差し伸べられる手 作:案山子
九
明沙と玲奈は神谷に伝えられた病院へとすでに辿り着いていた。距離は近くなかったが、車で移動したこともあってすぐに着いた。二人は受付で奏斗の友達であることを伝えると奏斗のいる部屋へと直行した。
「──奏斗!」
明沙がそう言うとベッドがもぞもぞと動き出したのが分かった。そのベッドから上半身が起き上がる。その人物は声がかかった方へと顔を向けると、その目を大きく開かせて小さく言葉を放った。
「……明沙、それに玲奈も」
その姿は紛れもなく二人の知っている奏斗だった。明沙と玲奈は奏斗に駆け寄る。玲奈は奏斗に抱き着いた。
「……本当に、ホントに良かったよお……」
「身体は大丈夫なのか?奏斗。ケガしてたら早く見せてみろ」
玲奈は奏斗に抱き着いて喜びを露にしていた。その顔には大量の涙で濡れていた。明沙も焦りながら奏斗の今の状態を心配する。奏斗は昔から二人は何も変わらないなと思って、少しだけ微笑んだ。
「大丈夫だよ。二人とも。……どこも怪我はしてないし、体調もそんなに悪くないよ」
奏斗は笑いながらそう言った。その言葉に二人は安心する。そんな空間がしばらくの間、病室の中には広がっていた。奏斗が誘拐されてから、奏斗にとっても二人にとっても初めての癒しの空間だった。
しばらくして玲奈が泣き止み、明沙の心配がようやく無くなってきたころだった。奏斗から二人に向けて言葉が放たれた。
「刑事さんから聞いたよ。二人は僕の誘拐についていろいろ調べてくれたんだってね。……本当にありがとう。二人の力がなかったら今頃僕はまだ誘拐犯に捕まっていたと思うよ」
「大したことはしてないさ」
「いや、明沙は十分働いてくれたよ。私が保証してあげる」
三人は今までの緊張が解けたことも相まって楽しく笑いあっていた。そこで、奏斗がまた話をしてきた。
「……なんか、別の誘拐事件も関わってるんでしょ?刑事さんから聞いたよ」
「そうらしいんだよね。まだ警察も解決できてないらしいんだけど」
「ああ。もうちょっとでわかる気もするんだがな」
奏斗は二人の発言を聞いてある決心をする。
「それじゃあ、僕が知ってることを二人に話していくよ」
「……本当にいいのか?まだゆっくりしてても大丈夫なんだぞ」
「そうだよ、奏斗。今はまだつらいでしょ?」
「いや、大丈夫。二人には事件を解決してほしいんだ。……そのためには僕が話す必要がある。そうでしょ?」
奏斗からの反論に二人は黙ってしまう。その通りであることは二人にはわかっていたからだ。二人が何も言ってこないことを確認した奏斗はゆっくりと起こったことを説明していった。
「……とりあえず、僕が誘拐されたときのことを話そうか。でも、正直なところあんまり情報はないと思うよ?」
「それはなんでだ?」
「多分だけど途中から眠らされちゃったからあんまり覚えてることが少ないんだ」
「そうなんだ……分かった。それでもいいから話してみて」
「うん。塾の帰りのことだった。いつも十時ぐらいには家には着くんだけど、その家の近くに霧崎さんが立ってたんだ。僕は昔から霧崎さんとはよく話していたから声をかけてみた。最初は特に何でもない話だったよ。でも、途中で僕が前に気になったことがあったからちょっと質問をしてみたんだ」
明沙と玲奈は黙ったまま聞いていく。
「僕がその質問をした後、霧崎さんは何か考え込んだ後に僕に付いてきてほしいと言ってきたんだ。僕は霧崎さんが言っていた通りついていくことにした。着いた先は霧崎さんの家だった。家に入ったら霧崎さんはまずお茶を入れてくれた後に手伝ってほしいことがあると言って、僕は部屋の中に待たされたんだ。……そうしたら、なぜか誘拐されてた」
奏斗から話される事実に、明沙は頭を抱えた。いくら何でも警戒心がなさすぎると思っていたからだ。玲奈も少し苦笑いしているのが明沙から見てわかった。
「お前……さすがに無警戒すぎるだろ。ちょっとは怪しんでくれよ」
「いや、だってさ。霧崎さんって一応、僕が幼稚園にいるときからお世話になってた人だったし……仕方ないでしょ」
明沙からの意見に奏斗は反論をする。明沙は何とも言えない表情で奏斗のことを見ていた。ため息をつきながら奏斗の話の続きを聞いた。
「それで、目が覚めたらそこは既に見つかった時の廃ビルの中だった。食べ物とかはしっかりあったけど、近くにずっとガタイのいい男がいたんだ。それがずっと怖くてあんまり食べれなかった。ずっと銃を突きつけられてるような感覚がしてたんだ」
奏斗の表情は少しだけ暗いものへと変わっていった。それを見て明沙と玲奈も表情を暗くさせ、悲しみが浮き出していった。
「そして、何日か経った後、警察に見つかったって感じだね。……それぐらいかな?」
奏斗の話を聞いた二人は腕を組みながら深く考える。奏斗はそれを見て昔から考えるときの癖は変わらないなと少しだけ面白がった。
「……いくつか質問させてくれ。大丈夫か?」
「うん。いいよ。……それで質問って?」
