「ポテトフライご馳走でした」
「こちらも、楽しい時間だったよ。ところで、今夜は何がご予定はあるかな? なければ、聖杯戦争はいかがかな」
「晩御飯に誘うかのような口ぶりで殺し合いの提案をされた」
昼前の『マスト』の正面にて、杏華とアルジュンの間で交わされた会話がコレである。
心護が注文して半分も減らなかった特盛ポテトフライを片付け、ドリンクバーでお気に入りのブレンドを研究しながらちょっと込み入った話をしていたのがつい5分前のことだ。5分後に血生臭い話になった。温度差が酷い。
我ながら酷く無粋だった。杏華は敵マスターである以前に1人の女性であるのに、女性に向けてあのお誘いは正直いただけない。もう少し余白を設けるべきだったのではと、アルジュンは脳内で反芻した。
紳士的な立ち居振る舞いは
女性相手にしては血生臭いお誘いだったが、意外にも杏華は拒否することも嫌悪感を示すこともなく、「で、場所はどこですか?」と業務連絡の如く淡々と訪ねてきた。
正直驚いた。てっきり、ランサー陣営の戦闘の主導権はサーヴァントが握っているかと思いきや、そうでもないらしい。
「おや、君は聖杯に興味はなかったのでは?」
「興味はないですけど……巻き込まれた以上、これはやらなければならないことですよね。正直嫌ですけど。まあ、仕事と同じです。嫌な仕事だけど、受けた以上は完遂する。それに、
「ふーん」
「……ランサー、物騒なのでファミレスの前で殺気はやめてください」
「応」
降りかかる火の粉は丁寧に、徹底的に払う。アルジュンが杏華に抱いた印象だ。そして、表には出さないが彼女は契約したサーヴァントに随分と信頼を寄せている。
だが、手綱は完全には握れていないようだ。彼女の背後にいたランサーが一瞬だけ、迸るような殺気を飛ばせば肌がヒリついた。それは杏華も同じで、ちょっと困ったような表情で注意はしたが返事だけで終わった。制御はできないが返事はさせられるようである。
ということで、本当に業務連絡の如く時間と場所を指定して杏華たちとは別れた。「では今夜」と、手を振りながら立ち去る杏華の姿は、年頃の女性というよりは少年のような面影がある……ふと、本国に残してきた“息子”を思い出した。
「いかがいたしましたか、マスター」
「いいや。ちょっと、“息子”のことを思い出してね」
「魔術刻印を継承されたという」
「ああ」
アルジュンの身体には、かつてチャンドラパドマ家の魔術刻印が移植されていた。年齢が二桁になるかならないの頃に継承し、自らが研鑽した魔術を刻んだ後に後継者である“息子”へと託した。昨年のことである。
英国統治時代に魔術へ鞍替えしたチャンドラパドマ家は、魔術師としての歴史はとても浅い。新興と言っていい。だが、かつての生業である呪術を積み上げて来た歴史は、記録に残るだけでも3,000年を超える。
心護にも話をした通り、チャンドラパドマ家は元は呪術師の家系だ。呪術師と言っても、呪詛を用いた呪殺よりはシャーマンの性質の方が強い。霊的な治療で不治の病を癒し、精霊と会話をして災害を言い当て、
チャンドラパドマ家は数多の植物の調合と改良によって呪術を実現させてきた。
不治の病を癒したのは、彼らしか知らない特効薬を調合できたから。災害を言い当てたのは、植物の異常な兆候を見逃さなかったから。そして、呪いを口にして起こした奇跡は、魔術回路によって熾された魔力と品種改良を重ねた植物によって出力された物理的な現象だ。
魔力を用いて薬も毒も自在に操る呪術師たちの知識量は膨大で、物理的な媒体に残された物だけでも異常な量になる。これらは全て、現代のチャンドラパドマ家が財を築いた礎となっていた。現在は、一族の表の顔であるインドの大手製薬会社が保有するスーパーコンピューター並みの演算能力を持つ魔術礼装によって管理されている。中には現代の研究者たちが発見していない薬効やら、チャンドラパドマ家が独自に品種改良を施した植物の記録やらが残されている。
