魔法少女さやかマギカ 〜ワルプルギスの夜のあとで!   作:革新的甲殻類

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第4話_黒いアイツと乙女の絶叫!

 

 

見滝原市に、本格的な夏が訪れていた。

ワルプルギスの夜が去ってからというもの、気候までおかしくなったのか、今年の夏は例年になく蒸し暑い。

ライフラインは復旧しつつあるものの、電力供給は未だ不安定で、「節電」が市民の義務となっていた。

 

巴マミ邸のリビングも、例外ではない。

エアコンの設定温度は28度。優雅な間接照明は消され、窓が開け放たれている。風鈴の音がチリンと鳴るが、生温い風が入ってくるだけで、涼しさには程遠い。

 

「あー……あつい……」

 

あたし、美樹さやかは、フローリングの床にペタリとへばりついていた。冷たい床に頬を押し付けることで、わずかな涼を得ようという涙ぐましい努力だ。

 

「だらしないわよ、さやかちゃん。レディがそんな格好で」

 

マミさんは、額にうっすらと汗を浮かべながらも、扇子を優雅に仰いでいる。しかし、その紅茶を持つ手が震えているのは、きっと暑さのせいだけではないだろう。この部屋、熱気が籠もってサウナみたいになってるもん。

 

「だってぇ、暑いんだもん…。杏子なんて見てよ」

 

あたしが指さした先、ソファの上では、杏子がタンクトップ一枚になり、アイスキャンディーを齧りながら扇風機を独占していた。

 

「あ゛ー…ワレワレハ…ウチュウジンだ…」

「扇風機に向かって宇宙人ごっこするのはやめなさい」

 

ほむらは、部屋の隅で黙々と髪の手入れをしている。

「…暑さは集中力を削ぐわね。いっそ、時間停止魔法で空気の分子運動を止めて、局所的な絶対零度を作り出せば…」

「やめて! 部屋ごと凍るから!」

 

まどかは、そんなあたしたちを見て、苦笑いしながら団扇をパタパタさせてくれている。

「みんな、大丈夫? 麦茶淹れてこようか?」

「まどか…あんたが一番の天使だよ…」

 

そんな、気怠くも平和な夏の夜のことだった。

 

カサッ、と。

リビングの隅、観葉植物の影で、乾いた音がした。

 

「…ん?」

最初に反応したのは、野生の勘が鋭い杏子だった。彼女はアイスを咥えたまま、音のした方をじっと見つめる。

 

「どうしたの、杏子ちゃん?」

マミさんが不思議そうに尋ねる。

 

カサカサッ。

再び、音がした。今度は、テレビ台の裏側から。

 

「…何かがいる」

ほむらの目が、瞬時に戦闘モードに切り替わる。

「魔女の使い魔…? いや、魔力反応はないわ」

 

あたしたち五人の視線が、一点に集中する。

テレビ台の影から、そろり、と触角のようなものが二本、顔を出した。

そして、続いて現れたのは、黒光りする流線型のボディ。

すばしっこい足。

人類が本能的に恐怖と嫌悪を抱く、あのフォルム。

 

そう。

夏のリビングの帝王。

コードネーム『G』。

 

「…………」

 

一瞬の静寂。

時が止まったかのような静けさの中、そいつは触角をピクリと動かし、あろうことか、マミさんの方へ向かってカサカサと走り出した。

 

その瞬間。

 

「きゃああああああああああああああああああっ!!!」

 

マミさんの、優雅さの欠片もない悲鳴が、夜の見滝原に響き渡った。

 

「い、い、い、イヤアアアアッ! 来ないで! こっちに来ないでぇっ!!」

パニックに陥ったマミさんは、なんと自分のリボンを暴発させ、近くにあったアンティークの花瓶を粉砕した。

 

「マミさん落ち着いて! ただの虫だから!」

あたしが叫ぶが、マミさんは椅子の上に飛び乗り、涙目でガタガタ震えている。

「無理無理無理! 私、あれだけは本当にダメなの! 魔女より怖いのよおおおっ!」

 

「ちっ、しょうがねえな!」

杏子が食べ終わったアイスの棒を投げ捨て、槍を実体化させる。

「あたしが叩き潰してやるよ!」

 

「やめろ杏子! 家の中で長物を振り回すな!」

あたしの制止も聞かず、杏子は槍を振りかぶった。

「うらあああっ!」

ドゴォッ!