「霧崎さんと最初に会った時の印象はどんな感じだった?」
「うーん、正直辺りも暗かったし、あんまりわからないんだよね。……でも、声はちょっと怖かった気がする」
「なるほどな……じゃあ、家に着いた時の霧崎さんは?」
「ええと、笑顔だった。けど、何かを隠してる感じで凄い固かったと思う」
明沙は顎に指を当てて考える。とりあえず簡単な質問はこれぐらいでいいだろうと明沙は考える。そして、おそらく一番重要であろう部分を聞いていく。
「それで、前に奏斗が気になっていたことを霧崎さんに聞いたって言ってたが……その内容について詳しく教えてくれ」
「わかった。……僕が誘拐される三日前だったはず。塾からの帰り道だった。どうしてか霧崎さんがほかの人の家にいるのを見たんだ。どうしてそこにいたのかはわからなかった。だからちょっとの間、僕は霧崎さんのことをじっと見ていた。そうしていたら、僕は霧崎さんが……何かを殴りつけてたように見えた。そんな感じの腕の振り方だった」
聞いていた二人は息をのんだ。奏斗は話を続けた。
「それを見て僕は驚いた。あんな優しかった霧崎さんがそんなことするはずないと思ってたから。……だから、見間違いだと、そう思うことにした。あれは夏の暑さでおかしくなって見た幻なんだって、そう思うことにした。……でも、誘拐される前、霧崎さんに会うとき、やっぱりその時のことが頭によぎった。僕はどうしても気になって霧崎さんにそのことを聞いてみたんだ。……その後はさっき説明した通りだよ」
奏斗から話される真実に二人は絶句した。霧崎さんが誰かを殴った。それも九条礼司が誘拐される前のことだ。絶対に何か九条礼司の誘拐事件と関係していると二人は考えた。
明沙は恐る恐る質問を奏斗にしてみる。
「……それを見た場所ってのはどこだ?地図でどこだったか大体でいいから示してくれるか?」
明沙は玲奈のスマホを借りて地図のアプリを開く。奏斗はしばらく考えたのち「ここかな?」と言いながら、ある場所を指し示した。その場所は神谷から聞いていた九条礼司が住んでいる場所に非常に近かった。
明沙は驚きのあまりスマホを持つ手が震えていた。
「霧崎さんは……九条礼司が誘拐される前、九条礼司に会っていた!」
「そして、その話を奏斗から聞いた霧崎さんは奏斗のことを誘拐することになった。これって、もしかして……!」
「ああ。霧崎さんが奏斗を誘拐した理由は三岳さんに口止めをするためだけじゃなかったんだ。それよりも、誘拐される以前に九条礼司と会っていたことを証言する奏斗の口封じがしたかったんだ!」
明沙と玲奈の間で、奏斗が誘拐された理由についての議論が白熱していく。奏斗はそれを見ることしかできなかった。
「じゃあ、そこまでして霧崎さんが隠したかった事実って何?誘拐される前に九条礼司さんと会ったことがそんなに重要なの?」
「会っただけじゃない。奏斗が言うには殴ったように腕を振るっていた。どっちも霧崎さんにとってはバレたくないことだったはずだ」
「……でも、よくわからない。なんでそこまでして隠す必要が……」
真実には確実に近づいたのだろうが、あともう少しだった。明沙と玲奈の間で新しい疑問がわいてくる。
「……とりあえず、神谷さんに報告しよう」
「そうね……奏斗、私たちはちょっと刑事さんと電話してくるね」
「わかった。……絶対に事件を解決してね。二人とも」
奏斗はそう言って二人に向けて微笑んだ。明沙と玲奈はその奏斗からの言葉に不敵な笑みを浮かべる。
「もちろん!……って言いたいとこだけど、ここからは明沙の出番かな?私には推理力はないし、明沙には約束があるもんね」
「約束?どんな約束をしたの?」
奏斗は首を傾げて明沙に聞いた。明沙は目を瞑って自分の約束を思い出す。
「『奏斗に何が起こったのか、暴いて見せる』……そういう約束だったな」
「そうそう」
玲奈は満足げに頷いた。明沙が約束を覚えていたことが嬉しいようだった。
明沙は奏斗と玲奈に向けて自身の気持ちを宣言する。その目は決意で満ちていた。
「全部暴いて見せるよ。奏斗の誘拐も九条礼司の誘拐も……決着をつけてくるよ」
明沙は二人にそう宣言する。明沙がここまで何かに燃えているのを見たことは玲奈と奏斗は初めてのことだった。二人は笑顔で伝える。明沙はもう、この事件の要だった。
明沙と玲奈は病院から出て、病院まで来た車の前で神谷と電話していた。
『……そうか。奏斗君はそんなことを目撃してたのか』
「はい。……奏斗の父さんもいろいろと話していたようですね」
『ああ。内容としてはさっき伝えた通りだ。……もう今調べられる手掛かりは調べ尽くしたみたいだな』
電話の向こうの神谷はメモを取り終わったのか、さっきまで聞こえていたボールペンの音が鳴りやんでいた。
「……これから、どうするんですか?」
『もちろん、俺は霧崎のもとへ取り調べに行くよ。まだあの屋敷にいるみたいだしな……まあ、他の捜査官からの情報だとかなり手こずっているようだがな』
「やっぱり、奏斗の誘拐の件は否定してるんですか?」
