魔法少女さやかマギカ 〜ワルプルギスの夜のあとで!   作:革新的甲殻類

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第2話_お風呂と理想と残念な先輩!

 

 

前回の「衝動買いの魔女」との死闘(?)から数日。

あたしたちは、それぞれ持ち寄ったなけなしの現金と、物々交換の交渉の末に廃墟のスーパーから手に入れたレトルト食品などで、なんとか食い繋いでいた。

文明の光がまだらにしか届かないこの街でのサバイバル生活にも、少しずつ慣れ始めてきた、そんな夏の日の午後だった。

 

見滝原市の郊外、被害の少なかったエリアで、あたしたちはその日、新たな魔女の気配を追っていた。ワルプルギスの夜という親玉を失っても、その絶望の残滓からか、あるいは街に残る人々の不安からか、ポツポツと新しい魔女が生まれているらしい。

 

今日の魔女は、廃工場地帯に巣食っていた。性質は「怠惰」。結界の中は万年床のような布団と枕で埋め尽くされ、使い魔はパジャマ姿で常にうとうとしている、なんとも締まらない空間だった。

まあ、戦闘自体はあっさり終わった。あたしと杏子が突っ込んで暴れ、後方からほむらが援護し、マミさんが優雅にリボンで敵を縛り上げ、最後はまどかの浄化の矢でフィニッシュ。もはや阿吽の呼吸である。

 

問題は、その帰り道だった。

 

「いやー、今日の魔女は楽勝だったな!」

「そうだね! みんなと一緒だと、どんな敵も怖くないね!」

 

あたしとまどかは、埃っぽい工場の壁にもたれかかり、汗を拭いながら笑い合った。夏の西日がじりじりと肌を焼き、戦闘でかいた汗がじっとりと首筋を伝う。

 

「…あー…汗かいちゃった。早く帰ってシャワー浴びたい…」

 

あたしがそう呟いた瞬間、隣で同じように額の汗を拭っていた杏子が、けだるそうに口を開いた。

 

「シャワーねえ…。まあ、水が出るだけマシだけどよ」

「文句言わないの。あんたなんか、前の晩も汗かいたままソファで寝てたでしょ!」

「いいんだよ、あたしは。汗なんて寝てりゃ乾く」

「乾かないから! 逆に蒸れるから!」

 

あたしたちの不毛な会話を聞いていたマミさんが、ふふっと優雅に微笑んだ。

「大丈夫よ、さやかちゃん。私のマンションの給湯システムは、このエリアでは一番新しいものだから。きっとすぐに復旧するわ」

 

その言葉に、あたしは一縷の望みを託した。

そう、あたしたちが今直面している最大の問題。それは、「停電」と、それに伴う「お湯の供給停止」だった。

ライフラインが不安定なこの街では、数時間おきに電気が止まる。電気が止まれば、当然、最新鋭のガス給湯器も動かない。ここ数日、あたしたちは冷たい水シャワーでなんとか凌いでいたのだ。

 

「もう水シャワーは嫌だよ…」

「贅沢を言うな。水が出るだけありがたいと思え」

「あんたはちょっと衛生観念を改めなさい!」

 

いつものように杏子とじゃれ合いながら、あたしたちはマミさんのマンションへと帰路についた。

今日こそは、今日こそは暖かいお風呂に入れるはず。そんな淡い期待を胸に。

 

---

 

「……………」

 

あたしは、無言でバスルームの給湯パネルを見つめていた。

そこには、何の光も灯っていない。うんともすんとも言わない。ただのプラスチックの板が、壁に張り付いているだけだった。

 

「…やっぱり、ダメか…」

 

がっくりと肩を落とすあたしの背後から、ひょこりとまどかが顔を覗かせた。

「どうだった、さやかちゃん?」

「見ての通りだよ…。今日も我が家…マミさん家は、文明の恩恵から見放されました…」

 

リビングに戻ると、杏子はすでにソファに寝転がり、どこから見つけてきたのか、漫画雑誌を読みふけっている。ほむらは窓の外の復旧状況を冷静に観察しており、マミさんは…マミさんは、こんな時だというのに、戸棚から何やら大きな箱を取り出していた。

 

「まあ、仕方ないわね。こんな日もあるわ」

そう言ってマミさんがテーブルの上に並べ始めたのは、色とりどりのアロマキャンドルと、ハーブの入った小瓶、そしてバラの花びらが詰め込まれたポプリの袋だった。

 