槍の一撃は、『G』がいた場所のフローリングを深々と抉った。しかし、奴はいない。驚異的な反射神経で回避し、今度は壁を登り始めている。

 

「速い…!」

ほむらが眼鏡を光らせた。

「物理攻撃による排除は、家屋への損害が大きいわね。ならば、ピンポイントで消滅させるしかない」

 

カチャリ。

ほむらの手には、いつの間にかデザートイーグル(大型自動拳銃)が握られていた。

 

「待て待て待て! ほむら、あんた室内で何撃とうとしてんの!?」

「動かないで。跳弾が危ないわよ」

「そういう問題じゃない!」

 

「えいっ!」

まどかが、とりあえず近くにあったクッションを投げつける。

ぽふん。

クッションは壁に当たり、『G』を優しく包み込んで床に落ちた。

 

「やった!?」

まどかが期待の声を上げる。

 

しかし。

クッションの下から、奴は無傷で這い出してきた。それどころか、興奮したのか、背中の羽根を広げ、ブブブブ…と不吉な羽音を立て始めた。

 

「と、飛ぶ気よ!?」

マミさんが白目を剥きかけている。

 

『G』は、あざ笑うかのように空へと舞い上がった。

その軌道は、一直線に、あたしの顔面へと向かっている。

 

「うわああああああっ!!」

 

あたしは咄嗟に剣を抜き、目の前で振るった。

しかし、空を切る音だけが響く。奴は空中で急旋回し、開け放たれた窓から、夜の闇へと飛び去っていった。

 

「………」

 

あとに残されたのは、

抉れたフローリング(杏子の仕業)。

割れた花瓶(マミさんの仕業)。

銃を構えたまま固まるほむら。

そして、へたり込むあたしたち。

 

「…に、逃げられた…」

あたしが力なく呟くと、ベランダの手すりに、いつもの白いアイツが現れた。

 

「やあ。地球の生物の進化は素晴らしいね。あのサイズで、魔法少女五人を手玉に取るとは。実に効率的な生存戦略だ」

「解説すんな!」

 

あたしは近くにあったティッシュ箱を投げつけた。

だが、このままでは終われない。

マミさんは「家の中にまだいるかもしれない」という恐怖で、今夜一睡もできないだろう。

それに、魔法少女としてのプライドが許さない。

 

「…追うわよ」

ほむらが、静かに言った。その瞳は、ワルプルギスの夜に挑む時と同じくらい真剣だった。

 

「奴を逃がせば、この家に安息はない。徹底的に追跡し、駆除する。それが、今夜のミッションよ」

 

「おう、やってやろうじゃねえか!」

杏子もやる気満々だ。

 

こうして、あたしたちは、熱帯夜の街へと、『G』一匹を仕留めるためだけに飛び出すことになった。

それが、まさかあんな怪奇現象に繋がるとも知らずに。

 

---

 

夜の見滝原市街地。

節電で薄暗くなったビルの屋上を、五つの影が疾走していた。

 

「目標、2時の方向へ逃走! 速度、時速40キロ!」

「速すぎでしょ、あいつ! 原付かよ!」

 

先頭を走る暁美ほむらが、暗視ゴーグル(どこから出した)越しに状況を報告し、あたしが全力疾走しながらツッコミを入れる。

あたしたちが追っているのは、魔女でも、使い魔でもない。

たった一匹の、黒光りする『G』だ。

 

「逃がしません…! 今夜という今夜こそは、あの忌まわしいフォルムをこの世から消滅させてやるわ!」

 

最後尾を走るマミさんは、もはや正気ではなかった。

彼女は走りながら、リボンから召喚したマスケット銃を、まるでマシンガンのように乱射しているのだ。

 

ダァン! ダァン! ダァン!

