蒼い悪魔の英雄譚   作:魚の目108

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再会

 

 

 一輝は現在、誰の目にも付かぬよう、破軍学園から少し離れた山奥でただ一人、自主鍛錬に励んでいた。

 

 内容だけを見れば、ただの素振りである。

 特別な技を放っているわけでも、派手な魔力を纏っているわけでもない。

 傍目には、誰かに見られて困るようなものには映らないだろう。

 

 だが、それは遠目から見ればの話だ。

 近くでその素振りを目にした者がいれば、きっとその異様さに首を傾げたに違いない。

 

 何故なら――。

 

「フッ――! ハッ――!」

 

 

 

 ――無音なのだ。

 

 

 

 刀を振るう際に生じる風切り音が全くもって聞こえず、唯々一輝の息遣いだけがその場に響くのみ。

 通常、刀の重さはおよそ1㎏~1.5㎏ほど。

 一輝の霊装である《陰鉄》は魔力によって形作られたものではあるが、その重量は通常の刀と大きく変わらない。

 そんな鉄の塊を全力で振るえば、本来ならば必ず音が生じる。

 空気を切り裂いた際、その動きに応じた音が周囲へ響くはずだ。

 だというのに、一輝の剣にはそれがない。

 

 まるで刀が空気そのものの隙間を縫い、何一つ乱すことなく通り抜けているかのように。

 

 何故、一輝が突然そのような斬撃を繰り出せるようになったのか。

 その理由は、昨日の出来事にあった。

 

(昨日の先生とエーデルワイスさんの闘いを見れたのは本当に僥倖だった……《比翼》の剣技、ようやくモノにできたぞ……)

 

 そう、昨日、一輝は世界最強と名高い《比翼》と直接剣を交えただけではない。

 その後、バージルと《比翼》が繰り広げた超次元の戦闘を、間近で観察することができた。

 その経験は、一輝にとって値千金どころではない価値をもたらしたのだ。

 

 特に一輝は周囲からは照魔鏡とでも称される程の洞察眼の持ち主。

 他者の剣技であろうと、数分も見ればその枝葉を辿り、技の根幹にある(ことわり)を読み解くことができる。

 しかも昨日、一輝が見ていた《比翼》とバージルの闘いは数分どころではない。

 

(校舎の中へ行ってしまった後は見れなかったけど、それ以外の闘いは全部頭の中に叩きこんである)

 

 あれだけの時間、世界最高峰の剣技を見続けたのだ。

 一輝にとっては、実際に刀を振るわずとも、頭の中で幾度も反復し、自らの体捌きへ落とし込むことは十分に可能だった。

 

 事実、一輝には前例がある。

 破軍学園の先輩に、伝説の剣豪である《最後の侍(ラストサムライ)》の娘、綾辻綾瀬という女生徒がいる。

 一輝はかつて、彼女の剣を見ただけで綾辻一刀流の最終奥義《天衣無縫》をぶっつけ本番で再現してみせた。

 本来であれば、一生を費やしても会得できるか分からないほどの秘奥義。

 だが一輝にとっては、原理さえ理解してしまえば、あとはイメージ通りに肉体を動かすだけで再現可能な技の一つに過ぎなかった。

 

 とはいえ、《比翼》の剣技を繰り出すためには脳の伝達信号を『戦闘用』に切り替える必要があり、それに少々苦戦していたのだが、それもたった今、調整(アジャスト)することに成功した。

 これでもう、一輝はいついかなる時でも《比翼》の剣技を繰り出せるようになったのだ。

 

(ハハハ……これはすごいな……)

 

 一輝は素振りを続けながら自らの急激な成長に対し、内心笑いが止まらなかった。

 バージルから教えを受けた魔力制御によって新たに習得した伐刀絶技(ノウブルアーツ)《絶刀羅刹》は一撃の攻撃力においては他の追随を許さない。

 しかし、出せるのは本当に勝負を決する一瞬のみ。

 しかも使用後は、最低でも数日の治療を余儀なくされる。

 連日の試合が行われる七星剣武祭においては、あまりにも取り回しが悪い技であることは否めなかった。

 無論、《一刀修羅》も魔力制御技術の向上により飛躍的にパワーアップし、その伸び率も今までとは比較にならない程ではあるが、一輝としては通常の剣技にもこれまで以上の成長を望んでいた。

