魔法少女さやかマギカ 〜ワルプルギスの夜のあとで!   作:革新的甲殻類

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第1話_共同生活は冷蔵庫の空っぽから!

 

 

あの日、私たちが「奇跡」と呼んだ、あるいは後世の歴史家が(もし記録に残るのなら)「見滝原市のカタストロフ」と名付けるであろう、あの途方もない戦いが終わってから、一週間が経った。

 

最強の魔女、ワルプルギスの夜。

 

天を衝くほどの巨体で、街を戯曲の舞台に変えようとした歩く災害。その圧倒的な絶望を前に、私たちは誰一人、欠けなかった。誰一人、諦めなかった。

 

巴マミさんが誇り高く舞い、佐倉杏子が猛々しく猛り、暁美ほむらが静かに時を……は、使わなかったけどなんかすごいのをいっぱい使って、鹿目まどかが、あのまどかが、最後の希望をその矢に込めて。

そして、あたし、美樹さやかは……まあ、なんか、すっごい頑張った。

 

結果として、ワルプルギスの夜は消滅し、見滝原市は壊滅的な被害を受けながらも、その息の根を繋いだ。そして私たちは、全員で朝を迎えた。

それは、間違いなく奇跡だった。

 

…でも。

奇跡っていうのは、大抵もっとキラキラしてて、感動的で、その後の人生をバラ色に変えてくれるようなものだと、あたしは思っていた。

 

「……なんで、こうなるわけ?」

 

あたしの目の前には、現実が広がっている。

場所は、巴マミさん宅の広大なリビングダイニング。通された誰もが「本当に中学生が一人で住んでるの?」と目を剥く、見滝原市の高級マンションの一室。天井にはシャンデリアが輝き、アンティーク調の家具は寸分の狂いなく配置され、窓から差し込む朝の光が、優雅な空間を演出している。

 

…本来なら。

 

今は違う。

マホガニーのローテーブルの上には、食べかけのスナック菓子の袋が3つと、空になったジュースのペットボトルが5本。本来は観葉植物が置かれていたはずの窓際には、暁美ほむらがどこから持ち込んだのか、用途不明の金属パーツが無造作に積まれている。そして極めつけは、深紅のベルベットが張られた高級ソファのど真ん中。

そこで、佐倉杏子が大の字になって寝こけていた。口元からは幸せそうな寝息が漏れ、その手には、まるで我が子を抱くかのように、ポテチの特大袋がしっかりと抱えられている。

 

「……」

 

あたしは静かに溜め息をつき、キッチンへと向かった。

共同生活…いや、『半』共同生活が始まって、今日で三日目。

戦いで住む場所を失った杏子とほむらを、マミさんが「私の家へいらっしゃいな」と快く迎え入れたのが、全ての始まりだった。

あたしは心配だから、まどかは友達だから、という理由で、ほとんど毎日この家に入り浸っている。

 

まあ、いい。百歩譲って、リビングの惨状は許そう。どうせ後でマミさんが、鼻歌交じりに完璧に片付けてしまうのだから。

問題は、生命の源。あたしたちの活動エネルギー。すなわち、朝ごはんである。

 

「さてと、あたしが何か作るか…」

 

昨夜は、まどかが差し入れてくれた肉じゃがの残りをみんなで食べた。まだ少し残ってたはずだ。それに、卵くらいはあるだろうから、卵焼きでも作って…。

そんな、ささやかで平和な朝食プランを胸に、あたしは冷蔵庫の分厚い扉に手をかけた。

 

…ひやり、と。

背筋を、何か嫌な予感が駆け抜けた。

あたしのソウルジェムが、チリ、と微かに疼く。これは魔女の気配じゃない。もっと身近で、もっと生活に根差した、質の悪い予感だ。

 

ゆっくりと、扉を開ける。

目に飛び込んできたのは、驚くほどにがらんとした、白い空間だった。

 

あるのは、マヨネーズのチューブと、飲みかけの牛乳パックが半分。それと、ドアポケットの隅に転がる、賞味期限が三日前に切れた梅干しのパックだけ。

 

肉じゃがは? 卵は? 昨日マミさんが買ってきたはずの高級プリンは!?

