「……」
コンロに点火し、細口のヤカンで多めの湯を沸かす。
「……」
湯を少量注ぎ、抽出用のティーポットを温めておく。
充分な抽出をする為には温度の低下は最小限に抑えなければならない。
「……」
ポットの湯を捨て、ティーバッグを破って茶葉を出す。
中身はブロークンオレンジペコーのディンブラ。セイロンの代表格である。
特徴はセイロンらしいマイルドでクセのない風味。
ミルクもレモンも合う、オールマイティな茶葉だ。
「……」
沸騰寸前の湯を高い位置から注ぎ、ジャンピングが起きているのを確認してから
ティーコジー代わりの布巾を被せ、サービス用のポットに残った湯を注いで待つこと三分。
「…………」
……。
「…………」
「――――駄目だ。やっぱり無理」
気を紛らわすことに失敗した私は、力無く膝から崩れ落ちた。
……嘘だろ、じいさん。
故・衛 宮 切 嗣、不 貞 発 覚。( 妻 公 認 )
「ア、アーチャー?あの……大丈夫ですか」
責任を感じたのか、居間から顔を覗かせたセイバーが声をかけてきた。
「……ああ」
ショックだった。
正義の味方の理想を語ってくれた、俺を救って共に暮らしてくれた、あの優しくて憧れだったじいさんにまさか愛人がいたとは。
分かっている。世界を回る中で"魔術師殺し"衛宮切嗣の悪名は聞こえてきたし、私が知っている晩年の切嗣とその頃の切嗣は全く別のモノなのだと理解していた。
毒殺、公衆の面前での爆殺、旅客機ごと撃墜。
およそ魔術師とは思えないような手段で標的を必ず仕留める魔術師の天敵。あの夜切嗣が語った正義の味方の真理はそこで得たモノだったのだろう。
その事を知っても、当時の私は特に驚きもなく受け入れていた。
昔の切嗣が何をしていようと、今さら私がとやかく言えることではないと割り切っていた。
だが、それでも。生涯憧れた
「……どうやらかなりの失言だったようです」
「そうみたいね……」
英霊エミヤが立ち直るには、もう暫くの時がかかりそうである。
……そして、約三分後。
きっちりゴールデンドロップまで落とし切ったセイロンを手に居間へと戻ると、二人の少女は変わらず其処に座していた。
しかし、先程までと大きく違う点が一つある。
金髪のサーヴァントが身に着けていた銀色の甲冑が消えているのだ。
「先程は失礼しました、アーチャー。敵対するサーヴァント同士とはいえ、些か人としての配慮に欠けていた」
―――その事はもう言うな。王にはヒトノココロガワカラナイ。
「ところで。武装解除したということは、交渉は成功したと受け取って構わないかね?」
「ええ、そういうこと。……なんかもう、戦り合うって空気じゃなくなっちゃったし」
空のカップにミルクを注ぎながら、遠坂が諦めたように言う。
「一応あんたの話に綻びは無いし、組むことで得られるメリットは捨てがたいわ。だからあんたが"衛宮君"でいる内は、一先ず休戦ね」
「ですがアーチャー、貴方が不穏な動きをすれば、その場で私が斬り捨てますので。それをお忘れなく」
毅然と言い放つ、魔力の鎧を解き青いドレス姿となったセイバー。
どうやらレモンを絞ろうとしているようだが―――セイバー、レモンは軽くかき回すだけで良いぞ。
「む、なるほど。よい香りがしてきました」
ほわ、と表情を崩す騎士王。
遠い昔に置いてきたその尊さにうっかり色々忘れてほっこりしてしまうが、慌てて表情筋を引き締める。
「裏切りの心配ならば無用だよ。私としてはこの後君達と対立し、勝利を求める理由は無い。私はただ先に話した目的さえ達成できれば良いのだからな。君達が話を受けてくるのであれば、此方は今までに得たこの戦争の情報を総て開示しよう。
―――ああセイバー、風味が移ったらレモンは取り出した方が良いだろう。皮から苦みが出るからな」
「それはいけない。ふむ、紅茶とは奥深いものなのですね」
言われた通り、いそいそと慣れない仕草でレモンを掬い取るセイバー。
「じゃ、交渉成立ね。正直こっちには破格の条件だし願ったり叶ったりだけど―――何だろ、相手が衛宮君だと思うとなんかムカつくわね」
「なんでさ」
「しょうがないじゃない。未来ではどうでも、私の知ってる今の衛宮君は価値ゼロの只の一般人だったんだから」
「兎に角、アンタは英霊エミヤ。勝利と情報を私達に譲ることを条件に、一先ずは休戦。これで良いのね?」
「ああ、有難い」
「利用できるものは利用するのが魔術師ってものだもの。特に三大騎士クラスの内二人を味方に置けるのはかなりのアドバンテージだわ」
―――ああ、そうだ。これが遠坂凛だった。
殊魔術の世界に於いて、交渉相手が同業者の場合、いくら疑っても疑い過ぎと言うことはない。
彼女にとっては殆ど初対面のような私の要求を、ここまであっさり受け容れられるとは正直思っていなかった。
本来、敵対勢力との同盟となれば
だが彼女はそんなまだるっこしい過程は迷わずすっ飛ばしてしまう、型破りなタイプだったと思い出す。
それは彼女の生来のうっかり気質に由来するモノなのかもしれないが……そんなことは大した問題ではない。
自分が一度そうと決めたモノは迷いなく頼り利用し信じ抜くし、万が一ソレが裏切った時は躊躇わず潰す。
それこそが遠坂凛という魔術師だった。
「私は以前君達のマスターであり、サーヴァントだった。その頃と変わらぬ信用を得られる様善処しよう。
―――これからよろしく頼む、凛」
「うぇっ!?ちょ、何でいきなり……」
「む?―――ああすまない、私には此方の呼び方が馴染んでいてね。嫌ならば戻すが」
「まあ別にいいけど……」
「衛宮君の顔で不意打ちとか卑怯すぎるっての……」
「何か言ったかね?」
―――何はともあれ。
世界と時間を越えて再び迎えた運命の夜。
あかいあくまと正義の茶坊主は今此処に、再契約を果たしたのだった。