魔法少女さやかマギカ 〜ワルプルギスの夜のあとで! 作:革新的甲殻類
外はしとしとと雨が降っていた。
梅雨の終わりの、生温い夜。
節電中の薄暗いリビングで、あたしたち五人は車座になって座っていた。
中央のローテーブルには、マミさんが用意したノンアルコールのスパークリングジュース(ロゼ)と、可愛らしいマカロン、そして数種類のスナック菓子が並べられている。
マミさんは、少し頬を紅潮させ(ジュースなのに)、いたずらっぽく微笑んで宣言した。
「今夜は……『パジャマパーティー』を開催します!」
「パジャマパーティー?」
杏子がポテチを齧りながら首を傾げる。
「何すんだよそれ。また変な儀式か?」
「違うわよ、杏子ちゃん。女の子同士で集まって、夜通し語り明かす……それは乙女の憧れ、青春の1ページなのよ!」
マミさんの鼻息が荒い。どうやら彼女の中で「理想の中学生ライフ」を取り戻すキャンペーンが絶賛開催中らしい。
まどかも「わあ、楽しそう!」と目を輝かせている。
ほむらは「……非生産的ね」と呟きつつも、まどかが楽しそうなので帰ろうとはしない。
「で、具体的に何話すわけ?」
あたしが尋ねると、マミさんは待ってましたとばかりに、一枚のカードを取り出した。そこには、ピンク色のフェルトペンで、デカデカとこう書かれていた。
**【 テーマ:好きな人はいますか? 】**
「…………」
一瞬の静寂。
そして、杏子が吹き出した。
「ぶっ! なんだよそれ! いきなりド直球だなオイ!」
「い、いいじゃない! 恋バナよ、恋バナ! 女の子が集まったら、これをするのが鉄則なのよ!」
マミさんは必死だ。
あたしは苦笑いした。恋バナかぁ……。
正直、今のあたしにはちょっと胸が痛いテーマだけど、まあ、みんなの話を聞くのは悪くないかもしれない。
「じゃあ、言い出しっぺのマミさんからどうぞ」
あたしが振ると、マミさんは「えっ!?」と動揺し、急に視線を泳がせた。
「わ、私!? そ、そうね……私は、その……魔法少女としての使命に生きてきたから、そういう浮ついた話は……」
「いないんだ」
「いないのね」
「いないんですね……」
あたしと杏子とまどかの三連コンボに、マミさんが「うぅ……」と撃沈する。
やっぱり。この先輩、見た目は大人っぽいのに、中身は中学生レベル……いや、それ以下かもしれない。
「じゃあ、次は杏子!」
「ああん? あたしかよ」
杏子は面倒くさそうに頭をかいた。
「あたしはなぁ……ま、食い物の好みが合う奴なら、悪くねえかな」
「それだけ!?」
「重要だろ? 美味いもんを一緒に食って『美味いな』って言い合える。それ以上の関係なんて、この世にねえよ」
「うーん、深いような、単に食い意地が張ってるだけのような……」
杏子らしい答えだ。
次は……と視線を向けると、暁美ほむらが、静かに、しかし強烈な眼力でこちらを見ていた。
「……私は、いるわ」
「えっ!?」
全員が驚いた。あのクールなほむらに、好きな人が!?
