空間の中に吸い込まれたバージルは、想定外の事態に、そしてこの穴を見つけたダンテに対して舌打ちを突きながら悪態をつく。
「チッ……ダンテめ……何が大当たりだ……」
空間の中は完全な暗闇で、どこが出口かは見当もつかない。
ただ、何らかの力に押し流されるようにして、どこかへ進んでいる感覚はある。
バージルはその流れに身を任せ、漂い続けていた。
普通の人間であればこのまま、この暗闇の中を永遠に彷徨うのではないかと不安に駆られ、パニックに陥ったかもしれないが、バージルは冷静に辺りを見渡すとふと、視線の先に一筋の光が見えた。
「あれは……」
恐らく出口だろうと目星を付ける。
どうやら光に向かってそのまま引き込まれるようだ。
ひとまず、この空間から出られるのであれば、どこであろうと何とかなると考えているが、この先に何が待ち構えていても問題ないよう、左手に握られている閻魔刀を強く握り、すぐに対処できるよう身構える。
程なくして、光が目の前に来るほどまで接近し、バージルはその光に向かって右手を伸ばす。
光に触れると、目の前が強い光に包まれた。
「クッ!」と思わず右腕で目を覆う。
すると、足が地面に触れたのを感じた。
感触としては、さらさらとした砂。
程なくして強い光は落ち着きを取り戻し、バージルは目を覆っていた右腕を下ろして瞼を開ける。
「……なに?」
――なんとそこは、砂漠だった。
太陽が照り付ける、広大な砂漠。
ただ、周りには建造物の残骸がそこかしこにあり、荒廃しているように見える。
だが、見たところ今までいた魔界のような感覚はなく、常に感じていた悪魔の匂いも感じない。
「……どうやら戻ってこれたようだな」
ふぅ、と一息つく。
結局、自分を引きずり込んできた穴の異常に驚かされはしたが、人間界への出口であったことに変わりはなかったようだ。
とはいえ、今立っている場所がどこだかは全く分からない。
魔界から人間界へ繋がる出口は、儀式などにより指定された場所でもない限り、完全なランダムだ。
海の上や空に放り出されないだけマシである。
(奴は来ていないか……)
ダンテはあの後どうしたのだろうか、と考えを巡らせる。
最後、こちらに駆け寄り助け出そうとしていたようだが奴の性格上、あのまま飛び込んできててもおかしくはないはずだ。
ということはもしや、自分とは全く別の場所に出てきてしまったのか。
それとも、そのまま魔界へ残ったままなのか。
既に人間界に帰ってきてしまった以上、確認する術はないため、これ以上考えても無駄だと結論付ける。
帰ってきているかどうかは、ダンテの事務所にでも向かえば分かるだろう。
ひとまず、現在地を把握するためには、人のいる場所まで移動するしかない。
街などの行き先の手掛かりを探そうかと一歩踏み出そうとした瞬間――
「全部吹っ飛ばしたかと思ったが、生き残りがいたとはな。運の良い奴だ」
「……?」
声が聞こえた方向へ振り返ると、そこには黒いボサボサの髪にサングラスを掛けている、全身に黒衣を身に纏った男。
その男は挑発的な笑みを浮かべながら、こちらへ歩いてくる。
明らかにこちらに対し、敵意を向けているようだ。
「……何者だ?」
バージルは相手の男を注意深く観察しながら尋ねる。
よくよく感覚を研ぎ澄ませ相手を探ると、魔力を感じることに内心驚く。
ただの人間が魔力を持つわけがない。
とはいえ、悪魔特有の匂いも感じない。ということは悪魔に何らかの関わりがある人間か。
そういった人間にはまるでいい思い出がない。
警戒心を高め、左手に握られている閻魔刀の鍔を親指で押し出し、刀身をわずかに露出させ、相手を威嚇する。
「へぇ……テメェ、結構やるな。姿勢に全くブレを感じさせねぇ。良い剣士だ」
男はバージルの細かな動作を観察し、一瞬で粗方の戦力を分析する。
どうやら不用意に近づけば問答無用で斬られると感じたか、立ち止まる。
バージルの方も黒衣の男の立ち姿を観察する。
ぶっきらぼうに立っているようでいて、まるで隙というものが無い。
魔力を有するだけでなく、何らかの武術に通じた者であると瞬時に理解した。
更なる情報を得るため、バージルは相手を睨みつけるように目を細め、先ほど無視された質問を再度問いかける。
「もう一度言う。貴様は何者だ? 三度は言わん」
バージルの警告に男はまるで怯んだ様子を見せず、気軽に挨拶を交わすように自己紹介をする。
「ナジーム・アル・サーレムだ。よろしくな、
