし、もはや自分達にはどうしようもないのだ。
今しがたバージルが言ったように『決闘』という、騎士の中でも不文律な方法で行われるのだから。
黒乃は鋭い目線でバージルを射抜く。
「この状況で、よくそんなことが言えるな。もはや私たちではどうしようもないだろう……」
「いや、俺に考えがある。他の者にも手を貸してもらうことにはなるが」
「なっ、本当か!?」
思わず黒乃は声を荒げる。
何しろ、もう打つ手はないと思っていたところだったのだ。
「だが、これをやったとしても黒鉄は結局、東堂と闘うことにはなるだろう。あくまで奴の体調を少し治してやるくらいだ」
「……それだけでも十分だ。教えてくれ」
できれば万全な状態で試合に臨ませたくはあるが、少しでも可能性があるのであれば手を尽くすべきだ。黒乃はバージルへ先を促す。
「単純だ。選抜戦の前日に俺が黒鉄のところまで乗り込み、奴を治癒する。それだけだ」
「ッ!? いや、乗り込むと言っても警備はどうするんだ」
連盟支部はこの日本における
もちろん、厳重な警備体制が敷かれている。その中にはBランクの魔導騎士が何人も在籍しているのだ。
バージルだけで、それだけの警備を突破するとなれば負傷者だけでは済まないのではないか。
そう思った黒乃の懸念をバージルは視線だけで察したように返す。
「ふん、その程度、本気を出さずとも無力化できる。殺しはせん。あくまで黒鉄の手助けに留めるだけだ」
黒乃はホッと息をつく。バージルの実力はこれまでにも何度も見聞きし、信頼している。彼がそういうのであれば問題ないのだろう。
「治癒の方はどうするんだ。誰か当てはあるのか」
「黒鉄珠雫を連れていく。俺に無理矢理連れてこられ、治癒を強制されたとでも証言させればいい。それに奴は黒鉄の中で唯一まともな跡継ぎになるだろう。であれば連盟から何らかのペナルティを受ける可能性も低い」
黒乃はなるほど、と納得する。
黒鉄家の長兄である王馬は、世界を放浪しているという変わり者で家族との繋がりは薄いと聞いている。
一輝は現在の状況が示す通り、跡取りになることなどあり得ない。
確かに面子を重視するのであれば珠雫が何かしたとして、彼女の行為をもみ消す可能性は十分ある。それに一輝のためともなれば、二つ返事で了承してくれるだろう。
そして選抜戦の前日に治癒を行うのは、治癒を行った後に倫理委員会が一輝に対して何かをしでかす時間を出来るだけ短くする狙いか。
「そういう小賢しいことも考えられるとは、意外だな……」
「ふん、小細工を弄さねば生き残れなかったときがあったのでな。その時の経験によるものだ」
だが、そうだとしても問題となるのは、バージル自身のことだ。
仮に今話していることを実行すれば、彼はもはや連盟にはいられない。
何しろ、連盟日本支部への襲撃。
そんなことをすれば、一瞬でテロリストの仲間入りになるのだから。
「……本当にいいのか? そんなことをすれば追放処分だけでは済まない可能性がある。テロリストとして、連盟から追い掛け回されることになるかもしれないんだぞ」
「それがどうした。元よりこの学園に来るまではそのように過ごしていた」
「それだけじゃない。元の世界へ帰るための調査も……」
「ふん、結局、連盟も手掛かりらしいものは何も掴んでいない。であれば追放されたとて変わらんだろう」
黒乃は困惑する。
仮にバージルの作戦が成功したとしても、一輝の体調がある程度回復するだけ。
正直言って、彼へのリターンはあまりにも皆無。
いや、連盟からの離脱を考えればむしろマイナスだ。
それに、もし一輝がそれでも決闘に負けるようなことがあれば、全てが無駄になるのだから。
「何故、そこまでして……」
ある程度の付き合いでバージルのことを知っている黒乃としては、一輝に情が移ったからと言って、そんな自己犠牲を行うような男ではないと思っていた。
であれば何故なのか。黒乃としては、それを問わずにはいられなかった。
「色々と理由はある。一番の理由は、ただ単に俺がそうしたいと感じたからだ」
「バージル……」
黒乃はバージルの真剣な眼差しを見つめ、その言葉が偽りではないと感じた。
本当に随分と変わったものだと、こんな状況でありながらもそう思わずにはいられない。
彼と初めて会った時の印象としては、元の世界に帰るだの、悪魔がいるなどと
しかも目的を果たすためならば、どのような手段も辞さない傲慢で冷徹な男だと。
だが今の彼を見ると、そんな印象は綺麗さっぱり消え去っていた。
黒乃の知る限り、彼が変わった切っ掛けは入学式の日のステラとの決闘だ。
それまでは、ただのぬるま湯につかっている学生と彼らを侮辱していたにもかかわらず、何の気まぐれか自ら授業を付けてやると積極的に彼らと関わりだした。
それからというもの、一輝や他の生徒たちとの交流で彼の態度は徐々に軟化していった。
今では、ただ一人の生徒のために自己犠牲すら厭わないほどに。
黒乃はもうバージルの事を同じ教師として、この学園における仲間だと認識していた。
だからこそ、こんなことで彼がこの学園から去ってしまうのは心苦しい。
だが、彼は本気だ。
もう自分が何かを言ったところで、バージルは自分の言ったことを実行するだろう。
であるならば、
「すまない……。そして、感謝する……!」
椅子から立ち上がり、頭を下げる。
それくらいしか今の自分に出来ることはない。
あくまで外部から来たバージルに、こんな厄介事を頼んでしまうことになるとは当時の自分では思いもしなかっただろう。
するとバージルは鼻を鳴らしながら答えた。
「ふん、教師という役割を全うするだけだ。礼など……」
バージルは言いかけるが、腕を組み、顔を背けながら言いなおした。
「いや、もらっておこう。それが人間だと教わったのでな」