そのようなルーツを持つチャンドラパドマ家が、根源に至るアプローチに植物の神秘を選ぶのは自明の理であった。
魔術師としては新興であるが、積み上げてきた研究成果は本流の古い家系にも劣らない。
鷹鉾にあるアルジュンの工房は、数多の植物が生い茂る園である。それらは明らかに日本に自生する物ではなく、南国を思わせる形状のそれらは熱帯地域に属する母国から持ち込んだ物だ。しかも自然界で発生した植物だけはなく、魔術的に品種改良を施した魔術礼装とも言える物が半数を占めていた。外来種の持ち込みよりも酷い。
これらの植物はアルジュンの魔力によって繁殖し、魔術の素となる。薬にも毒にも呪いにも、礼装にも何にでもクラフトすることができる。捨てるところがない。
心護に送ったが返された呪詛を受ける身代わりとなった花を始め、アルジュンの両腕の腕輪もこれらの植物が素材となった魔術礼装だ。特に腕輪は、仕込まれた香木やハーブの香りが脳に作用することによって、詠唱もなしに一定のワードだけで周囲の者に認識阻害の魔術をかけることができる。海外からの来訪者が目立つ田舎では重宝している礼装だ。
植物魔術とも言うべき手段を選び、チャンドラパドマ家は呪術師から魔術師になった。
英国統治においては、魔術師のコミュニティーに属するのが都合がよかったのもあるが、転向してもチャンドラパドマ家の内情が全く変わる必要がなかったこともありアッサリと鞍替えしたのだ。
魔術師は気が遠くなるほど長い年月をかけて世代を重ねて根源を目指す。一本でも魔術回路が多い子孫を作り、より優秀な後継者に未来を託す……それは、呪術師であったチャンドラパドマ家が紀元前の時代から行ってきた存続の手段だった。
目指す先が一族の繁栄だけではなく、根源への到達が追加されただけだったのだ。
「“息子”と言ってはいるが、血縁的には甥なんだ。姉の子供。
工房へ戻ると、アーチャー――アルジュナが香を焚いた。潮風と土の臭いが濃い深潮とは縁の薄い、エキゾチックな甘く艶やかな異国の香りが工房に立ち込める。魔術植物の生育に必要な香だが、いつの間にかマスターに代わってアルジュナが焚き始めた。
魔術刻印を継承する儀式も、この匂いに似た香に満たされた場で行ったのを思い出す。
一族の繁栄と根源への到達への歯車になることを期待された“息子”は、ここ100年の中では最も優れた魔術回路を保有している。否、魔術回路だけではなく、身体も丈夫で利発で賢く、どこに出しても恥ずかしくない自慢の“息子”なのだ。
日本では、このような子供のことを「神童」と呼ぶらしい。ああ、確かにそうかもしれない……あの子も、そしてアルジュンも、神の子であれと望まれて生み出されたのだから。
「チャンドラパドマ家では、儀式によって後継者を生み出す。魔術的、医術的な施術が施された一族の女性たちが五通りの異なる状況下で5人の男と交配し、誕生した子供のうち最も優秀な子が神の子として“息子”になるんだ」
「……それは」
「うん。君たちが誕生した逸話を擬えた儀式だ。試行錯誤と改良を繰り返したが、1,000年前にはもう現在の術式に落ち着いていたらしい。5柱の神との間に生まれた半神の如く、1人の妻を5人で娶った英雄の如く、
人間の女たちは、
別におかしなことではない。魔術師の思考が世間一般から見て、歪んでいるのは今更の話だ。根源へと至るために自分や子供の身体にメスを入れることなど日常茶飯事である。
ただ、神に擬えた5人の男たちと交配させられた母体たちが受けた仕打ちがどのようなものだったか……想像に難しくない。
「一夜目、翌朝の姉の両目は真っ赤に充血して頬には涙の跡が、身体中には鬱血痕が残り3日経っても寝台から起き上がれなかった。二夜目、殴られた頬が腫れ、唇からは出血し、髪を引き千切られていた。私が呼びかけると、小さく悲鳴を上げて身体を丸めて震えていた……三夜目以降は、口に出すだけでも悍ましい。近代化したとは言え、女性の扱いなぞ