「仕事だと?」
この辺りには建造物の残骸以外には特にこれといった人工物もない。
見渡す限りの砂漠地帯。こんな所で、何の仕事を行うというのか。
不思議に思ったバージルに、ナジームはすぐに答えを言う。
「あぁそうさ。俺は雇われ傭兵をやってんだが、国に楯突くレジスタンスどもを殲滅しろって依頼があったもんでよ。この街に潜んでたネズミ共をあぶりだして始末するつもりだったんだ。けどよぉ、ちまちま探すのはどうも俺の性分に合わねえってんでな」
ナジームは肩をすくめ、唇の端だけで笑う。
「――街ごと砂に変えてやったのさ」
そう、ナジームは何でもないことのように答えた。
バージルはナジームの発言に警戒のレベルを上げ、視線のみで周りの状況を確認する。
確かに、なぜ建造物の残骸が混じっているのかが気にはなっていたが、
まさかこの光景の全てが、この男一人によってもたらされたものだとは俄かに信じがたかった。
本来なら、上級悪魔でさえなければ生み出せない規模の惨状だ。
それを、人間であるはずのこの男がやってのけたというのか。
バージルは周りの気配を探るが――
(……悪魔の気配は依然として感じられない。ならば、この男の言うことは事実。だが、何故これほどの力を?)
何らかを対価に悪魔と契約を交わすことによって魔力を持つ人間は確かに存在する。
だが、これほどの力を人間に与える悪魔は普通存在しない。
強大な力を与えれば、契約した悪魔側も脅威になるため、普通は自分の小間使いになる程度の力しか与えないからだ。
湧いて出てくる疑問に考えを巡らせていたバージルだったが、ナジームはお構いなしに話を続ける。
「ただ、テメェだけ無傷でここに立ってるってのはどういうことだ? ここはついさっき、俺が吹っ飛ばした中心地の近くだったんだ。……俺からも質問させてもらうぜ」
ナジームは両腕に漆黒の籠手を顕現させながら、バージルの左手に握られている閻魔刀を見やり、問いかける。
「……テメェ、何者だ? レジスタンスにテメェみたいな
両腕に出現した籠手を見やり、バージルは何らかの魔具ではないかと当たりを付ける。
魔具とは、魔界で製造された悪魔の武器、または悪魔が何らかの理由で魂そのものが武器となり果てた結果の産物である。
恐らく、あの魔具による力を使い、ここにあった街を消し去ったのだと推察する。
ただ、聞き覚えのない
恐らく自分のことを指しているのだろうが、何をもってそう判断されたのか皆目見当もつかない。
先ほど閻魔刀へ一瞬視線が向いたのが関係しているのだろうか。
「ふむ……仮に俺がレジスタンスでないと答えたところで、どうする? どちらにしろ逃すつもりはないように見えるが」
「ククク……わかってるじゃねぇか。その通り、テメェは逃がさねぇ。俺には分かるぜ。テメェが相当な手練れだってな」
ナジームは自らの顔を右手で覆い、心底まいったというような素振りで語る。
「正直退屈してたんだ。さっきの仕事も、チョイと風を吹かせてやっただけだってのに、相手の顔も見れずにオサラバときやがった。こんな悲しいこともねぇだろ? だから遊び相手が欲しかったんだよ」
「同情するが、遊び相手なら他を当たれ。貴様では相手にならん」
「ハハハ!! 連れねぇことを言うじゃねぇか。でもよぉ……」
ナジームの眼光がこちらを射抜く。バージルは瞬時に殺気を感じ取り、身構える。
「こうなっちまったら、そうも言ってられねぇよなぁ!」
瞬間――ナジームはバージルに向かって普通の人間が出すには到底不可能な速度で踏み込む。
「シッ!」
一瞬でバージルの懐に潜り込んだナジームは左の拳を肩、肘、手首のみのモーションで三連発の突きを繰り出す。
所謂ボクシングにおけるジャブだ。
ジャブの速さはあらゆる格闘技において最速のパンチ。更に、ナジームの魔力によって強化された膂力によって、その速度は普通の人間では知覚すらできない。それを三発。
だが、バージルは普通の人間ではない。
悪魔との混血児――半人半魔だ。
バージルは左拳による攻撃を1発ごとに体を僅かにずらすことで左右に
更に三発目の打ち終わりを狙って、左手に持っている刀身が納められた閻魔刀の鞘でナジームの右の顔面へ向かって振りぬいた。
だが――ナジームも普通の人間ではない。右から迫り来る鞘が、事前に来ることが分かっていたかのように、籠手に覆われた右腕で既に防御の姿勢を取っていた。
「――ッ!!!」
衝撃音が鳴り響く。
