ステラとの闘いから数日後
生徒たちが登校する直前の朝、バージルは現在、教師としての業務に奔走していた。
バージルは今学期、一年一組の副担任として活動することになっていた。
なぜ副担任なのか。
その理由は、今バージルが襟首を掴んで廊下に引きずっている女性にあった。
「全く……、毎度毎度、よくも飽きずに吐血するものだ。その度に保健室へ連れていくこちらの身にもなれ」
「ごほっ! げほっ! すみません……、バージル先生。初めてクラスを受け持つものだから緊張して吐血の頻度も増しちゃって……」
引きずられている女性の名前は折木有里。
黒乃が新しく理事長として就任する前から破軍に在籍していた教師で、この度、一輝とステラがいるクラスである、一年一組を担当することになっていた。
だが折木は端的に言えば、余りにも"病弱"という欠点があった。
そこを副担任としてバージルが、折木をフォローするという役回りを任されているのだ。
折木の体の事情については事前に知らされていたため、どのような状態なのかはバージルも把握している。
ありとあらゆる病に罹患しており、無事な臓器はほぼ存在せず、骨すらも何らかの疾患に罹っている。
……そもそも、なぜこうして普通に生きていられるのか。
今まで現実からかけ離れた存在である数多の悪魔に出会ってきたバージルでも分からない、この世の不思議の一つだった。
「はぁ……、そもそも、これほど体が弱っているのであれば、本来は病院のベッドで大人しくするべきではないのか?」
「あ、あはは……、まぁずっと病院にいると、お金が掛かってしまうので働かざるを得ないっていうのもあってぇ……。それに
「……なるほどな」
もはや生きるというだけで苦しい人生を歩んできた折木に、どうやら人間社会はそこまで手を差し伸べてはくれないらしい。
自分は今まで人間としての生き方は惰弱なものだと決めつけてきたが、先日のステラといい、この折木といい、悪魔とは違うある意味で人間の強さを実感し、見習うべき点が多々あるな、とバージルは至極真面目に考えていた。
「でもバージル先生。初日はずっと不機嫌そうな顔をしていたのに、最近は結構イキイキしているというか、私ちょっと心配だったんですよぉ? この先、この人と一緒に担任をやっていけるかなって」
「お前に言われたくはない。ちなみに俺は、今もお前と担任をやっていけるか不安だ」
「えぇ!? げほっ! ごほっ! そんなぁ……」
折木はショックでさらに吐血しながら落胆の表情を浮かべた。
「そんなに驚くようなことか? であれば、もう少し吐血の頻度を減らせ。何度も保健室を往復しては朝のホームルームすら、まともに終えられん」
「うぅ……善処しますぅ」
保健室に到着したバージルは扉を開け、折木を片腕で持ち上げ、ベッドに横たえる。
保険医はまだいなかったため、バージルは棚にある薬を漁ると、いくつか持って折木に手渡した。
「ふふっ、これこれ♪ バージル先生も私の好みが分かってきましたね。薬に関する知識がついてきたんじゃないですか?」
「知らん。お前ならば、どんな薬でも効き目があるだろうと適当に渡しただけだ」
「えぇ! ひどい!」
バージルを非難する折木だったが、よくよく薬のラベルを見ると、いつも飲んでいた薬のラインナップと一致することに気付く。
口では知らないと言いつつも、どうやら何度も飲んでいた薬を覚えていてくれたようだ。
(素直じゃないなぁ……)
折木はバージルを微笑ましいものでも見るかのような目で見つめていた。
初日はあまりに取っ付きにくく、正直仲良くなれるか不安で仕方なかったが、次の日以降、バージルの方から話しかけてくれたことで、ただ単純に自分の感情をうまく表現することが苦手な人なんだということが分かった。
そしてバージルの本質は、こうして行動にも表れていることで折木の初日の不安は、今ではもう全くなくなっていた。
「何を見ている? さっさと薬を飲め。ホームルームに間に合わなくなる」
「は~い。ちょっと待っててくださいねぇ。今キメますんでぇ。ッあ~~キク~~!」
「俺が言うのもなんだが、教師のする顔ではないな……」
バージルはキマッた折木の顔を見て引いていたが、彼女の働きぶりをここ数日見ていて感じていたことがある。
それは、生徒たちに対する献身的な姿勢だ。
本来、彼女の体ではここまで無茶をすることは不可能なはず、であれば何が彼女をここまでさせるのか。
