蒼い悪魔の英雄譚   作:魚の目108

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日本支部襲撃

 

 

 一輝の最終選抜戦、その前日の夕刻。

 東京都新宿区――ビル群が空を切り取る街並みの中で、ひときわ存在感を放つ高層ビルがあった。

 

 魔導騎士連盟・日本支部。

 

 日本国内の魔導騎士、そして学生騎士の情報が集約され、有事の際にはここから全ての指示が発せられる。

 言ってしまえば、この国の国防を束ねる中枢だ。

 

 当然、それほど重要な場所が無防備であるはずもない。

 館内の警備には非伐刀者(ブレイザー)も混じっているが、その多くが実戦を潜り抜けてきた歴戦の魔導騎士たちだ。

 

 そんな建物の入り口の前に同じ髪色をした二人の男女が立っている。

 背中越しに見れば、歳の離れた親子と見紛うかもしれない。

 だが正面から見れば、その印象は一変する。

 骨格の違いが際立つ欧米人の男と、日本人の少女。並び立つだけで、出自の隔たりが否応なく浮かび上がっていた。

 紺色のスーツに身を包んだ、銀髪をオールバックにした男、バージル。

 そして、その隣にはビスクドールを思わせる可憐な銀髪の少女、黒鉄珠雫。

 珠雫は、やや緊張した面持ちで隣に立っているバージルへ声を掛ける。

 

「……バージル先生。本当によろしいんですね?」

「そう何度も聞くな。構わんと言っている」

 

 バージルはここに来るまでの道中で何度も言われた確認の言葉に、飽き飽きした様子で答える。

 一輝の救出――ではなく、あくまで手助けを行うという連絡を珠雫にしたところ少し迷っていたようだったが了承してくれた。

 だが、その内容を聞いた珠雫としては何故ここまでして、と思ったようで、こうして何度もバージルへ確認を取ってきていた。

 

「私としてはお兄様の辛さを少しでも取り除いてあげられるのであれば、嫌が応もありません。ですが、だとしてもこの作戦には先生のデメリットが大きすぎると感じます。……正直、何かがあるのではないかと疑ってしまうほどに」

「別に何があるわけでもない。奴らが気に入らんからやるだけだ」

 

 バージルとしては言ってしまえば気に掛けている一輝に対する連盟の対応が、ただ単に気に入らないから、という理由に尽きる。

 しかも、それに対して何もできないこちらを下に見ているその態度も気に入らなかった。

 やり返すのならば、この機会において他はない。

 とはいえ一輝が決闘に勝ってくれなければ、今回実行する計画は全て無駄となってしまうので、そこは一輝を信頼するしかないが。

 珠雫はやや胡散臭げにバージルを見ながら「……分かりました」と返事を返す。

 

「では、行くぞ」

「はい」

 

 二人で日本支部の入口である自動ドアへと進みだす。

 もう後戻りはできないというのに、バージルはまるで家の玄関を開けるような気軽さで建物内に入った。

 

 日本支部のエントランスは通常のオフィスビルの様相となっており、受付には来客に対応するための職員である女性が座っている。

 そしてその近くには複数の警備が配置されていることが分かった。

 バージルと珠雫は並んで受付の場所まで歩いていくと、それに気付いた受付嬢に声を掛けられる。

 

「いらっしゃいませ。ご用件は何でしょうか」

 

 珍妙な組み合わせの二人を見やり、一瞬不思議そうな顔を浮かべる受付嬢だったが、すぐに職務用の顔つきに戻る。

 そしてバージルは、問われた用件を何ともないような顔で口にした。

 

「あぁ、ここを襲撃しに来た」

「「…………え?」」

 

 言われた言葉を頭の中で処理できなかったのか、女性は思わず呆気に取られた顔でバージルを見つめるしかなかった。

 そしてそれを聞いた珠雫も思わず困惑した表情で隣にいるバージルへ視線を向ける。

 

「ちょ、何を考えているんですか先生!? 普通こんなところでわざわざ宣言する必要ありませんよね!?」

「どうせ査問会の場所まで素直に通してくれるわけでもないだろう。それに、こそこそ潜入するというのも性に合わんのでな」

 