ナジームはその衝撃の重さが想定外だったかのように咄嗟に耐え、左に10メートルほど地を擦って踏み止まる。
お互いの距離が離れ、仕切り直しの構えだ。
バージルはナジームに対し、やはり普通の人間ではないと改めて結論付ける。
先ほどのジャブ。軽く避けてはいたが、速度、威力共にいくら何でも人間の出せるものではない。
更には先ほどの防御行動。
本来であれば、あれは確実にナジームの顔面を痛打し、死なないまでも衝撃によって首の骨を折っていたはずだ。
それをまるで、未来予知でもしたかのように、予め右腕を盾にしていた。
バージルは、ナジームを興味深そうに見つめながら呟く。
「ふむ……。今のを防ぐか」
対するナジームは、先ほどの一連の攻防のみでバージルが口だけの男ではないと理解する。
鞘による、ただの棒振りのような攻撃でこの衝撃だ。
しかも、ジャブを避けたあの動きから察するに、力任せだけの男でもないだろう。
まるで、プレゼントを待ちわびる子供のような期待に満ちた目で喜びを顕わにする。
「ク……クククッ……! 面白れぇ…! 面白れぇぞテメェ…! 今日はツイてるぜ、テメェみてぇなやつは久しぶりだ!」
対するバージルは興奮するナジームとは対照的にあくまで冷静に返す。
「期待するのは勝手だが、先ほども忠告したはずだ。貴様では相手にならんとな。……だが、それでも向かってくるというのであれば」
バージルは腰を落とし、右手を柄に添え、居合の構えを取りながらナジームを睨みつけ――宣告する。
「――斬り捨てる」
「ハハハハッ!!! やれるもんならやってみなぁ!!!」
先ほどと同じように、またもやナジームの方から接近する。
瞬時に間合いを詰め、今度は三発どころではない、無数のジャブを連発するが、バージルは鞘から刀身を抜刀し、ナジームのパンチを悉く打ち落とす。
もはや互いの腕は残像しか見えず、第三者から見れば、なぜ正確に打ち合えるのか理解不能だろう。
しかもバージルは涼しい顔で、ナジームは獰猛な笑みを崩さぬままでだ。
ただ、バージルは敵が明らかにこちらの隙を伺っていることに気付いていた。
恐らくこちらが大きな隙を晒した瞬間、未だに攻撃に使用されたことのない、その右拳が飛んでくるだろう。
恐らくは必殺の一撃。でなければコンビネーションにも繋げられそうな右を温存しておく理由もない。
となれば、わざわざ相手が仕掛けてくるタイミングまで待つ必要もない。
何合目になるか分からぬほどの打ち合いの末、バージルがおもむろに下から斬り上げるようにナジームの左腕を打ち上げた。
明らかに致命的な隙だ。
そのまま斬り上げた刀を返し、がら空きとなったナジームの体へ斬り落ろす。――が
「ハハッ!」
ナジームはまたもや、そうなることが分かっていたかのように、斬り上げられた勢いのままに後ろへスウェーバックで回避。
今度はバージルが致命的な隙を晒すこととなった。
バージルの斬り下ろした隙を逃さぬよう、ステップインで距離を詰め、――ついに今か今かと待ち侘びたナジームの右拳が放たれる。
「《デッド・エンド・ブロー》―――――ッ!!!」
バージルの頭部を貫かんと、真っ直ぐ突き進むナジームの右拳。
拳が突き出された瞬間、周囲の空気が圧縮され、衝撃波が砂を巻き上げて四方へと走る。砂漠の地面には、拳が通った軌道に沿って深い溝が刻まれていった。
まさに終焉の名にふさわしい破壊的な一撃。
――だが、バージルはそれを見切っていた。
「ッ!?」
ナジームの右が空を切る。
先ほどまで斬り下ろしによって隙を晒していたバージルの姿が、一瞬で掻き消えていた。
だが、ナジームはどこに消えたのか分かっていたかのように瞬時に上を見上げると、そこにはバージルの姿。
バージルは空中への
そして空中で体を捻るように勢いを付けながら抜刀。ナジームに向かって急降下し、叩きつける。
「ハァッ!!」
それすらもナジームは対処する。
頭上に振り下ろされる刀身を、腕を上げ、クロスすることでガードする。
あまりの衝撃にナジームの足元が僅かに砂漠の地面に埋もれるが、ナジームは力づくで刀を弾き返す。
「チッ!」
刀を弾かれたバージルは数歩後ろへ後退する。
またもや振り出しに戻り、舌打ちをするバージルはナジームの未来予知じみた行動を、偶然ではないと確信する。
この男はどうやってかは知らないが自分の行動を先読みできるようだ。
「貴様……俺の行動を事前に把握していたな。奇妙な真似を……」
