Fate/Deep Engage   作:ゴマ助@中村 繚

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15_シェイプ・オブ・シー

 東京生まれ、東京育ち。都内の国立大学を卒業し、高校・大学では競泳の全国大会にも出場して時には企業に所属する競泳選手としてやっていける成績も記録した。

 家庭環境に何か問題があるかと思いきや、父親は関東の信用金庫に長く勤め職場での信頼も篤く親子仲も良好。

 そして、深潮は親の故郷でなければ旅行に来たこともなく接点などこれっぽっちもない。

 上記が心護の大学卒業までの経歴であり、深潮に移住した当初の心護が散々言われていた言葉は下記である。

 

「お前、何でこんな田舎で漁師やってんだ?」

 

 そう訊かれた心護の回答は、一言一句ブレることなく同じであった。

 

「海に関わる仕事がしたかったんで」

 

 心護が通っていた大学の掲示板に、深潮市の漁師募集と移住支援のポスターが貼ってあったのがきっかけだった。ただ漠然と海との接点を持ちたいと考えていた心護の中で、このポスターとの出会いでナニかがカチリと噛み合ったのだ。

 海洋に関わる研究職でも海上保安庁のような公務員でもなく、水産業に従事する漁師……自身の中でナニかがカチリと噛み合った気がした心護は、その足で大学の就職支援センターに赴き、職員にポスターについて尋ねていた。

 就活に奔走する同期たちを他所に、夏休みにお試し移住をして漁師のインターンを受けて、卒業後に移住支援金をもらって深潮市に移住。インターンの受け入れ先としてお世話になった野木にところにそのまま就職した。

 都会育ちの坊ちゃんはどうせすぐに音を上げて辞めるだろうと、排他的な者たちの陰口の対象になったりもしたが、ご覧のとおり3年経ってもピンピンして漁師を続けている。最近では、船舶免許の勉強も始めていた。

 心護が決めた道なのだから、他人がとやかく口を挟むのは野暮な話である。だが、こう訊かれると、さすがの心護もちょっと言葉を濁してしまう。

 

「何で、海に関わる仕事がしたかったんだ?」

 

 3年前、野木の所有する『秋天丸』に就職する際、心護は一つのお願いをしていた。

 お盆休みを早めに欲しい。母の命日が8月1日だから。

 22年前の8月1日、母の歌祈(かおり)が亡くなった。否、8月1日に母の遺体が発見されたのである。

 22年前、心護が4歳の夏――7月31日に家族で海水浴に出かけた。汗ばむ夏の日差しが降る砂浜で、足裏に砂の熱さを感じながらはしゃぎ歩いた心護の左手は、母の右手にしっかりと繋がれていた。あの頃は温かくて大きな手だと思っていたが、きっと今の心護の手の方が母の華奢なそれより大きいはずだ……それだけの時間が経っている。

 3歳から水泳教室に通っていた心護は、同年代の子に比べたら泳ぎが上手い子供であった。初めての海だというのに、父に手を引かれずとも小さな波をかき分けて上手に泳いでいた。大人の足が着く浅瀬での海水浴だったが、いつもの屋内プールとは違う広い広い青い水面を自由に泳ぎ回って「上手」だと褒められる海水浴は、幼い心護にとって非常に楽しい時間だった。

 この時までは。

 お昼を食べて、父親がゴミを捨てに離れた時のことだ。

 午前中にたくさん泳いで、泳ぎが上手だと父だけではなく周りの海水浴客たちからも褒められた。通っている水泳教室でも、同年グループの中で心護が一番泳ぎが上手かった……今なら分かる、4歳の心護は調子に乗っていたのだ。

 狭い世界で無敵になった気がした浅はかな子供。無知である自覚がない哀れな勇者。自分1人でも大丈夫だと、大自然を舐め腐ったクソガキは、両腕に装着させられていた邪魔なアームリングを外したのだ。

 1人でも泳げる姿を母に見せたくて、「泳ぐの上手だね」と母に褒められたくて、母がよそ見をした隙に心護はアームリングも装着せず浮き輪もビート板も持たず、1人だけで海へ入って行った。

 最初は順調だった。子供の足が着く浅瀬を自由に泳ぎ回り、自分ならもっと深い場所まで行けると勘違いした……子供の足が着かない場所まで泳いできたところで、砂浜の母と目が合った。母へ向かって大きく手を振ったその瞬間、大きな波が小さな身体を更に遠くへ連れ去ったのだ。

 大波に拐かされた心護は、洗濯機の中で洗われるシャツのように海中でぐるぐると揉まれ、布団でぐるぐる巻きにされたかのように身体の自由が効かなかった。ついさっきまでは、何でもできると思っていた無敵な少年は、自分よりも大きくて強力な大自然を前にすれば簡単に握り潰すことのできる、あまりにも弱々しい存在だったのだ。