 そんなバージルと珠雫のやり取りの最中、"襲撃"という言葉を聞きつけた周りの警備員たちが霊装を展開しながらバージルたちを取り囲む。

 珠雫はため息を吐きながらバージルへ問いかけた。

 

「私はお兄様を治癒するだけで戦闘はしないということでよろしいのですよね? 手助けはしませんよ?」

 

 今回はあくまで珠雫は無理矢理連れてこられたという体でついてくる。そのため、戦闘に参加させることはない。

 

「当然だ。お前はそこで見ているといい」

 

 バージルは閻魔刀を顕現させ、身構える。

 さすがに殺しはできないため手加減をする必要があるが、問題はない。

 

「始めるぞ」

 

*********************

 

 黒鉄珠雫にとって、バージルという男の最初の印象は最悪の一言だった。

 そもそも珠雫にとっては人間というもの自体が嫌悪の対象となるというのに、自分が唯一愛する兄への侮辱を吐いたというだけで、もはや憎しみすら抱いたほどだ。

 《解放軍》の襲撃時にステラを助けた時は少しだけ見直してはいたが、基本的に珠雫の見方はそれからも変わることはなかった。

 

 だがある日、一輝が誇らしげな顔でバージルの事を話す機会があった。

 兄が言うにはバージルが自分が強くなるための切っ掛けを与えてくれたのだという。

 正直、自分が嫌いな相手を嬉しそうに話している一輝の姿には、やや複雑な思いがあった。

 だからこそ精々、兄のための糧になってくれとしか思っていなかった。

 

 だが今回の倫理委員会の件で一輝が連れ去られ、自分ではどうすることも出来ないと思っていた珠雫はバージルから今回の計画を提案された際には一輝を助けられるという喜びよりも、まず驚きの方が勝っていた。

 何故バージルが兄のためにここまでの事をしてくれるのだと。

 その理由については結局ぼかしたまま教えてくれることはなかったが。

 そんな事を考えていると、エレベーターで地下の十階まで降り立ったバージルと珠雫は査問会場へと続く廊下を進んでいく。

 しかし、不法侵入者をむざむざと通させるわけにもいかない警備の者たちはバージルを制圧しようと試みる。

 しかし――

 

「クソッ! 何で当たらないんだッ!」

 

 五人の武装した非伐刀者(ブレイザー)である警備員はバージルに向けてアサルトライフルを連射するが、バージルはそれを刀を風車のように手首で回転させることで弾丸を防ぐ。

 そして弾切れとなったところで、バージルは防いだ弾丸を刀身の腹で巻き取るかのように体を一回転させ、そのまま刀を振り抜いた。

 すると、バージルによって返された弾丸が警備員たちの肩や脚といった致命傷とはならない箇所を貫き、彼らは倒れ伏して呻き声をあげる。

 出血自体は大したことがないため、このまま放置したとしても死ぬことはないだろう。

 だが、万が一があるため珠雫は出血を止める程度の治癒を倒れ伏した警備員たちへ施す。

 いくら警備員たちが今回の襲撃に邪魔な存在だったとしても死人が出ることは避けたい。

 

 だが間もなく廊下の奥から魔導騎士の増援がやって来る。その数は三人。

 それぞれ全員が刀型の霊装を携えながらバージルへ向かって飛び掛かるが

 

kneel before me(跪け)‼」

 

 《次元斬》を連続で三度放ち、その全てが各々の霊装に命中する。

 霊装を断ち切られた警備員はそのまま精神へのダメージによって意識がブラックアウトし、崩れ落ちた。

 入り口での戦闘もそうだったが、基本的にはこの繰り返しで警備を無力化していっていた。

 警備員である伐刀者(ブレイザー)は皆、バージルの《次元斬》を避けきることが出来ず、全て霊装を一刀のもとに断ち切られていくのだ。

 

伐刀者(ブレイザー)であれば霊装を切断するだけで済むのは楽だな」

「本当に常識が通じませんね。普通、霊装は切断できるものではないですよ」

 

 魔力の塊である霊装は滅多なことで破壊されることはない。

 故にそれをいとも簡単に切断していくバージルに珠雫は思わず呆れてため息を吐く。

 一先ず辺りの警備を一掃し、周りに誰もいなくなったことを確認した珠雫はここに来るまで気になっていたことをバージルに問いかけた。

 

「先生、一つ聞いてもいいですか」

「何だ」

 