「ククク……不思議か? 俺が何でテメェの攻撃を感じ取ることができるのか」
ナジームは不敵な笑みを浮かべながら、バージルの疑問に答える。
「教えてやるよ。タネなんてねぇ。これは言っちまえば、ただの勘ってやつだからな。テメェもやってるはずだ。敵の殺気を感じて攻防を組み立てるってのは。俺はただ、それが殺り合ってる本人よりも早く、より正確に感じるってだけだ。だからテメェの剣がどれほど早かろうと、俺の隙を突こうと、届くことはねぇ。テメェが俺を斬ろうと行動を起こす前に、既にそう行動しようとした脳の起こりを、俺が感じ取っているわけだからな。」
相手の行動の起こりを読み取る。そんな出鱈目にも感じるナジームの特性であるが、バージルはそれでもなお冷静に敵戦力の情報を分析し、どう相手を葬るかを考える。
「ふん。自らの能力を晒すとは愚かな…… おかげで貴様の攻略法が分かった。ならば無駄に時間を掛ける必要もあるまい。――宣言しよう。次の技が貴様の最後になるとな」
これほど絶望的な特性を兼ね備えているナジームに対し、なおも全く闘志が衰えないバージル。
そんな様子を見てナジームは不適な笑みを浮かべる。
「ククク……やっぱり面白れぇな、テメェは。もう少し楽しみたかったぜ。せめて名前ぐらい聞かせてくれよ。これから建てる墓に名前もねぇんじゃ寂しいだろ?」
「……冥土の土産に教えてやる。バージルだ。だが安心しろ、墓には貴様の名が刻まれる」
「覚えておくぜ、バージル。さぁ! 見せてみやがれ! 最後の技って奴をよぉ!」
バージルは先ほどの攻防前と同じように腰を落とし、柄に右手を添える居合の構え。
ただ、今回は力を溜めるように更に腰を深く切る。
相手の殺気を読む。一見無敵のように見えるが、この技に至ってはもはや関係ない。
殺気を読もうが、防ごうが、どうあがこうとも相手を斬り刻む。なぜなら、この技が斬る対象は物体ではなく、空間そのものなのだから。
これを防ぐことが可能なのは、弟であるダンテのみ。
「
瞬間――空気が変わった。
バージルの眼が赤く光り、体から異常な程の蒼い魔力が溢れ出す。更には彼を中心としたドーム状の魔力の空間が出来上がった。
それはナジームを巻き込み、空間の中に一瞬で収まった。
「――ッ!?」
あまりの出来事に目を見開く。
だが、それ以上にナジームを驚かせたのは、バージルの眼光から全身を隈なく刺激する殺気の奔流。
頭から足の爪先まで、防御や、自分の能力ですら凌ぎ切ることはできないと、彼の優れた第六感が伝えてくる。
能力が満足に使えない子供の頃に毎日感じていた死の警告。あれすら生易しいと感じてしまうほどの鳴り止まぬ警告がナジームを包む。
なまじ感覚が優れすぎている故か、もはや言葉すら伴って頭に訴えてくるようであった。
「この場に留まっては、お前は必ず死ぬ」――と。
まるで死神が肩に手を置いて、耳元で囁きかけるように。
ナジームは死への恐怖で全身が震える。
今まで様々な戦場を渡り歩いてきたが、一度としてこれほどに『死』を意識させられたことはなかった。
もはや、行動に迷いはなかった。否――むしろ迷いすら生じる前に体が勝手に動き出す。
「オオォォオォオオ!!!!」
死の恐怖に体が竦まないよう叫びながら、ナジームは、本来なら次の攻防でバージルの隙を作り出すために温存していた、身体を砂へと変じさせる能力を発動させる。
本来はバージルの渾身の一撃を砂に変じて受け流し、その隙に切り札の《デッド・エンド・ブロー》を叩き込むつもりだった。
そのためにわざわざ、バージルにそう悟らせないよう、これまでの攻撃をすべて防御と回避でやり過ごしてきたのだ。
しかし、この異常事態に全ての計画が狂う。
砂と化したナジームは、迫りくる死の中心から逃げるように、一気に魔力の満ちた空間の外縁へと流れ出ていく。
「……何?」
間合いの中から標的そのものが消えたことを悟ったバージルは、刃に込めていた魔力を静かに解いた。発動寸前まで練り上げられていた一撃は、結局この場で振るわれることなく霧散する。
ナジームの逃亡は、ぎりぎりのところで間に合っていた。
「………」
取り残されたバージルは、居合の構えのまま動きを止めていた。
まさか、あれほどあっさりと背を向けるとは思わず、一瞬だけ呆気に取られる。
やがて周囲からナジームの気配が完全に消えたのを確認すると、静かに構えを解き、指先で襟元を軽く整えた。