「停電でお風呂に入れないなら、せめて雰囲気だけでも楽しまないと損よ。キャンドルの灯りの中で、ハーブの香りに包まれて、優雅なバスタイムを演出するの。素敵じゃないかしら?」

 

キラキラした瞳で語るマミさんに、あたしは眩暈を覚えた。

 

「マミさん…。あたしたちが求めているのは、雰囲気じゃなくて、お湯なんです…!」

「あら、冷たいお水の方がお肌が引き締まってよろしくてよ?」

「そういう問題じゃないんですってば!」

 

杏子が漫画から顔も上げずに茶々を入れる。

「ったく、女ってのはめんどくせえな。風呂なんて、頭から水ぶっかぶっときゃ十分だろ」

「あんたと一緒にしないで! 汗流した後は、ちゃんと湯船に浸かって疲れを取りたいの! 普通は!」

「普通ねえ。ま、せいぜい頑張るこったな」

 

あたしがキーッとなっていると、それまで黙って窓の外を見ていたほむらが、静かに振り返った。

その目は、いつになく真剣だった。

 

「…問題は、深刻ね」

「でしょ!? やっと分かってくれた、ほむら!」

 

あたしが同意を求めると、ほむらは静かにあたしを…いや、あたしの後ろにいるまどかを見つめて、言った。

 

「鹿目さんが、このままでは風邪をひいてしまう。水浴びなんて、もってのほかよ」

「え、あ、あたしは大丈夫だよ、ほむらちゃん」

「いいえ、大丈夫じゃないわ。あなたの身体は、私たちが、いえ、この世界が守るべき至宝なの。万が一にも、ここで体調を崩させるわけにはいかない」

 

なんだか話がどんどん壮大になっていく。

ほむらは腕を組み、探偵のように目を細めると、断定的な口調で続けた。

 

「ライフラインの復旧を待つのは、あまりにも不確実。ならば、こちらから能動的に熱源を確保するべきだわ。…そうね、自衛隊の駐屯地まで行けば、野戦用の移動式入浴セット弐型が配備されているはず。あれを強奪…いえ、借用してくるのが、最も合理的ね」

「なんでそう物騒な結論にしかならないのよ、あんたはっ!?」

 

お風呂に入りたい。

ただそれだけの、女子中学生のささやかな願いが、なぜか「自衛隊からの装備品強奪計画」にまで飛躍してしまっている。

あたしは頭を抱えた。

 

そうだ。忘れてた。

この家に、「普通」や「常識」を求めても、無駄なんだった。

あたしたちの、お風呂を巡る長い一日は、まだ始まったばかりだった。

 

---

 

「自衛隊駐屯地から入浴セットを借りてくるのが合理的」

 

ほむらが真顔でそう結論付けた瞬間、あたしは全力でツッコミを入れた。

 

「んなわけあるかーっ! もっと平和的な解決策があるでしょ、普通!」

「平和的…?」

 

ほむらは心底不思議そうに首を傾げた。彼女にとって、目的達成のための最短ルートがそれだったらしい。ループ生活が長すぎて、一般常識の一部がどこかに置き去りにされてしまっている。

 

「ほむらちゃんの気持ちは嬉しいけど、自衛隊の人たちに迷惑かけちゃダメだよ」

まどかが優しく、しかしきっぱりと窘める。その一言で、ほむらは「…まどかがそう言うなら」としぶしぶ武器の収納を始めた。まどかの言葉は、この家では絶対的な効力を持つ憲法のようなものだ。

 

「じゃあ、どうすんだよ。指くわえてお湯が湧き出すのを待ってんのか?」

ソファの上で寝返りを打ちながら、杏子が面倒くさそうに言う。

 

その時だった。

それまで「優雅なバスタイムの演出」に夢中だったマミさんが、ああ、と何かを思い出したように声を上げた。

 

「そうよ! こんなこともあろうかと、私、とっておきの場所を知っているのよ」

「とっておきの場所?」

 

あたしたちが期待の眼差しを向けると、マミさんは自信たっぷりに胸を張って宣言した。

 

「ええ。この近くの森の奥にね、誰も知らない秘密の『源泉』があるの。天然の温泉よ。昔、魔女を探している時に偶然見つけたのだけれど、水質も良くて、お肌がすべすべになるのよ。そこへ行きましょう!」

 