『ああ。どれも状況証拠しかないってな。……正直、奏斗君の証言も霧崎は跳ね返してしまうだろうと思っている。奏斗君が途中で眠らされているとなると、のらりくらりとかわされそうな気がするな』
「そんなに霧崎さんを追い詰めるのは難しいんですか……」
『残念ながらな。霧崎は今のところ取り調べでボロを出さない。……何か、絶対的な証拠があればいいんだがな』
神谷から伝えられた現在の状況としてはあまり良いものとは言えなかった。ここまで霧崎を追い詰めたのにまだ認めていないという事実に明沙は少なからず驚愕した。とんでもない精神力だと思った。
明沙は霧崎関連の話をいったんやめて、他に情報がないかどうかを神谷に尋ねる。
「……他に、何か情報はないんですか?」
『一応あるな。それが重要かはわからないがな。……誘拐が起きる前、奏斗君が霧崎を見つけた当日に、九条礼司の家の前に大きな車が停まっていたという目撃情報があったらしい』
「大きな車?」
『ああ。でかいワゴン車だ。……所謂、誘拐とかに使われやすい車だな』
「その時に誘拐された可能性が高いってことですか?」
『かもな。だけどこれも状況証拠だ。やっぱり霧崎を犯人に特定するには──』
ふと明沙の頭に靄のようなものがかかる感覚を味わった。電話から聞こえてくる神谷の声も、今は一切聞こえていなかった。
玲奈も明沙の様子の異変に気が付いてどうしたのかと聞こうとするが寸でのところで止めた。今の明沙の様子は玲奈も何回か見たことがあった。それはいつも、とんでもないことを思いつこうとしている瞬間だった。
明沙はほかのことなんて目もくれず、ゆっくりと息を吸った。そして、またゆっくりと息を吐いていく。それを再び繰り返していく。明沙は今、深呼吸をしていた。毎朝、そして頭を覚醒するときのルーティーンだ。
明沙の頭の中の靄が次第に晴れ始めていく感覚がする。その間に、明沙は今まで手に入れてきた情報を繋ぎ合わせていく。
四年前の暴力事件。九条礼司の誘拐事件。奏斗の誘拐事件。
最大の謎である九条礼司がなぜ誘拐されたのか。
それが明沙の頭の中で次々と整理されていく感覚が明沙自身を襲う。そして、自身の体に電流が走る感覚がした。まさに典型を得たような感覚だった。
そして、頭の中の靄が完全に晴れた。
『──沙君……明沙君?どうかしたか?』
「──暴いてやったぞ。二人とも。……神谷さん。事件について、わかりました」
明沙からの突然の言葉に、電話越しの神谷も側にいた玲奈も驚いてしまう。
「本当なの⁉明沙!」
『それは本当か、明沙君!』
二人は驚きのあまり大声で明沙に言葉を放つ。その剣幕はどちらも凄まじいものだった。だが、明沙もそれにも臆さずに話し始める。
「はい。一つの結論に辿り着きました。……それと神谷さん。一つお願いがあります」
『……ああ。何でも言ってくれ』
「神谷さんは今、霧崎さんのところへ向かっているわけですよね?僕たちもそちらに行かせてください」
明沙は神谷に対して願いを投げかけた。神谷は少し考えたのち答える。
『……わかった。そこで君の考えを聞かせてもらおう。病院へ向かった時の車で来てくれ。その刑事には私が許可したと言ってくれ』
「わかりました」
電話を切ると、明沙の隣から玲奈が見つめてきた。その表情は本当に事件を解明したのかという疑問と期待で溢れているように明沙は感じた。
「本当に、解けちゃったの?」
「ああ。おそらくな。……犯人はやっぱり霧崎さんだ」
「そう、なんだ」
玲奈は悲しそうな表情を浮かべた。それは明沙も同じだった。昔から奏斗を支えてきた霧崎さんが犯人なのは奏斗にとって悲しすぎる真実だったからだ。しかし、明沙は自分の導いた結論に間違いは見当たらないと考えていた。
「……行こう。決着をつけに」
「……うん!」
明沙と玲奈は車の中に乗り込んだ。すべての歯車が噛み合った感覚が明沙にはあった。
十
「──ですから、私は誘拐に関わっておりません」
霧崎がもう何回目かもわからないセリフを言うと、刑事は諦めたようにその席を立ってしまった。口ほどにもないと霧崎は考えていた。警察が霧崎を捕まえることはかなり難しいことだった。霧崎の言う通り、かなり状況証拠が多く決定的なものはどれもなかった。三岳や奏斗からの証言もあるものの、霧崎が否定を続ける以上、霧崎に罪が与えられることはない。霧崎はそう考えていた。
警察が真実に到達することは決してないだろう。霧崎はそう考え、内心ではほくそ笑んでいた。邪悪な笑顔だった。
霧崎が目の前に置かれていたお茶を少しだけ口の含ませた後、この部屋の扉が再度開けられた。
またか、と霧崎は悪態を吐きつつも表面上はほんの少しの微笑みと冷静な顔を入り混ぜた表情を貼り付ける。霧崎の良くする表情だった。
次はどんな刑事だろうかと霧崎は考える。もうそろそろ警視庁に連れていかれるかもしれないと霧崎は考えていた。その手続きのために入ってきたのだろうと霧崎は予想するが、その予想は打ち破られる。