 

「……………」

 

あたしはもう一度、静かに冷蔵庫の扉を閉めた。そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、ソファで寝こけている元凶の方へと振り返る。

 

「…杏子ぉ」

 

地を這うような低い声が、我ながらよく出たと思う。

あたしの声に反応したのか、ソファの上の赤い塊が「んー…」と身じろぎし、むにゃむにゃと何かを呟いた。

 

「…ぽてち…コンソメ味じゃなくて、のり塩…」

 

その瞬間、あたしのソウルジェムが、今度は明確に、どす黒い感情で濁っていくのを自覚した。

誰かが絶望したり、深く落ち込んだりすると、あたしたち五人のソウルジェムは、まるで共鳴するように一緒に曇る。決戦の日に発現した、奇妙な奇跡。あるいは、新たな呪い。

でも、今のこの濁りは、誰かからもらった『もらい穢れ』じゃない。

 

紛れもなく、あたし自身の、純度百パーセントの、殺意に近い『怒り』から生まれた穢れだった。

 

「あんたってやつはああああああああああっ!!」

 

あたしの絶叫が、巴マミ邸の優雅な朝を引き裂いた。

 

奇跡の代償は、案外こんな風に、くだらなくて、どうしようもない日常の中にこそ、転がっているのかもしれない。

 

---

 

あたしの怒りの絶叫は、シャンデリアのガラスをビリビリと震わせ、優雅であるべき朝の空気を粉々に打ち砕いた。ソファの上で惰眠を貪っていた赤い塊――佐倉杏子は、その衝撃でようやく重たい瞼をこじ開けた。

 

「んあ……? なんだよさやか、朝っぱらから騒々しいな…」

「どの口が言ってんのよ、どの口が!」

 

あたしは仁王立ちで杏子を指さす。彼女はまだ状況が飲み込めていないのか、大きなあくびをしながら気怠そうに身体を起こした。その拍子に、抱えていたポテチの袋がぱさりと床に落ちる。中身はもちろん空っぽだ。

 

「ちょっとあんた! 冷蔵庫の中身、どうしたのよ!?」

「冷蔵庫ぉ? ああ、なんか入ってたっけか?」

「入ってたっけか、じゃない! まどかが作ってくれた肉じゃが! それに卵! 牛乳! チーズ! あと、昨日マミさんが『明日のお楽しみ』ってとっておいた、銀座の有名店の高級カスタードプリンが6個!」

 

あたしが指を折りながら惨状を訴えると、杏子は「へぇ」と気のない相槌を打った。そして、ぺろり、と自分の唇を舐める。その瞬間、あたしは見逃さなかった。彼女の口の端に、微かに、しかし決定的に付着している黄色いクリームの痕跡を。

 

「…それ、あたしが夜中に食ったやつかなあ」

「やっぱりあんたじゃないのぉっ!!」

 

あたしが再び吠えたその時、リビングの奥の扉が静かに開いた。パステルイエローのネグリジェに身を包んだ、この家の主、巴マミさんが、少し眠そうに目をこすりながら現れる。完璧にセットされた縦ロールの金髪は、寝起きでさえ一糸乱れぬ優雅さを保っていた。

 

「あらあら、どうしたのかしら、さやかちゃん。朝から元気でよろしいこと」

「よろしくないですよマミさん! 大事件です! 我が家の…いえ、マミさん家の食料が、この食い意地の張った赤い悪魔によって、殲滅させられました!」

「赤い悪魔ぁ? 聞き捨てならねえな。あたしはただ、正当な生命維持活動を行っただけだ」

 

ふん、と鼻を鳴らす杏子。マミさんは「まあ」と小さく口に手を当て、困ったように微笑んだ。

 

「冷蔵庫が空っぽ? それは困ったわね…。今日の朝食は、昨日買ってきたばかりの英国王室御用達の茶葉で淹れたアールグレイと、それに合わせて焼きたてのスコーンを…と思っていたのだけれど」

「スコーンの材料も綺麗さっぱり無くなってます!」

「あらまあ」

 

この先輩、どこかズレている。あたしが頭を抱えていると、もう一つの扉…マミさんがほむらに与えた客室のドアも、ぎぃ、と音を立てて開いた。現れたのは、黒いシルクのパジャマをきっちりと着こなした暁美ほむら。長い黒髪をさらりとかきあげ、冷静沈着な瞳でリビングの惨状を一瞥した。

 

「…騒がしいわね。何事?」

「ほむら! 聞いてよ、杏子のやつが!」

「佐倉さんが食料を食べ尽くした。そういうことかしら」

 

さすがはほむら。状況把握が異常に早い。彼女はふむ、と顎に手を当て、あたかも軍の作戦司令官のように状況を分析し始めた。

 