 

「マ、マミさん! 流れ弾! 危ないって!」

「黙りなさいさやかちゃん! 敵は神出鬼没なのよ! 制圧射撃で動きを封じるの!」

 

マミさんの放つ魔弾が、屋上の給水タンクや看板を次々と粉砕していく。

『G』は、その弾幕をあざ笑うかのように、ジグザグ走行で回避し、隣のビルの壁面へと飛び移った。

 

「壁走んな! 気持ち悪い!」

 

杏子が槍を伸ばし、壁ごと叩き潰そうとするが、奴はカサカサッという独特の動きでそれを回避する。

 

「くそっ、なんて回避性能だ! ワルプルギスの夜よりタチが悪いぞ!」

「いえ、動きが直線的ではないわ。フェイントを混ぜている…!」

 

ほむらが冷静に分析しながら、サブマシンガンを取り出す。

「この動き…おそらく、ニュータイプよ」

「虫にその概念持ち込まないで!」

 

あたしたちは、ビルからビルへと飛び移りながら、必死の追跡を続けた。

はたから見れば、魔法少女たちが夜の街を守るためにパトロールしている勇姿に見えるかもしれない。

だが、現実は害虫駆除だ。しかも、かなり手こずっている。

 

「まどか! あいつがこっちに来たら、光の矢で照らして! 黒くて見えない!」

「う、うん! 任せて!」

 

まどかが弓を引き、閃光弾のような矢を放つ。

パッと周囲が明るくなり、奴の姿が浮かび上がった。

奴は、ビルの屋上の端っこ、フェンスの上に止まり、こちらの様子を伺うように触角を揺らしている。

 

「見つけたわ…!」

マミさんの目が据わった。

「ティロ……」

 

巨大な大砲を召喚しようとするマミさんを、あたしは慌てて羽交い締めにした。

「ダメですマミさん! 街中でティロ・フィナーレ撃ったら、あたしたちが警察に捕まります!」

「離してさやかちゃん! 恐怖は火力でしか払拭できないのよ!」

「名言っぽく言ってもダメ!」

 

その隙に、『G』は再び動き出した。

今度は、地上へと向かってダイブしたのだ。

それも、ただ落ちたのではない。

背中の羽根を広げ、ブブブブ…という不快な羽音を立てながら、滑空を始めたのだ。

 

「と、飛んだあああああっ!!」

「追うわよ!」

 

あたしたちは屋上から飛び降り、空中で変身後のマントやリボンを広げ、奴の後を追う。

夜風を切って降下する中、奴の向かう先が見えた。

 

そこは、見滝原市の外れにある、不法投棄されたゴミが山積みになった裏路地。

通称『ゴミ屋敷通り』と呼ばれる、衛生状態の最悪なエリアだった。

 

「うげぇ…あんなところに逃げ込む気かよ」

杏子が顔をしかめる。

「あそこなら、仲間がいっぱいいるかもしれないわね…」

まどかの純粋すぎる推測が、あたしたちの精神にクリティカルヒットを与える。

「やめてまどか! 想像したくない!」

 

『G』は、ゴミの山の隙間にある、マンホールの蓋の割れ目へと滑り込もうとしていた。

逃げ込まれたら、おしまいだ。

 

「逃がすかぁッ!」

 

あたしは空中で加速した。

剣を抜き放ち、奴の進行方向へと投擲する。

カキンッ!

剣はマンホールの蓋に突き刺さり、奴の退路を塞いだ。

 

「ナイスよ、さやか!」

 

着地したあたしたちは、マンホールの蓋の上で立ち往生している『G』を、半円形に取り囲んだ。

 

前には突き刺さった剣。

後ろには、殺気立った魔法少女五人。

絶体絶命。チェックメイトだ。

 

「…年貢の納め時ね」

マミさんが、冷酷な笑みを浮かべて銃口を向ける。

「私の平穏な夜を乱した罪、万死に値するわ」

 

「覚悟しな、黒光り野郎」

杏子が槍を振り上げる。

 

「…ターゲット、ロックオン」

ほむらの指が引き金にかかる。

 

あたしたちが一斉に攻撃を仕掛けようとした、その時だった。

 

『G』が、くるり、とこちらを向いた。

そして、その小さな身体が、ぼうっ、と赤黒い光に包まれた。

 

「…え?」

 

次の瞬間。

あたしたちの目の前で、信じられない現象が起きた。

 

マンホールの蓋の下から、どす黒い泥のようなものが溢れ出し、それが『G』を飲み込んだかと思うと、周囲の空間がぐにゃりと歪み始めたのだ。

ゴミの山が、壁の落書きが、そしてマンホールが、不気味なコラージュのように混ざり合い、極彩色のアートへと変貌していく。

 

「こ、これって…!」

 

見慣れた光景。

聞き慣れた不協和音のBGM。

そして、鼻をつく独特の魔力の匂い。

 