 問われたバージルは刀を鞘にしまいながら、珠雫に問いの先を促す。

 

「先生はこんなリスクを冒してまで、何故お兄様を助けようとするのですか?」

 

 問われたバージルはまたか、と思ったようで眉を顰め珠雫を見つめる。

 珠雫が思うに、バージルは一輝に対して何か特別に思っている節がある。

 確かに一輝はFランクでありながら強者という、どこか目立つ存在ではある。

 しかしそれだけでバージルが一輝を気にする理由になるとは思えなかったのだ。

 

「……お前は兄を助けることが出来れば、理由など知らなくても構わないかと思ったが」

「確かにその通りです。ですが黒鉄家の確執によってお兄様の周りの大人は敵しかいませんでした。今の理事長のおかげもあって、そういう人間は学園にはいなくなったと聞きましたが、それでもここまでしてくれる人は先生だけでした。だからこそ知っておきたいと思っただけです。何故ここまでしてくれるのかと」

 

 これはバージルがただの情だけで動く男ではないと思っているからこその問いだった。そして、もしその理由が兄を傷付けるような理由であれば許さない。

 珠雫はそんな真剣な目でバージルを見つめていた。

 しばらくすると、根負けしたようにバージルがため息を吐き、渋々と言った様子で話す。

 

「……奴が俺に似ていると感じたからだ」

「先生がお兄様と似ている? 何かの冗談ですか? お兄様は先生みたいに失礼な人ではありませんよ」

「性格の話ではない」

「では、何が似ているんですか?」

 

 一輝とバージルは、はっきり言って何もかもが正反対だ。明らかにバージルの闘いに関する才能は天才と呼ぶべきものだろうし、彼自身が自分で言ったように性格も真反対だ。

 そう思っていると、バージルは簡潔に語る。

 

「俺も奴と同様に親に見捨てられたと思っていた」

「え……」

 

 バージルから語られた彼の過去に珠雫は思わず言葉が出なかった。

 詳細は分からないが、確かにそれは一輝の境遇と似通っていたからだ。

 

「とはいえ、それは思い違いだったがな。だが当時の俺はそんな思いを抱えたまま一人で生きるしかなかった。そして俺は人としての生き方を捨て、力を求め悪魔(修羅)に堕ちた」

「修羅……ですか……」

 

 バージルの言う"修羅"というのが具体的にどのようなものなのかは分からないが、恐らく人としての道を外れたという事なのだろう。であれば、その道のりを歩んできたバージルのそれまでの人生も何となく想像できた。

 

「《一刀修羅》。奴の伐刀絶技(ノウブルアーツ)の名だが、奴も一人で生きていくために修羅となり、力を求めたのだろう。だが奴はそれでもなお他者を想う人間であり続けている」

「……そうですね。確かに、お兄様の境遇を考えれば他人を恨まずに生きているのが不思議なくらいだと思います。……それがお兄様を気に掛ける理由ですか?」

「そうだ。俺と奴で何が違うのか興味がある。だからこそ、こんな連中に奴を潰されるのが我慢ならん」

 

 珠雫は言葉を失ったまま、ただバージルを見つめ、気付く。

 バージルの視線が向いているのは、一輝の剣術などといった単純な"強さ"ではない。

 彼が辿れなかった道を歩み続ける、一輝の人であり続けようとする“在り方”なのだと。

 そして恐らく、そんな一輝にバージルは――

 

「憧れているのですね。先生は」

「何だと……?」

 

 修羅の道を歩んできたというバージルは、恐らくどこかでそれが誤りだったのだと気付いたのだろう。そして出来れば人の道に戻りたいと思った彼は、自分とどこか似た境遇の一輝を目標とした。そして、今回のこの行動もそんなバージルなりに考えた、人としての生き方の一つなのかもしれなかった。

 

 バージルはまるで心外だとでも言うように眉を顰めるが、まるで心当たりがあったかのように気まずそうに目を逸らして舌打ちをする。

 

「……チッ、話は終わりだ。これで満足しただろう。先を急ぐぞ」

「はい、先生」

 

 バージルは背を向けて査問会場へ進みだす。

 その背を追いながら、珠雫は思う。

 

(お兄様の頑張りは無駄じゃなかった)

 