ほむらは、手元のグラスを見つめながら、ポツリポツリと語り始めた。
「その人は……とても優しくて、暖かくて……私の人生の全てを捧げても惜しくない、唯一無二の存在よ」
「お、おお……(重い……)」
「何度時を越えても、どんな姿になっても、私はあの方を想い続けるわ。あの方が笑ってくれるなら、私は世界を敵に回してもいい」
「ほむらちゃん、それ『好き』っていうか、もう『信仰』の域に入ってない……?」
まどかが引きつった笑顔で突っ込むが、ほむらは聞こえていない。その視線は、熱烈にまどかへと注がれているのだが、当のまどかは「ほむらちゃんって、ロマンチストなんだねえ」と全く気づいていない。鈍感すぎる。
「じゃあ、まどかは?」
「え、私? うーん……」
まどかは指を顎に当てて、少し考え込んだ。
「私は、みんなのことが大好きだよ! さやかちゃんも、ほむらちゃんも、マミさんも杏子ちゃんも! みんなとずっと一緒にいられたら、それが一番幸せかなあ」
「「「「天使……!」」」」
まどかの答えは、模範解答にして最強の回答だった。この場が一気に浄化される。ほむらが拝んでいる。
「さて、最後は……」
全員の視線が、あたしに向けられた。
美樹さやか。
幼馴染の上条恭介に、長年片思い中。彼の手を治すために魔法少女になった、筋金入りの恋する乙女。
「……あたしは、まあ、知ってると思うけど」
あたしは少し照れくさそうに、膝を抱えた。
「……恭介、かな。あいつ、ヴァイオリン弾いてる時だけは、本当にかっこいいんだよね。今はまだリハビリ中だけど、いつかまた、あの音色が聴けたら……って思うと、なんか頑張れるっていうかさ」
あたしの言葉に、マミさんが「素敵だわ、さやかちゃん!」とハンカチで目頭を押さえた。
杏子は「けっ、甘酸っぺえな」とニヤニヤしている。
場の空気が、ほんのりとピンク色に染まった、その時だった。
『素敵……ステキ……』
『恋……愛……切ナイ……』
どこからともなく、甘ったるい声が聞こえてきた。
そして、リビングの空間が、ピンク色の霧に包まれ始めた。
「な、なによこれ!?」
「甘い匂い……?」
霧の中から現れたのは、ハート型の風船を持った、天使のような羽を生やした使い魔たち。
そして、部屋の中央に、巨大なラブレターの形をした魔女が出現した。
「魔女!? まさか、あたしたちの恋バナに反応して!?」
マミさんが叫ぶ。
キュゥべえがひょっこりと現れ、解説を入れた。
『これは『妄想の魔女』だね。思春期の少女たちの、行き場のない恋愛感情や妄想をエネルギー源にしているんだ。君たちの会話が、あまりにも高カロリーな「恋のエネルギー」を放出したから、呼び寄せられたんだろうね』
「あたしたちのせいかよ!!」
パジャマパーティーは一転、強制的に「恋の修羅場(バトル)」へと突入することになった。
しかもこの魔女、とんでもなく厄介な能力を持っていたのだ。
---
「変身よ! みんな!」
マミさんの号令と共に、パジャマ姿だったあたしたちの身体が光に包まれる。
一瞬にして、いつもの魔法少女の衣装へとチェンジした。狭いリビングで五人が一斉に変身したため、光の余波でポテチの袋が舞い、クッションが吹っ飛んだが、今は気にしている場合じゃない。
目の前には、巨大なラブレターの姿をした『妄想の魔女』。
周囲には、ハート型の風船を持った天使のような使い魔たちが、不気味にクスクスと笑いながら浮遊している。
「ちっ、せっかくくつろいでたのによぉ! 恋バナの邪魔たぁいい度胸じゃねえか!」
杏子が一番槍で突っ込む。
彼女の槍が、魔女の本体であるラブレターを貫こうと伸びる。
「まずは、そのふざけた紙切れをビリビリに破いてやる!」
しかし。
魔女はヒラリと身を翻すと、その封筒の口をガバッと開いた。
そこから放たれたのは、攻撃魔法でも、物理的な打撃でもなかった。
『❤ドキッ☆恋のハプニングビーム❤』
ピンク色の、甘ったるい香りのする光線が、杏子を直撃した。
「うおっ!? な、なんだこりゃ!?」
光に包まれた杏子の動きがピタリと止まる。