 そして今、その望みは予想を遥かに超える形で叶ってしまった。

 

(先生には感謝しないと……いや、先生の事だから感謝などいらん、とか言われそうだけど)

 

 結局、昨夜バージルの身に起こった不可思議な現象に関しては不明なままで、本人に直接聞いてもはぐらかされるか、固く口を閉ざすばかりだった。

 しかし一輝にとって、バージルの謎に関してはそこまで重要ではない。

 

 誰にだって秘密にしたい事はあるだろうし、それを無理矢理にでも聞くのは本意ではない。

 重要なのは、彼が自身を何度も救ってくれた恩人であるという事だ。

 

 日本支部に拘留された時も、今回《比翼》から命を救ってくれた事もそうだが、そんな彼が何か悪意を持って隠し事をしているとは到底思えない。

 だからこそ話すべき時が来れば、彼の方から話を切り出してくれるだろうという確信があった。

 

(それに、今はそんな事を気にしている場合じゃないしね)

 

 一週間後には七星剣武祭が始まるのだ。それは、一輝の卒業が懸かっている重大なイベント。

 何よりも、自身の愛する存在であるステラとの約束の地でもあるのだから、それに向けて今は鍛錬に集中するべきだろう。

 

 一輝は雑念を振り払い《魔剣士》対《比翼》の闘いの記憶を思い返しながら、ただ一心に無音の斬撃を繰り返す。

 魔力を巧みに操り、その流れを斬撃へ乗せる頂点の技術。

 それを自らの身体へ落とし込み、模倣し、さらに己の剣へと昇華していく。

 

 その剣速はもはや、常人の目では捉えることすら叶わない。

 一振りごとに、一輝の剣は確かに伐刀者(ブレイザー)としての高みへ近づいていた。

 

「ハッ――! セイッ――!」

 

 振るう。

 振るう。

 振るう。

 

 何度振るっているかは数えていない。特に時間も決めていない。

 そんなことに意識を割くよりも、今は自分が一振りごとに成長している実感の方が、何よりも心地よかった。

 

 振るう。

 振るう。

 振る――。

 

 

 ガチャリ。

 

 

「……ん?」

 

 違和感を覚えた。

 腕に何かが纏わりついたような、ほんの僅かな引っかかり。

 一輝は素振りを止め、違和感の生じた腕へ視線を落とす。

 

「……ちょっと調子に乗りすぎたかな? 身体を痛めたら元も子もないし、今日はこの辺で切り上げるか……コツも掴んだことだし」

 

 魔力制御を併用した《比翼》の剣技は、もしかしたら自分でも予期しない負担が掛かっているのかもしれない。

 だとしたら、もう少し通常の《比翼》の剣技に慣れてからでも遅くはない。

 

 せっかく七星剣武祭の舞台に上がれるというのに、その調整期間で怪我をして全力が出せませんでしたでは笑い話にもならない。

 無論、再生槽(カプセル)で完治できない程の怪我など鍛錬でそうそう起こり得るものではないが、念には念を入れてだ。

 

 

 

 一輝は帰り支度を整えると、寮へ向かって山道を下り始めた。

 クールダウンも兼ねて、軽いランニングで帰路を辿っていく。

 

 その道中で、一輝はふと最愛の彼女のことを思い浮かべる。

 

(ステラはどうしているのかな……お互い、手の内は明かさないように別々にトレーニングをしているけど、昨日の事が相当堪えていたみたいだしなぁ……)

 

 昨日の暁学園による襲撃。

 彼らのリーダー格と思われる平賀の言葉通り、暁学園は正式に七星剣武祭への出場を決めた。

 

 今朝方、理事長である黒乃からはこのような政治闘争に巻き込んでしまいすまない、と謝罪をもらったが一輝にとっては些事に過ぎない。

 無論、破軍学園の仲間を襲ったことについては怒りを覚えているが、その借りはきっちりと七星剣武祭で返させてもらうつもりだ。

 