 確かに最初は一人きりだったのかもしれない一輝の人生。

 しかし、それでも諦めずに自分の価値を信じて生きてきた一輝の在り方は、こうして他者の心を動かすまでになっていたのだと珠雫は改めて一輝を誇りに思う。

 だからこそ、こんなところで一輝の道が途絶えていいわけがない。

 

 珠雫はさらにやってきた増援に対処するバージルの背を追いかけながら、決意を新たにするのだった。

 

*********************

 

 連盟日本支部・地下十階。

 そこには日本にいる学生騎士・魔導騎士たちの倫理を監督し、必要があれば指導、もしくは追放処分を行うための情報を収集する『憲兵』とでもいうべき『倫理委員会』が管理する区画。

 その一画にある薄暗い部屋にて、一輝の査問会は行われていた。

 室内には一輝を中心としてコの字で囲むように長机が配置されており、そこに赤座を始めとした赤いスーツの老人たちが座っている。

 正面に三人、左右に一人ずつの計五人。

 もちろん委員長である赤座は正面の真ん中の席に座っている。

 そんな中で部屋の中央に立たされている一輝はというと

 

「コラ! 何をボーっとしておるか!」

 

 査問員の一人の飲料水が勢いよく一輝の顔に掛けられ、意識が戻る。

 

「査問中に居眠りとは、不真面目にも程があるわ!」

 

 査問開始から二週間。

 一輝の査問会は大体いつもこのような流れで進行しており、それが何度も続いたことによって彼の体はもう限界を迎えていた。

 長期間に渡る監禁。聞き入れられない主張。そして常に何時間も立ちっぱなしのこの状況。

 いくら一輝の精神力がタフだとは言え、終わりの見えないこの査問会を前に、精神的な疲労も相当なものだった。

 さらには最近では高熱と咳が止まらず、息をすると肺がきしむように痛む。

 最低でも肺炎にかかっていることは明白だった。

 だが倫理委員会は一輝がこんな状態であるにも関わらず、病院に連れて行ってくれることなどはない。

 一輝は、ここにいる間の選抜戦を、よくこのような状況で勝ち抜いてきたものだと自分で自分を褒めてやりたい気分だった。

 だが、そんな気分もすぐに吹き飛ぶ。

 目の前にいる老人たちの怒鳴り声がまたもや一輝に叩きつけられ、そんな思考も霧散したからだ。

 

(惨めだな……)

 

 一輝は自らの状況に苦笑する。

 確かに精神的に追い詰められてはいるが、本来の一輝であればまだ何とか耐えられた。

 しかし、ここまで追い詰められている大きな要因は、厳とのあの会話だった。

 

 『何も出来ないお前は、何もするな』

 

 これは、まだ一輝が実家である黒鉄の家にいた頃から厳に言われていた事だった。

 だが一輝は、この言葉の意味を『弱いお前は何もするな』、という父親の期待に添わなかったための発言として受け取っていた。

 故に今のように数々の有力な学生騎士を倒してきた自分なら、と淡い希望を持って今の自分を認めてくれるように厳へ懇願した。

 しかし、その解釈は誤りだった。

 厳が言った本来の意味。

 それは「お前は騎士として生きられない。ならば騎士として生きようとするな」という、ただそれだけの判断だった。

 厳は息子を憎んだわけでも、失望したわけでもない。

 黒鉄家が守る秩序と、騎士のランク制――その原理に従って、総魔力量の不足した一輝を“騎士として不適格”と見做した。

 親子としての情が入り込む余地は、最初からなかったのだ。

 代々黒鉄が課してきた掟を、役割を全うする。これこそが、《鉄血》と呼ばれる黒鉄厳という魔導騎士の姿だったのだ。

 

 これは騎士としての自分を認めてほしいと思っていた一輝にとっては、救いのない宣告だった。

 叱責なら、まだ立ち直れた。失望なら、いつか覆せる余地もあった。

 だがこれは、感情ですらない。

 才能という“基準”に照らして切り捨てられただけの、冷たい裁定だった。

 努力で埋められる隙間が、どこにも見当たらない。

 積み上げてきた勝利も、必死に伸ばしてきた剣も、最初から土俵にすら上げてもらえていなかったのだと知った瞬間――一輝の胸の奥で、何かが音もなく崩れ落ちたのだ。

 