そして、彼女の周囲の空間だけが、なぜか少女漫画のような『キラキラフィルター』に覆われた。
「な、なに!? 杏子、どうしたの!?」
あたしが叫ぶと、杏子は虚ろな目で、何もない空間に向かって頬を赤らめ始めた。
「……え? なんだよ、お前……。あたしの食いかけのポッキー……逆側から食べる気かよ……?」
「「「「はぁ!?」」」」
杏子が、見えない相手(彼氏?)と会話を始めた。
「ば、バカ野郎……近いって……。そんな真っ直ぐ見んじゃねえよ……。……しゃあねえな……一口だけだぞ……?」
杏子は槍を放り出し、空中に向かって口を尖らせ、目を閉じている。
完全に、妄想の世界にトリップしている。
『解説しよう。この魔女の攻撃を受けた者は、自身が心の奥底で望んでいる「理想の恋愛シチュエーション」の幻覚に囚われ、現実世界に戻ってこられなくなるんだ』
キュゥべえが、どこか楽しげに解説する。
「精神攻撃系かよ! しかも一番恥ずかしいやつ!」
あたしが突っ込んでいる間に、使い魔たちがマミさんに襲いかかる。
「佐倉さんをあんな姿にするなんて……! 私が目を覚まさせてあげるわ!」
マミさんがマスケット銃を構える。
しかし、魔女はすかさず第二波を発射した。
『❤運命の曲がり角ビーム❤』
「きゃあっ!」
光線を浴びたマミさんの周囲に、幻影の『食パン』と『通学路の曲がり角』が出現した。
マミさんの目が、乙女チックな輝きを帯びる。
「いけない! 遅刻、遅刻〜!」
マミさんは、幻覚の食パンを口にくわえ、その場で足踏みを始めた。
「急がないと、転校初日から遅刻しちゃうわ! ……あっ!」
マミさんは何もない空間で派手に転び、そして見上げながら、うっとりと呟いた。
「……い、痛っ……。ごめんなさい、私……え? 手を貸してくれるの……? あなたは、隣のクラスの……サッカー部のエース様!?」
「設定がベタすぎる!!」
あたしのツッコミも虚しく、マミさんは見えないサッカー部のエース様に手を引かれ、顔を真っ赤にしてモジモジしている。
「ええ……はい……。放課後、屋上で……?」
ダメだ。この先輩、妄想力が強すぎて、完全に自分の世界に入り込んでいる。
「……くだらないわね」
冷ややかな声と共に、ほむらが前に出た。
「精神干渉ごときで、私の鋼の理性が揺らぐとでも?」
彼女は冷静に、魔女に銃口を向ける。
「悪いけれど、私の心は既に一人の人間に占有されているの。あなたの入り込む隙間なんて、1ミリもないわ」
おお、さすがほむら。頼もしい。
しかし、魔女はその言葉を待っていたかのように、一層禍々しい、どす黒いピンク色の光線を放った。
『❤激重・共依存ビーム❤』
光線はほむらの盾で防がれた……かに見えたが、シールドを貫通して彼女を包み込んだ。
「……っ!」
ほむらが膝をつく。
そして、ゆっくりと顔を上げた時、その瞳孔は限界まで開いていた。
「……あぁ……まどか……」
ほむらは、あたしの後ろにいる本物のまどかではなく、空中に浮かんだ『巨大なまどかの幻影』を見上げていた。
「そうよ……あなたは何もできなくていいの……。手足なんて動かなくていい……。私が全部やってあげる……。ご飯も、お着替えも、お風呂も……私が全部……一生……永遠に……」
「ひいっ!?」
本物のまどかが、ドン引きしてあたしの背中に隠れた。
ほむらの妄想は、恋愛というより、もはや監禁とか飼育に近い何かだった。
彼女は恍惚とした表情で、幻影のまどかの足を舐めるような仕草をしている。
「やめてほむら! それ以上は放送できない!」
あたしは絶叫した。
五人のうち、三人が戦闘不能。しかも、全員が黒歴史確定の恥ずかしい姿を晒している。
残るは、あたしとまどかだけ。
魔女が、ギロリとあたしを見た。
その封筒の口が、ニヤリと笑ったように歪む。
『次ハ……オ前ダ……美樹サヤカ……』
「くっ……!」
あたしは剣を構えるが、足が震える。
怖い。死ぬことよりも、自分の恥ずかしい妄想を、まどかの前で晒されることが怖い!
だって、あたしの妄想なんて、相手はアイツ(恭介)に決まってるんだから!