入ってきたのは、刑事と思われる男と二人の子供だった。
どういうことだと内心霧崎は不審がるが、すぐに気持ちを切り替える。訳は分からないが情報を与えるわけにはいかないと自身に言い聞かせる。そうしなければ、すべてが終わりなのだ。もちろん、私の身ではない。九条誠司という霧崎にとっての神様に対してだった。
「……どうして、子供がここへ入ってきているんですか?」
霧崎はそう言うが無視される。三人が霧崎へと顔を向けたのち、目の前の少年が言葉を投げかける。もちろん明沙だった。
「……俺の名前は明沙です。こっちは玲奈。……どっちも、奏斗の友人です」
「……なるほど。誘拐された子のお友達でしたか。それで、何の御用ですか?」
霧崎は少しだけ動揺したものの、それを表に出さず質問をする。何か嫌な予感が霧崎にはあった。
「奏斗の誘拐犯に伝えたいことがあるんです。……すべて、暴いて見せたということを」
「……なに、言ってるか、わかりませんね」
霧崎の頬にいやな汗が流れてくるのを感じる。霧崎は直感した。霧崎は明沙が嫌いだ。人のことをすべて見透かして見せるような明沙の目が嫌いだった。
霧崎がとぼけると明沙はため息をついて話始めた。真実がついに明らかになっていった。
「……すべての始まりはやはり四年前の暴力事件です。犯人はもちろん九条礼司です」
「……暴力事件」
玲奈が明沙の言う暴力事件という言葉に反応した。しかし、明沙の口は止まることを知らなかった。
「霧崎さんは九条礼司が暴行したということを何があっても知られてはいけませんでした。その理由はもちろん、選挙という九条誠司さんにとって大事な時期だったからです。しかし、一人だけでは隠し通すことはできない。そう判断した霧崎さんは奏斗の父さん──三岳宗一郎に協力させることにしました。三岳さんがなぜ霧崎さんに協力したのかは詳しくはわかりません。しかし、そうしたという事実は絶対です。三岳さん自身が証言してくれたのですから」
明沙が話していく事実に霧崎は無意識に唇を他からは見えないように噛む。ストレスを感じたときにする霧崎の癖だった。
「三岳さんの協力もあって、九条礼司は容疑者から外されることになりました。……そうして、その暴力事件は終わったんです。目撃者がいたのにもかかわらず」
霧崎から見ても明沙が激しく怒っていることは分かった。明沙の隣にいた玲奈は明沙を見入っていた。明沙があそこまで感情を出すこと、特に怒りを出すことは珍しかった。
明沙は続ける。誰も質問する暇がないくらいの迫力が今の明沙にはあった。
「そして、本題はここからです。おそらく、九条礼司は自分の犯行がうやむやになったことで、その横暴な性格はどんどんエスカレートしていったはずです。次第には暴力団と関わるようにもなっていきました。……しかし、霧崎さんはそれを隠蔽するしかなかった。バラしてしまったら最後、九条誠司さんの地位は地の底に落ちるからです」
明沙はそう言った瞬間感じた霧崎からのどす黒い殺意のようなものに一瞬たじろいだ。しかし、臆するわけにはいかなかった。それに、ここからが反撃の時だった。
「……しかし、ある時状況が変わってしまいました。九条誠司さんが意識不明の重体になってしまったんです。霧崎さんはパニックになったと思います。俺ではわからないほどに。……そして、そんなある日、霧崎さんが九条礼司の家へ向かいました。……どんな用だったとか、何があったのかはわかりません。ですが、何か霧崎さんに対して致命的とも言えるようなことをしたか、言ったのでしょう。霧崎さんはそれに対して激怒しました。どれだけの怒りだったかは俺にはわかりません。……でも、その怒りがある出来事を引き起こしたんです。……そうして──」
霧崎の両手には血が滴っていた。よく見てみると爪が手のひらに刺さるほど強くこぶしを握り締めていた。
これ以上しゃべるな。何も言うな。霧崎はそう心の中で訴えるがそれが叶うことはない。
明沙はとうとう最大の秘密について話す時が来たかと思い、両手をゆっくりと、そして力強く握った。決意がみなぎった。決着をつけなくてはならない。明沙の胸がそう訴えかけていた。
「──霧崎さん、あなたは九条礼司を殺害したんです!」
ぐちゅっと嫌な音が部屋の中を鳴り響く。霧崎の爪が手のひらに食い込んでいた。
明沙がそう宣言すると、周りにいる人たちは全員もれなく驚愕する。神谷も玲奈も、そして周りにいた他の捜査官も同様だった。
「ど、どういうこと⁉九条礼司さんは……誘拐されてるんじゃないの⁉」
「いや、違う!九条礼司さんは誘拐されてなんていないんだ。……すべては霧崎さんの計画の内だ」
「そ、そんなことが……詳しく説明してくれ、明沙君!」
玲奈と神谷は二人して明沙に詰め寄った。明沙が話した内容はあまりにも刺激が強いものだった。しかし、一人だけ何も言わずにただ明沙を強くにらんでいるだけの人物がいる。霧崎美鈴だった。
明沙は霧崎に向き合い、真実を話し始める。