 微かにでも父と繋がっていたと信じていた一輝の心は、その時から狂いだし、精神の安定が崩れた。このような状態では病に侵された体を支えることはできない。

 

 またもや眩暈が一輝を襲うと、それに耐えられず地面に倒れる。

 そこを査問員の一人が立ち上がって近づくと、一輝の頭を踏みつけた。

 

「また寝るつもりか! この根性なしが!」

 

 踏みつけられた勢いで鼻を強打し、鼻血が垂れる。

 もうどうにでもしてくれと、そう思っていた時だった。

 

「んっふっふ。お辛そうですねぇ。ですがこれだけ査問が長引いているのですから仕方のないことです。ですがわかってほしいのですよぉ。我々も、君にこのような仕打ちは出来ればしたくないという事を。とはいえ、このまま続けたとしても埒が明かない。そんな一輝クンのために私は考えたのですよ。この査問会を終わらせる方法をねぇ」

 

 そんな白々しい声で赤座が喋りだす。

 どうせ禄でもないことだろうと思うが、問わなければ話が進まなそうだったため、先を促す。

 

「ゲホッ!、ゴホッ……! それは、なんですか……?」

 

 すると赤座は一輝の返事に満足したように語りだす。

 

「『決闘』ですよぉ。己の運命を切り開くための古くからの風習。それを以て君の騎士としての資質を問おうというのです。単純明快にしてこれ以上ない解決法ではありませんかぁ?」

「……つまり、僕が勝てば、このことについて放っておいてくれるということですか」

 

 一輝は赤座の思惑を理解した。

 最初から、これが目的だったのだ。

 自分の体力を限界まで擦り減らし、『決闘』で確実に敗北を与える。もちろん、これに賭けられるのは一輝の騎士としての資格だ。

 

「その通りですぅ。明日は丁度、一輝クンの最後の選抜戦なのですから日程はそこに合わせましょう。とはいえ明日の選抜戦の相手はEランクの三年。騎士としての資質を問うというのに、このような程度の低い者に勝ったところでは何の証明にもならないでしょう。なので相手はこちらで見繕っておきましたぁ」

 

 一輝は意識が朦朧としながらも背中に冷たい汗が伝うのを感じた。

 何故なら自分の予想通りであれば、それは今の状態ではあまりにも絶望的な相手だったからだ。

 それでも聞かなければならない。

 もはや息も絶え絶えながら一輝はその対戦相手を赤座に問う。

 

「ゴホッ……誰ですか……? その、対戦相手は……」

 

 その問いに赤座は醜悪な笑みを浮かべながら答えた。

 

「んっふっふ。我々『倫理委員会』は――――《雷切》東堂刀華を指名します。この『決闘』を受けて、いただけますよねぇ?」

「……ッ!」

 

 赤座の答えは予想通りだったが思わず体がビクっと反応する。

 たとえ覚悟していたとしても、改めて口に出されると堪えるものだ。

 たとえ万全な状態だったとしても苦戦は必至な相手に対し、この最悪なコンディションであの《雷切》と対峙しなければならないのだから。

 よく考えたものだと感心すらしてしまう。一輝自身もヴァーミリオン国王がやってくるまでの辛抱だと思い耐えてきたが、それは既に想定済みだったという事だ。

 とはいえ、もう今さら何を言っても遅い。

 既に逃げ道は断たれているのだから。

 

「はい……わかり、ました」

 

 もはやそれ以外の言葉はなかった。

 そして、その言葉を聞いた瞬間、赤座は愉快とでもいうように一輝へ拍手を送る。

 

「んっふっふっふ。素晴らしい! さすがは一輝クンです! それでこそ男の子ですよぉ! 皆さんも聞きましたね! 彼の勇ましい言葉を! これで彼の運命は、明日の決闘の勝敗にて決まります! そしてその誇り高き裁定に異論を挟むものはいないでしょう! では、これにて査問会を――――ん?」

 

 高らかに締めの宣言を唱えようとした赤座の言葉は、この査問会場の外の喧騒に遮られた。

 

「一体、何が?」

 