「に、逃げるよまどか! ここはいったん退却……」
「待って、さやかちゃん」
まどかが、震える手で、あたしの腕を掴んだ。
「……私、みんなを助けたい」
「まどか……?」
「みんな、あんなに幸せそうな顔してるけど……あれは嘘だもん! 本当の幸せじゃないもん!」
まどかは、ピンクの弓をギュッと握りしめた。
その瞳には、強い決意が宿っていた。
「私が、みんなの目を覚まさせる!」
まどかが前に出る。
それを見た魔女は、最大出力のビームをチャージし始めた。
『❤アルティメット・デリュージョン(究極妄想)・バースト❤』
極太のピンク色の光線が、まどかに向かって放たれる。
「まどかァッ!!」
あたしが手を伸ばすよりも早く、まどかは光線に飲み込まれた。
終わった。
あの純粋なまどかが、どんなドロドロした妄想を見せられるのか。
あたしは恐怖で目を覆った。
しかし。
「…………あれ?」
数秒経っても、まどかの様子がおかしい。
彼女は、光線の中で、ただキョトンとしていた。
「……? 何も、起きないよ?」
『ナ、ナゼダ……!?』
魔女が動揺している。
キュゥべえが、驚愕の事実を告げた。
『まさか……。鹿目まどか。彼女は、あまりにも純粋すぎて、自分自身の欲望や、都合の良い妄想というものを持っていなかったんだ……!』
「無欲!?」
『彼女の願いは、常に「みんなの幸せ」だ。だから、「自分だけの都合の良い恋」という概念が、彼女の中には存在しない……! この魔女にとって、彼女は天敵だ!』
まどかは、無傷で光の中から歩み出た。
そして、弓を引き絞り、魔女を見据える。
「みんなの恥ずかしい姿を……これ以上、見世物にしないで!」
まどかの反撃が始まる。
しかし、あたしは知らなかった。
無欲な彼女が放つ「正論」こそが、妄想に浸る乙女たちにとって、最も残酷な一撃になることを。
---
「みんなの目を覚まさせる!」
そう宣言した鹿目まどかは、いつになく凛々しかった。
彼女はピンクの弓を引き絞ると、魔女ではなく、まずは一番近くで妄想に耽っているマミさんに狙いを定めた。
「いくよ! 必殺・現実(リアル)回帰アロー!」
ヒュンッ!
放たれた光の矢は、マミさんの脳天に吸い込まれるように命中した。
物理的なダメージはない。しかし、その矢には、まどかの純粋すぎる「事実の指摘」という概念が付与されていた。
「はっ……!?」
マミさんの動きが止まった。
彼女の視界を覆っていた『少女漫画フィルター』にヒビが入る。
そこへ、まどかの容赦ない「呼びかけ(追い討ち)」が飛んだ。
「マミさん! 起きて! そこにサッカー部のエース様はいないよ! マミさんが手を繋いでるのは、**リビングのカーテンのタッセル(房)**だよ! それに、口にくわえてるのは食パンじゃなくて、**さっき杏子ちゃんが放り投げたクッションの角**だよ!」
「…………え?」
マミさんの瞳から、キラキラした光が消えた。
彼女がおそるおそる自分の手元を見ると、そこにはエース君の逞しい手ではなく、埃っぽいカーテンの紐が握られていた。
そして口元には、よだれで濡れたクッション。
「……いやァァァァァァァッ!!」
マミさんは顔を覆ってその場にうずくまった。
「私……私ったら、一人でカーテンに向かって『遅刻しちゃう』だなんて……! しかもクッションを……! 穴があったら入りたい! いや、ティロ・フィナーレで自分を撃ち抜いて消滅したい!」
「よし、マミさんは戻ったね!」
まどかは満足げに頷くと、次は杏子に狙いを定めた。
「次は杏子ちゃん!」
ヒュンッ!
矢が命中する。
「杏子ちゃん! そこに彼氏はいないよ! 杏子ちゃんが口を尖らせて『んーっ』ってしてるのは、ただの虚空だよ! **はたから見ると、すっごく変な顔になってるよ!**」
「ぶフォッ!?」
杏子はむせ返り、現実に引き戻された。
自分が今まで、虚空に向かってキス待ち顔を晒していたという事実に気づき、その顔が瞬時に茹でダコのように赤くなる。
「わ、わわ、悪かったな! 忘れてくれ! 今のはノーカンだ! 頼むから記憶から消去してくれぇぇっ!」
杏子は槍を振り回して暴れ始めた。羞恥心が限界突破したらしい。
「最後はほむらちゃん!」
まどかの矢が、恍惚とした表情のほむらに突き刺さる。
「ほむらちゃん! 私、そんなに何もできない子じゃないよ! お着替えもご飯も一人でできるもん! **介護みたいな愛され方は、ちょっと重いかなって思うの!**」
ズドォォォォン!!