「奏斗は殴りかかるような腕の振り方をしていたと言っていた。おそらくナイフのような刃物で九条礼司を刺したのだろう。霧崎さん、あなたは衝動的に九条礼司を殺してしまったんだ。だから、焦っていた。こんなことが世間にバレたら九条誠司が政治家として働くことなんてできるわけがない。そう考えたあなたは九条礼司と関わっていた暴力団に頼ったんだ。目撃者が見た九条礼司の家に停められていた大きなワゴン車はおそらく暴力団のものでしょう。おそらくその時の依頼は大きく分けて二つだ。……『九条礼司の死体を隠すこと』。そして『九条礼司が誘拐されたと偽装させること』だ!」
もうやめてくれ。霧崎の胸中にそんな言葉がよぎる。しかし、それを言うことはできなかった。
「つまり、『九条礼司の誘拐事件』の真の姿は『九条礼司殺害事件』だったんだ!『九条礼司の誘拐事件』そのものが殺害を隠すための壮大な偽装工作だった!」
「そ、そんなことあるわけがない!」
たまらず霧崎は立ち上がって大きな声で反論をする。その表情はさっきまでの余裕に満ちたものではない。まるで悪魔が取り憑いているかのような形相をして明沙のことを恐れていた。
しかし、明沙は真実を語るのをやめない。その目には霧崎に対する大きな敵意があった。
「……あなたは暴力団が誘拐を偽装している間、アリバイを作るためにいつもと同じような生活をした。対して、警察はどれだけ捜索しても九条礼司を見つけることは叶わなかった。それはなぜか?警察の捜査が悪かったわけでもないし、暴力団の隠蔽があまりにも精密だったわけでもない!警察は見えない被害者を追いかけていたんだ!だから見つからなかった。……ずっとおかしいと思っていた。何で誘拐犯が目的を言わないのかを。でも、九条礼司が殺害されているかもしれないって結論に辿り着いたらすぐわかったよ。誘拐犯の真の目的が『九条礼司の死体を隠蔽すること』だとね!」
最悪だ。なぜこんなことに。逃げ出してしまいたい。だが、そんなことはできるはずがない。自分が逃げたら九条誠司は終わりだ。他ならぬ霧崎自身のせいで。
霧崎は半狂乱になりながらも明沙からの話を聞き続ける。
「……しかし、順調かと思えた隠蔽にあるハプニングが起こってしまった。奏斗が殺害の現場を目撃してしまっていたんだ。そして、それを霧崎さんに告げた。あなたはとてつもなく焦ったはずだ。九条礼司殺害の隠蔽において最も弊害となる人物がポンと表れてしまったのだからね。それに、三岳さんもあなたの行いに気が付き始めていた。あなたにとってかなり状況が悪かった。だからこそ、あなたは奏斗を誘拐したんだ!三岳さんと奏斗の口止めを両方するためにね!」
再度、明沙は激しい怒りで口調が少しだけ荒くなった。霧崎は玲奈にも奏斗にも深い心の傷を与えた人物だった。そんな人物を明沙は許せなかった。明沙は自然と先ほどまで握られた拳から人差し指を霧崎へと突き付けた。
「……それが今回の事件の流れだ。そして、今回の事件で最も重要なカギが九条礼司の殺害──これこそが、この一連の事件の最大の真実だ!」
霧崎の頭はとうとうおかしくなりそうだった。頭が焼き切れてしまうほどに痛かった。目の前で立っている霧崎に指を向けてくる子供を自身の手で葬りたかった。霧崎の口から血が漏れ出す。霧崎の唇はとっくの昔に切れていた。しかし、とうとう口の外へと血が零れてしまう。真実がどんどんと明るみに出てくる恐怖が霧崎の身に降り注ぐ。
霧崎は走馬灯が見えたような気がした。自身の過去を、自身の過ちを見せられる最悪の走馬灯だった。
十一
九条誠司という人物は霧崎にとって神様以外の何物でもなかった。
両親が死んでから霧崎の身に降りかかってきたものは多額の借金だった。当時の霧崎はその借金を背負って生きていくにはあまりにも幼かった。神様なんてものはいない。それが霧崎が導き出した結論だった。
そんなある日、霧崎がどうしようもない借金に生きるのを諦めかけているときだった。神様から手が差し伸べられた。九条誠司は身寄りのない霧崎の借金を肩代わりしてくれたのだ。霧崎にとってその差し伸べられた手は太陽よりも輝いて見えた。
九条誠司は霧崎にしたのは借金を肩代わりしただけじゃなかった。霧崎に自身のもとで働くことを推薦したのだ。霧崎は最初こそその提案を拒否していた。しかし、当時の霧崎が安定して働ける場所は限られていることは霧崎自身分かっていた。当時の霧崎はそこまで事務作業に長けていたわけでもない。九条誠司にとって迷惑にしかならない存在だったのだ。しかし、そんな霧崎を九条誠司は温かく迎えてくれたのだ。必要な存在だと九条誠司は霧崎に対して言ってくれた。魔法は存在すると霧崎はその時感じた。
しばらくして、霧崎は怒涛の勢いで事務作業をこなしていった。霧崎は幼少期のころから習得するのがほかの子供よりも早かった。どんな人物よりも早く仕事を覚え、それを実践していった。霧崎はその事実が何よりもうれしかった。しっかりと九条誠司の役に立てていると実感できたからだ。九条誠司の家の使用人の手伝いにも行ったりしていた。自身に与えられた幸福は事務作業をするだけでおさまるものではないと思っていたからだ。