「昨夜の備蓄量から計算して、佐倉さんが一晩で消費可能な限界カロリーを考慮に入れても、まだ冷蔵庫の最下段に隠しておいた鹿目さん用の非常食ゼリーが残っているはず…。まずはそれを確保…」

「あ、それも食った」

「なんですって!?」

 

杏子の悪びれない一言に、初めてほむらのクールな表情が崩れた。その瞳に、明確な殺意の光が宿る。あたしは慌てて二人の間に割って入った。

 

「ストップストップ! あんたたち、朝から魔法少女同士で殺伐としないの!」

「でもさやか! まどかの分の非常食が…! あれは特殊なルートで入手した、一食で一日に必要な栄養素が完璧に摂取できる軍用の…!」

「そんなもの、まどかが喜ぶわけないでしょ!?」

 

あたしたちがぎゃあぎゃあと言い争っている、まさにその時だった。

ピンポーン、と軽やかなチャイムの音が響く。続いて、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。

 

「おっはよー! みんな、起きてるー?」

 

その声は、この殺伐とした空間に舞い降りた、一筋の光。天使の福音。あたしたちの、唯一神。

両手に紙袋を抱えた鹿目まどかが、ふわりとした笑顔でリビングに顔を出した。

 

「昨日、うちでカボチャの煮物たくさん作ったから、おすそ分けに来たんだ。あと、クッキーも焼いてきたんだけど、みんなで食べない?」

 

まどかの登場に、さっきまで殺気立っていたほむらが、瞬時に表情を和らげる。杏子は「おお、まどか!」と寝ぼけ眼を輝かせ、マミさんも「まあ、まどかちゃん! いつもありがとう」と嬉しそうに微笑んだ。

 

あたしは、その光景に深く、ふかーく、安堵の息をついた。

そうだ。まどかがいれば、大丈夫。このどうしようもないメンバーも、彼女の前では毒気を抜かれる。まどかの差し入れがあれば、とりあえず今日の朝は飢えずに済む。

 

そう、あたしが希望を取り戻しかけた、その時だった。

ベランダの窓が、するり、とわずかに開いた。そこから、ぬるり、と白い影が滑り込んでくる。

 

「やあ。朝から随分と賑やかだね。食料という生存リソースを巡る、実に興味深い生存競争のサンプルだ。君たちの感情の動き、記録させてもらうよ」

 

感情の読めない赤い瞳が、あたしたちをじっと見つめる。

キュゥべえだった。

 

次の瞬間、そいつが座っていたソファのクッションは、あたしが生成した青い魔力の剣によって、見るも無惨に切り裂かれていた。

 

「あんたは黙ってなさいっ!!」

 

あたしの叫びも虚しく、キュゥべえはひょいとそれを避けると、涼しい顔でベランダの手すりに飛び乗る。

 

「なるほど。空腹は、攻撃性を増幅させるようだね」

 

ああ、もう。奇跡の代償は、やっぱりどうしようもなく、くだらない。

そして、あたしたちの腹の虫は、示し合わせたように高らかなファンファーレを奏でたのだった。

 

---

 

まどかが持ってきてくれたカボチャの煮物とクッキーは、腹を空かせた獣たちの前に差し出された供物のように、瞬く間に消え去った。温かいお茶を淹れ直したマミさんが「さて、これからどうしましょうか」と切り出した時には、ローテーブルの上には空になったタッパーと、クッキーのかけらが数個残るのみだった。

 

「どうするもこうするも、食料調達だろ。あたしは腹が減ってちゃ戦えねえ主義なんだ」

 

杏子は爪楊枝をシーハーさせながら、ふてぶてしく言う。

あたしは思わず眉をひそめた。

 

「あんたが全部食べたんでしょーが! 少しは反省しなさいよ!」

「反省? なんでだよ。そこにあったから食った。自然の摂理だろ」

「ここを野生の王国か何かと勘違いしてない!?」

 

あたしと杏子の間に、再びバチバチと火花が散る。それを見ていたマミさんが、ぽん、と優雅に手を打った。

 

「そうだわ。こういう時は、みんなでスーパーマーケットにお買い物に行く、というのはどうかしら? 復旧しているお店も少しずつ増えてきていると聞くし、みんなでカートを押して歩くのも、きっと楽しいと思うの」

 

マミさんの提案は、一見すると完璧な正論だった。

しかし、その提案には、一つ、致命的な欠陥があった。

 