ほむらの脳内に、隕石級の衝撃が走った。
最愛のまどかからの、直球すぎる「重い」発言。
彼女の作り出した『共依存パラダイス』は、ガラス細工のように砕け散った。
「……まどか……。私は……ただ、あなたの全てを……」
「ううん、気持ちは嬉しいけど、自立は大事だよ!」
ほむらは真っ白に燃え尽き、灰のように崩れ落ちた。
精神的ダメージは、彼女が一番大きそうだ。
「す、すごい……」
あたしは震えていた。
まどかの「正論」攻撃は、魔女の攻撃よりも遥かに残酷で、効果的だった。
彼女に悪気はない。ただ事実を伝えているだけだ。だからこそ、防ぎようがない。
「さあ、みんな戻ったね! あとは魔女をやっつけるだけだよ!」
まどかはニコニコと振り返った。
その背後では、精神的致命傷を負った三人が、再起不能(リタイヤ)寸前でピクピクしている。
『おのれ……! 私の甘美な妄想空間を……!』
魔女が激昂した。
その体であるラブレターが、怒りで赤黒く変色していく。
『こうなれば……残る一人! お前だけでも、道連れにしてやる!!』
魔女の矛先が、あたしに向けられた。
「えっ!? あたし!?」
『喰らえ! 特大・純愛コンプレックス波動!』
魔女の口から、今までで一番巨大な、ハート型のエネルギー弾が放たれた。
そのターゲットは、美樹さやか。
片思い歴数年。幼馴染への想いをこじらせまくっている、このあたしだ。
「や、やばっ……!」
避けようとしたが、足がすくんだ。
あたしの心の奥底にある、「恭介への想い」。それを無理やり引きずり出されることへの恐怖と、期待。
その一瞬の躊躇が、命取りになった。
ズギュゥゥゥン!!
ハートの波動が、あたしを直撃した。
「きゃあああああっ!!」
視界がホワイトアウトする。
そして、次に目を開けた時。
あたしは、見覚えのある場所に立っていた。
そこは、コンサートホール。
満員の観客席。
煌びやかなシャンデリア。
そして、ステージの中央には、タキシードに身を包んだ、上条恭介が立っていた。
彼の左手は、完全に治っている。
彼はヴァイオリンを構え、美しく、力強い旋律を奏でていた。
それは、あたしがずっと、ずっと聴きたかった音色。
演奏が終わると、万雷の拍手が巻き起こる。
恭介は、観客に向かって一礼し、そしてマイクを握った。
『……今日のこの演奏は、僕の左手を治してくれた、ある大切な人に捧げます』
恭介の視線が、客席にいるあたしを捉えた。
スポットライトが、あたしを照らす。
『さやか。君がいなければ、僕はここにいなかった。……愛してるよ、さやか』
恭介が、ステージから降りてくる。
あたしの元へと歩み寄ってくる。
その手には、真っ赤なバラの花束。
「恭介……」
あたしの目から、涙が溢れた。
これは、夢だ。
分かってる。魔女が見せている幻覚だ。
恭介は、まだリハビリ中だし、あたしのことをそんな風には見ていない。
でも。
「……さやか」
目の前の恭介が、優しく微笑んで、手を差し伸べてくる。
その手のひらは、温かそうで。
「ずっと、一緒にいてくれるかい?」
あたしの心臓が、早鐘を打つ。
これが嘘でもいい。
この空間に、ずっと浸っていたい。
現実に戻れば、またあのもどかしい距離感と、伝わらない想いに苦しむだけ。
それなら、いっそ、この幸せな夢の中で……。
あたしは、ふらふらと、恭介の手を取ろうとした。
「……さやかちゃん! ダメだよ!」
遠くで、まどかの声が聞こえた気がした。
でも、今のあたしには、その声は雑音にしか聞こえなかった。
「ごめんね、まどか……。あたし、こっちの方がいいや……」
あたしの指先が、恭介の手に触れようとした、その時。
「おいコラさやかぁっ!!」
ドガァッ!!