だからこそ、霧崎が九条誠司の秘書になるまで、そう時間はかからなかった。霧崎は秘書を任されるとき、全身から魂が湧き出るほど感激した。自分の人生は本当に良いものだと思っていた。
しかし、そんな霧崎の生活に唯一の不満があった。それはまるで最高級の絵画に飛び散った絵の具のように除去するのは難しく、それでいて取り払いたいと思う存在だった。九条礼司だ。
九条礼司は九条誠司と真反対の性格をしていた。横暴で傲慢、人に感謝をすることもなく、人に好かれることもない。そんな人物だった。なぜそんなゴミのようなものが九条誠司から生まれるのか霧崎は永遠に疑問に思い続けるだろう。霧崎と九条礼司は関わることが多かった。霧崎は九条礼司を目の上のたんこぶのように思いつつも、その感情を隠して笑顔を貼り付けていた。
そんなある日だった。霧崎が九条礼司とともに夜道を歩いているときだった。霧崎は少しの間、九条礼司から目を離してしまった。だけれども、大したことはないだろうと内心考えていた。高を括っていたのだ。しかし、そんな小さな希望は打ち砕かれた。
霧崎が九条礼司を見つけたとき、悲劇が起こった。シェイクスピアですらこれほどの悲劇はかけないだろうと霧崎は確信していた。
霧崎が見たのは誰かに殴りかかっている九条礼司の姿と、壁に倒れ掛かって意識を失っている高校生だった。霧崎は呆然とした。目の前で何が起こっているか全くわからなかった。
何秒か霧崎が放心したのち、ようやく正気に戻った霧崎が慌てて九条礼司を止めた。九条礼司の目はどす黒く悪意がこもっていた。霧崎は絶望した。こんなことが世間に知られてしまったら九条誠司の立場が危うくなる。今は九条誠司にとって本当に大事な時期だった。スキャンダルなんて許されるわけなかった。
霧崎は考えた。そして苦しんだ。しかし、決意した。
今まで霧崎の身に受けていた幸福はすべて九条誠司のものだった。そして、もちろんそれは返さないといけないものだ。霧崎は覚悟を決めた。霧崎自身の幸せを生贄に九条誠司を脅かすありとあらゆるものを排除することに費やすことにした。
霧崎は悪魔になった。
九条礼司が起こした事件はうまいこと隠蔽することができた。同じく九条誠司のもとで働いていた三岳に協力をさせたのが大きかったと霧崎は考えていた。目撃者もいたらしいが、ただの子供だったようだったので安心した。その証言の信頼性はないものとされた。霧崎は警察に圧力をかけていたのだ。大人だったら難しかっただろうけれど、子供の証言なんて信用できないだろうと霧崎は考えた。そうして暴力事件は幕を閉じた。
しかしだった。それ以来、九条礼司の態度がどんどんと悪くなっていったのだ。まるで一度万引きに成功したから調子に乗っている子供のようだと霧崎は感じていた。その行動はエスカレートしていき、ついには暴力団と関わるようにまでなってしまった。しかし、霧崎はその事実を隠蔽するしかなかった。
その間に、三岳が九条誠司の元を離れてしまった。霧崎は九条礼司が起こした暴力事件について言いふらすことがないように圧力をかけた。それよりも、どうして神様の元から離れていくのか霧崎には理解できなかった。
そして月日は流れ、霧崎にとっての悪夢が訪れた。九条誠司が意識不明の重体となってしまったのだ。霧崎は担当の医者に詰め寄っていつ回復するかを何回も尋ねた。その迫力は並大抵なものではなかった。しかし、少なくとも意識は回復する見込みはあるそうだった。霧崎は落ち込みつつも、九条誠司の意識が回復した時に仕事が何の滞りもないように尽力をした。
そして、九条礼司が暴力事件を起こしたちょうど四年後の夏。また九条礼司から呼び出された。その目的は金だろうと霧崎は踏んでいた。霧崎は九条礼司の家へと上がり、その内容を聞く。やはり金だった。
霧崎は溜息を吐きつつも無表情で九条礼司と話していた。もう笑顔を向けることも馬鹿らしくなっていた。
そんな時だった。九条礼司がこんなことを言ってきた。
「ああ、早く親父死んでくれねえかな。そうしたら金に困らねえのにな」
霧崎の理性は失われた。
殺した。九条礼司を殺した。霧崎自身の手を見てみるとべったりと血が付いたナイフを手に持っていた。この血に九条誠司の遺伝子が詰まっているのかと思うと、その血がとても美しく見えた。
しばらく霧崎が放心していると、冷静になった頭がこの状況をどうしようかと考える。
こんなことが世間に知られてしまったら、私だけでなく九条誠司もおしまいになってしまうはずだった。そんなこと許されるはずでなかった。
完全に冷静になった霧崎の頭は恐怖と後悔で入り混じっていた。どうすればこの事実を隠蔽できるかを何度も考えた。
そこでふと思い出したことがあった。九条礼司が関わっていた暴力団だった。その暴力団は隠蔽が得意だという話を九条礼司から聞かされたことがあったのだ。
