Fate/Deep Engage   作:ゴマ助@中村 繚

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開幕

 海と空の境界を目指して船が進む。

 目指す先は、太陽が昇る前に離れた漁港。旅立った漁船たちを出迎えるように、青と青だけの世界に陸地が小さく姿を現した。

 詩ノ宮(しのみや)心護(しんご)は無意識に顔を上げた。視線の先には、海面を切り裂きながら走る漁船に掲げられた大漁旗が潮風に吹かれて激しくはためいている。

 漁港が見えてくると、大漁旗はより元気にはためく気がしていた……ただし、大漁のときに限る。今日みたいに網に大漁の魚がかかったときには、漁船に揺られる漁師たちのように大漁旗も浮き足立つ気がしたのは、漁師になりたての頃の話だ。

 大漁旗も歓迎されて出迎えられるのは嬉しいのだろう。大漁の魚をのせて帰ってきた漁船たちを、港や隣接する漁協の職員たちが「お帰り」と言って出迎えてくれるのが、いつもの深潮(みしお)漁港のはずだったが……なにやら、今日は様子がおかしかった。

 

「ん? ……おい! 港にパトカー来てるぞ!」

「パトカー? 救急車じゃなくて?」

「白と黒と赤だからパトカーっス。何かあったのか?」

 

 最初に気づいた漁師の徳田(とくだ)の声につられて漁港に目を凝らすと、心護の目にも白と黒の車体が見えてきた。しかも一台ではない、点滅する赤いランプがいくつも見える。

 操縦席から半身を乗り出した船長の野木(のぎ)も遠目でパトカーを確認すると、漁港で何か事件が起きたのかと漁師たちをざわつかせる。いつも通りに寄港して心護が係船柱にしっかりロープを巻き付けて固定すると、漁船を飛び降りた野木は騒がしく集まっている漁師仲間たちに向かって声を張り上げた。

 

「何かあったのか?!」

「仏さんだってよ!」

「朝方に死体が漁港に打ち上げられたんだって!」

「……死体?」

 

 出勤してきた漁協の職員が発見して、警察に通報した。それからはもう市全体が大騒ぎになっていた。

 心臓が抉り取られた死体が打ち上げられたその日から、日常はまるで呪いがかけられたかのように非日常に塗り替えられる。

 否、もう既に、心護が知らないところでナニかが始まっていたのだ。

 

「海に落ちたんじゃないって。心臓がなかったんだって!」

「じゃあ殺人じゃない! まだ犯人がどこかにいるんじゃないの……?」

「殺されてから結構時間が経ってて、ずっと海を漂っていたから死体がぐずぐずの煮魚みたいになってたって」

「日本人じゃなくて、外国人だったみたいよ。そういえば最近、よく外国人を見かけるわ。ほら、最近神社にも……」

 

 本当に騒ぎになった。しかも、ニュースで報道される前に、人々の噂であっという間に死体漂着事件のおおよその話は浸透した。田舎とはこういうものだと、心護は既に理解している。

 ここ、深潮市(みしおし)は、90年代後半に周囲の町村が合併してできた比較的新しい市である。主な産業は漁業と林業。太平洋に面し背後は山。新幹線が通る隣市の恩恵を受けてはいるが、若年層を始めとした人口の流出が止まらず、遂に人口2万人を切ったのは5年前の話だ。

 はっきり言って、田舎と言って差し支えない地方都市である。

 そんな、知名度もない田舎の移住者支援を利用してやってきた若者として、漁師になったばかりの心護もあっという間に人々に知れ渡った。今になっては懐かしい。あの時は、自主的に辞めない限りはずっと漁師の仕事をするものだと思っていたのに……まさか、海に出られなくなるとは思ってもいなかった。

 

「漁禁止……ですか?」

「なんでも、警察が捜査するって言うんでしばらく海に出るなってよ。しかも、俺たちの船も全部調べるって。ったくよ!」

 