 海で溺れた4歳の心護は、この時のことを詳しく覚えていない。ただ、ぬくもりに包まれて酷く安心したことだけは覚えている。

 波に弄ばれて何もできずにパニックになっている心護の視界に、青以外の色が飛び込んできた。母が着ていた薔薇色のパーカーの色だった。

 海水で冷えかけた身体が大好きな熱に包まれて、自分が知る限り最も大きな手に抱えられ、心護はそのまま意識を失った。次に目を覚ましたのは知らないベッドの上だ。窓の外は真っ暗になっていた。

 溺れた心護を助けたのは母だった。

 海に飛び込んだ母は、波を掻き分けて必死に心護を探し出すと、絶対に放すまいとしっかり抱えて砂浜を目指した。騒ぎを聞きつけて急ぎ戻って来た心護の父を見つけて抱えていた心護を手渡し、無事に抱き上げられたのを見て安心したのだろう……気が緩んだその刹那、再び寄せてきた波に足を奪われた。海は心護ではなく、母を水平線の向こうへと連れ去ってしまったのだ。

 海上保安庁の必死の捜索の末、翌日の8月1日に母の遺体が発見された。テトラポッドに薔薇色のパーカーと共に打ち上げられていた。

 心護にとっては、海とは好きな場所であると同時に苦手な場所である。

 家族で過ごした楽しい思い出が詰まっている場所だけれど、母が亡くなった場所であるからだ。

 母は、心護を助けるために亡くなった。

 心護が調子に乗って海に飛び込んで、勝手に溺れて、母は海に拐かされた。

 もっと泳ぎが上手かったら、溺れなかった。

 もっと泳ぎが上手かったら、母を連れて浅瀬まで戻って来れた。

 もっと、もっと……その“もっと”を欲しがったのが原因かははっきり自覚していないが、心護はずっと泳ぐことを止めなかった。海と縁を切ることもせず、今の心護は海と共に在ることを選んだ。

 あの頃の自分や母のように溺れていた人がいたら、助けることができるように。

 未来で出会う大切な存在を助けることができるように―――

 

 

 

***

 

 

 

 アルジュンのスカウトを断って『マスト』を出た心護は、やはり野木に呼び出された。警察署へ問い詰めに行ったが、のらりくらりと躱されて埒が明かないとのことだ。つまり、数の暴力で何とかしようと、心護以外にも多くの漁師に召集をかけたようである。

 物騒なことになりそうだなーと感じながら、最も物騒な渦中にいる心護は、ガソリンを満タンに入れたばかりのバイクの後ろにアリアを乗せて深潮警察署へと向かった。

 深潮市の中心部、市役所の近くにある警察署の前には、野木やその他の船長によって招集された漁師たちが集まっている。いつになったら漁が再開できるのかと、白髪交じりの漁師が怒声を上げていた。新人時代の心護が散々怒鳴られたが、新人時代からさんざん奢られてご馳走になっている『極進丸』の船長・堂崎(どうざき)だ。

 強面でガタイも良い彼が怒鳴ると、流石に警察でも委縮してしまう。警察署の前で漁師たちを向き合っている制服姿の警察官も、背中にたっぷりの冷や汗をかいているかのように焦っていた。

 

「心護! こっち、こっち!」

「トクさんも呼ばれたんスか?」

「うん、今来たとこ。あれ、その子は?」

「トクさんとは初対面だったか」

「アリアです。シンゴの先輩のトクさん?」

「はっ、はい! 先輩、です」

 

 アリアに挨拶された徳田(43歳独身)が顔を真っ赤にした。女性に免疫がないのである。

 

「公僕どもが! オレらの生活はどうなっても良いってのか!? あ゙あ゙!? こっちはな、今月はとっくに赤字なんだよ!」

「流れてきた死体の事件が解決しないのは、テメーらが無能なせいだろうが!!」

「そうだ! お前らの事情なんて関係ねェ! こっちは息子の保育料稼がなきゃなんないんだよ!」

「船出させろ!!」

「何度も申し上げますが、無理なんです! 漁禁止は県警本部の命令で、うちだけで取り下げできなくて……」

「ザキさんとこの人たちがヒートアップしてる」

「漁禁止に反対してたからな、ザキさんは」

「心護! トク! 来たな、行くぞ!」

「嫌ですよ」

「穏便に行きましょうよ……」

 

