それは、来る日も来る日も、毎朝唱えなくてはならない文句だった。この聖都市NO.6の住民として、市に住まう誇り高き民として、出勤の際にこの文句を口に出すことが義務付けられている。
今日も今日とて、山勢は『月の雫』こと市庁を象ったオブジェに手をかざし、この言葉を口にした。
唯一の同僚である紫苑は既に出勤していて「おはようございます、山勢さん」と言うので山勢は「おはよう。今日も頑張ろうな」と返した。
紫苑は20歳の山勢より4歳下の16歳の少年である。ふわふわとした猫毛に、純朴そうなベビーフェイスを持つ中々の優男であり、性格も実直で裏表のない様子を見せる好青年だ。
おまけに、2歳時の一斉検診で最高ランクの値を叩き出したという頭脳まで併せ持つ、傍目に見ればまさに完全無欠の男である。
そんな桁外れのスペックを持つ上級市民として、かつては市直轄の高級住宅街である『クロノス』に住んでいたとのことだが、四年前に
現在は母親と共にロストタウンに住み、ふたり共職を持つ平凡な市民として暮らしている。ちなみに母親はパン屋を営んでいる。
以上が、山勢の知る紫苑の情報である。
山勢も、職場である公園管理局にこのような新入社員が来ると聞いた時は「とんでもない新人が来る」と慄いたものだが、しかし紫苑は天賦の柔和かつ人当たりのいい態度と公園職員としての優秀な働きぶりを以て山勢と完全に打ち解けてしまった。
山勢にとって、紫苑は良き友だ。
気付けば、少ない休日には遊びに出かける仲になっていた。彼の母親のパン屋を訪ねたこともある。
しかし、山勢がいくら「おまえのような優秀な人間が何故『クロノス』を追われ、こんな薄給の末端業務に収まっているのか?」と尋ねても、紫苑はわずかに眉をひそめてはぐらかすのみなのだった。
市民公園が開園し、行楽客がぽつぽつと姿を見せる。入園者数は統計平均よりわずかに多い。天気が突き抜けるような快晴である上、今日が日曜日だからだろう。
気温、湿度共に平均的。動植物の様子にも異常なし。ふたりはひとまず一息ついた。
「……ん?」
三台の巡回ロボットから送られてくる視覚情報の映し出されたモニターを眺めていた紫苑が呟いた。
「どうした? 紫苑」
「いや……ちょっとコレを見てください、山勢さん」
見ると、モニターには公園に植わった樹木が三本ほど映されている。いずれも普段飽きるほど見てきたものであり、異常は見当たらない──否。
ひとつだけ、明らかにおかしい点があった。
蜂の巣、である。
女王蜂と思しきわずか一匹が停まっているだけのとても貧相なものだったが、それは確実に蜂の巣だった。
「蜂……? 登録生物に蜂なんかいないよな」
「ええ、勿論。どこからか這入って来たのでしょうか……ともかく、一刻も早く駆除しなくてはなりません」
「ああ。イッポの殺虫機能を頼るか」
「そうですね」
三台存在する巡回ロボットの内、象を模したデザインであるイッポには、鼻から水や殺虫剤を噴射する機能が備わっている。子供の遊びや植え込みの灌水、そして
山勢の操縦により、イッポは巣のある木へと進んでゆく。紫苑は固唾を呑んでモニターを見つめる。
イッポは寄り付いてくる子供達に適宜水を撒いていなす。子供達はイッポの進行方向に気付かず、水で身体をびちゃびちゃに濡らして笑っている。山勢はこの仕事を始めて長いため、こういった子供のいなし方もお手の物である。
「……あんまりこんなこと言わないほうが良いんだろうが、正直ちょっと鬱陶しくなっちまうな」
「…………」
紫苑は眉を顰めた。否定できないからだろう。
季節は初夏だ。子供達は揃って半袖である。適当に水をかけて涼ませてやって、イッポは更に歩を進める。
やがてイッポは件の木に辿り着いた。
イッポの鼻が持ち上がる。照準を巣に定め、山勢はディスプレイに向き直り、ノズルを『水』から『殺虫剤』に変更した。
「やるぞ、紫苑。いいな」
「ええ。やってください、山勢さん」
先程まで子供に水をかけていた鼻。
今、そこに、命を奪うものが充塡されている。
山勢は発射ボタンに手をかけた。イッポの鼻から殺虫剤が散布され、巣を容赦なく襲う。
「よし……ひとまず大元は叩いたな」
山勢はそう言うと、首筋を搔き、ひとつ欠伸をした。
イッポの鼻を器用に操り、空の巣と蜂の死骸を回収させる。
振り向くと、胸を撫で下ろす紫苑。相も変わらず虫も殺せなさそうな顔をしている。
──紫苑はきっと、脛に傷を持っているのだろう。それは自分だって同じことだ。けれど、今こうして、ふたりで働けている。せめてこの安穏が終わらないでほしいものだと、山勢は心から思った。
「おい、まだ終わっちゃいないぞ、紫苑。念の為、蜂が残っていないか探しに行く。公園は臨時閉園だな」
「ええ……そうしましょう」
そう言うと、紫苑は防護服を取り出した。
全身を覆うそれを、紫苑は淀みなく身に着ける。
「……暑いですね、この服。もうすっかり夏です」
山勢は苦笑した。
「そうだな。早く涼しくなってほしいものだ」