 だが、少し経つとその喧騒は静かになり、カツン、カツンという足音のみが聞こえてくる。

 赤座は査問会場の出入口の扉を凝視する。

 それに釣られて周りの査問員たちや一輝も扉の方へ視線を向けると、徐々にその足音がこちらに近づいてくるのが分かった。

 そして、その足音が扉の前で止まる。

 すると――

 

「フンッ!」

 

 ドカッと扉が蹴破られ、長身の男と小柄な少女の姿が見えた。

 

「なっ!?」

 

 その場にいた全員が驚きの表情で固まる。

 何故ならば

 

「バージル、先生……それに、珠雫も……なんで……」

 

 一輝は息も絶え絶えながら困惑の表情を浮かべた。

 何しろ二人がやってきたであろう査問会場へ続く廊下には、幾人もの警備の人間が倒れ伏している。

 明らかに連盟に対する反逆行為だ。

 こんなことをすれば連盟から追放どころではない。犯罪者として追われる立場へとなってしまう。

 

「お兄様! あぁ……こんな……!」

 

 珠雫は一輝の姿を見るや駆け寄るとフラフラとなっている体を支え、その場に座らせた。

 そして、すぐに珠雫による治癒が行われる。

 すると今まで感じていた体中の痛みや苦しみが徐々になくなっていくのを感じた。

 だがそんなことを気にすることもなく、一輝は焦るように珠雫の行為を止めようとする。

 

「珠雫……だめだ。こんなことをすれば、珠雫が……」

「……安心してください。私はあくまで、バージル先生に無理矢理連れてこられて治癒を強制させられたということになっています。それは、理事長からも証言してもらうことになっていますので」

「でも、それだと先生は……」

「……覚悟の上だそうです」

「そ、そんな……」 

 

 一輝はこの状況を全て理解した。

 バージルは己を犠牲に自分を助ける選択をしたのだと。

 彼がどのような内容で連盟との契約を結んでいたのかは分からないが、連盟から与えられた教師という役割を嫌々引き受けていたとは聞いていた。

 だがバージルの性格上、自分が気に入らないと判断したものは余程のことがなければやらないだろうことも知っている。

 つまりは、それほど連盟から提示された条件がバージルにとって重要だという事を示していた。

 だというのに自分を救うため、わざわざ連盟と敵対する行動を取るとは全く思わなかった一輝にとって、彼の行動はあまりにも予想外だった。

 それと同時にバージルに対する申し訳なさが沸き上がる。彼にとって、何かとても重要なことを今回の件でふいにしてしまったのだと悟ったから。

 一輝はこちらに向かって歩いてくるバージルを見つめ、謝罪をするために声を掛ける。

 

「先生……」

 

 だがバージルは一瞬だけ一輝へ視線をやると、すぐに目を離し、そのまま自分たちの横を通り抜けて赤座たちの前に立つ。

 すると赤座は周りで困惑している査問員を無視し、顔を真っ赤にしながらバージルに向けて怒鳴りつけた。

 

「な、何をしているんだお前はッ! こんなことをして、どうなるか分かっているのかァ!」

「ふん、分からずにここに来たと思っているのか? 全て理解し、俺は己の意思でここに立っている」

「な……何!? ……なら何故、こんな出来損ないのガキ一人のためにそこまでやるんだァ!?」

「そんなことは決まっている」

 

 言うや否やバージルは跳躍し赤座の机の上に着地すると、刀身を赤座の顔の目の前まで突き出す。

 赤座は思わず「ヒィッ!」という情けない声を出すと、バージルは言い放った。

 

「俺が奴の教師だからだ」

 

 その言葉に赤座は目が点になる。

 彼にしてみれば当然だろう。何しろたったそれだけの事で自らの立場を全て(なげう)ってFランクという才能の見込みもない一輝を助けに来たというのだから。

 

「なっ!? ただそんなことのためにお前はこんなことを!?」

「貴様らの長である厳がそうしろと言ってきたことを全力で遂行しただけだ。なにぶん妥協が出来ないタチなのでな」

 

 赤座はまるで理解が出来ないとでもいうような顔でバージルを見る。

 

「で、ですがもう遅いですよ! 既に決闘の了承は一輝クンから得ました! 彼は明日の選抜戦で《雷切》と闘い、負ければ騎士としての資格を剝奪されるのです!」

「ふん、決闘に関しては好きにするといい。どちらにしろ、ここで東堂に負けるようでは七星剣武祭など出たところで意味はない。俺が気に入らんのは、そもそも闘いにすらならん状況に置こうとした貴様らの思惑にだ。だからこそ、こうして奴を回復させるためにわざわざここまで足を運んできたのだからな」