「マミさん…。先立つものがありません」

「先立つもの?」

「お金です! マニーです! キャッシュです!」

 

あたしがそう叫ぶと、マミさんは「あら、そうなの?」と心底不思議そうな顔で小首を傾げた。

そう。この完璧超人にしか見えないお嬢様育ちの先輩は、致命的なまでに金銭感覚がズレているのだ。彼女にとって、お金とは「いつの間にかお財布に入っている不思議な紙」くらいの認識しかないらしい。

 

ほむらが冷静に補足する。

「市街地の銀行システムはまだ完全に麻痺しているわ。ATMも機能停止中。私たちが今すぐ動かせる現金は、各自が手元に持っている分だけよ」

 

その言葉に、全員がごそごそと自分の財布やポケットを探り始めた。

 

まず、あたし。財布の中には、ひっくり返しても出てくるのは542円。中学生のお小遣いなんて、こんなものだ。

 

次に、杏子。そもそも財布というものを持っておらず、パーカーのポケットから出てきたのは、ゲームセンターのメダル3枚と、べたべたになった飴玉が一つだけだった。

 

ほむらは、どこから取り出したのか、分厚い革の長財布から静かに紙幣を数えている。

「…2万3千円。これだけあれば、数日はもつかしら」

「なんでそんな大金持ってんのよ!?」

「緊急事態に備えるのは当然の心得よ」

と、彼女はこともなげに言う。ループを繰り返すうちに、サバイバルのスキルだけは異常に高くなったらしい。

 

そして、マミさん。レースの刺繍が入った可愛らしいがま口を開き、中を覗き込むと、

「まあ大変。500円玉が一つしか入っていなかったわ」

と、にっこり微笑んだ。全然大変そうに見えないその笑顔が、逆にあたしの不安を煽る。

 

全員の所持金を合計しても、2万4042円。

女子中学生五人(しかも一人は大食い)が、これからどれくらい続くか分からないサバイバル生活を送るには、あまりにも心許ない金額だった。

 

「…やっぱり、あたしたちが稼ぐしかない、ってことか」

杏子が、ぎらり、と目を光らせて言った。

「稼ぐって…どうやって?」

まどかが不安そうに尋ねる。あたしたちまだ中学生だ。アルバイトだって簡単にはできない。

 

すると、杏子はニヤリと笑い、窓の外を親指でくいっと指した。

その先に見えるのは、ワルプルギスの夜によって半壊した、見滝原市の市街地。折れ曲がった鉄骨、砕け散ったガラス、そして、今もどこかで蠢いているはずの、絶望の残滓。

 

「決まってんだろ」

 

杏子は立ち上がり、ソファの背もたれに無造作に立てかけてあった、自身の赤い槍を肩に担いだ。

 

「魔女狩りだよ。あたしたち魔法少女にとって、一番手っ取り早い稼ぎ方じゃねえか」

 

そうだ。魔女を倒せば、グリーフシードが手に入る。

あたしたち魔法少女の世界では、この黒い宝石は、金銭の代わりとしても通用する。他の魔法少女との取引に使ったり、情報屋に渡して情報を買ったり。…まあ、今は見滝原に他の魔法少女なんていやしないけど。

 

でも、問題はそこじゃない。

 

「グリーフシードをお金に換えるって、どうやって? 換金所でもあんの?」

「ばーか。そんなもんあるかよ。けどな、こういうぶっ壊れた街じゃあ、モノの価値なんてあってねえようなもんなんだよ」

 

杏子はまるで、世界の真理を語る預言者のように言った。

 

「ライフラインが止まって、店も閉まってる。そんな中で一番価値があるもんはなんだ? 食いもん、水、電池…。そういうのだろ? 廃墟になったスーパーやコンビニには、まだそういう『お宝』が眠ってる。そういう場所を縄張りにしてる奴らがいるとしたら…」

 

杏子の言葉に、ほむらが静かに頷いた。

「…なるほど。グリーフシードは、魔法少女にとっての生命線。それを欲しがらない魔法少女はいないわ。つまり、物々交換の交渉材料として、これ以上ない価値を持つ、ということね」

 

「そういうこった」

 

話が見えてきた。つまり、あたしたちは今から、廃墟と化した市街地へ「お宝探し」に行き、もし他の縄張り主張者…ここでは魔女を指すけど…がいたら、そいつをぶちのめして、食料とグリーフシードを奪い取る、と。