「折木、何故お前は無理を押してまで教師という職に就いた?」
「……え?」
急に真剣な表情で語りかけられた折木はポカンとした表情を浮かべる。
質問の意図が伝わらなかったのかと感じたバージルは、詳細を含めて説明する。
「確かにここにはお前の言う通り、金の掛からない薬が大量に置いてあるが、だからと言って活動量の多い
「……う~ん。そうですねぇ……」
折木は人差し指を顎にあて、しばらく考えてから答える。
「やっぱり子供が好き、ということもありますけど、全力で何かを成し遂げようとする子を応援したいなぁっていうのが理由……ですかねぇ」
バージルは折木の答えが、どういった感情によるものなのか腕を組み、考える。
しかし、人の感情というものに疎いバージルは、自分の考えを絞り出すように問いかけた。
「愛情……というやつか?」
「まぁ簡単に言っちゃうとそうかもしれませんねぇ。バージル先生はそういう風に誰かを想ったことはないです?」
「いや、無いな……」
バージルはバツが悪そうに答えた。
あまり、教師としては褒められた答えではないと、自分でも思ったからだ。
しかしそんな様子を見た折木は、バージルがそんな自分を責めているように見えたため、提案してみることにした。
「ふふっ、であればクラスの子たちの誰かを応援してみるっていうのはどうですか? 今年は結構応援しがいのある子たちがいっぱいいますしぃ」
「例えば誰だ?」
また指を顎に当て再度考えるような素振りを見せた折木は、先ほど悩んだ時間よりもパッと答えを出す。
「う~ん、私個人としては黒鉄君ですねぇ。あの子の入学試験の監督を務めたのは私なんです。ただ、彼は正直、才能という点ではFランクという下の下でしたから、私は彼の入学自体を止めようとしたんです」
折木の答えに、またもや疑問が湧き出るバージル。
教師であるならば、入学を希望する生徒は出来るだけ入れたいと考えるはずだ。
バージルは学校というものに行ったことがないため知らないが、一般的なイメージではそうなのだろうと考えていたため、意外と感じる。
そして、その疑問を折木に聞くことにした。
「何故だ? 奴も
折木はバージルに真剣な目線を向け、その疑問に答えた。
「教師だからこそ、なんです。彼の才能のことを考えれば、あんな命を削るような方法で強くなったとしても、いずれ絶対に超えられない壁にぶつかってしまう。そして彼であれば、そうであっても挑み続ける。――挑み続けてしまう。私にとって生徒は、我が子も同じ。であれば、もっと彼に適した道を示してあげるのが、教師としての務めだと思ったんです」
だが結局一輝は現在、破軍学園にいる。
今の折木の話だと、そもそも彼はここにはいないはずだ。
であれば、監督官を務めた折木が入学を許可させたということになる。
「であれば何故、奴を入学させた」
折木はバージルから目線を外すと、正面を見据えながら滔々と話しだす。
「彼との決闘の末に敗北したから……というのは言い訳です。本当のところは、教師という立場ではなく、私個人として、彼を応援してしまいたくなったから……というのが正しいかもですね」
「お前が教師という立場を捨ててでも、そう思わせる何かが、奴にはあるということか」
「そうですねぇ。彼ほど鮮烈な生き方であれば、多分バージル先生も、何か感じるところがあるんじゃないかなぁと思いますよ」
「ふむ……」
黒鉄一輝。
ステラが自分との闘いの中で見せた、あの才能と気迫を以てしても、あの男には届かなかったという事実。
バージルは話の中だけで彼の強さを聞いていたため、多少の興味しか持っていなかったが、折木の話を聞き、俄然興味が湧いてきていた。
早く実戦による授業で奴の実力を見てみたい。
そう――思うようになっていく。
未だ一輝からその手の連絡は来ていないため、早く来ないかとすら思うほどに。
「それにステラちゃんも、分かりやすく逸材ですしぃ、今年の七星剣武祭はきっと破軍の誰かが優勝してくれるって信じてるんですよぉ。だからバージル先生も一緒に応援してみませんか! ……けほっ」
折木は拳を小さく突き上げ、応援するようなポーズを取りながら、バージルに提案してみる。
感情の表現が苦手なバージルだが、恐らく自分も、そうありたいと思っているのだろうと感じたから。
それに対してバージルは神妙な顔で答えた。