「グ……グゥッ……」

 

 赤座は今回の謀略を企てるにあたって、学園における一輝の現状について徹底的に調査した。いくら対象が落ちこぼれのFランクとはいえ、今回の件は自分の昇進がかかった重大な仕事であるため、手は抜けないと判断したからだ。

 そして徹底的に調べたからこそ、赤座は一輝の強さを甘く見てはいない。

 何故なら今まで一輝は《狩人》、《剣士殺し(ソードイーター)》、《速度中毒(ランナーズハイ)》、そして《紅蓮の皇女》などの名だたる学生騎士たちに勝利してきたのだ。

 もし一輝が本当にただのFランク相当の強さであったのなら、わざわざこのような回りくどいことはせずに、そのまま《雷切》をぶつけていたか、もっと別の方法を取っただろう。

 赤座はある意味、一輝の強さを認めているからこそ彼の肉体と精神を限界まで擦り減らすことで確実な勝利を得るため、二週間にも及ぶ査問会という茶番を行ってきたのだ。

 

 だがそれをただの純粋な"力"で捻じ伏せ、こちらの思惑を台無しにしたバージルという男は完全にイレギュラーだった。まさか自分の地位をかなぐり捨ててでも一輝を助けるものなど、いないと思っていたのだから。

 今の現状を打開しようにも、ここにやって来るまでに倒してきたであろう警備員は基本的に赤座や他の査問員たちよりも強い。

 それを何の苦もなく処理してきたバージルに立ち向かったところで、返り討ちに会うだけだろう。

 だからこそ赤座は何もできず、ただ憎々し気にバージルを見つめる事しかできなかった。

 

 しかしそこに赤座にとって救いが来たように、査問会場にとある男の重い声が響いた。

 

「そこまでだ」

 

 その声の主は部屋の出入口に立っていた。

 この騒ぎを聞きつけ、ここまでやってきたのだろう。

 そこにいたのは、魔導騎士連盟・日本支部長官――黒鉄厳

 

「父さん……」

「お父様……」

 

 赤座は苦々しい表情から一転し、厳へ助けを求めるかのように喚く。

 

「ご……ご当主様! この男が我々の邪魔を! いや、もはやこいつは栄えある我ら連盟を襲撃しに来たテロリストです! 早くこの男に厳正な処罰を――」

 

 吠える赤座にうんざりしたように、バージルは左手に持っていた鞘を持ち上げ、赤座の頭頂部に鞘尻で叩きつけた。

 

「ふんぐッ!?」

 

 潰れた蛙のような声を発した赤座はそのまま気絶し、机に突っ伏したまま動かなくなる。

 それを確認したバージルは既に何も言えなくなっている赤座に向けて吐き捨てるように言った。

 

No Talking(喋るな)

 

 有無を言わさないバージルの行動に周りは唖然とするが、そんな彼の行動を意に介さず厳の声が室内に響いた。

 

「……珠雫、お前は帰れ。そしてバージル……君は私についてくるんだ」

「ふん、このまま追放を言い渡されるかと思ったが」

「連盟支部では直接的な追放処分は下せないことになっている。我々にできるのはここで追放に足る証拠を集め、本部に決断を行ってもらうことだ。これ以上我々に直接的な危害を加えないのであれば、一応君の口から訳を聞きたいと思っている」

「……いいだろう」

 

 言われたバージルは素直にそのまま机の上から降り、出入口に立っている厳の元へ向かう。

 

「ま、待ってください!」

 

 一輝は、そのまま歩き去ろうとするバージルを呼び止めた。

 バージルは出口のところで立ち止まり、一輝の方へと振り向く。

 

「先生、僕は……」

 

 一輝は何とか謝罪の言葉を紡ごうとするが、何と言えばいいのか言葉が見つからなかった。

 連盟を襲撃してしまった以上、もはやバージルが厳に何を言ったとしても追放されてしまうことは覆らないだろう。だがこのまま何も言わずに会えなくなってしまうのは何としても避けたかった。だからこそ、必死にバージルへ掛ける言葉を探し、何かを言いだそうと口を開いては閉じるのを繰り返す。