 

「…なんか、やってることが野盗みたいじゃない?」

あたしが呟くと、杏子は「褒め言葉として受け取っとくぜ」と歯を見せて笑った。

 

こうして、あたしたちは、食料と生活の糧を求め、危険なゴーストタウンへと足を踏み入れることになった。

なんだか、ものすごく嫌な予感しかしない。

 

ベランダでその一部始終を眺めていたキュゥべえが、テレパシーで直接、あたしの頭にだけ語りかけてきた。

 

『実に合理的で、素晴らしい判断だね、佐倉杏子。やはり、生存本能が強い個体は、集団において的確な指針を示す傾向にある』

「うるさい! あんたの解説はいらないの!」

 

あたしは近くにあったスリッパを掴むと、白い悪魔めがけて全力で放り投げた。

奇跡が起きた後の世界も、結局は、食うか食われるかのサバイバルらしい。

本当に、どうしてこうなったんだか。

 

---

 

「さあ、お宝探しに出発だ!」

 

杏子の号令一下、あたしたちは半壊した見滝原市の市街地へと足を踏み入れた。

マミさんのマンションがある住宅街を一歩抜けると、景色は一変する。アスファルトはめくれ上がり、信号機は明後日の方向を向いて沈黙している。かつては流行のブティックやカフェが立ち並んでいたはずの目抜き通りは、今はただの瓦礫の山だ。

 

「うわあ…やっぱり、すごいことになってるね…」

 

まどかが、割れたショーウィンドウの向こうで無残に横たわるマネキンを見つめ、痛ましげに呟く。

あたしも、その光景に胸が詰まる。この瓦礫の下には、あたしたちが知っていたはずの日常が埋まっているのだ。

 

しかし、感傷に浸っている暇はなかった。

 

「ぼさっとすんな! 魔女ってのはな、こういう人間の絶望が溜まった場所にこそ、巣を作りやすいんだ」

 

先頭を歩く杏子が、瓦礫の山をひょいひょいと軽やかに飛び越えながら、あたしたちを急かす。その姿は、まるで荒野を駆ける野生動物のようだ。

 

「まずは手近なところから行くぜ。あそこだ!」

 

杏子が指さしたのは、壁面が大きく崩落した、7階建ての商業ビルだった。かつては『MITAKIHARA OIOI』というロゴが輝いていたらしいが、今では見る影もない。

 

「デパートか…。確かに、食料品売り場なら何か残ってるかも」

「それだけじゃないわ」

 

ほむらが、崩れたビルの入り口を鋭い目つきで観察しながら言った。

 

「見て。結界の入り口が開いているわ」

 

彼女が指さす先、本来は自動ドアがあったはずの空間が、ぐにゃり、と陽炎のように歪んでいた。注意して見なければ気付かない、僅かな空間の綻び。間違いなく、魔女の結界の入り口だ。

 

「上出来じゃねえか。手間が省けたってもんだ」

 

杏子は口の端を吊り上げて笑う。

あたしはごくりと唾をのんだ。一週間ぶりの、魔女との戦い。ワルプルギスの夜という途方もない相手と戦った後では、そこいらの魔女なんて…と思いたいところだが、油断は禁物だ。

 

「よし、行こう! みんな、準備はいい?」

「ええ、もちろんよ」

「問題ないわ」

「いつでもいけるぜ」

「う、うん…!」

 

あたしたち五人は、互いの顔を見合わせ、頷き合う。

そして、ソウルジェムを掲げた。

 

光が身体を包み、見慣れた戦闘服が形成される。青い騎士風のあたしの衣装。ピンクのドレスを纏ったまどか。白い戦闘服に身を包んだほむら。赤い神父服のような杏子。そして、マスタードイエローのクラシカルなドレス姿のマミさん。

 

五色の光が、廃墟の街に一瞬だけ、希望の色を灯した。

 

「さあ、行きましょう!」

 

マミさんを先頭に、あたしたちは歪んだ空間の裂け目へと、次々に飛び込んでいく。

 

---

 

魔女の結界の中は、予想通り、デパートの内装を歪に反映した世界だった。

床も壁も、毒々しいショッキングピンクとミントグリーンの市松模様。天井からは、値札のタグがついた無数のシャンデリアがぶら下がり、床にはマネキンの首がゴロゴロと転がっている。

 

『イラッシャイマセー…』

『ポイントカードハ、オモチデスカ…?』

 