「……正直に言えば、俺にはまだその気持ちはよく分からん。俺が奴らに教えることができるのは、あくまで戦闘の技術のみだ。だが、その点に関しては教師としての役割を与えられた以上、奴らへの協力は惜しまんつもりだ」
「ふふっ、それでいいと思います。それも立派な応援の一つの形なんですから。それに彼らと接することは、きっとバージル先生にも良い影響を与えると思いますよぉ ……ごほっ、ごほっ」
折木に肯定されたバージルは、珍しく口の端を少し上げ、「フッ」と笑う。
そんなバージルを見た折木は意外なものを見たとでもいうように口を開けていたが、恐らくそれに気づかれると、いつもの仏頂面に戻ってしまうと思い、すぐに気を取り直し、話を切り替える。
「けほっ……なんだか、あの子たちのことを話してたら、やる気が出てきましたよぉ! 体調も良くなりましたしぃ、教室に向かいましょう!」
――と、折木が立ち上がった瞬間だった。
「ブフォオオオオオオオ!!!」
そのまま勢いよく吐血した。
しかも目の前にはバージルが立っていたため、その血を真正面から受け止める形になってしまった。
折木の血液を全身に浴び、オールバックにしていた銀髪も、血液の重さで全て垂れ下がり、紺色のスーツも完全に真っ赤に染め上げられていた。
そしてそのままベッドに再度倒れこんだ折木は、バージルに助けを求めるように右腕を上げながら懇願するように話す。
「ずびばぜん……バージル先生。もう一度薬をお願いじまずぅ……ごぽっ」
「…………」
バージルはそのまましばらくの間、立ち尽くしていたが、ポタポタと垂れ堕ちる血も構わず保健室から立ち去った。
「ごほっ……、あれ? バージル先生? バージル先生ぃいいいい!」
折木の悲痛な叫び声と、途中ですれ違った保険医の悲鳴が廊下に響き渡っていたが、バージルは意に介さず、そのまま歩き続けるのだった。
*********************
朝のチャイムが鳴り響く中、席に座った生徒たちは目の前の光景に絶句していた。
なぜなら、そこには全身血塗れのバージルが立っていたからだ。
特徴的だったオールバックの銀髪も垂れ下がり、真っ赤に染まっていたため、一瞬誰だか分からなかったほどだ。
最早、体の血を洗い流していては朝のホームルームに間に合わないと悟ったバージルは、そのまま教壇の上に立つことにしたのだ。
――が、余りにも凄惨な光景に思わず生徒を代表して一輝が恐る恐る、声を上げる。
「あの……先生」
「何だ」
バージルの鋭い声と視線が一輝を貫く。
一輝の照魔鏡とも呼ぶべき観察眼は、真っ赤に染まったバージルの額に青筋がピクピクと浮かんでいるのを見つけた。
しかし、臆さず問いかけることにする。
「その血って……」
「聞くな」
「あっ、はい……」
そして、本来なら折木が行っていた出席確認と、朝の連絡事項を簡潔に、淡々と説明したバージルは、ホームルームが終わると、スタスタと早歩きで教室を後にした。
結局、ホームルームに来なかった折木と血塗れのバージル。
状況から見れば推測は容易だった。
恐らく全身に掛かった折木の血をシャワーで洗い流しに行ったのだろう。
そして、そんな様子を見ていたステラは呟く。
「なんか……アイツも大変なのね……」
以前、理事長室で言われた暴言は、後程きっちりと対面で謝罪はされていたが、正直ステラの中ではまだ完全には許せていなかった。
しかし、血塗れでありながらも職務を全うするバージルを見ていると、自然と今まで少しだけ残っていた怒りが霧散していくのに気付く。
大人って色々大変なんだな……と。
ステラは相手の事情を鑑み、バージルのことを許すことにする。
多分、あの時も色々大変で、ストレスによりあんな酷いことを言ったのだと、そう思うことにした。
図らずもバージルは、教育者として一人の生徒を精神的に大人に成長させることに成功していたのだった。
「……そうだね。前言ってた実戦の授業の連絡は、今日は止しておこうかな。大変みたいだし……」
一輝はバージルへの気遣いとして、伝えようと思っていた特別授業への連絡を取り止めることにした。
余談だが、事情を知らない他のクラスの生徒たちに、血に塗れたバージルが発見され、理事長へ報告が入ってしまう。
その後、理事長室に呼び出されたバージルはしばらくの間、説教されることになった。
そして、それを知った一輝は、もう少し連絡は先延ばしにしようと思ったのだった。