 それを見かねたバージルが逆に一輝へ声を掛けようと口を開いた。

 

「一輝」

「……ッ! はい……」

 

 バージルに名前で呼ばれたことに思わず驚くが、どのような叱責も甘んじて受け入れようと一輝は身を固くした。

 

「俺がやれるのはここまでだ。あとはお前で何とかしろ。お前の教師として、そうできるだけの舞台は整えてやったつもりだ」

 

 言われたのは彼らしい突き放す言葉の形をした、素直でない激励だった。

 だからこそ、その言葉には自分に対する"期待"が載せられていることを感じる。

 しかし、バージルは本当にそれでいいのか。

 

「でも、これだと先生が――」

「俺自身が決めたことに、お前がとやかく言う筋合いはない」

 

 バージルは反論を許さないとでも言うように一輝の言葉を遮った。

 しかしバージルの声には怒りではなく、ただ自分の決めたことに後悔はないという思いが込められていた。

 その目には一輝を慰めるような甘さも、気休めもない。

 

「もし何か俺に言いたいことがあるのであれば、明日の決闘でお前の力を証明してみせろ。俺がそうするだけの価値があったのだとな」

 

 ――逃げるな。

 助けられたことに縋るな。

 勝ってみせろ。

 

 言外の刃が、体の芯に突き刺さる。

 けれど不思議と、その痛みは一輝を折らなかった。

 崩れかけていた心の奥に、もう一度火が入る。

 

 恩を返す方法は、言葉じゃない。

 明日、剣で示す。それしかない。

 

 一輝は震える息を一度飲み込み、ゆっくりと顔を上げた。

 

「分かり、ました。先生の想いは無駄にはしません……ッ! 先生がここまでするに値する騎士だと、証明して見せます!」

「……ふっ」

 

 バージルは宣言した一輝を一瞥すると満足げに鼻を鳴らし、背を向けて厳の後ろへついていく。

 一輝の体はまだ完全に元通りになった訳ではないが、珠雫の治癒の甲斐もあり、ある程度回復することが出来ていた。

 

「お兄様……申し訳ありません。私ではこれ以上の治癒を行っても完治させることができません……」

 

 度重なる査問会の疲労と食事に混ぜられていた薬物による負荷が一流の水使いである珠雫の治癒ですら治せないほど、一輝は深刻なダメージを負っていた。

 これを完治させるにはIPS再生槽(カプセル)でしか無理だろう。

 

「いや、本当にありがとう珠雫。これなら十分に闘える」

 

 罹ってしまった肺炎は多少はマシになったが完治はしておらず、未だ息をするたびに肺に痛みが走る。しかし、そんなことは言っていられない。何しろバージルや珠雫がこんなリスクを背負ってまで自分を助けに来てくれたのだ。これでも闘えないなどと言ってしまうようでは二人に申し訳が立たない。

 それに、先ほどまで憔悴し切っていた精神は今のバージルからの言葉によって、まるで腹の底から力が湧き上がってくるようだった。

 

 確かに父親から認められることは今後も永遠にないのかもしれない。正直に言えば未だにそのことを思い出せば胸が痛むのは事実だ。

 しかし自分にはこんなにも期待を寄せてくれる人がいたんだという事実が一輝の折れそうな心を支えてくれていた。

 それにようやく靄がかっていた頭が晴れた一輝は、今回の件に巻き込んでしまった最愛の少女との約束を思い出す。

 

『二人で、騎士の高みへ』

 

 バージルに期待された黒鉄一輝の"最弱(さいきょう)"を証明する。

 それと同時に彼女との約束も果たす。

 何とも厳しい道のりだろうか。

 けれど――胸を焼く痛みが消えないのなら、それごと抱えて進めばいい。

 父に届かぬ言葉はあっても、今の自分には届いている声がある。

 期待してくれる人がいる。信じて待ってくれる人がいる。自分は独りではないのだ。

 

 ならば、答えは一つだ。

 

 バージルが示した道筋を、自分の足で踏み切る。

 彼女と交わした誓いを、二人の未来として結ぶ。

 最弱であり続けた自分が、最強へと至ると証明するために。

 一輝は静かに拳を握り、その瞳に炎を灯すのだった。

 

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