天然の、温泉。

その魅惑的な響きに、あたしとまどかは「おおーっ!」と歓声を上げた。

 

「温泉! いいね、それ! みんなで入ったら楽しそう!」

「マミさん、グッジョブ! さすが頼りになります!」

 

杏子も「温泉か。まあ、悪くねえな」と少しだけ興味を示したようだ。ほむらだけが「森の奥…? 野生動物の危険性は?」と警戒を解いていないが、まどかが「大丈夫だよ、ほむらちゃん。みんなと一緒なら!」と笑顔を向けると、渋々といった体で頷いた。

 

「決まりね! それじゃあ、早速準備をしましょう! タオルと…そうね、せっかくだから、お風呂上がりに飲むフルーツ牛乳も用意しないと!」

 

マミさんの一声で、あたしたちは俄然活気づいた。

水シャワーの悲劇から一転、まさかの温泉旅行である。さっきまでのジメジメした気分が嘘のように、心が躍る。

 

あたしは急いで自分の部屋(マミさんの家に勝手に確保した客間)に戻り、旅行カバンに着替えとタオルを詰め込み始めた。まどかも嬉しそうに準備をしている。

リビングからは、マミさんの「杏子ちゃん! 人のバスタオルを勝手に使わないでちょうだい!」「いいじゃねえか、減るもんでもなし!」という、いつものやり取りが聞こえてきて、あたしは思わず笑ってしまった。

 

まあ、なんだかんだ言って、この生活も悪くない。

トラブルは多いけど、こうして誰かと一緒に、ああでもないこうでもないと言いながら過ごすのは、独りで戦っていた頃には考えられなかった、温かい時間だ。

 

準備を終え、あたしたちは意気揚々とマンションの玄関に集合した。

マミさんを先頭に、いざ、秘密の温泉へ!

 

---

 

…と、なるはずだった。

 

「……………で?」

 

あたしは目の前の光景を指さし、先頭を歩くマミさんに問いかけた。

 

「どうしてあたしたち、行き止まりの崖の前に立ってるんでしょうかねえ、マミ先輩?」

 

マミさんが「秘密の源泉がある」と言ってあたしたちを連れてきたのは、森の奥も奥。もはや獣道すらないような、鬱蒼とした木々の合間を三十分ほど歩いた先にある、無慈悲な崖っぷちだった。

眼下には川が流れているが、温泉らしき湯けむりはどこにも見当たらない。

 

「おかしいわね…。確か、この辺りだったはずなのだけれど…」

 

マミさんは地図を片手に首を捻っている。その地図は、彼女が記憶を頼りに描いた手書きの、非常にファンシーなイラストマップだった。「リスさんのおうちを右に曲がる」とか、「キラキラ光る石の近く」とか、そういう極めてメルヘンな情報しか書かれていない。

 

杏子が大あくびをしながら、呆れたように言った。

「おいおいマミ。てめえ、まさか道に迷ったんじゃねえだろうな」

「ま、迷うなんて、そんなことあるはずないじゃない! 私は方向感覚には自信があるのだから!」

 

そう言ってビシッと前方を指さすマミさんだったが、その指はぷるぷると小刻みに震えていた。

…ダメだ、この人。完全に迷子になってる。

 

「まあまあ、二人とも。もう少し探してみようよ。きっとすぐ見つかるよ」

まどかがいつものように、あたしたちをなだめてくれる。

ほむらは、あたかも最初からこうなることを予測していたかのように、静かにバックパックから水筒を取り出し、まどかに「水分補給を」と差し出していた。用意周到すぎる。

 

「ちっ、仕方ねえなあ…」

 

杏子は悪態をつきながらも、崖の縁に近づき、下の川を覗き込んだ。

 

「ん…? おい、見ろよ。あそこの岩場、なんか変な色してねえか?」

 

杏子が指さす先、川岸の一角にある岩が、妙に赤黒く変色していた。

あたしたちが何だろうと覗き込んでいると、キュゥべえがいつの間にかあたしの肩に飛び乗り、テレパシーで語りかけてきた。

 

『あれは、穢れの痕跡だね。高濃度の呪いが、長期間にわたって同じ場所に留まると、物理世界にもあのように影響を及ぼすことがある』

「うわっ! あんた、いつの間に!」

 

キュゥべえの言葉に、ほむらが鋭く反応した。

「穢れの痕跡…。まさか、この近くに魔女がいるっていうの?」

『そのまさかだよ、暁美ほむら。それも、かなり厄介な奴がね』

 