 どうやら、警察は漁港にある漁船の全てを隅々まで調べる気らしい。心護が乗る船も例外ではなく、持ち主であり船長であり、心護の師匠である野木は悪態を吐いた。多分、警察への悪態である。

 田舎の漁港に流れ着いた死体。釣り人が誤って海に転落した水死体ではなく、心臓を抉り取るという猟奇性を感じさせるような殺人事件に、深潮にある小さな警察署の警察官だけではなく県警本部の捜査員たちも駆け付けて予想にもしてなかった大騒動になっていた。

 深潮警察署の駐車場があんなにも混雑するのは初めて見た。

 

「まあ、しょうがねぇ。少し休んでろ」

「っス」

「ってか心護、お前ケータイどこでなくしたんだ?」

「最後に使ったのがえーと……倉庫で時間を見たときっスかね」

「今の内に取りに行った方がいいぞ。明日になれば警察が調べるとかで入れなくなるそうだ」

「あざす」

「ん? 手、どうした?」

「なんか……蚯蚓腫れかも?」

 

「何で電話に出ないんだ」と野木がやって来て初めて、心護は携帯電話をどこかで紛失したことに気づいた。今の今まで気づかなかったとは、最近の若者らしくない奴である。

 倉庫と言うのは、漁港の敷地内にある野木が所有する備品倉庫のことだ。倉庫と言ってもそう大きなものではない、塩害で錆びついたプレハブ小屋だ。野木だけではなく、深潮の船主たちは大体プレハブ小屋を漁港に置き、倉庫としている。

 解れた網をそこに運び込んで、時間を確認したのが携帯電話との最後の記憶だ。多分、そこで落とした……はず。

 心護の家には固定電話がないため、携帯電話がなければ連絡手段がなくなってしまう。なので、今の内に拾いに行かなければならない。

 野木から受け取った冷凍食品(奥さんから「心ちゃんに持ってって」と渡された物)を冷凍庫に入れてから、心護はバイクに乗り込んで漁協へ向かった。夜道に気をつけながら飛ばしても、往復して帰宅する頃には午後10時を過ぎてしまう。

 田舎の夜は早く深い。しかも、ただでさえ大事件が起きたのだからみんな家に引き籠っているのだろう。漁港にほど近い飲み屋もスナックも、看板の灯りが消えていた。

 ああ、それにしても……さっきから、右手の甲に赤い痣のようなモノができている。痒くも痛くもないけれど、気になって仕方がない。

 

「あ、あった。うわ、凄い数の着信来てた」

 

 やはり、心護の携帯電話は倉庫に落ちていた。さっさと拾って、とっとと帰ろう。明日は元々休日だったが、早寝の習慣のせいか既に眠い。

 携帯電話をポケットに入れた心護は、不意に窓の外を見た。潮風で曇った窓ガラスの向こうに真ん丸の月が見える。

 今日は満月だったか……そう思った、その瞬間だった。月明りに照らされた巨大なナニかが、心護の視界に飛び込んできたのは。

 それがナニ者か、ナニをされたのかを把握する暇もなく、心護がいた倉庫はナニ者かによって横一文字にスッパリと切断されたのである。

 意味が分からない。

 漁港に流れ着いた死体よりも、寂れた田舎町で起きた殺人事件よりも、理解し難い現実が心護の身に襲い掛かってきた。

 

「な、何だよ……っ?!」

 

 間一髪。咄嗟に床に伏せた心護は無事だったが、倉庫は随分と風通しが良くなっていた。まるで豆腐ように、簡単にプレハブ小屋が横に真っ二つにされていたのだ。

 その犯人を目撃した心護は自分の目を疑った。そもそも、自分の身に起きていることは現実なのかさえも定かでない……だってそこにいたのは、鬼のように二本の角が伸びる兜を被り、薙刀を手にした鎧武者だったのだ。

 

「鎧……? 嘘だろ」

「マスターだな」

「っ!」

「恨みはないが、ここで始末させてもらう」

 