 だがその際、王馬に手痛い敗北を喫したステラは、一輝から見ても思い悩んでいるように見えた。

 聞いた話では彼女の持つ最強の伐刀絶技(ノウブルアーツ)である《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)》が、王馬の伐刀絶技(ノウブルアーツ)月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)》によって敗れたらしい。

 

 二人は共にAランクの伐刀者(ブレイザー)ではあるが、魔力量は圧倒的にステラの方が上だ。

 つまりは自らの得意な領域である純粋な力勝負に負けたという事。

 

 一輝や刀華のような技術主体の伐刀者(ブレイザー)に敗れるならばともかく、これでバージルに続いて二度目ともなれば、自信を喪失してしまうのも致し方ない事だろう。

 

(まぁ、あまり心配はしていないけど)

 

 一輝の知るステラは自分に負けず劣らずの負けず嫌いだ。

 自分の得意な領域で敗北したからといって、それで大人しくしているような生半可な騎士ではない。

 恐らく当日の七星剣武祭では自分の想像よりも遥かに成長した姿を見せてくれるだろう。

 ただそう思うと、この早い時間にトレーニングを切り上げるのが不安になってきてしまった。

 

(……とりあえず帰ったら魔力制御の鍛錬でもしようかな。それなら身体を酷使しなくてもできるし)

 

 ステラからは一週間、寮に戻らないとは聞いている。

 そのため思う存分、鍛錬に集中はできるだろう。

 一輝はこれからのトレーニング内容を頭の中で整理しつつ、寮へと足を進めるのだった。

 

 

*********************

 

 

「ハァ……」

 

 破軍学園に程近い公園のベンチで深い溜息を吐いたのは、《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオン。

 

 今朝方、一輝に「絶対強くなって戻ってくるから!」と啖呵を切って出てきたものの、当の彼女はこうして一人、答えの出ない悩みに沈み込んでいた。

 

(アタシって、こんなにも弱かったんだ……)

 

 ステラは、自分がこの世で類を見ないほどの天才であると自覚している。

 

 通常の伐刀者(ブレイザー)の三十倍の魔力量。

 一を教われば十を学び取るほどの頭脳とセンス。

 類まれなる美貌。

 ヴァーミリオン皇国の皇女という地位。

 

 挙げればキリがない。

 だからといって、彼女はその才能に胡坐をかくような愚か者などではなく、たゆまぬ努力すらも厭わない、まさしく完璧といってもいいほどの精神性の持ち主だ。

 

 直情的なのが玉に瑕ではあるが……それを加味しても彼女は、ともすればいずれ歴史に語られるほどの才女といってもいい。

 

 しかし、だからだろうか。

 ステラには敗北という経験があまりにも少なすぎた。

 この破軍学園に入学してからというもの、故郷であるヴァーミリオン皇国では思いもしなかった敗北を繰り返している。

 

 まず、学園に来た初日に一輝に敗れた。

 Fランクという、伐刀者(ブレイザー)の中でも最低に位置する力を持った彼に敗れたことは、この日本に来てから今に至るまで、自身の中で最大のショックといってもいいだろう。

 

 Fランク(最弱)Aランク(最強)に勝つ。

 

 常識で考えれば誰もが不可能だと断じるようなことを、あの男は本当にやってのけたのだ。

 だからこそ、ステラは彼に興味を持った。

 その背中を追い、隣に立ちたいと願い、やがて恋人となった。

 

 それは、この日本に来て良かったと思える理由の一つでもある。

 

 しかしその翌日、突如として現れた、世界中で噂されていた魔剣士――バージルに敗れた。

 この敗北も、ステラにとって最も衝撃を受けたものの一つ。

 何しろ、自身の魔力量は世界最大。

 その魔力量から繰り出される膂力は、世界のトップクラスにも負けることはないと自負していた。

 

 だが、それは思い違いも甚だしかった。

 

 剣を一合斬り合わせただけで理解させられた、圧倒的な力の差。

 技術ではない、ただの純粋な力で負けたあの時の衝撃と恐怖は、今まで生きてきた中で一度も経験したことのないショックを与えたのだ。 

 自分の誇りであり、絶対の武器だと信じていたものが、真正面から容易く踏み越えられた。

 その事実は、今もステラの胸に深く突き刺さっている。

 

 しかも一輝から聞かされた話では、バージルの魔力量はステラを優に超えているという。

 それを知った時、ステラはようやく思い知らされた。

 

 自分は、井の中の蛙だったのだと。

 

 そしてつい昨日の出来事。

 同じAランクであり、同じ学生騎士である黒鉄王馬による敗北。

 彼もまたバージルには及ばないにせよ、埒外の力を以て自分の力を跳ね返してみせた。

 

 自身が最も得意とする領域で、二度も敗北を喫した。

 それはステラの誇りに深く爪を立て、自信を根元から揺るがすには、あまりにも十分すぎる痛みだった。

 

 だが――

 

(だからって、諦められるわけないじゃないッ……!)