不気味な囁き声が、四方八方から反響する。

あたしは剣を構え、周囲を警戒した。

 

「なんなの、この結界…。趣味が悪いっていうか、けばけばしいっていうか…」

「どうやら、物欲…特に、衝動買いに関する性質の魔女のようね」

 

ほむらが冷静に分析する。

その時、結界の奥から、けたたましいキャスターの音が近づいてきた。

現れたのは、ショッピングカートに跨った、ウサギのような姿の使い魔たち。その数は、ざっと見て三十体以上。

 

「まずは手下のお出ましか!」

杏子が槍を構える。

 

「ここは私に任せてちょうだい」

マミさんが一歩前に出て、優雅に微笑んだ。彼女の手のひらから、魔法のリボンがするすると伸びていく。

「こういう時は、スマートに、そしてエレガントに片付けるのが私の流儀よ」

 

リボンは瞬く間に結界内に張り巡らされ、ウサギの使い魔たちの動きを次々に封じていく。

 

「すごい…!」

まどかが目を輝かせる。

 

「仕上げは任せな!」

杏子が拘束された使い魔たちに向かって、槍を構えて突進しようとする。

 

「待って杏子!」

あたしは慌てて彼女を制止した。

「そんな一体ずつ倒してたらキリがないよ! ここは、もっと効率的に!」

「ああん? さやか、てめえ、あたしに指図すんのか?」

「指図じゃなくて提案! こういう時は、連携プレイでしょ!」

 

あたしは剣を構え直し、マミさんに向かって叫んだ。

「マミさん! あいつらを一箇所にまとめてください!」

「お安い御用よ!」

 

マミさんが指を鳴らすと、張り巡らされたリボンが、まるで巨大な網のように収縮し、捕らえられた使い魔たちをぎゅうぎゅう詰めにして、結界の中央に一つの巨大な塊を作り上げた。

 

「よし…!」

あたしは息を吸い込む。

狙いは、一点集中。ワルプルギスの夜との戦いで、あたしたちは学んだ。バラバラに戦うより、五人の力を一つに合わせた方が、何倍も強い力を発揮できるってことを。

 

「ほむら、杏子! 二人の最大火力を、あそこに叩き込んで!」

 

あたしの言葉に、ほむらと杏子は一瞬顔を見合わせ、そしてニヤリと不敵に笑った。

 

「仕方ないわね。たまには、あなたに従ってあげる」

「面白え。いっちょ、派手にやりますか!」

 

ほむらは背後の空間から無数のロケットランチャーを取り出し、杏子は槍の穂先を巨大なドリル状に変形させる。

 

「まどか! 私たちを援護して!」

「うん、わかった!」

 

まどかは弓を引き絞り、光の矢を放つ。矢はあたしたちの頭上で弾け、魔力を活性化させる優しい光の雨となって降り注いだ。

 

「マミさん、あたしは…!」

「さやかちゃんは、とっておきをお願いするわ」

マミさんはあたしにウインクすると、リボンから十数丁のマスケット銃を生成し、狙いを定めた。

 

「全砲門、撃ち方始め(ファイア)!」

「奥義、紅蓮龍牙ッ!」

「目標を殲滅する!」

 

マミさんの号令と共に、マスケット銃、杏子のドリル槍、ほむらのロケット弾が、一斉に使い魔の塊へと叩き込まれた。

 

轟音。閃光。爆風。

結界そのものが揺れるほどの、凄まじい破壊力。

 

「…やったか!?」

あたしが思わず叫んだ、その時だった。

 

もうもうと立ち込める黒煙の中から、それは現れた。

傷一つついていない、ウサギの使い魔たち。

彼らは、その手に持った小さな『値札』のようなものを、あたしたちに向けてかざしていた。

 

【 30% OFF 】

【 タイムセール中 】

【 本日限り! お一人様一点まで!】

 

「な…!?」

 

あたしが呆然とする中、キュゥべえの忌々しいテレパシーが響いた。

『無駄だよ、美樹さやか。その使い魔たちは、あらゆる攻撃のダメージを『割引』する能力を持っている。君たちの攻撃は、威力が大きければ大きいほど、割引率も高くなるのさ』

 

なんて、厄介な能力!

あたしたちの渾身の一撃は、どうやら70%オフくらいにされてしまったらしい。

 

呆然とするあたしたちを、使い魔たちが再び取り囲んでいく。

まずい。このままじゃ、ジリ貧だ。

どうすれば…どうすれば、あいつらの能力を無効化できる…!?