そのことを思い出した霧崎は、大きな計画を思いついた。九条礼司の殺害を完全に隠蔽できるかもしれない壮大な計画だった。それこそが九条礼司の誘拐事件を作り出してしまうことだった。
思いついた霧崎はすぐに暴力団へと連絡をする。幸い依頼するのにかかる金はあった。暴力団に依頼した後の霧崎は普段と変わらぬ生活を送るよう意識していた。
その姿はまるで悪魔が人間のふりをしているようだった。
九条礼司の誘拐事件をでっちあげることに成功した霧崎はいつも通り生活をするつもりだった。それは自身の家に帰っても同じことだった。いつも通りを過ごしていたところ、ふと携帯に電話がかかってきた。三岳からのものだった。
三岳との会話は最初雑談だった。何の用で電話をかけてきたのだろうと疑問に思いつつも霧崎は普通に三岳と雑談をしていた。そんなとき、ふと三岳からある質問がされた。
大雑把に言えば、九条礼司の誘拐事件に霧崎が関わっているんじゃないかという質問だった。
霧崎の頭の中には夥しいほどの疑問が湧き出た。なぜ九条礼司の誘拐について知っているのか、なぜ霧崎がその事件と関わっていると勘づいているのかなどが主な疑問だった。
霧崎は三岳にそれを聞き出しても良かったが、どうしても怖くてそれができなかった。そうして電話は終わった。
霧崎は三岳の家へと向かっていった。それは無意識のことだった。理由なんてなかった。強いて言うなら神様が導いてくれたと表現するべきだろうと霧崎は考えていた。
霧崎が三岳の家へと歩いていた時、ふと後ろから声がかかってきた。振り向くとそこには成長した奏斗らしき少年が立っていた。奏斗と会うのは久しぶりのことだった。
それから霧崎は奏斗と話していた。他愛もない話だった。そして、奏斗から質問がされた。
「……そういえば、三日前霧崎さんを見たんですけど……見間違いじゃなければ、霧崎さんが何かを殴ってるように見えたんです。……霧崎さんはそんなことしませんよね?」
霧崎自身に雷が打たれたような感覚がした。奏斗の言葉から推測するに、間違いなくそれは霧崎が九条礼司を殺した時に見た光景に違いなかった。過去最大ともいえる焦りが霧崎の身を襲った。奏斗は霧崎の様子のおかしさを見て少し戸惑っている様子だった。そんなとき、霧崎は頭の中でどうするべきかを高速で考え出していた。
奏斗と三岳。どちらも霧崎の計画において邪魔になる存在だった。そして、奏斗はその中でも霧崎の計画に致命的な隙を与えるものに違いがなかった。どちらも口封じするしかないと霧崎は考えた。
そこでふと霧崎は思いついた。奏斗を人質に取れば良いのだ。そうすれば奏斗はもちろんのこと、三岳だって真実を語ることなんてなくなるだろう。そう霧崎は考えていた。果たしてその考えが最適解だったかはわからない。しかし、その時の霧崎はそうとしか考えられなかった。自身の考えに妄信的。それが霧崎の最大の弱点なのだ。
そう思いつけば、霧崎の体は勝手に行動し始めていた。奏斗を家に誘い出して眠らせた。奏斗は昔から霧崎と親しかったので簡単に家についてきてくれた。霧崎はすぐに暴力団に依頼して、奏斗をどこかへ監禁して三岳へと圧力をかけるように言った。結果としては、その場で思いついただけの作戦は大成功した。
もしも霧崎が奏斗と会わなければ、すぐに真実が明るみに出たかもしれないと考えると、霧崎と奏斗の出会いは運命によって操作されているものに違いないと霧崎は考えた。神様が導いてくれたのだと霧崎は信じていた。
しかし、悪魔を導く神などいるはずもなかった。
明沙たちは霧崎の様子を伺っていた。霧崎はもう満身創痍といった様子だった。
「──私は……わたしは、先生を、守らないといけないの」
神谷から見ると霧崎の今の様子はまるで悪霊に取り憑かれているようだと思った。それほどまでにいつもの霧崎の様子とは異なっていた。九条誠司への信仰心がどれほどのものだったかを感じざるを得なかった。
「そう。私はまだ諦めるわけには……先生の、役に立たないと……」
「──役に立とうとした結果が、九条礼司の殺害ですか?」
明沙は霧崎を睨みながらそうつぶやいた。霧崎にとって地雷とも言える発言だった。
「私は……私はいつだって先生のためを思って……」
「……九条誠司さんの人となりとか政策について、ちょっとだけ調べてみました。……本当に、聖人とも言える人だと思います。心の底から、そう思います」
明沙はふとそんなことを霧崎に向けて言った。何を言っているんだろうと玲奈と神谷は明沙の様子を伺う。対して、霧崎は九条誠司について称賛した明沙に同調して上機嫌に語りだした。
「そうよ!先生がどれだけ偉大な人か──」
「九条さんの政策の一つに、未成年の証言の信頼性の強化というものがありました。……霧崎さんなら、もちろん知っていますよね?」
神谷は九条誠司がしていた政策を明沙が言ったことによって思い出した。そういえば、九条誠司の政策として昔掲げられたことがあったはずだった。対して、玲奈は明沙の言葉に心底驚いた。その政策が掲げられた理由について直感したからだ。
