蒼い悪魔の英雄譚   作:魚の目108

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対価

 

 

 バージルの血塗れ事件から翌日の放課後。

 

 バージルは帰りのホームルームを終えると、学園の図書室に立ち寄り、席に座って本を読み漁っていた。

 昔から本を読むことが好きな彼は、悪魔として生きていくことを決めた後、本を娯楽としてではなく、必要な情報を得るためのものとしか思っていなかった。

 だが現在、元の世界に帰るための方法を探すのは連盟の者たちに任せており、暇つぶし相手になる悪魔もいないため、教師としての業務を終えた後は正直に言って暇でしかないのだ。

 

 であるならばと、ストイックな彼はこの暇な時間を、人間を知るための学習の時間にしようと決めることにした。

 だが、どのように学ぶべきか考えあぐねていたバージルは、ふと弟の存在を思い出す。

 弟のダンテは、自分よりも人間というものをよく知っている――それは認めざるを得ない。

 かつてどこかで読んだ、『学ぶことは真似ること』という一文がふと脳裏をよぎったバージルは、非常に癪だが、彼の真似をしてみようと試みることにしたのだ。

 

 その試みの一つが、娯楽を嗜むこと。

 以前、『V』としてダンテの事務所を訪れた時、様々な道具が乱雑していたのを思い出す。

 ビリヤード台、ジュークボックス、トランプなどなど。

 だが正直、娯楽に興じたところで何が分かると思っていたバージルだったが、生徒たちとコミュニケーションを取る際に必要な会話の手札がないことに気付いた。

 

 人間を知るためには、人間とよく接することが重要。

 だというのに、いざ何を話せばいいのか悪魔としか接してこなかったバージルには皆目見当もつかなかったのだ。

 だからこそ娯楽を知ることで、なおかつ生徒たちとの会話の切っ掛けの一つになればいいと思い、こうして久しぶりにゆっくりと本を読んでいた。

 

 もちろん、この時間が無駄になる可能性はあるが、クリフォトの実の力を吸収し、既に悪魔として究極の力を得たバージルには、ある種の精神的な余裕があった。

 それにこの世界に来る前、魔界でダンテと喧嘩していた時に話していたことを思い出す。

 

『なぁ、このままじゃ決着なんか付かねぇんじゃねぇか?』

『……かもな、だが――時間ならある』

 

 そう――

 たとえ無駄だったとしても。

 彼にはこれからも、時間があるのだから。

 

*********************

 

 バージルはしばらく読書にふけっていたが、外には既に夕日が覗いていたため、図書室から出ることにした。

 本を閉じ、読んでいた本を棚に戻すと図書室の扉を開け、廊下に出る。

 ――すると、一人の女生徒が待ち構えていたように立っているのに気付き、視線を向けた。

 

「せ~んせっ!」

 

 馴れ馴れしく話しかけてきたのは眼鏡をかけたピーチブロンド色の髪をした女生徒。

 その女生徒はバージルが副担任を務めているクラスの生徒の内の一人だった。

 

「……日下部(くさかべ)加ヶ美(かがみ)か」

「あれ、覚えていてくれたんですか?」

「毎日出席確認で名前を呼ばれていれば、嫌でも覚える」

 

 そうバージルは素っ気なく答えるが、実は入学式初日に、折木に自分のクラスの生徒の名前だけは、必ず覚えることを強く言われていたため、既に顔を見れば名前はすぐに出てくるようになっていた。

 とはいえ、未だ印象が強く残っているのはステラと一輝の二人のみのため、目の前の加ヶ美についての詳細な情報についてはよく分かっていない。

 そんな、自分と繋がりの薄い生徒がなぜ自分に話し掛けてきたのか――そう考えていると加ヶ美が頬を膨らませ、抗議するような声で喋りだす。

 

「もう~、だからってフルネームで呼ばないでくださいよぉ。私のことは加ヶ美って呼んでください!」

「ふむ……、では加ヶ美。俺に何か用でもあるのか」

 

 バージルが尋ねると加ヶ美は「ふふん」と笑みを浮かべて答える。

 

「実はですねぇ。私、新聞部を立ち上げたんですけど、謎の多い先生のことを取材させてもらえないかなぁ~と思ってましてぇ。実はもう見出しも考えちゃってるんです! 『生徒を一刀両断!? 新任鬼教師の正体に迫る!』みたいな感じで」

「却下だ」

「えぇ~! なんでですかぁ!」

「そもそもあれはヴァーミリオンが突っかかってきたことが最初の発端だ。それに俺は、取材を引き受けるとは一言も言っていない」

 

 腕を組み、加ヶ美から視線を外すことで拒否の姿勢を取るバージルを見やると、加ヶ美はやや神妙な面持ちになる。

 

「う~ん。でも先生って、結構雰囲気が近寄りがたいっていうか、ステラちゃんとの模擬戦のせいもあってか、未だに皆、先生のことを怖がっているんですよぉ。だから少しでも先生のことを知ってもらって、皆との距離を縮めてもらいたいなぁと思って」