 どうやら野木もヒートアップしかけているようである。このまま沸騰し続ければ、必死に宥める警察官を殴り倒して署内で乱闘でもしそうだ。

 県警本部の命令で漁禁止命令が出ているということは、県警本部の上層部は聖杯戦争に関わっているのか。心護が考えていた以上に公権力が巻き込まれているのを実感していたら、背後にいたアリアがアウターの裾を引っ張った。

 

「シンゴ、魔力をもらってもいい?」

「どうした?」

「歌うわ」

「……分かった」

 

 アリアの薄い唇が息を吸い込んだ。パスで繋がった心護の魔力を歌声に乗せて、讃美歌は紡がれる。

 ゆったりとした高音の旋律が、警察署を中心にした一帯の空間を包み込んだ。

 伴奏もないアカペラで、舞台でもないヒビの入ったアルファルトの地面の上でアリアは歌う。澄み切った高音が群集の耳元をかすめると、漁師たちの視線は一気にアリアに集中する。警察署の中にいた警察官や一般人たちも、アリアの歌声を耳にして一斉に窓を開け始めた。

 魔力が溶け込んだアサシンの歌声は、警察への敵意に満ちていた漁師たちの意識をあっという間に自分へと惹きつける。アリアの歌声は、レオンモールでは観客の心を感動で殺した。今回は、感動で心を殺すことはない、ただ頭に昇った血を冷まして欲しいのだ。

 魔力が溶け込んだ歌声が耳から侵入して脳へと到達すれば、観客の心はアリアに囚われる。心を震わせることも感情を奮わせることもできるのならば、真逆の方向へ動かすことが可能だ。感動とは、高揚するだけではないのである。

 怒りで激しいビートを刻んでいた漁師たちの心拍は、アリアが奏でるゆったりとした旋律に呼応するかのように、少しずつ少しずつ穏やかに鎮まっていく。沸騰していた頭は温度を下げて平熱に、余裕のなかった意識は歌姫へ向けられもう目を離すことができない……タイトルは知らずとも、誰もが一度は耳にしたことがある讃美歌のメロディーが響き渡る。警察署の敷地内にいた者だけではなく、面した道路を歩く通行人も、車道を走る車も足を止めてアリアの歌声に聞き惚れた。

 歌声は観客たちに向いたまま、アリアの視線が心護と交差する。心護と視線が交差した瞬間に、深海の瞳がまろやかな弧を描いて嬉しそうに細められて……心護の心臓が大きく鼓動した。

 バチリ、と音がした気がした。

 アリアの歌声に心が震えるのとはまた違う。何だか急に、アリアが輝いて見えた。

 築年数何十年もの警察署の駐車場の白線も掠れたアルファルトが、アリアが立つその場所が、煌びやかなスポットライトに照らされた最高の舞台に変化したかのように錯覚したのだ。

 アリアが讃美歌を歌い終われば、四方八方から轟雷のような拍手が降り注ぐ。観客の中には、何があったのか分からないと言わんばかりのポカンと呆けた顔をした者も、ずっと呼吸を忘れていたかのように大きく息を吸って吐いた者もいる。

 ついさっきまで公務執行妨害罪で逮捕されるかの瀬戸際に片足を突っ込んでいた堂崎も、すっかり落ち着いて興奮気味にアリアへ拍手を送っていた。

 

「落ち着きましょう。大音量の声ばかりでは、何もかもかき消されてしまうわ」

「そうだザキ。もうちょっと穏便にだな」

「野木さんだってさっきまで興奮してたじゃないですか。なあ、心護……心護?」

「はっ……!」

 

 心護はアリアの歌声に呆けていた部類だった。遥か彼方の明後日の方向へ飛んで行きそうになった意識が、徳田に声をかけられて舞い戻る。

 アリアの歌声は、感動によって観客の心を殺すこともできれば、今のように観客の意識と視線を自身に釘付けにさせて心を落ち着かせることもできるのか……心護が気づいたときには、漁師たちや警察官たちだけではなく、アリアの歌声に引き寄せられた通行人たちが続々と警察署へ集まって来ていた。

 結果として、深潮警察署長は漁師組合が県警本部に直談判できるように取り計らうと約束して、この日は解散となった。

 心護の脈がいつもよりも少し早いのは、アリアが歌ったことによって魔力を消費したからだ、きっと。

 今日は多めにご飯を食べて回復させよう。何を食べようかと夕飯のメニューを考え始めた心護の携帯電話に着信が入って携帯電話を開くと、画面が表示した名前は『柳蔵涼乃』……夕飯を作りすぎてしまったので、食べに来ないかというお誘いだった。

 

「たくさんのおかずが並んでますけど、宴会か何かが中止になったんスか?」

「いや、本当にただ作りすぎただけで……まあ、よく来てくれたね。2人じゃ食べきれなくて困っていたところなんだよ」

 