霧崎は黙ったままだった。
「その政策が掲げられたのは四年前のあの暴力事件が起こったちょうど後です。……九条誠司さんはその暴力事件をきっかけにその政策を取り入れたんじゃないですか?誰にも信用されなくて泣いていた少女を見て」
玲奈の記憶が明沙の言葉で蘇った。公園で泣きじゃくっていた時、慰めてもらった記憶だ。もうその人が誰なのかは今となっては分からない。しかし、その人は間違いなく聖人なのだろう。玲奈はそう思った。
「わ、私は……ちがう。私は先生に……役に立ちたくて……」
「あなたは悪魔と契約してしまったんです。四年前のあの事件を隠蔽しようと……そう決意した時に」
「私は……なんてことを……」
霧崎は虚ろになって小さく、そして喉から搾り出すようにつぶやいていた。その姿はまるで最後の希望を神様に託しているようにも見えた。救いの手を神様に差し伸べられたくて必死だった。しかし、明沙は容赦なく言う。
「悪魔に手を差し伸べる神なんていません。あなたはとっくの昔から神に見放されてたんです。……あなたはもう断罪されるべき対象なんです」
霧崎の頭の中に後悔がとぐろを巻く。霧崎にとっての神である九条誠司が裁きたかったのは自分自身だった。九条誠司が変えたかった行いは自分自身の行いだった。霧崎は九条誠司にとっての悪魔だった。
「ああああああああああ!」
霧崎は咆哮した。まるで悪魔のようだった。
十二
あの後、霧崎は自身の行いを認めた。その姿はいつもの端正な顔からは想像つかないほどぐしゃぐしゃになっており、大量の涙を流していた。何度も何度も九条誠司に対して謝罪や後悔の言葉をつぶやいており、まさしく懺悔をしているようだった。
霧崎が犯行を認めた後、すぐに神谷は警察犬を用いて九条礼司の遺体の捜索を始めるように上層部へ訴えた。それから数時間後、警察は九条礼司の遺体を見つけることに成功したという連絡が神谷に届いた。遺体は遠く離れた山の土の中に隠されていたらしかった。九条礼司の腹部にはいくつもの刃物で刺された痕跡があったそうだった。
警察はようやく落ち着いてきたようだと神谷は感じていた。
明沙と玲奈、そして神谷は日をまたいで会うこととなった。真実が解明された当日は、警察側がやることが多すぎて明沙たちと話す機会がなかったからだ。本来ならば、今日も神谷は仕事で手いっぱいで明沙たちと会う機会はないはずだった。しかし、新藤が神谷と明沙たちを合わせるために尽力してくれたらしかった。そうして、現在に至る。
「……本当に、ありがとう。君たちがいなかったらこの事件も解決することがなかっただろう」
「買い被りすぎですよ。俺は思いついたままを言ってみただけです」
「明沙は十分活躍してくれたと思うよ。惚れ惚れしちゃったもんね。あの時」
明沙たちは笑顔で会話をする。こうやってしっかりと感謝の気持ちを伝えなければいけないと神谷は考えていた。
「……君たちを見ていると九条誠司の政策はやはり正しかったのだと思い知らされるね」
神谷はそう言うと、二人に向かって敬礼をした。警察官として慣れ親しんだ動きだった。
「……ありがとう。二人とも。私は仕事をしに行ってくるよ」
「こちらこそ、ありがとうございました。神谷さん」
「奏斗のこと、本当にありがとうございました!」
三人はそれぞれ感謝の言葉を述べると、明沙と玲奈は神谷と別れた。
「……それにしても驚いたよ。昔の私が政策に影響してたなんて」
玲奈はそう言って明沙に笑いかけた。憑き物が全て落ちたように明沙には見えた。
「そうだな。……本当、因果を感じるな」
玲奈と奏斗、どちらもこの事件に深く関わった人物だった。その中心人物として間違いなく九条誠司という人物はいたのだろう。まさに神様というべきなのかもしれなかった。
この先、九条誠司に待ち構える運命は重いものだろう。信頼していた秘書の罪と向き合うことも、実の息子をその秘書に殺されたことも現実として受け入れなければならない。それに、政治家として働くこともできなくなってしまうだろう。本当に災難な人だと明沙は感じた。
それでも、九条誠司がしていたように手を差し伸べてくれる人たちはいるのだろうと明沙は思った。いつだったか、明沙は九条誠司の病室を外から見たことがあった。その窓の側には大量の贈り物があった。その中には小さな子供からもらったであろうものもあれば、様々な人が書いただろう色紙も置いてあった。
今度は九条誠司の方が手を差し伸べられる側になるだろうと明沙は考えていた。今まで九条誠司が助けてきた人たちによるたくさんの手だ。
その手の中には玲奈もいるだろう。九条誠司が今まで通りの生活ができるかは今の明沙は分からなかった。しかし、間違いなく助けてくれる存在は九条誠司にはいるはずだった。それだけは確実だった。
「……奏斗のとこへ行こうか。明沙」
「そうだな。お見舞いに行ってやるか」
神様からじゃなくても、人から差し伸べられる手は温かいものなのだろうと明沙は感じた。