「あまりにも現代の価値観と乖離している。魔術師という言い訳を盾にするのも見苦しい……誰か止める者はいなかったのですか」
「いなかった……と言うより、言い出しても聞き入られなかった。新しいことを取り入れようとしても、現行よりも優れた結果が見込まれなければ却下となって、ベターな現状がズルズル続いてこのザマだ」
アルジュンの“息子”が魔術刻印を継承したのならば、また次の“息子”が必要になる。そしての次、また次と、一族は儀式を続けるだろう。
次の母体となる少女の調整にはもう5、6年ほど時間が必要だ。彼女とそう血縁が近くないアルジュンも、その儀式に組み込まれる可能性は高い。勿論、拒否権はない。
「はっきり言って、儀式に組み込まれるのはとっっっても嫌だ。しかし、今の私は年長者どもを納得させられる代替案を出すこともできなければ、彼奴らを黙らせる発言権もない。魔術刻印を継承した者はただのお飾り当主なんだ……だから、聖杯を手に入れる。私の代で根源に至って永久の繁栄が約束されるのならば、もう次の“息子”は生み出されないだろう。だから、君を召喚した……私の名の根源にある白銀の英雄を」
元祖である冬木の召喚術式とは微妙に異なる揺れによって、日本を始めとしたアジア・中東地域の英霊も召喚できる可能性もあるならば、現地の知名度よりもマスターになる自身がよく知る英霊を召喚する。
アルジュンが用意した触媒は、かつての英雄の聖遺物。インド山奥の忘れ去られたような寺院に眠っていた、風化することなく蒼炎がゆらめく矢羽根だ。それだけではない、アルジュンは自分の名までを触媒とした。
『マハーバーラタ』の英雄たちの名前は、現代のインドにおいても人気の名付けである。日本で言うならば、男の子に「龍馬」や「武蔵」と名付けるようなもの。「アルジュン」の名前も、「アルジュナ」からとられた「白銀」を意味する名づけである。
チャンドラパドマの一族のため、アルジュン個人の悲願のため、確実に勝算のあるサーヴァントを召喚したのだ。
「結局は、これは私のための……一族にクーデターを起こすこともできない、情けない男が劣化版に一縷の望みをかけた聖杯戦争なんだ」
「マスターの発言には、聊か不足している言葉があります。これは、貴方のためだけではなく、“息子”さんのための聖杯戦争でもある。そうでしょう」
「……それは当然のこと。口に出す必要もない大前提だ。あの子は私にとって、山頂よりも高く澄み切った場所で明るく輝く、小さくも大きな星なのだから」
アルジュンは“息子”である甥を、自身の本当の息子として慈しんだ。それは、魔術師が後継者となる子供が魔術刻印を継承するまで大切に育てる行為とは違う、普遍的な親としての愛情だ。
もし、あの子に自分のように苦しむ未来が待っているのならば、同じ道を歩ませたくはない。それが、魔術刻印を継承させる以外の、“父”としてできることだと思っている。
「もう一つ、お尋ねしても? “息子”さんの母親である、お姉さんは……」
「……息子を出産して3年後、次の儀式の話が持ち上がってね。姉はそれを拒否して、
アルジュナの問いかけに、アルジュンはちょっと困ったように微笑みながら、焦点の定まらぬ視線でそう返した。
***
群青色の空間を、煌めかんばかりの蒼が真っ直ぐに切り裂いた。
海面と夜空が一体化しそうな夜の下で、アーチャーの一射が放たれる。エンジンが搭載されているかの如く轟々と燃える炎の推進力で杏華を見据えて迷いなく飛んで行くが、彼女に届くことなく叩き落とされた。まあ想定内だ、そう簡単にマスターは狙わせてくれない。
「こんばんは。来たね!」
「はい、こんばんはー! ……昨夜と違い、
「興覚めになっては困る。精々死ぬなよ、マスター!」