「魔女の結界!?」

 

あたしが叫ぶと同時に、キュゥべえの声が頭に響いた。

『やれやれ。どうやら君たちが追っていたのは、ただの虫じゃなかったみたいだね』

 

「どういうこと!?」

 

『あれは、使い魔だよ。この場所に巣食う魔女が放った、偵察用の使い魔さ』

 

「つ、使い魔…!?」

 

あたしたちが驚愕している間に、結界は完全に形成された。

そこは、巨大な台所と、腐った生ゴミの山が無限に続く、悪夢のような空間だった。

そして、その奥から、無数の『G』の羽音が、大合唱のように聞こえてくる。

 

ブブブブブブブブブ……

 

マミさんの顔色が、青を通り越して土色に変わった。

 

「…嘘、でしょう…?」

 

現れたのは、先ほどの『G』が可愛く見えるほど巨大な、体長2メートルはあるであろう、リアルな『G』型の使い魔の大群。

そして、その中心に鎮座するのは、黒光りする甲冑を纏った、女王のような魔女。

 

「……ひッ」

 

マミさんの喉から、短い悲鳴が漏れた。

そして、彼女は白目を剥いて、その場に気絶した。

 

「マミさァァァァァン!!」

 

あたしの絶叫が響く。

最悪だ。

よりによって、マミさんの天敵(トラウマ)が具現化したような魔女の巣窟に、あたしたちは自ら飛び込んでしまったのだ。

しかも、主力火力であるマミさんは戦闘不能。

 

「…これ、詰んでない?」

 

杏子の乾いた呟きに、誰も反論できなかった。

真夏の夜の悪夢は、ここからが本番だった。

 

---

 

「ブブブブブ……」

「カサカサカサカサ……」

 

耳を覆いたくなるような不快な羽音と、硬質な足音が、全方位から迫ってくる。

ここは地獄だ。間違いなく、ワルプルギスの夜よりも性質が悪い、精神的な地獄だ。

 

「くそっ! 近寄るんじゃねえ!」

 

杏子が槍を振り回し、飛びかかってきた巨大G(使い魔)を突き刺す。

グシャッ、という嫌な感触と共に、使い魔が弾け飛び、黄色い体液が周囲に飛び散った。

 

「うげぇ……! 槍についた! なんかネバネバしてる! 最悪だ!」

「杏子! こっちに飛ばさないでよ!」

 

あたしは気絶したマミさんを引きずりながら、必死で剣を振るった。

斬れば体液が飛ぶ。叩けば潰れる音がする。

物理的なダメージはないけれど、精神力(SAN値)がゴリゴリ削られていくのが分かる。

 

「ほむら! なんとかしてよ! あんたの重火器なら!」

「無理よ! 爆発させれば、中身が広範囲に飛散するわ。それは『二次災害』よ!」

 

ほむらが青ざめた顔で叫ぶ。

確かにその通りだ。こいつらを爆破なんてしたら、あたしたちは体液まみれになって、社会的に死ぬ。

 

「まどか! マミさんを起こして! この状況を打開できるのは、マミさんの広範囲魔法しかないの!」

「う、うん! マミさん! 起きて! 起きてくださいマミさん!」

 

まどかが必死にマミさんの肩を揺さぶる。

その呼びかけに、マミさんの瞼がピクリと動いた。

 

「はっ……!」

 

マミさんが目を覚ました。

あたしは歓喜した。よかった、これで勝てる!

 

「マミさん! お願いします! 奴らを一掃して……」

 

しかし。

起き上がったマミさんの瞳は、どこか遠くを見ていた。焦点が合っていない。虚ろな瞳で、彼女はふわりと微笑んだ。

 

「……あら? ここはどこかしら? 一面に広がるお花畑……チョウチョが飛んでいるわ……」

 

「現実逃避してるゥゥゥゥッ!?」

 

マミさんの精神は、あまりの恐怖に耐えきれず、自衛本能によって脳内お花畑へと亡命してしまっていた。

「うふふ、捕まえてごらんなさい……」とか言いながら、見えないチョウチョと戯れ始めている。ダメだ、この人はもう戦力外だ。

 

その隙にも、包囲網は狭まってくる。

そして、結界の最奥に鎮座していた女王(魔女)が、ギチギチと牙を鳴らしながら、ゆっくりと動き出した。

 

その大きさは、軽自動車くらいある。

背中の羽根には、油を塗ったようなテラテラとした光沢があり、長い触角がムチのようにしなっている。

 

『ギチチチチ……』

 

魔女が触角を振り上げると、周囲の使い魔たちが一斉に興奮し、動きを加速させた。

 

「くるわ!」

 

ほむらが叫ぶと同時に、魔女が突進してきた。

その巨体からは想像もできないスピード。黒い弾丸のようなタックルだ。

 

「危ないっ!」

 

あたしはマミさんとまどかを庇って前に出る。

剣で受け止めるが、重い!