その時だった。

あたしたちが立っていた崖が、ぐらり、と大きく揺れた。

いや、違う。揺れているんじゃない。

崖そのものが、ゆっくりと、起き上がろうとしているのだ。

 

「うそ…でしょ…?」

 

あたしの足元にあった地面が、巨大な瞼となって開き、そこから、濁った巨大な一つ目が、あたしたちをぎょろり、と見上げた。

崖だと思っていたものは、眠っていた超巨大な魔女の、顔の一部だったのだ。

 

『紹介するよ。この辺り一帯の生態系そのものと同化した、岩山の魔女さ。性質は『引きこもり』。何百年もここで眠り続けていてね、滅多なことでは起きないんだけど…』

 

キュゥべえの忌々しい解説が続く。

 

『どうやら、君たちが近くで騒いだせいで、寝起きが悪かったみたいだね』

 

魔女が、地響きのような咆哮を上げた。

あたしたちは、為すすべもなく、その巨大な顔の上で立ち尽くすしかなかった。

温泉旅行は、どうやら絶望的なサバイバルクエストへと姿を変えたらしい。

 

---

 

崖だと思っていたものが、実は超巨大な魔女の顔だった。

その衝撃的な事実を飲み込む間もなく、あたしたちは絶体絶命のピンチに陥っていた。何せ、足場が敵の顔なのだ。下手に動けば、そのまま奈落の底…もとい、魔女の口の中に真っ逆さまである。

 

「きゃあっ!」

 

まどかがバランスを崩し、悲鳴を上げた。その小さな身体が、傾き始めた魔女の顔から滑り落ちそうになる。

 

「まどか!」

 

ほむらが瞬時に反応した。彼女は背後の空間からワイヤー射出装置を取り出すと、近くの巨木にアンカーを打ち込み、その勢いを利用して振り子のように飛び、滑落するまどかの腕を寸でのところで掴み取った。

 

「…大丈夫? 怪我はない?」

「う、うん…。ありがとう、ほむらちゃん…!」

 

ワイヤー一本で宙吊りになった二人を見て、あたしは冷や汗をかいた。あんなアクロバティックな動き、あたしには到底真似できない。

 

「おいおい! どうすんだよこれ! 足場がねえぞ!」

杏子が槍で地面…魔女の岩肌を突き刺し、なんとか体勢を維持しながら叫ぶ。

 

その間にも、魔女は完全に覚醒し、巨大な岩の腕を振り上げていた。

『グオオオオオオオオオ…!』

 

地鳴りのような咆哮と共に、岩の拳が振り下ろされる。

あたしたちが立っていた場所目掛けて。

 

「いけないわ!」

 

その瞬間、あたしたちの前に躍り出たのは、巴マミさんだった。

彼女はスカートの裾から無数のリボンを繰り出すと、それを瞬時に編み上げ、巨大なハンモックのような足場を空中に作り上げた。

 

「皆さん、こちらへ!」

 

マミさんの声に、あたしと杏子は躊躇なく新しい足場へと飛び移る。ほむらもワイヤーを巧みに操り、まどかを抱えたまま華麗に着地した。間一髪、あたしたちがいた場所を岩の拳が粉砕する。

 

「ふぅ…助かりました、マミさん」

「これくらい、お安い御用よ。でも、困ったわね…。あの子、大きすぎてどこから攻撃すればいいのか…」

 

マミさんの言う通りだった。

目の前の魔女は、もはや一つの山だ。全長は百メートルを優に超えているだろう。ワルプルギスの夜ほどではないにしろ、規格外のデカさだ。普通の攻撃が通用するとは思えない。

 

「ちっ、デカいだけの的じゃねえか! あたしが懐に飛び込んで、内側から食い破ってやる!」

「無茶よ杏子! あれだけの巨体、核となるソウルジェム…グリーフシードがどこにあるか分からないわ!」

 

あたしが制止するが、杏子は聞く耳を持たない。

「だったら、全部ぶっ壊すまでだ!」

「脳筋!」

 

あたしたちが言い争っている間も、魔女の攻撃は止まらない。

今度は、その巨大な口がゆっくりと開かれ始めた。

その奥に、禍々しい紫色の光が収束していくのが見える。

 

「まずいわ…! ブレスを撃ってくる気よ!」

ほむらが叫ぶ。

 

「させません!」

マミさんはリボンから無数のマスケット銃を召喚すると、必殺の構えを取った。

「ティロ・フィナーレ!!」

 

放たれた巨大な魔力砲は、しかし、魔女の口から放たれた紫色のブレスと衝突し、あっけなく霧散してしまった。

 

「くっ…! 火力が違いすぎる…!」

マミさんが悔しげに歯噛みする。

 

ブレスの余波が、あたしたちが乗っているリボンの足場を揺らす。このままでは、ジリ貧どころか、一瞬で消し炭にされてしまう。

 

どうすればいい…?