 

 ステラの諦めの悪さは、一輝にも決して負けていない。

 何より彼女は、愛する祖国ヴァーミリオン皇国の剣となるために、これまで己を磨き続けてきたのだ。

 

 たとえ無様にもがくことになろうとも。

 地を這い、泥に塗れることになろうとも。

 強くなることだけは、決して諦めるわけにはいかなかった。

 

 だが、今の自分が思いつく程度の鍛錬では、あまりにも生温い。

 七星剣武祭が始まるまで、残された時間はたったの一週間。

 その短期間で一輝や王馬を倒すための劇的な成長を遂げるには、普通の努力では到底足りない。

 

 ならば、どうするか。

 

 答えは一つ。

 自分を死地へ追い込み、未だ内に眠っている潜在能力を、無理矢理にでも引きずり出すしかない。

 

 それは常人であれば、ただ時間を浪費するだけの無謀な荒業だ。

 だが、常人を遥かに凌駕する才能と魔力量を持つステラであれば、それを成し遂げられる可能性がある。

 魔力とは、通説では伐刀者(ブレイザー)の運命を望む形へと押し進める力。

 ならば、バージルという例外を除き、世界最高とも称された魔力量を持つ自分が、この程度で終わるはずがない。

 

 いや、終わらせてたまるものか。

 

 だが、そのためには相応の相手が必要だった。

 自分を本当の意味で死地へ追い込み、限界のさらに先へと叩き込める相手。

 そんな相手が、今この学園に一人だけいる。

 

(……バージル先生)

 

 考えてみれば、この学園にバージルがいるというのは、今のステラにとってこの上ない幸運だった。

 《比翼》のエーデルワイスを倒し、名実ともに世界最強へと至った男。

 これ以上、自分の限界を叩き壊す相手として相応しい者などいるはずがなかった。

 

(そうと決まれば、早速先生のところへ――)

 

 そう思い立ち、座っていたベンチから腰を上げ、踵を返そうとしたその時。

 突然、公園の入り口付近から、何やら大声で喚き散らす少女の声が聞こえてきた。

 

「あ~~んもうっ! スマホの充電切れちゃったじゃない! これじゃ迷子になっちゃう!」

 

 一体何事かと、ステラは思わず声のした方へ視線を向ける。

 

 そこにいたのは、品の良いブラウスとスカートを身に纏った、長い金髪が特徴的な可憐な少女だった。

 往来で大きな声を上げていることもあるが、何よりその整った容姿と外国人らしい雰囲気のせいで、周囲からかなり目立っている。

 

 日本へ来た観光客だろうか。

 

 そう、一瞬だけ思ったステラだったが、次の瞬間にはその考えが頭から吹き飛んだ。

 少女の隣に立つ男が、あまりにも見覚えのある顔をしていたからだ。

 

(えっ!? あれって……)

 

 その男は、夏真っ盛りの猛暑日だというのに、季節感を無視した何とも暑そうな赤いコートを羽織っていた。

 それだけでも十分に目立つ存在だったが、ステラを驚かせた理由はまた別にあった。

 

 髪型こそ違う。

 纏う雰囲気も、バージルのような冷たく研ぎ澄まされたものではなく、どこか軽い印象を受ける。

 それでも、その顔立ちは今まさに訪ねようとしていた男――バージルと瓜二つだったのだ。

 

 ステラは目を見開いたまま、バージルによく似た男を見つめていた。

 すると男は、憤慨する少女の様子にやれやれと肩を竦め、見た目に違わぬ気安い口調で声をかける。

 