恭介の顔面が、横から飛んできた赤い槍の柄で、思いっきり殴り飛ばされた。
「ぶべらっ!?」
恭介(幻影)は、綺麗な放物線を描いて客席の椅子に突っ込み、消滅した。
コンサートホールがガラスのようにひび割れ、現実の風景――マミさんの家のリビング――が戻ってくる。
目の前には、まだ顔を真っ赤にしたまま、肩で息をしている杏子が立っていた。
「……目ぇ覚ませ、バカ」
杏子は、乱暴にあたしの胸ぐらを掴んだ。
「あんなチャラチャラした幻覚の男に、お前の大事なもんを安売りすんじゃねえよ」
「杏子……」
「……お前の惚れた男は、あんな薄っぺらいセリフ吐くような奴じゃねえだろ。もっと、こう……めんどくさくて、生意気で、でもヴァイオリンだけは本気な、そういう奴だろ?」
杏子の言葉が、あたしの胸に突き刺さった。
そうだ。
あたしが好きだったのは、あたしに都合のいい王子様になった恭介じゃない。
怪我に苦しんで、八つ当たりしてきて、それでも音楽を捨てられない、あの不器用な恭介だ。
「……うん。そうだね」
あたしは、涙を拭った。
恥ずかしい。魔女の幻覚に逃げ込もうとした自分が、何より恥ずかしい。
「サンキュ、杏子。……おかげで、目が覚めたよ」
あたしは剣を召喚し、強く握りしめた。
羞恥心は、今、最強の攻撃力(エネルギー)へと変わる。
「よくも……よくもあたしの純情を弄んでくれたわねぇっ!!」
あたしは魔女に向かって叫んだ。
後ろでは、マミさんとほむらも、それぞれの黒歴史を精算すべく、鬼のような形相で立ち上がっていた。
乙女たちの逆襲が、始まる。
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「覚悟しなさい、この三文芝居の演出家さん!」
巴マミさんが、鬼の形相で宙に舞った。
彼女の背後には、先ほどの比ではない数のマスケット銃が展開されている。その全てが、自身の恥ずかしい妄想(カーテンキッス)を見せつけた魔女に向けられていた。
「私の記憶から……そして、みんなの記憶から! あの忌まわしい数分間を消去するのよぉぉぉっ!」
「ティロ・フィナーレ! 忘却の彼方(オブリビオン)エディションッ!!」
ドガガガガガガガガッ!!
黄金の光弾が嵐のように魔女を襲う。それはもはや魔女退治というより、証拠隠滅のための破壊工作だった。
「あーもう! あたしもだ! あたしのニヤケ顔を見た奴は生かしちゃおけねえ!」
杏子も槍を多節棍(チェーン)形態に変化させ、魔女の本体であるラブレターをメッタ打ちにする。
「忘れろ! 忘れろ! あたしは硬派でクールな魔法少女なんだよぉぉっ!」
そして、暁美ほむら。
彼女は無言だった。しかし、その手には対戦車用の迫撃砲が握られている。
「……重い、ですって……?」
彼女はギリリと歯噛みしながら、砲弾を装填した。
「私の愛は、重力すら超えるのよ。物理的に重いくらいで丁度いいの!」
ドォォォォン!!
理屈になっているようで全くなっていない言い訳と共に、重火器の雨あられが魔女に降り注ぐ。
「みんな、容赦ないね……」
まどかが苦笑いしながら援護の矢を放つ。
あたし、美樹さやかは、剣を強く握りしめ、魔女の懐へと飛び込んだ。
魔女は必死に『失恋ビーム』や『既読スルー弾』を放ってくるが、今のあたしには効かない。
だって、現実はもっと厳しいし、もっと複雑で、でも……もっと愛おしいって知っちゃったから!