何か、何か手はないのか…?

 

あたしが焦燥に駆られていると、ふと、隣にいたまどかが、何かをじっと見つめていることに気が付いた。

その視線の先にあるのは、魔女の巨大な頭部。

いや、違う。その、てっぺん。

 

「まどか…?」

 

まどかは、まるで何かを発見した子供のように、目を輝かせて指をさした。

「ねえ、さやかちゃん! 見て! あのてっぺん、なんだかポカポカしてそうじゃない?」

 

まどかが指さす先。

巨大な魔女の岩だらけの頭頂部。

そこに、一つだけ、ぽっかりと空いた洞穴のようなものがあった。そして、その穴の中から、微かに、本当に微かにだが、湯気のようなものが立ち上っているのが見えた。

 

その瞬間、あたしの頭の中で、バラバラだったピースが一つに繋がった。

マミさんの言っていた「秘密の源泉」。

杏子が見つけた「穢れの痕跡」。

そして、まどかが見つけた、あの湯気の立つ「洞穴」。

 

「…まさか…」

 

あたしは、信じられない思いでマミさんの方を振り返った。

マミさんは、あたしの視線に気づくと、「え?」という顔で、魔女の頭頂部を見上げた。そして、ああ!と叫ぶと、羞恥で顔を真っ赤に染めた。

 

「ご、ごめんなさい! 私としたことが、とんだ勘違いをしていたようだわ…!」

「勘違いって…マミさん、あんた、もしかして…」

 

「ええ…」

 

マミさんは、蚊の鳴くような声で白状した。

 

「私が『秘密の源泉』だと思っていたの、どうやら、この子の…」

 

「…頭のてっぺんのハゲだったみたい…!」

 

「「「「…………はぁ!?」」」」

 

あたしたち四人の、魂からの叫びが、森の中にこだました。

どうやら、あたしたちが必死に探していた天然温泉の正体は、この引きこもり魔女の、**頭頂部にある温泉(物理)**だったらしい。

しかも、よく見ると、その「温泉」の真ん中に、チロチロと黒い光を放つグリーフシードが、湯の花のように浮かんでいるではないか。

 

つまり、だ。

この魔女を倒すには、あの頭のてっぺんにあるグリーフシードを破壊するしかない。

そして、あたしたちが求めていた温泉に入るには、この魔女を倒して、頭のてっぺんのお湯を頂戴するしかない。

 

目的は、完全に一致した。

 

「…あんたのせいだからね、マミさん…」

あたしがジト目で言うと、マミさんは「うぅ…面目ないわ…」と顔を覆ってしゃがみこんでしまった。

完璧超人だと思っていた先輩の、あまりにも残念すぎる一面を見てしまった。

 

しかし、感傷に浸っている暇はない。

魔女は、二発目のブレスを溜め始めている。

あたしは、覚悟を決めて、仲間たちに向き直った。

 

「…こうなったら、やるしかないでしょ!」

「何をだい?」

キュゥべえが、いつの間にかほむらの肩に乗って尋ねる。

 

あたしはニヤリと笑い、ビシッと魔女の頭頂部を指さした。

 

「決まってるじゃない!」

 

「あのてっぺんにある、サイッコーの露天風呂に、一番乗りするのよ!」

 

---

 

「あのてっぺんにある、サイッコーの露天風呂に、一番乗りするのよ!」

 

あたしの突拍子もない作戦目標に、一瞬、仲間たちの動きが止まった。

最初に反応したのは、意外にも杏子だった。彼女は舌なめずりをすると、好戦的な笑みを浮かべた。

 

「露天風呂ねえ…。悪くねえ! 一番風呂はあたしがいただくぜ!」

「抜け駆けはさせないわよ!」

あたしも負けじと言い返す。

 