 

その時、あたしの頭に、一つの突拍子もない、馬鹿げたアイディアが閃いた。

それは、あまりにもくだらなくて、ヒーローにあるまじき、卑怯な戦法。

 

…でも、今は、そんなこと言ってられない!

 

「…みんな! あたしに考えがある!」

 

あたしは叫んだ。

「この戦い、あたしの、とっておきの『奥の手』で決める!」

 

---

 

「あたしにとっておきの奥の手がある!」

 

あたしがそう宣言すると、仲間たちの視線が一斉に突き刺さった。

杏子は「へえ、威勢のいいこった」と面白そうに口の端を吊り上げ、ほむらは「…何か、勝算があるの?」と訝しげに眉をひそめる。まどかだけが「さやかちゃんなら、きっと大丈夫!」とキラキラした純粋な目であたしを見つめていた。その信頼が、今だけはちょっと痛い。

 

マミさんが代表して尋ねる。

「さやかちゃん、その奥の手というのは、一体どんな…?」

 

あたしはぐっと拳を握りしめ、覚悟を決めた。もう後には引けない。

 

「説明してる時間はない! とにかく、みんなはあたしの合図に合わせて、もう一度だけ、最大火力をぶっ放してほしいの!」

「無駄だと言っているでしょう。ダメージが割引されるのよ」

「いいから! 今度は、絶対に効くから!」

 

ほむらはまだ納得がいかない顔をしていたが、あたしの必死の形相に何かを感じ取ったのか、小さく頷いた。

「…分かったわ。あなたを信じる」

「ほむら…!」

「ただし、もしこれで失敗したら、夕食は抜きよ」

「あたしの分まで食べ尽くしたあんたが言わないでよ!」

 

あたしは全員の覚悟を確認すると、深呼吸を一つ。そして、剣を構え直し、無数の使い魔たちに向かって、堂々と一歩踏み出した。

 

『……』

『…ポイント…ニバイ…』

 

ウサギの使い魔たちは、あたしを取り囲み、じりじりと距離を詰めてくる。その手に持った値札が、不気味に揺れていた。

あたしはそんな彼らを真正面から見据え、そして、

 

「……皆さんっ!!」

 

ありったけの魔力を声に乗せ、叫んだ。

その声は、魔女の結界の隅々にまで響き渡った。

 

「ただいまより! 閉店セールを開催いたしまーーーすっ!!」

 

「「「「…………は?」」」」

 

仲間たちの、完全に意表を突かれた、気の抜けた声が背後から聞こえる。

だが、そんなことは気にしない。

 

あたしは高らかに続ける。

「本日ご来店のお客様に限り! こちらのウサギの使い魔さんを! なんと! 驚きの!」

 

ごくり、と息を飲む。

 

「99% OFF!! 大特価にてご提供いたします!!」

 

その瞬間、結界内の空気が凍りついた。

ウサギの使い魔たちが、ぴたり、と動きを止める。彼らの小さな目が、信じられないものを見るかのように、大きく見開かれた。

あたしが叫んだ『99% OFF』という言葉が、まるで福音のように、彼らの頭上で輝いている。

 

彼らが手に持っていた【30% OFF】や【タイムセール】の値札が、ぱらり、ぱらり、と力なく床に落ちていく。

彼らの頭を支配していた、たった一つの概念。それは「いかにお得か」ということ。

そして今、彼らの目の前には、自分たちの存在価値を根底から覆す、「99% OFF」という、抗いがたい究極の「お得」が出現したのだ。

 

『……キュウジュウ…キュウ…パーセント…?』

『…ソンナ…バカな…』

 

使い魔たちは、もはやあたしたち魔法少女のことなど眼中にない。彼らは互いの顔を見合わせ、ざわざわと囁き合い始めた。

『…カウシカナイ…』

『…コレハ…カウシカナイ…!』

 

次の瞬間、統制は完全に崩壊した。

ウサギたちは、仲間だったはずの隣のウサギに、我先にと掴みかかり始めたのだ!