「あたしの恋は! あんたの脚本通りにはいかないのよ!」
あたしは魔女の攻撃を切り払い、その中心核である『封蝋(シーリングワックス)』へと肉薄する。
「恭介はね……あんなキザなセリフ言わない! もっと不器用で、音楽バカで、手がかかるの!」
剣に魔力を集中させる。
青い光が、刀身を包み込む。
「でも、あたしはそんなあいつの奏でる音楽が、世界で一番大好きなんだからぁぁぁっ!!」
「スクルツォ・フォルテッシモ・ブレイクッ!!」
あたしの一撃が、魔女の核を粉砕した。
ラブレターが紙吹雪のように散り、ピンク色の霧が晴れていく。
「……ふぅ」
あたしは着地し、剣を収めた。
ふと見ると、紙吹雪の中に、魔女の最期の言葉のようなものが浮かんでいた。
『……青春、爆発……』
「……余計なお世話よ」
あたしは小さく呟いて、落ちてきたグリーフシードをキャッチした。
---
魔女が消滅し、リビングには元の薄暗い静寂が戻ってきた。
パジャマ姿に戻ったあたしたちは、散らかったお菓子やクッションを片付けながら、なんとなく気まずい沈黙に包まれていた。
そりゃそうだ。
全員(まどか以外)、あんな恥ずかしい妄想をぶちまけた後なのだから。
「……コホン」
マミさんが、わざとらしい咳払いをした。
「ま、まあ……魔女の精神攻撃というのは恐ろしいものね。あんな、ありもしない幻覚を見せるなんて」
「そ、そうだな! 全く、たちの悪い敵だったぜ!」
「……記憶にないわ。私は何も見ていない」
三人が必死に「ノーカン」をアピールしている。
まどかだけが、「でも、みんな可愛かったよ?」と無邪気に笑って、さらに空気を凍りつかせた。
あたしは、ため息をつきながら、自分のスマホを手に取った。
画面には、恭介の連絡先が表示されている。
もちろん、かけるつもりはない。今はまだ、何も言えない。
「……でもさ」
あたしが口を開くと、みんなの視線が集まった。
「ちょっとだけ、スッキリしたかも」
「え?」
「あんな風に、自分の恥ずかしいとこ全部見られちゃったらさ、もう隠すことなんてないじゃん? ……なんか、変にカッコつけるのがバカらしくなっちゃった」
あたしの言葉に、杏子がニッと笑った。
「ま、そりゃそうか。あんだけ派手に暴れりゃ、悩みなんざ吹っ飛ぶわな」
マミさんも、ふっと肩の力を抜いて微笑んだ。
「そうね……。完璧な先輩でいようとするのも、少し疲れるわ。たまには、ダメな部分を見せるのも、悪くないかしら」
「マミさんは元々、結構ダメなとこ見せてるけどね」
「えっ!? そうなの!?」
マミさんがショックを受けている横で、ほむらが静かに紅茶を啜りながら言った。
「……重くても、いいわ。それが私の愛し方だから」
「開き直った!」
まどかが、みんなを見渡して、嬉しそうに言った。
「やっぱり、パジャマパーティーしてよかったね! みんなのことが、もっと大好きになったよ!」
その言葉に、あたしたちは顔を見合わせ、そして今日一番の笑顔で笑い合った。
「……そうだね。まどかの言う通りだ」
窓の外、雨はいつの間にか止んでいた。
雲の切れ間から、月明かりが差し込んでいる。
「よし! 仕切り直しだ!」
杏子が立ち上がり、新しいポテチの袋を開けた。
「夜はこれからだろ? 今度はもっとマシな話題で盛り上がろうぜ!」
「そうね。例えば……『明日のおやつは何にするか』とか?」
「マミさん、それもまた食い意地張ってません?」
「あら、大事なことよ?」
あたしはスマホを閉じ、みんなの輪の中に戻った。
恋の行方はまだ分からない。
恭介との未来も、どうなるか分からない。
でも、今は。
この騒がしくて、ちょっと残念で、でも最高に温かい仲間たちといられれば、それで十分だ。
「ねえねえ、次は怖い話しようよ!」
「えー、まどか、あたし怖いの苦手なんだけど……」
「大丈夫よさやかちゃん、私が物理的に除霊してあげるわ」
「それ一番怖いやつ!」
笑い声が、夜更けの見滝原に溶けていく。
あたしたちの夜は、まだまだ終わらない。
ベランダの隅で、キュゥべえがポツリと呟いた。
『人間の感情エネルギーの振れ幅は、本当に計算できないな……。まあ、ノルマは達成できたからいいけどね』
あたしはこっそり、キュゥべえに向かってあっかんべーをした。
恋も、友情も、戦いも。
全部ひっくるめて、あたしたちの青春なんだから。