そのまま砂の流れが消えた方角へ視線を向け、冷たく吐き捨てる。
「……だから言ったはずだ。貴様では相手にならんとな」
向こうから突っかかってきた割には大したことのない奴だったと、ナジームを卑下する。
落ち着きを取り戻したバージルは、ナジームとの邂逅で感じたいくつかの謎で頭を悩ませる。
まず、あの力だ。あれほど強力な力を得るには両腕にあった魔具だけでは説明がつかない。
魔具はもちろん、それ自身に秘められている魔力でもその能力を発揮することはできるが、あれほどの規模となれば話は別だ。
明らかに本人の魔力量が人間の保有できるそれを超えている。
若いころ、魔界の門を開く際に協力関係にあった男を思い出す。
奴も悪魔の力を得ることで魔力を有していたが、ナジームの魔力量は桁が違う。
更には聞き覚えのない
今思い返せば、閻魔刀を持っていることで、こちらを
ということは魔具を持つものを、この辺りではそう呼称しているのか。
しばらく考えるが皆目見当もつかないバージルは、一先ず当初の予定通り、人のいる場所に赴いて現在地を把握せねばと思考を切り替える。
とはいえ、周りはナジームの仕業で残骸だらけの砂漠地帯と化しており、行き先を示すものは何もない。
当てもなく歩くしかないか、と思ったその時。
「……む?」
視線の先にボロボロになった標識が見える。
一部欠けているため、地名などはよく分からないが、恐らく矢印の先を進み続ければ何らかの集落があるようだ。
どのくらいの時間が掛かるかは不明だが、周りには乗り物などないため、それを頼りに歩くしかないだろう。
面倒だが仕方ない、と嘆息する。
立ち止まっていても状況は変わらない。バージルはそう割り切ると、標識の矢印の方向へ体を向け、一歩、また一歩と歩を進めるのだった。
*********************
数時間後
某国、王宮にて
「ハァッ……! ハァッ……! クッッソがぁあああ!!!」
バージルとの戦いから無事逃げおおせることができたナジームは、先ほどの自分の行動に対し、今まで感じたことのない屈辱と怒りに胃の底をかき回されていた。
昔の自分だったならば、まだよかった。
まだ、自らを強者と認識していなかった昔なら。
だが、今この世界において最強と呼ばれる者たち。
《比翼》《暴君》《超人》《白髭公》名だたる強者達と同列に語られると自負している自分が、尻尾を巻いて逃げた――その事実が何より許せない。
ナジームのプライドはもはや取り返しがつかない程、重症だった。
依頼主である国王の王宮内の一室で、ナジームは周辺の家具や物を破壊し、何とか正気を保とうとしていた。いうなれば八つ当たりのようなものだ。
「《
国王のなだめる声が室内に響き渡るが、今のナジームには焼石に水――いや、むしろ火に油だった。
「うるせぇえ!!」
「ヒィィッ!」
次の瞬間、ナジームの右拳が閃き、王の身体は椅子ごと壁に叩きつけられた。
乾いた音を一度だけ鳴らして、王はずるりと崩れ落ちる。頭蓋も胸骨も、内側でぐしゃりと潰れていた。
周囲に侍っていた兵士たちが一瞬の出来事に目を見開き、驚愕する。
「お、お下がりください。《
一人が震える声でそう絞り出しながら銃を抜いたが、銃口は情けないほどに揺れていた。
他の兵士たちも形式だけ武器を構えるものの、誰一人として一歩前に出ようとはしない。膝が笑い、額からは冷や汗が流れ落ちる。
さっき王を壁に貼り付けた拳が、もし自分たちの方へ向いたら――その光景を想像しただけで、喉がひゅっと狭まった。
職務としては王を殺害した罪として即刻ナジームを処刑するべきだと頭では分かっている。それでも、本能が告げていた。
「逆らえば、次は自分たちの番だ」と。
恐怖に怯える兵士たちを無視し、ナジームは右拳にこびりついた血を鬱陶しそうに振り払う。
握った拳が、わずかに震えていることに自分で気づき、歯噛みした。
脳裏に、蒼い殺気をまとったバージルの姿が焼き付いたまま離れない。あの瞬間、自分は確かに“死ぬ”と悟っていた。
その恐怖をかき消すように、ナジームは自分に言い聞かせる。
「いや……! そうだ……! 俺は、まだ負けてねぇッ!」
自分はあの時、まだ本気を出していない。
自らに眠る化け物の力を解放していれば、あの程度の技は防げていた――そうだ、そうに決まっている。
そう、何度も何度も自分に言い聞かせる。だが、そのたびに、胸の奥で冷たい声がささやいた。
――本当にそうか?