「お前はオレが買う!」

「いやワタシが先に目をつけた!」

「まとめ買いは禁止です!」

阿鼻叫喚の地獄絵図。そこはもはや戦場ではなく、バーゲンセールの最終日に群がる、狂乱の主婦たちの縮図だった。

 

呆然と立ち尽くす仲間たちに向かって、あたしは叫んだ。

「今よ! やっちゃって!!」

 

ハッと我に返った四人が、一斉に最大火力を解き放つ。

ロケット弾が、ドリル槍が、マスケット銃の弾丸が、内輪揉めで完全に無防備になった使い魔たちの群れに突き刺さった。

 

大爆発。

 

煙が晴れた時、そこには一体の使い魔も残っておらず、キラキラと光る魔力の粒子だけが舞っていた。

そして、その中央には、

 

「いたわね! あれが本体よ!」

 

マミさんの指さす先、巨大なレジスターの上に、ふんぞり返って座る魔女の姿があった。

その姿は、まるで女王様のように着飾った、巨大なブタの貯金箱。その手には『SOLD OUT』と書かれた札が握られている。

 

「衝動買いの魔女…! あたしが止めを刺す!」

あたしは剣を構え、一直線に魔女へと突進した。

 

「喰らいなさい! これが、あたしの……」

 

あたしは飛び上がり、剣を振りかぶる。

その脳裏に、空っぽの冷蔵庫と、杏子のふてぶてしい寝顔がよぎった。

 

「…無駄遣いへの、怒りの一撃よぉーーーっ!!」

 

あたしの剣は、魔女の脳天にクリーンヒットした。

悲鳴を上げる間もなく、ブタの貯金箱はガラスのように砕け散り、その中から、欲しかったものが転がり落ちる。

 

漆黒の宝石――グリーフシードだ。

 

---

 

「…ふぅ。一件落着、ってね」

 

魔女の結界が崩壊し、あたしたちは元の半壊したデパートに戻ってきた。

手には、戦利品であるグリーフシードが一つ。これを元手に、どこかで食料を調達すれば、今夜は暖かいご飯にありつけるはずだ。

 

「さやかの奴、意外と頭回るじゃねえか」

「まあね! 正義の味方は、力だけじゃなく、知恵も働くものなのよ!」

杏子に素直に褒められ、あたしはつい、得意になって胸を張った。

 

まどかが駆け寄ってくる。

「すごかったよ、さやかちゃん! まるでお母さんのバーゲンセールの時みたいだった!」

「そ、そうかな…?」

あんまり嬉しくない例えだけど、まあ、まどかが言うならいっか。

 

ほむらも、少しだけ口元を緩めて言った。

「…たまには、あなたの無鉄砲さも役に立つのね」

「それ、褒めてんの!?」

 

その時だった。

マミさんが、あたしの手の中のグリーフシードをうっとりと見つめながら、ぽつりと言った。

 

「見て、なんて美しい輝きなのかしら…。まるで、闇夜に輝く星のようね」

「はあ、まあ、黒いですけどね」

「そうだわ」

 

マミさんは、ぱちん、と指を鳴らした。

 

「この美しい宝石に相応しい、素敵なティーカップとソーサーを、このデパートで探しましょう! 廃墟の中にも、きっと心ときめく掘り出し物があるはずよ!」

「…へ?」

あたしが間抜けな声を出す。

 

「それいいな! あたしはゲームコーナーで、なんか面白そうなゲームソフト探してくるぜ!」

杏子が目を輝かせる。

 

「私は…まどかのために、何か可愛い洋服でも見繕ってあげようかしら」

ほむらまで、どこか楽しそうだ。

 

「え、え、ちょっと待ってよ! あんたたち、何言ってんの!? このグリーフシードは、食料を調達するための…!」

 

あたしの静止も虚しく、三人はそれぞれ「お宝探し」に散ってしまった。

 

「あ、あたしも、何かお手伝いできることあるかな?」

まどかが、あたしの袖をくい、と引く。

 

あたしは、その場でがっくりと膝をついた。

手の中には、命懸けで手に入れたグリーフシードが一つ。

そして、あたしの仲間たちは、それを生活の糧ではなく、自分たちの『衝動買い』の資金源としてしか見ていない。

 

ああ、そうか。

さっきの魔女、倒しきれてなかったんだ。

本当の『衝動買いの魔女』は、どうやら、ここにいるあたしの仲間たち、そのものだったらしい。

 

「…どうして、こうなるわけぇ…」

 

あたしの悲痛なツッコミが、瓦礫の山に虚しく響き渡った。

あたしたちの、奇跡の後のドタバタな日常は、まだ始まったばかりだ。

 




久々に戻って来ました。
...が、前作(アネッテ)の話を書く気に全然ならないので、こんな感じのしょーもない話でどうか許してください。
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