ガギィン! と金属音が響き、あたしは数メートル吹き飛ばされた。

 

「ぐっ……! 力も強いなんて、反則でしょ!」

 

「さやか!」

杏子がカバーに入ろうとするが、数匹の使い魔に足止めされている。

「離せ! こんの、虫ケラどもが!」

 

魔女は追撃の手を緩めない。

今度は、口からドス黒い霧のようなものを噴射してきた。

 

「毒ガス!?」

「いいえ、あれは……フェロモンよ!」

ほむらがハンカチで口元を覆いながら警告する。

 

その霧を浴びた瞬間、周囲の使い魔たちの目が赤く光り、凶暴化した。

動きが倍速になり、統制が取れ始める。

あたしたちは完全に包囲され、逃げ場を失った。

 

「やばい……マジでやばいかも」

 

冷や汗が頬を伝う。

魔法少女になって、魔女に食われて死ぬ覚悟はしていた。

でも、巨大なGに集団で襲われて、かじられて死ぬなんて……そんな最期、絶対に嫌だ! 尊厳に関わる!

 

「……仕方ないわね」

 

追い詰められた状況で、ほむらが静かに眼鏡の位置を直した。

彼女は盾の中に手を突っ込み、何か巨大なボンベのようなものを取り出した。

そこには『業務用・対害虫最終兵器』という物騒なラベルが貼られている。

 

「ほむら、それって……」

「昨夜、通販で見つけた海外製の強力殺虫ガスよ。これを使えば、この空間の酸素ごと奴らを殲滅できるわ」

「あたしたちも死ぬんじゃない!?」

「呼吸を止めていれば平気よ。……たぶん」

 

たぶんって言った!

でも、背に腹は代えられない。

ほむらが安全ピンを抜こうとした、その時だった。

 

「……許さない」

 

低い、地を這うような声が聞こえた。

 

「え?」

 

あたしたちが振り返ると、そこには、ゆらりと立ち上がる巴マミの姿があった。

さっきまでの虚ろな表情は消えている。

しかし、いつもの優雅な笑顔もない。

 

あるのは、般若のような形相と、極限まで見開かれた瞳孔。

そして、全身から立ち上る、黄金色の怒りのオーラ。

 

「私の……私の平穏で優雅なティータイムを邪魔し……あまつさえ、乙女の肌にその不浄な姿を晒した罪……」

 

マミさんが、ゆっくりと両手を広げる。

その背後に、無限とも思える数のマスケット銃が、扇状に展開された。

その数、百、二百……いや、もっとだ。結界の空を埋め尽くすほどの銃口が、全て魔女と使い魔たちに向けられている。

 

「マ、マミさん……?」

 

「……消毒してあげるわ」

 

マミさんのソウルジェムが、眩いばかりの光を放つ。

それは希望の光ではない。

恐怖と殺意が臨界点を超え、一種の悟りの境地(バーサーカーモード)に達した、破壊の光だ。

 

「ティロ・フィナーレ……」

 

マミさんは、優しく、しかし冷酷に微笑んだ。

 

「―――ジェノサイド・バージョン!!」

 

引き金が引かれた。

それはもはや、銃撃ではなかった。

黄金の光の奔流。

レーザービームのような弾幕が、結界内の全てを白く染め上げていく。

 

「きゃあああああ! こっちまで巻き添えよ!」

「伏せろおおおおっ!」

 

あたしたちは慌てて地面に這いつくばり、頭を抱えた。

頭上を、殺虫剤よりも遥かに強烈な、物理的な浄化の嵐が吹き荒れる。

 

「死ねぇぇぇぇぇっ! 汚物は消毒よぉぉぉぉっ! アハハハハハハハハッ!」

 

高笑いと共にトリガーを引き続けるマミさん。

その姿は、誰よりも頼もしく、そして誰よりも魔女に近かった。

 

あたしは薄れゆく意識の中で思った。

やっぱり、怒らせちゃいけない人を怒らせると、ロクなことにならないんだ、と。

 

---

 

バシンッ!!