ほむらは冷静に現状を分析する。

「…なるほど。目的を『魔女の討伐』から『目標地点への到達』に切り替えるわけね。確かに、あの巨体を正面から破壊するより、一点突破で頭頂部を目指す方が、魔力消費は抑えられるわ」

「そういうこと! まどかとマミさんは、あたしたちが登るための援護をお願い!」

「うん、わかった!」

「ええ、任せてちょうだい! 先輩の威厳にかけて、必ず皆さんを頂上まで送り届けてみせるわ!」

 

どうやら、自分のせいでとんでもない事態になった責任を感じているらしい。マミさんの瞳には、いつになく真剣な炎が燃えていた。

 

作戦は決まった。

魔女のブレスが放たれる、その直前。

マミさんの号令が響き渡る。

 

「皆さん、行くわよ!」

 

マミさんのリボンが、魔女の巨体に向かって無数に射出され、岩肌の突起に絡みつき、即席の吊り橋や足場を次々と形成していく。それは、まるで巨大なアスレチックコースのようだった。

 

「うおおおおおっ!」

杏子が雄叫びを上げ、一番に飛び出した。槍を巧みに使ってリボンからリボンへと飛び移り、驚異的なスピードで駆け上がっていく。

 

「負けてられないわね!」

ほむらも、ワイヤーアクションと強化された身体能力を駆使し、ほとんど壁を垂直に走るような動きで杏子を追う。

 

「あたしだって!」

あたしも剣を岩肌に突き立て、それを支点に跳躍を繰り返す。

下からは、まどかの援護の矢が光の雨となって降り注ぎ、あたしたちの身体を軽くし、魔力を活性化させてくれる。

 

「さやかちゃん、右よ!」

マミさんの声に、あたしは咄嗟に右へ跳んだ。直後、あたしがいた場所を、魔女が振り回した岩の腕が薙ぎ払っていく。

マミさんは後方で指揮を執りながら、リボンで魔女の動きを牽制し、あたしたちの進路を確保してくれているのだ。

 

まさに、完璧な連携プレイ。

あたしたちは、ぐんぐんと高度を上げていく。

温泉(という名の魔女のハゲ)は、もうすぐそこだ!

 

「一番乗りはあたしだ!」

先行していた杏子が、最後の直線…魔女の肩から頭頂部へ続く坂道へと躍り出た。

 

しかし、魔女も黙ってはいない。

頭頂部を守るように、無数の使い魔が岩肌から湧き出てきた。それは、温泉マーク(♨)の形をした、湯気のもこもこしたクラゲのような使い魔だった。

 

「邪魔だ、どきやがれ!」

杏子が槍で使い魔を薙ぎ払うが、手応えがない。物理攻撃がすり抜けてしまうのだ。

 

「うわっ!」

使い魔の一体が、杏子の顔に張り付いた。

「あっち! あちちちち! なんだこいつ、熱湯みてえに熱いぞ!」

 

どうやら、あの使い魔は、高温の蒸気でできているらしい。

これじゃあ、近づけない!

 

杏子が熱さに悶えている隙に、ほむらがあっさりと彼女を追い抜いていく。ほむらは身体の周囲に薄い魔力のシールドを展開し、使い魔の熱を防ぎながら進んでいるようだ。

 

「くそっ、ほむらの奴!」

「佐倉さん、悪いけど、先に行かせてもらうわ」

「このままじゃ、ほむらに一番風呂を取られちゃう!」

 

あたしも焦る。

その時、後方からマミさんの声が飛んだ。

 

「さやかちゃん! これを!」

彼女が投げたのは、黄色く輝く魔力のリボンだった。

「そのリボンに魔力を通せば、一時的に『耐熱コーティング』ができるはずよ!」

「サンキュー、マミさん!」

 

あたしはリボンを剣に巻き付け、魔力を流し込む。剣が淡い光を帯びた。

これで、あの蒸気使い魔を斬れるはず!