杏華を狙ってきた矢を叩き落した槍を翻す暇もなくランサーは跳躍する。夜にくっきりと映える赤い頭と中華服が視界から一瞬消えて、テトラポッドの上にいたアルジュンの耳を甲高くも重苦しい音が劈いた。
ランサーの槍をアーチャーの大弓が受け止める。あの一瞬でここまで距離を詰めた。さすが、敏捷と白兵戦に優れた
しかし、アルジュンが選んだフィールドは海辺だ。遠距離攻撃を主とするアーチャーがあまりにも有利である……少しの思案。杏華に対するお誘いがあまりにも無粋だったから、謝辞の意味も込めて譲歩しよう。
アルジュンは懐中時計にも似た円盤型のケースを取り出した。中に入っているのは、魔術的な品種改良を施した植物魔術の素材となる種だ。
「『
目的の植物の種に魔力を通し、呟いたワードによって目的を固着する。種を海に投げ撒けば、ワードのとおり一瞬にして育った。海水を餌として、大量の茨が海中から生えて来たのだ。
本来ならば植物を育むことのできない海水をゴクゴク飲み干すかのように、水位が低くになるに連れて鋭い棘を纏った巨大な茨の蔓が海を侵食し、あっという間に陸地ができてしまった。干潮でもここまで干上がることはないのに、水平線がとても遠くなってしまった。テトラポットの根っこが見えるし、逃げ遅れた浅瀬の生物が茨の付近でビチビチと跳ねている。
「これでフェアかな」
「足場があればこちらは嬉しいですけど」
「優位性を自ら捨てるとは。驕りか」
「驕りではありません。槍の届かない距離からの一方的な虐殺は好みませんので」
「ほお……ではその弓、へし折られても文句は言うまい。白兵戦に持ち込まれて殺されたなどとの言い訳もできんからな!」
「うん?」
ランサーが消えた。気配もなく忽然と姿を消したのだ。
しかし、アーチャーには『千里眼』のスキルがある。高い敏捷を活かした瞬間的な移動ならばその目で見ることができるはずだと、アルジュンはそう思った……はずだった。
アーチャーの目に映ったランサーは、既に自身の間合いにアーチャーを引き込んでいた。『千里眼』で見ることができず、殺気を感じ取ったその瞬間にランサーは姿を現したのだ。
ただ間合いを縮めただけではない。まるで透明化したかのように姿を消して、攻撃態勢に移って姿を現した。矢を弓につがえることを許さない間合いで六合大槍が大弓をこじ開けようとするが、アーチャーは矢筒から引き抜いた矢をつがえることなく、矢から噴き出る蒼炎を小さな盾として防いだのだ。
ほんの刹那の判断が遅れていれば、ランサーの槍はアーチャーの懐に届いていただろう。霊体化ではない。どうやらランサーは、接近するまで姿を察知されないスキルを保有しているようだ。アーチャーの『千里眼』でも見ることができなかった。
ランサーは縮めた距離を開かせることなく、身の丈以上ある槍を最小限の動きで器用に振り回して鋭い攻撃が突き出される。アーチャーが近距離で放った一射も薄皮一枚で避けて髪の毛を散らしただけ。だが、アーチャーは苦戦する様子でもない。
白い手袋をした手が再び矢筒に伸びる。ランサーの連撃の雨の中でも、慌てず確実に標的を狙って素早く矢を弓につがえようと、したその時だった。膨大な魔力を察知したのは。
魔力の発信源は陸地だ。ランサーも同じく魔力を察知したようで、攻撃の手を止めて再び姿を消した……途端に、2騎をまとめて巻き込まんばかりの魔力の斬撃が飛んできたのだ。
「わたしも参加していいですかぁ~? レィム・ロホルト・ウーサと申します。ええ、見てのとおり、セイバーです」
少女の細くて白い人差し指が示す騎士も、先ほどの攻撃もまだ記憶に新しい。昨夜ぶりだった。
アーチャーとランサーの戦いに、セイバーが乱入してきたのだ。
ジュンさんとその姉は正確に言えば異父姉弟。父親は誰か特定してはいけないのが、長年の暗黙の了解となっている。
儀式で生まれた子供は、男なら“息子”候補になり、女なら母体となる。
ちなみに、時計塔留学時代のジュンさんは植物科に所属していた。