 

乾いた音が、深夜のリビングに響き渡った。

あたしの右手には、マミさんの来客用高級スリッパ。

そして、その下には。

 

「…………」

 

あたしは、恐る恐るスリッパを持ち上げた。

そこには、ぺちゃんこになった黒い物体が、ピクリとも動かずに張り付いていた。

 

「……やった」

 

あたしは、震える声で呟いた。

 

「……とったどーーーーーーっ!!」

 

あたしがスリッパを高々と掲げると(汚いけど)、リビングに歓声が上がった……わけではなかった。

 

「うげぇ……見せんなよさやか、食欲失せるだろ」

杏子が顔をしかめる。

 

「ターゲットの生命反応消失を確認。……ミッションコンプリートよ」

ほむらが銃を下ろし、冷や汗を拭う。

 

「よかったぁ……本当によかったぁ……」

まどかがへなへなと座り込む。

 

そして、マミさんは。

 

「…………」

 

彼女は、あたしの手にあるスリッパと、破壊し尽くされた自分のリビングを交互に見つめ、ふっ、と優雅に微笑んだ。

 

「……もう、寝ましょうか」

 

「え?」

 

「明日は明日の風が吹くわ。今の私には、これ以上の現実を受け止めるキャパシティは残っていないの」

 

マミさんは、幽体離脱しそうなほど透き通った笑顔でそう言い残すと、フラフラと自分の寝室へ戻ろうとし――

 

ドサッ。

 

その場に崩れ落ちて、優雅に気絶した。

本日二度目のダウンである。

 

「マミさんーーーっ!!」

 

---

 

その後、あたしたち(主にまどかとあたし)は、マミさんをソファに寝かせ、散乱したガラス片やリボンを片付け、破壊された床にはとりあえず座布団を置いて隠した。

 

時計の針は、午前3時を回っている。

 

「……はぁ。とんだ夜だったわね」

 

片付けを終え、あたしたちはリビングのラグの上に雑魚寝状態で転がっていた。

エアコンは効いているはずなのに、全員、汗と疲労でボロボロだ。

 

窓辺には、またしてもあの白い悪魔が座っている。

 

「やれやれ。たかが一匹の昆虫を駆除するために、魔女討伐以上のエネルギーを消費するなんて。君たちのエネルギー収支は、宇宙的に見ても赤字だよ」

 

キュゥべえが呆れたように尻尾を振る。

 

「うるさい……」

あたしは、スリッパを投げる気力もなく、寝転がったまま呟いた。

「これは……人間の尊厳を守る戦いだったのよ……」

 

「そうね。……不思議と、達成感はあるわ」

ほむらが、珍しく同意した。彼女もまた、まどかの安眠を脅かす敵を排除できたことに満足しているらしい。

 

「ま、いい運動にはなったな。腹減ったから、冷蔵庫のプリン食っていいか?」

「ダメに決まってるでしょ! 明日の朝、マミさんが目覚めた時の慰めにするの!」

 

杏子の頭をペシッと叩く。

 

静寂が戻った部屋に、五人の寝息だけが重なる。

マミさんの家はボロボロになったし、あたしたちはヘトヘトだ。

でも、あの黒い悪魔はもういない。

それだけで、今夜は安心して眠れる。

 

「……ねえ、みんな」

 

まどかが、眠そうな声で言った。

 

「明日は、みんなでお部屋の修理、しようね」

 

「ああ、そうだな」

「ええ、手伝うわ」

「マミさんに請求書渡されないように、頑張らないとね」

 

あたしたちは小さく笑い合った。

 

ワルプルギスの夜を倒しても、あたしたちの戦いは終わらない。

空腹、退屈、そして害虫。

日常という名の戦場は、魔女の結界よりも手強いのかもしれない。

 

でも、まあ。

一人じゃないなら、なんとかなる。

 

「おやすみ……」

 

誰かの寝言を合図に、あたしたちの意識は深い眠りへと落ちていった。

夢の中では、どうか平和なティータイムが過ごせますように。

そう祈りながら。

 

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