「別にいいじゃねえか。もう大分近くまで来てんだろ? だったら後は適当に誰かに声でもかけて道を聞きゃいい」

「……それもそうね」

 

 少女は男の助言に渋々納得すると、辺りをきょろきょろと見渡し、人を探し始める。

 すると――

 

「「あっ」」

 

 目が合った。

 ステラが固まる。

 少女も固まる。

 少女につられて、こちらへ視線を向けた赤いコートの男だけが、どこか楽し気に口笛を吹き、こちらへ近づいてきた。

 

「ちょうどいい。なぁ、そこの嬢ちゃん、この辺りに破軍学園ってとこは――」

「ちょ、ちょっと待ってダンテ!」

 

 少女は慌てたように、こちらへ歩いてくる男の袖を掴んで止める。

 

「待ってったら! この人、有名人よ!」

「あ? 有名人? この嬢ちゃんがか? 確かに随分と別嬪だが、モデルか何かか?」

「違うわよ! ステラ・ヴァーミリオン。ヴァーミリオン皇国のお姫様よ! 最近色々とニュースで話題になってたじゃない!」

 

 ステラは確かに有名人だ。

 世界一の魔力保有量を持つ一国の姫。

 破軍学園に入学すると決まった時は、それなりにニュースになったものだ。

 しかし、彼女の言う"色々"とはそれだけでなく、一輝とのスキャンダルについての事も含めてだろう。

 だが、その男は考える素振りを見せるも、まったく思い至らないような顔で口を開いた。

 

「あ~そうだったか? 普段テレビなんて見ねえから分かんねえよ」

「もうっ! いっつも情報収集は私に任せっきりにして……少しは自分も働いたらどうなの?」

「働いてるだろ。お前のお守りっていう重大な仕事が」

 

 そこで男は、ステラの表情に気付いたのか、言葉を止める。

 

「……ん? さっきから何だよその顔は。幽霊でも見たみたいな顔して。日本でもまだハロウィンは先のはずだろ?」

「そ、それはこっちの台詞よ……」

 

 ステラは困惑したまま、男の顔を凝視する。

 

「その顔……あなた……バージル先生と、どういう関係なの?」

「は?」

 

 まさかと思いながら問いかける。

 だが、その言葉を聞いた男は一瞬きょとんと目を瞬かせ――次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。

 

「プッ……アッハハハハハハハハッ!! バージル……"先生"ぃ? クッ、ハハハハハハッ!!」

「ちょっ! 何がおかしいのよ!」

 

 ステラは、バージルを馬鹿にするように笑う目の前の男を睨みつけた。

 バージルは《解放軍(リベリオン)》から自分を助けてくれた恩人であり、今は破軍学園の教師でもある。

 無愛想で口は悪いが、それでも彼が自分たちを守り、導こうとしてくれていることをステラは知っている。

 だからこそ、そんな彼を笑いものにされたように感じて、怒りが湧いたのだ。

 

 男はひとしきり笑うと、目尻に滲んだ涙を指で拭うが、まだ笑いの余韻を残したままだった。

 

「ア~~~わりぃわりぃ、まさか兄貴が本当に先生なんて呼ばれてるとは、夢にも思わなかったもんでな」

 

 兄貴。

 確かに男はそう言った。

 バージルに弟がいることは知っていたが、まさかこの男が。

 

「あ、兄貴って……じゃあ、あなたは……」

 

 ステラは言葉を失い、改めて男の顔を見つめる。

 男はそんなステラの反応を楽しむように、にやりと口角を上げながら、ステラが言いかけた答えを口にした。

 

「そうさ。俺の名前はダンテ。バージルの弟さ」

 

 

*********************

 

 

 ダンテたちとの突然の出会いから数十分後、ステラは現在、彼らと共に破軍学園への道を案内していた。

 

 ちょうどバージルに特訓へ付き合ってもらえないか頼みに行こうとしていたところだったため、彼へ連絡を取り、彼の弟であるダンテが日本に来ていることを報告した。

 するとバージルは、彼にしては珍しくひどく驚いた様子で、二人を破軍学園まで連れてくるようにと言ってきたのだ。

 