「むっ……」

 

 バージル自身、そのことについては気になっていた事の一つだった。

 さすがに周りの評価に無頓着な彼でも、自分がどのように見られているかは分かる。

 何しろ自分が生徒達の近くを歩くと、まるでモーゼの滝のように人垣が分かれ、道が出来てしまうほどなのだから。

 あまり積極的に話しかけられて来ても困るのだが、だからと言って一切の会話すらも取れないのでは、人間を深く知ることなど不可能。

 故に、このことについてはどうにかせねばと考えていはいたのだが、未だその答えは出せずにいた。

 

「だからと言ってその見出しはなんだ。それに、お前は俺のことを恐れていないのか?」

「私は平気です! 何しろブン屋の端くれですから。取材する相手の人相が悪いくらいで、怯んでなんていられません!」

「…………」

 

 しれっと人相が悪いと言われ、眉を顰める。

 その後もしばらくの間、考えるように唸るバージルだったが、そんな彼を見ていた加ヶ美は、しびれを切らしたように手を合わせて懇願し始めた。

 

「お願いしますぅ~! 私にできることがあったら何でもしますからぁ。何だったら、何か奢りますし! お昼に食堂の焼きそばパンをダッシュで買ってきます!」

「己の生徒にパシリなどさせようものなら、余計な悪評が飛び交う。却下だ」

 

 加ヶ美が言うように自分の評判を上げるためには、取材で自分のことを知ってもらうのは一つの手ではあるとは思っている。

 しかし、ここまで取材を拒否している理由は、自分がこの世界の住人ではないからだ。

 元の世界と今の世界との整合性を考えながら自分について話すなど、面倒極まりないと感じるし、やはり自分にとって、悪魔との関係は切っても切り離せない。

 というよりも、自ら話せる人生の九割が、悪魔絡みでしかない。

 もし、正直に話したところで今度は頭のイカれた人物なのかと思われ、さらに悪評が広まるだろう。

 事実、日本支部連盟との取引の際には黒乃達から、奇異の視線を向けられたのだ。

 あの時は厳がなんとか柔軟に対応してくれたが、あまり軽々に話すようなことではない。

 そう考え、加ヶ美からの望みには断固として否と答えようとしていたが――

 

「そんなに言うなら、これはどうですか! 断られたときのために用意しておいた、とっておきのネタです!」

 

 「じゃん!」と加ヶ美が複数枚の写真をこちらに突きつけるように見せる。

 それを見たバージルは、目を見開き、驚きの表情を隠せなかった。

 なぜなら、そこには――

 

「バージル先生がユリちゃんを抱いて、無人の保健室に入る写真です!」

 

 そう、そこにはまるで、いつ撮られたかは不明だが、見方によってはなんだか良い感じの二人が誰もいない保健室に入っていく姿が写っていた写真だった。

 しかもご丁寧に折木の吐いた血が見えないような画角のため、どういった目的で保健室に入っていったのか、想像の余地が残るようになっている。

 

「いや~、何日も張り込んどいてよかった~。昨日はずるずる引きずっててギャグっぽかったけど、学校が始まってから初日付近はお姫様抱っことかしてて、見ようによってはいいカップルみたいじゃないですか?」

 

 そう、入学式からすぐの日のバージルは、ある程度折木に配慮し、横抱きにして運んだり、肩を貸して保健室へ向かっていたが、もうキリがないと呆れたバージルは、いつの間にか雑に運ぶようになっていた。

 だが、今見せられているのはその配慮していた時の写真のため、校内でイチャつくカップルのようにも見える。

 しかも、保健室に入る瞬間のだ。

 加ヶ美はニヤニヤした顔でバージルを煽るように見つめていた。

 対するバージルは目を細め、加ヶ美に鋭い視線を向ける。

 

「……貴様、俺を脅す気か?」

「脅すなんてとんでもない! これは、れっきとした事実ですから! なのでこれは取引ってやつですかねぇ」

 

 確かに、副担任として吐血しまくる折木をサポートするため、何度も折木と保健室を出入りしていたのは事実。

 とはいえ折木の吐血癖はクラスの皆の知るところだ。今更このような写真があったからと言って何になるだろうか。

 そう、思いなおしたバージルは睨んでいた視線を緩め、余裕の表情を取り戻す。

 

「……ふん。だが、折木の事情についてはお前たちも知っての通りだ。であればその付き添いであるということも無論、他の連中は知っているはずだが?」

「ふっふっふ……。メディアの力というものを侮ってもらっては困りますよぉ、先生? 私の手に掛かれば、事実を崩さずにイイ感じに編集して、世に出すこともできるんですから。そして、ユリちゃんについての事情を知らない他の学年やクラスの人達はどう思うでしょうか? そうして広まった噂は今のバージル先生の評判も合わさり、油に燃え移った火のように大炎上すること間違いなしです。まさしく、ペンは剣よりも強し! というやつです!」

 