 鎧武者の面の向こうからくぐもった声が聞こえた。

 喋るのか……と思ったその次の瞬間には、命の危機に瀕していた。だが、心護は「マスター」なのではない。人違いだと叫ぶ前に、鎧武者は手にした薙刀を振り上げる。

 やはり、意味が分からない。

 初対面の鎧武者に攻撃され、殺されかけ、振り下ろされようした薙刀が轟音を立てて弾かれたのも。

 青い火が、刹那に暗闇を貫いた。

 耳を劈く轟音を立てながら薙刀が弾かれて鎧武者に隙ができた。心護が理解できないところでまたナニかが起きているが、今の心護にはそんなことどうでもいい。もつれそうになる脚を必死に動かして鎧武者から逃げなければならないのだ。

 上半分がなくなった倉庫から転がり出て、ありったけの力を込めて地面を蹴って走り出す。しかし、そう簡単には逃げられない。

 薙刀を握り直した鎧武者が心護に向かってひと薙ぎすれば、斬撃が飛んだ。それと同時に、先ほどと同じ一線の青い火も心護を狙って飛んできた。

 心護を目掛けて飛んできた斬撃は建物の壁を切り裂き、青い火は他の船長たちが所有しているプレハブ小屋を瞬く間に吹き飛ばして炎上させ、心護はその衝撃で転倒する。どちらが直撃しても確実に死ぬ。めでたく始末される。どちらも敵だ……そんな理不尽を、簡単に飲み込める訳がなかった。

 

「……一体、何なんだよ。意味分かんねェんだよ!」

 

 無人の漁港のど真ん中で叫んでも。それを聞きつけた誰かが助けに来てくれるなどということはない。そもそも、誰かが来たとしても、妖怪の如き鎧武者を前にして助かる希望などほとんどない……逃げるしかない。

 再び立ち上がろうとする心護の背後に鎧武者が迫っていた。心護が立ち上がる前に、薙刀を振り上げて鋭い刃が落とされる……コンクリートの地面に着いた右手の甲が、痛んだ気がした。

 

「ふっざけんな!!」

 

 じくり、と熱を伴って痛んだ右手の甲に蚯蚓腫れとは違う真っ赤な痣が出現した。すると同時に、心護も鎧武者でさえも飲み込んでしまうほどの赤い光が迸る。目に刺さるほどの光に対して心護は反射的に目を瞑った。

 チカチカと点滅する視界が正常に作動し始めて最初に目にしたのは、ふわりとなびく裾だった。

 真ん丸の満月に照らされた華奢な肩とさらりとした質感のドレス、マゼンタ色の薔薇飾り。潮風にふわりとなびいたのはドレスの裾だった。

 くるりと身体を反転させて心護を見下ろしてきたのは、海色の瞳。白銀色の満月を背に受けて、亜麻色の髪がキラキラと輝くその人は、涼やかな声でこう話しかけたのだ。

 

「あら……あなたが、わたしのマスターかしら?」

 

 寂れた漁港に不釣り合いな、夜空の下で美しく輝く乙女が心護にそう問いかけた。

 

 

 

「聖杯」

 かの救世主の血を受けた杯。最高位の聖遺物。万物の願いを叶える願望器。

 7人7騎の魔術師(マスター)使い魔(サーヴァント)による殺し合いを勝ち抜き、最後に残った一組が聖杯を手に入れて願いを叶えることができる。

 深潮市に集いし6人の魔術師と、魔術の素養があった1人の青年。

 彼らが呼び出すのは、人理に刻まれた英雄・反英雄の影法師。

 

「……マスター。現状を報告します。ライダーが襲撃したマスター候補による、サーヴァントの召喚を確認しました。最後の1騎、アサシンです」

 

 7人のマスターと7騎のサーヴァントが揃ったことにより、舞台は整った。

 

 

 

Fate/Deep Engage

 

 

 

 交わした言葉。

 絡めた小指。

「約束」と紡いだ唇。

 それは、契りか呪いか。

 波が引くかのように、物語の幕は上がる。

 

―――これは、願いと呪いの物語である。




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