 涼乃に招かれた心護とアリアが柳洞神社へやってくると、長テーブルの上には2人暮らしじゃ多すぎる料理が並んでいた。ほうれん草のおひたしの海苔和えまでボウルにたっぷり入っている。

 最近の支出が激しい心護にとっては、夕飯をご馳走してもらえるのは非常に嬉しいお誘いである。柳蔵が並べてくれた白米とアラ汁が冷めないうちに、美味しくいただこう。

 

「いただきます」

「いっぱい食べてね。アサシンさんは、箸は使えますか?」

「少し使えるわ。ありがとう、ミスター」

 

 心護は最初に、レンコンとタコと里芋の煮物に箸を付けた。

 ねっとりとした里芋に、甘辛く味付けされたタコの旨味がしっかり染み込んでいる。レンコンは柔らかく煮込まれつつもシャッキリした歯応えを残し、タコの煮物が濃すぎない程度に口の中を中和させてくれた。しっかりとしているけれど、どこか安心する家庭の味。これは白米が進む。

 

「美味いです!」

「良かった。父親の私が言うのはなんだか、涼乃の料理はみんな美味しいからね!」

「この卵焼きカニカマが入ってる。かに玉風か……うん、美味い!」

「シンゴ。このアラ汁、香名子ママのアラ汁とは違うけど、こちらも美味しいわ」

「白米のおかわりいるかい?」

「もらってもいいですか」

 

 心護の茶碗に二杯目の白米が盛られた。料理を作りすぎてしまった涼乃と、元体育会系の肉体労働者であり食欲旺盛な心護が噛み合った瞬間である。人選は間違えてなかったのだ。

 

「涼乃、三渓さんに連絡はついたのか?」

「杏華さんたちもお誘いしたんだけど、もう夕飯をとられてしまったって」

「タイミングが悪かったな。涼乃も夕飯にするだろう、アラ汁を()ぐよ」

「ありがとう、お父さん」

 

 結局、心護は白米を四杯おかわりし、作りすぎた料理のほとんどを片付けて涼乃と柳蔵に感謝された。オマケに残ったジャガイモコロッケと焼き鮭もお土産にもらい、滅茶苦茶に腹を満たされて帰宅したのだった。

 

 

 

***

 

 

 

「あーあ」

「どのような要件だった?」

「涼乃さんからの夕飯のお誘いでした」

「それは残念。あの娘の作る飯は美味い」

「本当に。晩御飯、食べておけば良かった」

 

 昼食前に心護の奢りでチョコレートパフェを食べて、特盛ポテトフライを片付けて、昼食も遅かったので油断した。夕飯の話題が出されてしまうと、自然にお腹が空いてきたような気がする。

 涼乃との通話を終えた杏華は、先約を入れたことをちょっぴり後悔した。しょうがない、どうしても外せない用事である。涼乃や柳蔵に心労をかけさせないようにとちょっとだけ嘘を吐いたが、早いうちに監督側の耳に入ってしまうだろう。

 杏華とランサーは海岸線にいた。漁港から離れた国道沿いから見える海の向こうには、真っ黒な夜空と海面を仕分ける真っ白なテトラポッドが並んでいる。そして、そのテトラポッドの上に立つのは、真っ暗な夜空に染まることのない白衣の弓兵と、杏華の先約のお相手だった。

 午前中、アルジュンとアーチャーと『マスト』での別れ際に誘われた。聖杯戦争に。食事に誘われるかのように礼儀を尽くされて、殺し合いのお誘いを受けたのだ。

 ついさっきまで楽しそうにドリンクバーを混ぜていたのに……温度差が激しい。

 

天竺(インド)の弓兵か」

「真名に心当たりはありますか?」

「生憎、『西遊記』程度の知識しかないぞ」

「私も、『リグ・ヴェーダ』ぐらいしかインドの英雄の知識はないですね。遠方にいくつか岩場やテトラポッドが見えますので、足場は一応あるみたいです。相手は遠距離攻撃を主とするアーチャー。向こうに有利なフィールドかぁー……あ、とても落ち着いた色をしている。青みの強い紫」

「ほう。弱音を吐くか」

「弱音や愚痴を吐くくらいなら、最初からお誘いに乗ってここに来ませんよ。お願いします、ランサー」

「応よ」

 

 誘われて、それに乗ってしまったのだからやるしかない。

 かくして、聖杯戦争の幕が上がる。

 蒼炎のアーチャーと赫髪のランサーの戦闘の火蓋が切られた。




心護が白米を四杯おかわりして腹を満たしていた裏で杏華さんは聖杯戦争にお誘いされて腹を括っていた。
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