 その道中、ステラはダンテとパティの関係について色々と聞いてみることにした。

 何でも、便利屋を営んでいるダンテがパティから依頼を受け、彼女の護衛を務めているらしい。

 その関係で、ダンテの兄であるバージルに助力を頼もうと、日本まで会いに来たのだという。

 

 ただし、パティが一体何に追われているのかについては、二人とも詳しく話そうとはせず、ダンテが言うには「知らない方がいい」とのことだった。

 それ以上踏み込むべきではないと察したステラは、ひとまず追及を止め、少し重くなりかけた空気を払うように、ダンテが軽い調子で話題を変えた。

 

「それにしても、あいつが先生なんてうまくやれてんのか? 勢い余ってガキンチョ共を滅多斬りにしてるなんて事はねぇよな?」

「流石にそこまではしないわよ。……まぁ、最初会った時はされかけたけど。でも今は頼りになる先生だって思ってるわ。今だってアタシのトレーニングに付き合ってもらおうと思ってるし」

「……ふぅん、あいつがねぇ……」

 

 バージルが教師をしているという事実が、よほど意外だったのだろう。

 ダンテはどこか神妙な面持ちで無精髭をさすり、相槌を打つ。

 

 すると、横からパティが納得したように頷き、呆れたような口調でステラへ話しかけた。

 

「やっぱり、ダンテとは似ても似つかないわね。どう思う? ステラ。ダンテったら、いつもピザとストロベリーサンデーばっかり食べて、他はぐうたら昼寝してるしかないのよ」

「え、えぇと……確かに先生とは全然違うわね。顔はそっくりなのに、雰囲気がここまで違うと逆に混乱するっていうか……」

「だろ? 俺の方が親しみやすいってことさ」

 

 そう言って、ダンテは得意げに肩を竦める。

 それを聞いたパティは、横目でダンテを睨むように視線を送りながら呆れた声で呟く。

 

「親しみやすいっていうより、だらしないだけでしょ」

「おっと、言ってくれるじゃねえか。なあステラ、男を作るなら俺みたいなのにしとけ。堅物すぎるあいつみたいなのより、よっぽど楽しく過ごせるぜ?」

「残念だけど、アタシにはもう決めた人がいるの。だから、そういう売り込みは間に合ってるわ」

「へぇ、そいつは残念。見る目はあると思ったんだけどな」

「見る目があるから断ってるのよ」

 

 思わずそう返すステラに、ダンテは楽しげに笑う。

 顔はバージルと瓜二つだというのに、どこか人を食ったような態度は彼女の知るバージルとはまるで異なっている。

 

 同じ顔をしているのに、ここまで印象が違うものなのか。

 ステラは内心で、何とも言えない不思議な感覚を覚えていた。

 

「そういえば、ステラの恋人ってどんな人なの? 確か、黒鉄一輝……だったかしら」

「ええ。よく知ってるわね」

「名前くらいはね。日本に来る前に破軍学園について少し調べたもの。Fランクなのに、Aランクの皇女様を倒した学生騎士って聞いたわ。……それとちょっと悪い噂もね。でもあれ、デマなんでしょ? そんなことをするような人じゃなさそうだったもの」

 

 日本支部連盟が流した一輝の悪評は、《雷切》との決闘に勝利したことで、国内ではすでに突拍子もないデマだと認知されている。

 しかし、それをメディアが大々的に訂正したわけでもないため、国外にまで正しい情報が行き渡るわけもない。

 

 そのため、国外の人間であるパティが軽く調べる程度では、古い悪評だけが目に入ってしまうのも仕方のないことであった。

 

「当然よ。あれはイッキを追い落とすために流された嘘。イッキはあんなデマとは正反対の誠実な人よ」

 

 迷いなく言い切るステラの声には、一輝を心から信じていることがはっきりと滲んでいた。

 それを聞いたパティは、ぱぁっと表情を輝かせる。

 

「へぇぇ……何それ、すっごく素敵じゃない! 本当にその人の事が好きなのね!」

「なっ……! そ、それは……もちろん、好きだけど……!」

 

 真正面から指摘され、ステラは一瞬で頬を赤くする。

 先ほどまで堂々と一輝を語っていた姿とは打って変わって、急に視線を泳がせる彼女に、パティはますます興味津々といった様子で身を乗り出した。

 