「ッッ!!!」
あの時、本当の自分を開放したとしても、殺られていたのは自分だった。そう自分の感覚が告げる。
長年、この感覚に全幅の信頼を寄せていたのだ。もはや疑う余地のないことだった。
だが、それを認めれば自らを『弱者』と認めることになる。
ならばどうする。
しばらく俯いたまま考えると、ふと笑いがこみ上げる。
「クククク……そうだ……考えてみりゃ簡単なことじゃねぇか。あいつをぶっ殺せばいい。そうすりゃ俺は、俺のままだ……! そのためには力が必要だ。もっと強大な力が……!」
突然、ナジームの鋭い眼光が未だ恐怖で身動きの取れない兵士たちに向けられた。
視線を向けられた兵士たちは情けない悲鳴を上げると、生存本能に突き動かされるように一目散に部屋から立ち去ろうとする。だが――
「《
ドアに殺到していた兵士たちの前に突然、砂の壁が立ち塞がる。
もはや逃げ道を失った兵士たちはナジームの前で泣きながら命乞いを始める。
「許してくれ!」「助けて!」と何度も懇願する兵士たち。だが、彼は目の前の光景にむしろ満足したように哀れな兵士たちを眺めていた。
そう、奴をこんな風にひれ伏せさせたらどんなに心地いいだろうか。
ナジームはしばらく恍惚とした表情で眺めていたが、両腕に漆黒の籠手を顕現させ、右腕を上に突き上げた。
「《
命乞いをする兵士たちを巻き込み、室内に漆黒の砂嵐がナジームを中心に発生する。
徐々にそれは兵士だけでなく、宮殿内をも飲み込んで巨大な砂嵐と化していく。
更に異様なのは砂嵐に巻き込まれた兵士や宮殿が、徐々に塵になっていくことだ。
これこそナジームの能力。《乾き》の力によるもの。
彼の魔力に触れたものはすべて、根こそぎ水分を奪われ、朽ちていく。
宮殿は既に原形をとどめておらず、もはやただの残骸となり果てていた。
ナジームは宮殿だった場所の上空へと、そのまま砂嵐に乗って舞い上がり、首都を見下ろしていた。
眼下では、天変地異としか思えぬ砂嵐に、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
彼らを巻き込むように、砂嵐はさらに勢いを増し、全てを呑み込もうとしていた。
まさに神罰の光景。
ナジームは突き上げた右腕を力いっぱい引き絞り、そのまま、まるで流星のように地面に向かって急降下し、右拳を叩きつけた。
地殻が砕け、それによって巻き込まれる人々を尻目に、それでもなお、ナジームの胸は満たされない。あの剣士を跪かせるには、まだ決定的に力が足りない。
ナジームは先ほど叩きつけた己の右拳を胸の前で握りしめながら、低く唸るように零す。
「もっと力を……!」
そのまま、まだ無事である首都の一画に向かって風に乗って進み出す。
何しろ、まだまだ鬱憤が溜まっているのだ。
『強者』である自分が『弱者』である有象無象をどうしようと勝手だ。
力無き者はより強い者に奪われるのが世の理なのだから。
――こうしてその日、一つの国が地図から消えた。