 

あたしはコーティングした剣で使い魔を切り払いながら、先を行くほむらの背中を猛追する。

ゴールは目前。

温泉(ハゲ)の縁が、すぐそこに見えている。

 

その時だった。

ほむらが、なぜか急に足を止めた。

そして、ゆっくりとこちらを振り返ると、あたしと、あたしの少し後ろを走る杏子に向かって、静かに言った。

 

「…二人とも、先に行って」

「は? 何言ってんのよ、ほむら?」

 

ほむらは答えず、ただ魔女の足元…あたしたちが登ってきた崖の下を指さした。

そこには、この騒ぎを聞きつけて、心配そうにこちらを見上げる、まどかの姿があった。

 

魔女は、頭頂部に迫るあたしたちを、もはや腕で払うことはできないと判断したらしい。

その巨大な身体を、ゆっくりと、前のめりに、傾け始めていた。

狙いは、ただ一点。

地上にいる、無防備なまどかを、その巨体で押し潰すために。

 

「…まどかっ!」

あたしは絶叫した。

 

「ここは私が食い止める」

ほむらは冷静に告げた。

「時間停止は、もう使えない。でも、この足止めくらいなら、やってみせるわ。私のことは気にせず、早くグリーフシードを…!」

 

彼女は、たった一人で、あの山のような巨体を支えるつもりなのだ。

まどかを守るためだけに。

 

「…ふざけないでよ」

あたしの口から、低い声が漏れた。

「あんた、まだそんな戦い方してんの?」

 

「何…?」

 

あたしは、ほむらの横をすり抜け、温泉の縁へと走りながら叫んだ。

 

「もう、あんた一人に全部背負わせたりしないって、あたしたち、決めたでしょ!」

 

杏子も、あたしの隣に並ぶ。

「そういうこった。まどかを守るのは、てめえ一人だけの仕事じゃねえんだよ!」

 

あたしたちは、顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

そして、ほとんど同時に、魔女の頭頂部にある「露天風呂」へと、飛び込んだ。

 

**ザブーンッ!!**

 

生暖かいお湯が、身体を包む。

気持ちいい…とか言ってる場合じゃない!

 

お湯の中央で、黒く輝くグリーフシードが、心臓のように脈打っていた。

あたしと杏子は、水しぶきを上げながら、グリーフシードへと手を伸ばす。

 

「さあ、お風呂の時間よ、魔女さん!」

あたしが叫ぶ。

 

「これで、頭のてっぺんまで、よーく洗い流しな!」

杏子が吼える。

 

あたしたち二人の手が、同時に、グリーフシードを掴んだ。

そして、ありったけの魔力を込めて、握り潰す。

 

『ギ…』

 

魔女の、最期の断末魔が響き渡った、気がした。

 

次の瞬間、あたしたちの身体は、お湯と一緒に、空っぽになった火山の火口から、勢いよく空へと噴き上げられていた。

 

眼下では、巨大な魔女が、まるで砂の城のように、サラサラと崩れ落ちていく。

その巨体を一身に受け止めようとしていたほむらは、呆然と、その光景を見上げていた。

 

「…あとは、よろしくね! マミさん!」

 

あたしが空中で叫ぶと、地上から、完璧なタイミングでマミさんのリボンが伸びてきて、あたしと杏子の身体を、ふわり、と優しく受け止めてくれたのだった。

 

---

 

巨大な魔女が砂のように崩れ落ちた後には、広々としたすり鉢状の岩盤だけが残された。そして、その中央には、あたしたちが命懸けで飛び込んだ「露天風呂」が、こんこんと湯を湧き立たせている。どうやら、魔女が消えても、温泉そのものは残ったらしい。

 

「やったー! みんな、お疲れ様!」

地上で待っていたまどかが、駆け寄ってくる。

ほむらは、少し呆然とした表情であたしたちを見つめていたが、まどかの無事を確認すると、ふっと息をついて、いつものクールな表情に戻った。

 

「…無茶なことをするわね」

「あんたにだけは言われたくないっつーの!」

 

あたしと杏子は、マミさんのリボンで優雅に地上へと降り立つ。その手には、戦利品であるグリーフシードが、ずっしりと黒い輝きを放っていた。

 

「それにしても、変な魔女だったな」

杏子が、首を傾げながら言った。

「なんだか、いつもの魔女とは気配が違ったぜ。結界もなかったしよ」

 

その言葉に、あたしも頷いた。

確かに、思い返せばおかしなことだらけだ。魔女なら持っているはずの固有の結界(ラビリンス)がなかった。性質を示すルーン文字も、使い魔のデザインも、どこかちぐはぐだった。あれは、本当に「魔女」だったんだろうか?