 バージルは人の社会というものを知らないため、加ヶ美の言うことが真実なのかは分からない。

 だが、彼女の自信満々の表情を見る限り、本当にあらぬ誤解を周りの人間たちにされるかもしれないという不安が心の中に生まれていた。

 

「……チィッ!」

 

 これこそ、現代の人間社会において最も恐れられている現象の一つ。

 ――メディアの情報操作による炎上である。

 

 バージルは、物理的な強さで言えば元の世界と今の世界を合わせたとしても頂点に位置している存在ではあるが、こと社会的な立ち位置で言えばそこまで強くはない。

 あくまで連盟に雇われている一教師にすぎないからだ。

 しかも、仮にこれで処罰の対象となり、教師として不適切と連盟から判断されれば、契約した取引もご破算となる可能性もある。

 そうなった場合、元の世界に戻るための調査も中止となり、また唯一人、当てのない悪魔探しを行う羽目になるだろう。

 

 力なくては何も守れはしない――自分の尊厳さえも。

 最早、バージルには成す術はなく、敗北を受け入れるしかなかった。

 

(まさか俺が、こんな小娘に負けるなど……。これが、人間の力ということか……)

 

 彼は諦めたようにため息をつくと、絞り出すように声を出す。

 

「……いいだろう。だが、タダでは受けん。何かしらの取材料は貰うぞ」

 

 負けず嫌いの彼はせめてもの抵抗として、加ヶ美にも何らかの対価を支払ってもらうことにした。

 そして、そんなバージルの様子を見た加ヶ美は勝利を確信したかのように尋ねる。

 

「ふふん♪ もちろんですよぉ~。それで、何がいいんですか?」

「ふむ……そうだな……」

 

 バージルは顎に手を当てて深く考える。

 

(このような小娘に、そこまで高価な物は払えんだろう。であれば、さっき言っていた通り何か食い物などが妥当か……)

 

 とはいえ、あまり好きな食べ物も特にないバージルは何にするべきか悩む。

 やはり加ヶ美の言う通り、昼時に焼きそばパンでも走って買ってきてもらおうかと思っていた。

 しかし、ふと――帰りのホームルーム終わりの学生たちの会話を思い出す。

 

『ねぇねぇ、ここの近くにスイーツ店がいっぱいあるらしいんだけど一緒に行かない?』

『え! 行く行く~。パフェ食べた~い』

 

(パフェ……。確か、奴の好物だったか……)

 

 魔界にいた時、そういえばダンテにストロベリーサンデーを奢るように言われていた。

 バージルは、双子なのならば味覚も多少は似通っているかと思い、それを対価にしようと考えた。

 それに、生徒たちが好む食べ物を食してみるのは、彼らを知る良い切っ掛けになるかもしれない。

 

「……パフェだ」

「え……?」

 

 加ヶ美は一瞬聞き間違いかと思い、素っ頓狂な声を出す。

 どう考えても、目の前の男から出てくるような言葉ではなかったから。

 バージルは聞こえなかったかと思い、もう一度繰り返す。

 

「パフェと言った。できればストロベリーサンデーというものがいい。知っているか?」

「え……? あ、いや、もちろん知っていますけど……。あの、本当にパフェが食べたいんですか?」

「そうだと言ったが? 何か問題でもあるのか?」

「いや……別に問題があるわけではないんですけど……」

 

 バージルは一般常識が欠けている。

 そのため、成人男性――しかもどちらかと言えば既におじさんと呼ばれる歳までいった男性が女子高生に対して「パフェを奢れ」ということに対して、特に何とも思っていなかった。

 加ヶ美はコンビニや食堂などで適当な飲み物か軽食を頼まれると思っていたため、予想外の要求にたじたじとなっていた。

 

「であれば、それを対価として取材を受けよう。ちなみに、どこに行けばそれは食える?」

「……えっと、確か学園の近くのショッピングモールだったと思うんですけど……」

「ふむ、であれば……明日は丁度休日だったか。ならば明日、そこに連れて行ってもらおう。取材もその店でついでに済ませるぞ」

「えぇ!? きゅ、急ですね……。まぁ……明日は特に予定はないですけど……」

「では決まりだな。時間と場所は任せる。あとで連絡しろ」

 

 そう言うとバージルは加ヶ美の前から立ち去った。

 残された加ヶ美は突然の事態に口をポカンと開けながら、立ち去るバージルを眺めていた。

 そしてバージルが視界からいなくなった後、「これは自分もまずいのでは?」と今更ながらに加ヶ美は思う。

 学内でならまだいい。

 だが、休みの日のプライベートに男性教師と一緒にスイーツを食べに行くなど、もしこれを誰かに見られた場合、バージルもそうだが自分の立場も危うくなる気がする。

 

(ど、どうしよう……)

 

 バージルという、新聞部の部長である加ヶ美にとって恰好のネタを逃す訳にも行かず、今になってバージルに取引を提案したことを後悔する加ヶ美なのであった。

 

 だが、これは致し方のないことだったのかもしれない。

 ――悪魔と取引する際には、危険が付き纏うものなのだから。

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