「ねぇねぇ、どうやって恋人になったの? やっぱり、決闘で負けた後に意識し始めたとか? それとも向こうから告白されたの?」

「ちょ、ちょっと! 一気に聞きすぎよ!」

 

 慌てるステラと、目を輝かせて詰め寄るパティ。

 そんな二人のやり取りを横目に見ていたダンテは、面白そうに口元を緩めた。

 

「けどまあ、悪い噂を流されても折れずに這い上がって、お姫様まで認めさせたんだろ? そいつ、なかなかガッツあるじゃねえか」

 

 意外にも、どこか感心したようなダンテの言葉に、ステラは少しだけ表情を和らげた。

 

「……ええ。イッキは強いわ。誰よりも真っ直ぐで、どんなに周りから否定されても自分を諦めない。だからアタシも、彼の隣に立てる自分でいるために強くなりたいの」

 

 ステラの決意の籠った言葉に、パティはぱちぱちと瞬きをした。

 先ほどまで目を輝かせていた少女も、その真っ直ぐな想いには一瞬だけ言葉を失ったらしい。

 

「へぇ……ステラって、思ってたよりずっと情熱的なのね」

「なっ……!」

「好きな人の隣に立つために強くなりたいなんて、なかなか言えないわよ。ねぇダンテ、そう思わない?」

「いいんじゃねぇの? 男のために強くなる姫様ってのも悪くねぇ」

「ちょ、二人してからかわないでよ!」

 

 そうしてしばらくの間、そんな他愛のない話をしていると、ようやく破軍学園の校門前まで辿り着いた。

 

 事前に待っていたのだろう。

 そこには、紺色のスーツに身を包んだバージルが、腕を組んだまま静かに待っていた。

 

「あっ、先生だわ」

「あの人ね! へぇ~、改めて見ても本当にダンテそっくりなのね」

「……へっ、マジでいやがった」

 

 バージルは近づいてくるこちらを一瞥し、自分たちの姿を確認すると緩やかにその手を降ろす。

 

「……来たか」

 

 小さく呟く彼の目には、微かな怒りが滲んでいるように見えた。

 

(あ、あれ……? どうしてあんなに怒っているのかしら……)

 

 ステラはバージルの醸し出すピリピリとした雰囲気を察し、その場で立ち止まる。

 パティもそれを察したようで、隣にいるステラに小声で耳打ちをするように問いかけた。

 

「ね、ねぇステラ? ダンテのお兄さん、なんか怒っているみたいだけど、どうしたのかしら……?」

「私にも分からないわよ……通話で話したときは何ともなかったはずなんだけど……」

 

 まるで心当たりがないステラには、今のバージルの怒りの原因が読み取れず、ただ困惑するばかり。

 だが、ダンテはそんなバージルの姿を見るなり、そんな彼の怒りを無視してからかうような口調で彼へ語りかけた。

 

「ハッ、馬子にも衣装ってやつだな。意外とスーツ姿も似合ってんじゃねぇか。えぇ? バージル?」

「…………」

 

 バージルはダンテの軽口に対し、黙ったまま額に青筋を浮かべ、彼を睨みつけるように目を細める。それを傍目から見ていたステラは内心血の気が引いていた。

 

(何煽ってるのよダンテ!? 殺されても知らないわよ!?)

 

 明らかに怒りの度合いが増していくバージルを見て狼狽えるステラとは裏腹に、当のダンテはそんな視線などどこ吹く風といった様子のまま、軽い足取りで彼へ近づいていく。

 

「何だよ。ざっと半年ぶりの再会だってのにだんまりか? ……おっと、そうだった。ここじゃ、こう呼んだ方が良かったんだったか?」

 

 ダンテはわざとらしく間を置き、にやりと笑いながら言い放った。

 

「バージル()()

「――――ッ」

 

 と、そこでバージルがついに我慢できないとでもいうように、ダンテに向かって飛び出す。

 

 まるでその場から消えたかのように距離を一瞬で詰め、次の瞬間にはすでにダンテの眼前へと肉薄していた。

 パティはもちろん、ステラですら反応が遅れるほどの速度。

 

(速ッ――)

 

 ステラがそう思ったのも束の間、バージルは迷いなく右拳をダンテの顔面へ向けて放ち、彼がそのまま殴り飛ばされる姿を幻視する。

 

 だが――。

 

「おっと」

 

 ダンテはまるで予期していたかのように、その拳を右手で受け止めていた。

 拳と掌がぶつかり合った瞬間、乾いた破裂音のような衝撃が周囲へ走る。

 

(嘘ッ!? あれを受け止めた!?)