 

あたしたちの疑問を察したように、いつの間にかそこにいたキュゥべえが、こともなげに解説を始めた。

 

「ああ、あれかい? あれは厳密には魔女じゃないよ」

「「「「はぁ!?」」」」

 

あたしたち四人の声がハモる。

まどかだけが「そうなの?」と不思議そうに瞬きをしていた。

 

キュゥべえは、まるで天気の話でもするかのように、淡々と続ける。

 

「あれは、この土地に古くからいる、ただの巨大な怪異さ。一種の精霊…とでも言うべきかな。普段は眠っているだけなんだけど、エネルギーを補給するために、近くにあるグリーフシードを吸収する習性があってね」

「な…! なんですって!?」

 

マミさんの、今日一番の絶叫が響いた。

あたしも、ようやく全てのカラクリを理解した。

 

「つまり、あんた、あたしたちを騙したのね!?」

あたしが詰め寄ると、キュゥべえは心外だと言わんばかりに耳をぴくぴくさせた。

 

「騙すなんて人聞きが悪いな。僕はただ、『穢れの痕跡があるから、この近くに厄介な奴がいる』と事実を述べただけだよ。それに、このまま放置すれば、君たちが集めた貴重なグリーフシードが、いつの間にか彼に吸い取られてしまう可能性があった。だから、ついでに退治しておけば、君たちにとっても合理的だと思ったのさ」

 

その言葉に、あたしのこめかみの血管がピキリと音を立てた。

こいつ、あたしたちがグリーフシードを必死に集めているのを知っていて、それを横取りするかもしれない存在を、わざと「魔女」と誤解させるように誘導したんだ!

 

「しかも…」

 

あたしは、怒りで震える声で、最後の疑問をぶつけた。

 

「しかも、その怪異ってやつ、もしかして…別に、人間に害はなかったんじゃないの…?」

 

キュゥべえは、その感情の読めない赤い瞳で、じっとあたしを見つめ返すと、

 

「うん。基本的に、何百年も寝てるだけだからね。人類にとっては、特に無害な存在だったと言えるだろうね」

 

「この淫獣めえええええええええええっ!!!」

 

あたしの絶叫と共に放たれた魔力の一撃が、キュゥべえがいた場所の地面を大きく抉った。白い悪魔は、ひょいとそれをかわし、森の奥へと姿を消していく。

『やれやれ、どうしてそんなに感情的になるのか、僕には全く理解できないよ』という、忌々しいテレパシーだけを残して。

 

あたしは、その場にがっくりと膝をついた。

あたしたちの死闘は、なんだったのか。

ただ、キュゥべえの都合で、寝てただけの無害な巨大生物を起こして、喧嘩を売って、ボコボコにしただけじゃないか。

しかも、原因はマミさんの盛大な勘違い。

 

「…もう、帰ろ…」

 

疲労感と虚脱感で、あたしは地面に大の字になった。

 

---

 

その日の夜。

マミさんのマンションの広々としたバスルームは、いつもと違う温かい湯気に満たされていた。

あたしたちは、五人全員で、あの岩山の頂上にあった天然温泉のお湯を、魔法の力で根こそぎ持って帰ってきたのだ。

 

湯船に肩まで浸かると、じんわりと身体の芯まで温まっていく。

ほのかに硫黄の香りがする、最高のお湯だった。

 

「はぁ〜…生き返る…」

 

あたしが思わず呟くと、隣にいたまどかが「うん、気持ちいいね、さやかちゃん!」と満面の笑みを浮かべた。

杏子は湯船の縁に頭を乗せ、すっかりくつろいでいる。

ほむらは…まあ、まどかの近くで満足げにしている。

マミさんは、持ち込んだアロマキャンドルを灯し、バラの花びらを湯船に浮かべて、優雅なバスタイムを満喫していた。

 

「まあ、色々あったけど…結果オーライ、ってことでいいか」

 

あの後、あたしたちは気づいた。

魔女(じゃなかったけど)のグリーフシードが手に入り、穢れは浄化できた。

そして、念願の暖かいお風呂にも入れた。

 

キュゥべえの思惑は腹立たしいし、マミさんのうっかりにも振り回されたけど、こうして五人でお風呂に入って、くだらない話で笑っていられるなら。

 

「…うん、まあ、いっか」

 

あたしは、湯気の中で小さく笑った。

 

奇跡の代償は、やっぱりどうしようもなくくだらなくて、理不尽で、でも、その先には、こんな温かい時間もちゃんと待っている。

それなら、まあ、悪くないのかもしれない。

 

あたしたちは、そんなことを思いながら、見滝原の夜空に浮かぶ、不格好な月を眺めていた。

 

 

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