 

 ステラは内心で息を呑んだ。

 

 バージルの膂力は、彼女自身が身をもって知っている。

 あの一撃を真正面から受け止めるなど、普通の人間なら腕ごと砕かれていてもおかしくない。

 にもかかわらず、ダンテが受け止めた右手は微かにも震えず、表情には痛みどころか余裕すら浮かんでいた。

 

「おいおい、随分な挨拶じゃねえか。それとも何か? これがお前なりの教育方針ってやつか?」

「黙れ。一体誰のせいでこんな目に遭ったと思っている。貴様が適当に見つけた穴のせいで俺はここで教師をする羽目になったんだぞ」

「何言ってんだ。あれは俺だけの責任じゃねぇだろ。お前が何の疑いもなく穴を開けちまったもんだから――」

「黙れと言っているッ!」

 

 バージルは掴まれていた拳を強引に引き戻す。

 その勢いを利用し、左足による鋭い回し蹴りをダンテの側頭部へ叩き込もうとした。

 だが、それに応じるようにダンテもまた、同じく左足を振り抜く。

 

 互いの蹴りが空中で激突した。

 

 ただの蹴りがぶつかり合ったにしては異常な衝撃が周囲に響き渡り、その余波だけで後ろにいたステラとパティの髪が大きく揺れる。

 

「きゃあ!」

「――ッ! 先生!? いきなりどうしたのよ!」

 

 思わず声を荒げるステラに、バージルはダンテから視線を外さないまま低く言い放つ。

 

「そこで少し待っていろ。コイツに一撃叩き込まなければ、俺の気が済まんのでな」

「ハッ! やれるもんならやってみな!」

 

 まさに売り言葉に買い言葉といったところか。

 バージルはその手に《閻魔刀》を顕現させ、対するダンテもまた、彼の霊装と思しき禍々しい大剣をその手に呼び出した。

 

 次の瞬間、二人は同時に地を蹴る。

 刃と刃が激突し、耳を(つんざ)くような金属音が立て続けに響き渡る。

 

 そして二人はそのまま、徐々に学園内へと戦いの場を移動しながら兄弟喧嘩を始めてしまった。

 

 二人が移動するたびに地面が抉れ、剣がぶつかり合う度に、その衝撃で校舎の窓が割れていく。

 昨日の襲撃から黒乃がせっせと修復したばかりの破軍学園は、二人の闘いの余波でまたもやボロボロの状態へと変わっていくのだった。

 

「またダンテが面倒事起こして……!」

「こ、こうなったら理事長先生を呼んで――」

 

 言いかけて、ステラはふと口を噤んだ。

 確かに、止めるべきなのだろう。

 このまま放っておけば、せっかく修復された学園がまた瓦礫の山になりかねない。

 

 だが、それ以上にステラの目は、二人の闘いへ釘付けになっていた。

 

 何しろバージルは、あの《比翼》を打倒した世界最強の剣士。

 そしてダンテは、そんなバージルと真正面から斬り結び、互角に渡り合っている。

 高みを目指す者として、これほどの次元の戦いを目にできる機会など、そうそうあるものではない。

 ましてやステラは今、自らの力の限界にぶつかり、伸び悩んでいる真っ最中だ。

 

 この闘いから、何かを掴めるかもしれない。

 自分がさらに上へ至るための、何かを。

 

「やっぱり行くわよ、パティ! こんな闘い、滅多に見られるものじゃないんだから!」

「えっ、行くってそっちに!?」

 

 ステラは止めるどころか、むしろ期待に瞳を輝かせて二人の後を追い始めた。

 その姿を見て、パティはぽつりと呟く。

 

「……ダンテたちだけじゃなくて、あの子も大概おかしいのかも……」

 

 当然、その呟きは、学園中に響き渡る剣戟音にあっさりとかき消され、ステラの耳に届くことはなかった。

 

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